Ⅳ 都で見つけた道しるべ
1 推薦
グランドル王国の王宮は、塔がいくつも連なったようになっているのが、大きな特徴である。国の重要な問題を扱う、あるいは政策を決める会議が行われるのは、数ある塔の中でも中心の、一番太い塔。その三階にある大会議室だ。
建物の構造上、会議室は
部屋を丸ごと占領するほどの大きな円卓に、ものものしい顔をした人々が座る。描かれた夜空に見おろされていることも意識せず、彼らは早くも、笑みの裏で火花を散らしはじめた。その空気たるや戦地の天幕の方がまだ気が楽だろうというくらい、
そうこうしているうちに、しわがれた宣告の声が響く。一拍置いて議場の扉が仰々しく開き、ひときわ
それから議長が、朗々と開会を宣言する。空気がにわかにはりつめて、人々の瞳が鋭く光った。
――これから、彼らの戦いが始まる。平然としたような表情なのは、国王と、脇にひかえる白衣の男だけだった。
粛々と進行してゆく会議。軍服の女性――エレノア・ユーゼス准将はそのただなかで、黙りこくってペンを走らせた。議題は淡々と、いつものように移ろってゆく。経済から軍事へ。軍事から外交へ。彼女はその中で、ほとんど言葉を発しなかった。ただ、軍人として参考意見を求められたときに、立ち上がって少しだけ、形ばかりの意見を提示しただけだ。
「では、以上のように対処いたします。次の議題へ移らせていだだきますが、よろしいですかな」
議題はそうして移ろう。いっそ冷たいともいえる表情で紙をにらんでいたエレノアは、けれど、視線を感じて顔を上げた。向かいの席の貴族院議員が、こちらを見ている。彼女に負けぬ、氷のように冷たい目で。
「エレノア・ユーゼス准将。……いや、魔術師部隊副隊長」
呼びかけられると、エレノアは目を細める。一人の軍人としてではなく、魔術師部隊――『
魔術師および、魔術の知識に特化した者ばかりを集めた、独立部隊。彼らは、魔術や魔術師にからむ案件を専門に取り扱っている。彼の隊の副隊長である女性軍人は、続く言葉を覚悟して、氷の鎧を身にまとう。
「王宮の一角にて保護しているシェルバ人の亡命者たちの状況を、報告していただきたい」
「はっ」
エレノアは立ち上がって敬礼し、ほんの一瞬、手元の資料に目を落とす。それから、やたらときらびやかな議場を見渡した。
「保護した二十一名のうち、十名あまりは、すでにそれぞれ王都を出て、王国各地に拠点を持って生活しています。王宮の居住区で暮らしている人々の状況ですが――」
北方の大陸のシェルバ人を保護してからそろそろ一年になる。エレノアは、議場に声を投げかけながら、感慨深さに目を細めた。けれども口調はよどみなく。表情も変わりなく。事務的に報告を終えた彼女は、「以上です。質問がおありでしたらどうぞ」と、かたい声で、議員たちに水を向ける。すると、さっそく、手があがった。白い毛に、太い眉の老人。先ほどの議員だ。エレノアは、心の中で舌打ちをしつつも、表面上は平静を装って、「どうぞ」と言葉をうながす。
「――大事なことを伝え損ねているのではないかな、准将。例の子どもをどうするか、まだ決ておられぬか」
エレノアは、ほんの少しだけ、苦みを表に出した。けれどすぐ、無表情に戻る。
はぐらかしてやろうとしたのがばれたか、とか、あんた名簿持ってるだろうが名前で呼べ、とか、いろいろ思うところはあったが。すべてをのみこみ、頭を下げる。
「話し合いをしているところです。ほかの団員たちと同じように、王都の外で暮らすことも考えている、と本人は言っていました――」
「外へ出すつもりか?」
冷たい声が割って入る。同時、議場の空気にひびが入った、気がした。議員の大半が青ざめて、一部の議員は殺意さえこもっていそうな目をエレノアに投げかける。しくじった、と思いながらも、彼女は表情を変えなかった。
「――彼の意志しだいでは、そういうことにもなりましょう」
静まりかえる。一瞬後、あたりから怒声がわきおこった。
「待て。あの少年、ヴァイシェル大陸の魔女の呪いがかかっているというじゃないか」
「そんなものを野放しにするのか?」
「どんなに危険なことかわかっているのか!」
「いや、誰よりもわかっているだろう、『白翼』の副隊長だぞ。その上であれを外に出そうなど、狂気の沙汰としか……」
騒ぐ声のほとんどが、貴族院議員のものだ。他の議員たちは、また始まった、とばかりにしぶい顔をして目をそむける。止める気はないらしい。否、止められないのだ。公平な会議の場、とはいっても、貴族たちに口出しをするのは誰だって怖い。エレノアも、できれば関わりたくなどないのだ。それでも彼女は、口を開く。この大陸ではどこまでも孤独な、二十一人の
「お言葉ですが」
再び、あたりに沈黙が落ちる。議員たちが大人しくなったのを確かめて、エレノアは言葉を継いだ。
「私は正気です。そして、彼の意志は尊重する。これは、私だけでなく、我が隊の総意であります」
ついでに言うと『彼』は家畜や所有物ではない、いい加減にしろ。――とまで言ってしまえれば楽だろうが、あまり貴族どもを煽ると後が面倒だ。なので我慢して言葉を切る。しかし、彼女の我慢は徒労に終わった。すでに議場がざわつきはじめていたのだ。
やいのやいのと、怒号や野次が飛ぶ。今度はほかの議員たちも少しずつ、反撃をしたりなだめに入ったりしてきた。
あまりのやかましさに、エレノアはかぶりを振る。援護射撃はありがたいが、おかげでよけいに騒がしくなってしまった。強引に終わらせようかと思ったとき、あからさまなため息が聞こえた。国王の席のあたりからだ。
「君は本当に、ああいう場での立ち回りが下手だよねえ」
「……返す言葉もございません」
さざめきのような人の声、足音に包まれる、王宮の廊下。会議のあと、エレノア・ユーゼスは白衣の男と並んで歩いていた。彼、ジルフィードにとげとげしい言葉を投げられると、うなだれてため息をつく。
「やはり、私は短気なのかな」
「そうかもね」
「嘘でも否定してほしかったよ、ジルフィード先生」
エレノアが、下からにらみつけると、ジルフィードは白い肩をすくめて笑う。軍医であると同時に、国の情報機関でそれなりに上の立場にいる彼は、エレノアや彼女の上司である隊長にも気安く接してくれる。――軍部で数少ない魔術師仲間だから、というのもあるかもしれないが。
「まあでも、君くらい強気な人間は必要だよ。特にシェルバ人たちの件はね。いくら元はよその国、よその大陸の人といっても、彼らだって人間だ。ひとの人生をお国の都合でねじ曲げるべきではないと、僕も思っている」
「……あの年よりたちも、先生のように考えてくれればよいのにな」
「彼らは魔術師や呪いが怖いんだろう。僕の案を受け入れたのも、その怖いものを、僕に監視していてほしいからじゃないかな」
――あの、ざわついた会議の場をしずめたのは、ジルフィードだった。彼は、話題の中心となっている少年の処遇について、ひとつの案を示したのである。
それが、国の情報機関である『情報院』で彼を雇う、というものだ。まず、ジルフィードからの推薦という形で採用試験を受けてもらう。あの少年は非常に優秀な魔術師だ。確実に合格できるだろう――というのが、軍医の見立てだった。晴れて情報院の一員となったあとは、ジルフィードがとりまとめる魔術部に招き入れ、魔術の研究や方陣の分析に従事させる。彼も働く場を得られ、目の届くところにとどめておける、一石二鳥の案だった。
議員たちはそれを了承し、国王も了承した。ただし国王はこうも言った。
『あくまでも彼の意志を尊重しろ』
「彼の意志、か。どうだろうな」
エレノアが呟くと、ジルフィードは天井をあおいだ。
「さあ、わからない。……ただ、ひとつ言えるのは、あの子、ロトは
嘆息まじりの声。エレノアはそれをかみしめると、みずからも深いため息をこぼした。
※
声が聞こえる。怖い声だ。乱暴な声だ。
はじめは、何を言っているのかわからなかった。まるで嵐のようだった。けれど、だんだん、聞きとれるようになってきた。
――聞かなければよかった、と、思う。
声は、化け物、と言ってきた。
どこかへ行け、化け物。こんなものは閉じ込めてしまえ。いや、いっそ殺してしまえ。
容赦のない罵声に、うずくまる以外のことができようか。
声は止まらない。やめてくれと、懇願しても止まらない。
安息を許さぬとばかりに、いつまでも、響き続けた。
がくり、と頭が傾いた。頭を揺らした衝撃に起こされて、ロトははっと目を開ける。茶色い机に広げられた本が見えた。視界は少しかすんでいる。まばたきすると、靄はどこかへ飛んでいった。
「寝てた……」
誰にともなく呟いたロトは、そのまま伸びをする。大きなあくびが、ひとけのない図書室に響き渡った。
「なんか、変な夢見た気がするな。気分わりい」
肩をほぐしながらひとりごつ。そもそも、村を出てからいい夢なんて見た試しがないな、と思いだして、
なんとか争いを逃れて違う国へ来たと思えば、魔術師だから、呪いがあるからという理由で厄介者扱いされる。そのくせ、国の偉い人はロトを外に出したくないらしい。
「馬鹿げてる」
厄介者扱いするのなら、いっそ放っておいてくれればいいのだ。そうすれば、勝手にどこかへ出ていって、偉い人の邪魔などせず、ひっそり暮らしてやれるというものを。
考えてから、ロトは首を振った。
わかっているのだ。彼らは呪われた人を野に放つのが怖いと思っている。しかも、呪いはうつらない、かけられた者のためだけの呪いだと、いくら説明しても聞いてくれない。聞く気がないのだろう。
正直、うんざりだった。仲間たちとわずかなやさしい人々がいなければ、とうに王宮を飛び出して一人でどこかへ逃げていたに違いない。
重く木のきしむ音がする。本のにおいに満ちた部屋に、冷たい風が吹きこんで、すぐに消えた。足音が近づいてきて、ロトのすぐそばで止まる。『やさしい人々』のうちの一人が、少年をおもしろそうに見おろしていた。
「やあロト。今日も勉強か? 熱心だな」
「……そうでもないよ。居眠りしてた」
エレノア・ユーゼスは、「ふうん」と言って首をかしげる。結われた金髪が、ふわりと揺れた。
「そっちは、会議?」
首を曲げてロトが問うと、エレノアは苦々しげに笑った。ごまかしているつもりだろうが、まったくごまかしきれていない。「俺のこと、また言われたか?」と訊いてみれば、うめくような声が返ってきた。ロトは顔を彼女の方に向けたまま、本を閉じる。
「気、つかわなくていいって。今さら。いつものことだろ」
「うーん、それが今回は、『いつも』とは少し違うんだよ」
ロトは目を丸くした。本から手を離し、体をエレノアへ向ける。椅子の背もたれに肘をかけると、唇を引き結んでいる准将をにらみつけた。
「なに? 何言われた?」
「それがな――君に、就職の話がきている」
少年は、ぽかんと口を開ける。は、と、間抜けな声が、あいた口から漏れだした。半眼になって、うめく。「就職って、なんだ、いきなり」
エレノアは目をつぶって、すぐに開いた。
「情報院魔術部長、ジルフィードから推薦があった。つまり、君は情報院に来ないかと誘われているわけだ」
「は?……情報院に入るの? 俺が?」
「採用試験に受かったら、な」
ロトが身を乗り出すと、エレノアはうなずく。そして淡々と、問いかけてきた。
「どうする? 試験、受けてみるか?」
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