Ⅲ-ⅱ 黎明を念(おも)う

1 真昼の影

 細く枝分かれする通りには、立ち並ぶ建物が四角い影を落としている。職場へ続く道を歩いていたジルフィードは、その一角から聞こえた声に吸い寄せられて、顔を上げた。

 井戸の前で、子どもたちが遊んでいる。子どもの数は五人。そこに二十歳近い女が一人、混じっている。彼らは井戸を囲んで手を取り合いながら、歌っていた。昔から王国西部で伝わっている、わらべ歌を使った遊びだ。ジルフィードは、五人の子どものうち、三人の姿をしばらく目で追う。彼らは視線に気づかず、明るい笑い声を弾けさせる。そのうちの一人の少年が、女性に突っかかるような様子を見せ、まわりの子たちが苦笑しながらなだめていた。ジルフィードは薄い笑みをのぞかせると、顔をそむけて歩き出した。


『職場』には一刻と経たずにたどり着く。荘厳な王国の中枢――その裏側に佇む、ものものしい建物の群。無機質な石造りの建造物は、またひとつ、人工的な通りを形成している。行き交う人々のよそおいは、ぬくもりから冷徹へと変わっていた。ジルフィードは、時折突きささる視線を感じながらも、平然とを進めていく。

 そのうち、また一人とすれ違った。けれどその一人は、冷徹をまとってはいなかった。彼は風に舞う白衣に気づくと、足を止める。

「ジルフィード。朝っぱらからここにいるとは、珍しいじゃねえか」

 そこではじめて、呼ばれた方も振り返る。そして、相手をながめて苦笑した。白髪まじりの短髪の下で無遠慮に動く小さな黒眼には、けれど悪意はない。ジルフィードも足を止めると、石の塀にもたれかかって、白衣を軽くまさぐった。

「やあ、セオドア。君が散歩してるのも、じゅうぶん珍しいと思うよ。――ちなみに僕は仕事。朝までけが人を診てたのさ。南部の街で不審死事件の調査をしてた軍人に、結構な負傷者が出てね。どうも、魔術師を相手取って負けたらしい」

 小さな黒眼の持ち主である壮年の男は、ジルフィードの言葉に、ああとうなずく。それから、おおげさにため息をついた。

「こっちのお医者様は大変だねえ。ここ数日寝てないんじゃないか」

「よくわかったね。さすがは

「よせやい。元だ、元」

 セオドアは呟くと、雑に手を振る。ジルフィードは肩をすくめ、話題を変えた。

「そういえばさっき、あの子たちを見かけたよ。王都の子どもたちともうまくやってるみたいで、一安心、ってところかな」

「そうだな。……いや、どうだろう。ティルなんかは、まだ警戒しながらって感じだぜ」

「ふむ。また、話を聞きにこようか。一週間以内に時間を作ってみるよ」

 苦笑まじりの男の言葉に、ジルフィードも緊張をちらつかせる。顎に指をひっかけて、頭の中で予定をめくっていると、セオドアから「ありがてえけど無理すんな」との声が飛んだ。ジルフィードは、ふっと口もとを緩めてささやく。「これも仕事のうちだ。それに、君らのことは僕も憂いている」

 セオドアは、目を瞬いたあと、肩を叩いてきた。

 

 それから数日後。彼は、休憩中に足を運んだ王宮の廊下で、子どもたちのうちの一人に出くわした。長椅子に腰かけている少年と、目が合う。

「あ、ジル」

 ふだんから無愛想な少年は、ジルフィードを見つけてもあまり表情を動かさない。しかし、何度も顔を合わせているジルフィードは、彼の目もとがわずかに緩んでいることを見てとっていた。少しでも心を開いてもらえたのならば、喜ばしいことである。いつもどおり、少年にほほ笑んだ。

「こんにちは。元気そうだね。こっちでの生活はどうだ」

「うーん……よくわかんない。弓が恋しくなってきた」

 もとの場所では狩人として身を立てていたらしい少年は、自分の指を動かしながら呟いた。思わず吹き出したジルフィードは、少年の隣に腰を下ろす。見上げてくる深海色の瞳に、なまいきな光がちらついた。

「ジルはこんなところで油売ってていいのか?」

「ご安心を。今は休憩してるところだ。君は、今日は一人?」

「うん。エレノアは忙しいし、あいつは……」

 言いかけて、少年は口をつぐんだ。けれどジルフィードは、少年の腕にふだんはない模様を見つけて、言葉の続きを察する。彼はただ、そうか、と言って話題を変えた。

「王都の子とも、仲良くできてるみたいだね」

「え? なんで知ってんの?」

「実はこの前、見かけた」

 さらりと答えれば、少年はあからさまに顔をしかめる。ジルフィードは、涼しい顔で呟いた。

「あの遊びは懐かしいね。僕も小さい頃、よくやったよ」

「あんた、友達いたんだな」

「さりげなく失礼だよね、君」

 ジルフィードは声を心持ち低めて言ったが、少年はそっぽを向いただけだった。彼はその後、思案顔で白衣を見た。

「友達といえば、あんた、テッドと仲がいいよね。医者仲間?」

 唐突に言われたせいで、ジルフィードはすぐに反応できなかった。目をぱちぱちと瞬いたあと、ゆっくりと無邪気な言葉を噛みしめて、笑みを刷く。

「まあ、そんなところ。彼の知識や思想には興味があるし。でも、それだけじゃなくて……なんというか、馬が合うんだよ」

 ふうん、と少年は気のない相槌を打つ。ジルフィードはなんとなく、心に浮かんだことを口に出してみた。

「なんで彼、医者って名乗るのをやめちゃったのかな。もったいない」

「やぶ医者と誤解されないためじゃないの? こっちでは、魔術と薬草しか使わない医療なんておまじないみたいに見られてるんだって、あいつ言ってた」

「まあ、それもひとつの側面ではあるんだけど……。でも、それを武器にしようとしているだっているじゃないか」

「そこは性格の違いじゃね?」

 少年の答えは投げやりだったが、ジルフィードは「なるほど」と思ってしまった。元来、他人と関わるのを嫌いそうなあの男のことだ。余計な揉め事や議論を厭って、身を隠す方を選んだとしても不思議ではない。しかし、ではなぜ、ジルフィードとは議論を戦わせるのか。そのことだけが、少しひっかかった。

「……まあ、いいか。僕にとっても悪いことじゃないし」

 かき消えそうな声で呟く。聞こえているのかいないのか、隣の少年は彼を一瞥したあと、すぐに視線をそらした。

「明日はまた王都に出る」

 なんの脈絡もない発言に、しかしジルフィードはほほ笑んだ。

「そう。また、あの子たちと遊ぶの?」

「うん。……あのさ、あんたが見たときって、女の人いた?」

「うん? ああ、いたね」

 少し考えこんでしまったが、ほどなくして思い出す。子どもにまぎれるにしては不自然な年齢の女性だとは思ったが、それだけだった。

「王都の子が紹介してくれたんだ。仲いいんだって。で、その人がいいところに連れてってくれるから一緒に行こう、って誘われた」

「……それ、大丈夫?」

「さあ? 何かあったら魔術ぶっ放つから、誰か来てくれるでしょ」

 簡単に言うな、とジルフィードは肩をすくめる。けれど同時に、胸がざわついた。「何かあったら」――はじめからそんな視点で語っていることに、彼らしいと感心する一方で違和感をおぼえる。しかし、追及している時間はない。そろそろ休憩時間も終わる頃だ。しかたなく、ジルフィードは質問を次の面会のときまで預けておくことにした。



     ※



 王都の南西、雑多に広がる庶民街の路地に、早くから子どもたちが集まっている。大人の目を盗んで細い通りにやってきたのは王都の少年で、彼は次に、都の北からやってきた子らを出迎えた。そのうちの一人、茶色い巻き毛の少年が首をひねる。

「ん? カーラはどうしたの?」

 彼らを出迎えた少年エディは、つま先で石畳を蹴りながら、答えた。

「アンヌさんを迎えにいってから、こっちに来るって言ってたよ。そっちこそ、姉さんはどうしたの」

「あいつは最初から来ないって言ってただろ。それに、絶対起きない。昨日徹夜したから」

 淡々と述べた少年の青い瞳に影がさす。エディは詮索したい衝動にかられたが、結局は口をつぐむ。そうして大人しく、少女と女性を待つことにした。

 しかし、太陽のほとんどが地上に顔を見せ、かんぬきを外す音が響く頃になっても、カーラたちはやってこなかった。

「遅いなー」

「遅いね」

 エディと、巻き毛のティルは同時にぼやく。暇つぶしに小石を使った遊びをしていたが、それもそろそろ飽きてきた。エディが小石を投げ捨てたとき、二人の遊びを外から見守っていた少年が、顔をしかめる。

「どうかした?」

「……気持ち悪い」

 少年は、小声でそれだけ言うと、通りの奥――さらに細い小路こうじの方へと走り出した。ざわざわと、さざ波のような人の息遣いが広がりはじめる大通りとは反対に、路地の中には薄氷に覆われたような静寂が降りていた。エディたちはぎょっとして顔を見合わせる。「一人で行くなって!」と、最初に叫んだのはティルだった。彼は、二つほど年上の少年の暴挙にあせって走り出す。エディも慌てて彼らを追った。いくら、王国軍の庇護を受けている子どもたちとはいえ、庶民街のことはまったく知らないはずだ。二人きりにしてしまってはまずい、と思った。


 三人は走った。やがて、ティルが少年と並んだ。エディはわざと、二人の少し後ろを走った。振り返っては、来た道を目に刻む。いざとなったら自分がしっかりしなければ、という思いがあった。少しして、前の二人が同時に息をのんだ。ざわざわと、虫が這いまわるのに似た不快感をおぼえた二人は、直感に従って足を速める。


――空を切り裂く悲鳴が聞こえたのは、直後だった。

 エディがひるんで、つかのま足を止めたとき。前を走る少年たちの姿が、通りの奥に消える。

「あ、ちょっと」

 慌てて、エディも弾かれたように通りを駆ける。追いつきかけた彼を、しかし、鋭い声がとどめた。

「エディ、来るな!」

 叫んだのは、ティルの声だった。続けて、銀色の光が尾をひいて、空に弾ける。唖然としていたエディだが、ティルの前から響くすすり泣きの声を聞いて、我に返った。

「カーラ!?」

 少女の名を呼んだエディは、ティルを押しのけて前に出る。そして、今度こそ唖然とした。

 道幅がわずかに広がった通りには、カーラと――アンヌがいた。空家の壁に背中をつけて震える少女を、女性が狂気を宿した目で、見つめている。お姉さんと、そう慕っていたはずの女性がカーラに何かをしたのだと、認めざるを得なかった。少女の小さな肩に染みだす赤を見つけた瞬間、心が凍りつく。


「魔術師だったんだ」


 ささやいたのは、青い瞳の少年だった。エディは、驚愕をはりつかせて彼を振り返る。ふだん、あまり表情の動かない少年は、このとき、エディにもわかるほど怒っていた。少年の声に気づいたアンヌが、ゆっくりと振り返り、笑みを広げる。

「ああ、よかった。来たのね。ちょうどいい」

「……エディたちが仲良くしてるからと、信じた俺が馬鹿だった。はじめから、エディたちを――俺たちを、利用するつもりだったんだな」

 何をする気だ、と威嚇の声を上げ、少年が一歩を踏み出す。エディが生唾をのむと同時、女がいびつに笑った。白い指が、震える少女をとらえてうごめく。

「命を、いただくのよ」

 ぞっとするほど、甘い声。エディは思わず口を押さえた。その間にも、女の十指で火花が爆ぜる。瞬間、少年が駆けだして、カーラとアンヌの間に入っていた。彼の手が、目にもとまらぬ速さで動く。エディがそれをとらえた頃には、少年の前に光る図形が浮かびあがっていた。それはまたたく間に消えて、かわりに半透明の壁となって、弾けた火花をすべてかき消した。

――魔術だ。

 話には聞いていたが、はじめて見る。エディは思わず後ずさりしていた。魔術師が怖いから、というよりは、女の笑い声が恐ろしかったからだった。

「へえ。君、おもしろいのね。方陣形成に特化した魔術師か。かのエレノア・ユーゼスをもしのぐほどね」

「期待に添えなくて悪いけど、エレノアに勝てたことはねえよ」

 少年は、かつてないほど荒い口調で吐き捨てる。エディもアンヌも、彼の言葉に眉を上げた。しかしアンヌは、すぐにまた、美しい微笑を広げる。

「まあいいわ。カーラがそんなに大事なら、代わりにあなたを食らうまで」

「……っ!」

 深海色の瞳に、エディの知らない感情がよぎる。アンヌはその隙に、右手に短剣を忍ばせていた。暗がりの中の輝きで、それに気づいたエディは、考えるより先に声を出す。

「危ない!」と――ほとばしった叫びが耳に届いたのか、少年は、はっと顔を上げる。

 だが、そのとき。アンヌの背後の石畳が光り、ティルが青ざめた。だめだ、と彼が言ったが、そのときにはもう、光った場所から透明な刃が飛び出していた。少年はとっさに手を突きだす。色のない刃は、吸いこまれるように少年の腕の方へ飛んでいき、右の手首を鋭くえぐった。

 詰まったような声が上がる。エディは反射的に耳をふさいだ。彼がこわごわと耳から両手をどけたとき、笑い声が聞こえる。女の声は甲高く、子どもたちをあざけった。

「エディ。愚かな子。わざわざあんたに見えるように、武器を持つわけないじゃない」

 笑ったアンヌは、短剣をそのままエディたちの方へ投てきする。とっさに前へ出たティルが、石を投げて短剣の軌道をそらした。が、それを見てもアンヌは、笑みを崩さない。彼女の目は、エディやティルを見ていなかった。

 カーラをかばうように立つ少年。彼の細い手首にはまっ赤な傷がつき、血が滴り落ちている。けれどそれ以上に、エディの目をひくものがあった。右肩の方で、うぞうぞとうごめく黒。刺青いれずみのようにもみえるが、何か違う。少年は、得体の知れない恐怖に震えた。

「なん、だ、あれ」

「まずい……!」

 うめくエディをよそに、ティルは悔しそうに呟いた。彼はそのまま、エディをにらむように振り返る。

「エディ! 走って! 誰でもいい、とにかく軍の人にこのことを――」


 しかし、ティルの言葉は最後まで聞くことができなかった。誰かの震える声に、気を取られてしまっていたからだ。声のもとを確かめようと、エディが目を巡らせたとき。カーラとアンヌの間に立っていた少年が、腕を押さえて崩れ落ちた。


「……っ、ぁ、あああぁあ――――!!」


 喉を裂き、大気を切り刻む絶叫が、細い通りにほとばしる。エディもティルも、アンヌでさえも、唖然として立ち尽くす。彼らが何もできず棒立ちになっている間に、火花となった魔力が空中で弾ける。

 飛び散った無形の力は、少年の苦痛に呼応するように渦巻いて、爆発した。



     ※



 薬屋を名乗るセオドアと、向かいあって本を広げることは、ジルフィードの最近の楽しみだった。今まで知りえなかった世界に触れることは、恐ろしくもあり楽しくもある。以前、そう青い瞳の少年に話したところ、「あんたもやっぱり魔術師なんだな」と言われた。魔術師であることと、知的好奇心の大きさに、関連性があるかはわからない。ただ、なんの関わりもない、ということはないだろう。魔術師というのは、常に知を追い求める生き物だ。


 その日もまた、時間を見つけてセオドアのもとを訪ねていた。王宮内で唯一、平民の人々にも開放されている第一図書館。その窓際の丸い卓で向きあった二人は、分厚い本を何冊も広げている。


「ほほーう、奥が深いねえ。新しい成分の発見とか、俺、もうついていけねえ」

 セオドアが頬杖をついている対面で、ジルフィードは書きつけをとっていた。

「奥が深いのは君たちのところの医療も同じだろう。魔術と薬草の組み合わせ、その可能性は無限大だ。魔術師の大陸ならではの発想も多い」

「逆に言うと、魔術師じゃないと実用化できねえんだ。この大陸じゃ、無用の長物ちょうぶつだろ」

「そうでもないさ。僕のような医者もいる」

 ほほ笑んだジルフィードは、軽くペンを回してから、紙の端を叩く。

「これなんかおもしろい。呪いの効果をわざと高めて、人体の自然治癒をうながしているんだろう? 呪いといえば悪いもの、みたいな印象がどうしてもついて回るけど、こういう使い方もあるんだね」

「でもそれは、反動も大きい。患者の体に余計な負担をかけちまう。だから、いわゆる禁じ手ってやつさ」

 セオドアは言いながら、本のページをめくる。やる気のない態度に見えるが、小さな黒眼はしっかりと文字を追っていた。

 心地のいい透明な時間。清らかな平穏のなかに身を置いていたジルフィードは、ふと顔を上げる。

 そのとき、窓の端で、銀色の光が瞬いた。ジルフィードとセオドアは、同時に立ちあがる。セオドアが、しかめっ面で本を閉じた。

「この魔力――」

「ああ」

 薬屋は、ジルフィードの言葉がすべて終わる前にうなずいた。ため息がこぼれる。「何かあったら魔術ぶっ放つ」とは、魔力の主の言葉だったが、こんなに早く現実になるとは思っていなかった。しかし、ジルフィードが嘆いている間にも、セオドアは動いていた。本をてきぱきと書架に戻してしまうと、大股で扉の方へ向かう。

「おいジル、俺が先に行く。おまえは、白翼はくよくの連中をひっぱってこい」

「……わかった」

 考える前にうなずいたジルフィードは、セオドアと同時に図書館を飛び出す。二人はそれぞれ、正反対の方向へ走った。王宮の敷地から軍部の方へ抜け、好奇の視線も無視して駆ける。

「こんなときに限って、頼りの副隊長殿は外にいるんだよなあ」

 頭を押さえてうめいたが、今はない物ねだりをしているときではない。気持ちを切り替えたジルフィードは、さっそく軍服の背に声をかける。振り返った相手の顔を見て、彼は己の幸運を喜んだ。

「ジルフィード殿、どうなさったのです」

 声をかけてきた男は、『頼りの副隊長殿』に次ぐ実力の持ち主だ。ジルフィードは呼吸を落ちつけ、相手をにらむ。

「フォスター少佐。ちょうどよかった。今、街の方で魔術師の緊急信号が上がった」

「なんですって?」

 ふだんは温厚な少佐の目が、鋭く細る。さっとあたりをみまわした彼は、偶然通りかかった同じ隊の若者を捕まえると、口早に何かを命じる。若者は背筋を伸ばして敬礼するなり、駆け去っていった。少佐は隊士を見送る間も惜しみ、軍服の襟をかき合せると、ジルフィードの隣に立った。

「私が出ましょう。貴殿にも御同行を願いたい。負傷者がいるやもしれませんので」

「言われなくてもそのつもりだ。それより、隊長殿には話を通さなくていいのかい?」

「時間がありません。それに、『彼ら』のことは副長の班に一任されていますので」

 大胆なことを言ってのけたものだ。ジルフィードは相好を崩すと、今は見えない薬屋の男の影を追った。



 少佐とジルフィードがさらなる異変に気づいたのは、他の軍人たちと別れて王都に出たときだった。胸を締めあげられるような不快感。どこからか染みだした膨大な魔力が、空を覆ってゆくのを感じる。魔力の正体を悟ったジルフィードは、青ざめた。隣を見れば、常に冷静な少佐さえも、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。

「こんなときに限って副長が不在とは」

「それ、僕も思った。隊士のなかに、日ごろの行いが悪い奴でもいるんじゃないか?」

 緊張をごまかすように、軽口を叩く。少佐は薄い笑みをのぞかせたが、すぐにもとの険しい顔に戻った。

「とにかく、急ぎましょう。このままではあの子が危ない」

 ジルフィードは、ただうなずいた。

 


 彼らが現場にたどり着いたとき、そこにはすでにセオドアがいた。前にジルフィードが見かけた子どもたちのうちの一人、小柄な少女の手当てをしていた彼は、ジルフィードに気づくと頬をゆるめる。少女のそばには、グランドル人の少年が寄り添っていた。

「おう、来たな。こっちは大丈夫だ。おまえさんは……」

 みなまで言われるまでもなく、ジルフィードはセオドアの視線を追った。魔力を渦巻かせ、哄笑をあげる女が立っている。その向かいには、見覚えのある子どもがうずくまっていた。幸い、どの子にも大きな怪我はみられない。すでに少佐が、子どもたちをかばうように立っている。

「あら、もう軍人さんが来てしまうなんて。つまらない」

「なんのために、こんな真似をしたのですか。あなたもただでは済まないでしょう、その傷が証明している」

「なんのため? 簡単よ。――力が、欲しかったの」

 王都の子が心を許していたという女は、不気味な笑みをたたえて方陣を描く。激しい嫌悪感にかられながらも、ジルフィードは少佐の背に隠れ、二人の少年のもとに急いだ。

「ティル! 平気か!?」

「ジル……! 俺は平気だけど、ロトが、あいつの呪いが……!」

 予想どおり、最悪の答えに、ジルフィードは舌打ちする。ティルのさらに向こうで体を丸めている少年の全身から、息も詰まりそうなほどの魔力の奔流が感じられた。見れば、右の手首に傷ができている。さらに、右の背から広がった呪いのしるしが、すでに上腕を侵していた。

 ひとまずジルフィードは、少年の傷に応急処置をほどこした。渦巻く魔力に吐き気をおぼえつつも、気を張ってこらえる。すぐ後ろで爆ぜる魔術を感じてもなお、彼は手当てに集中した。

 手首の傷に薬を塗り、白布で口を押さえてから、ジルフィードは少年の顔をのぞきこんだ。ただでさえ白い顔は、血の気がひいて幽鬼のようだ。それでも、まだ一片の正気はあるらしく、青い瞳がこちらを向いた。

「マリオンを呼んでくればよかったな」

 予想以上にひどい有様だ。ジルフィードは思わず、後悔の呟きをこぼす。そのとき、背後から肩を叩かれた。

「そっちは――やっかいなことになってるな」

「ああ」

 現れたセオドアの言葉に、ジルフィードは苦り切って答える。男は、少年のかたわらにしゃがみこんで、細い腕をとった。

「何をする気?」

「この模様に同じもんを上乗せしてみる。少しは封印の代わりになるだろ」

「君、そんなことができたのか」

「やるだけならな。効果のほどは保証できん。あと、俺じゃ魔力が足りねえから、おまえさんのを少し借りる」

 ジルフィードはうなずくと、セオドアの大きな肩に手を添えた。命令の与えられていない、純粋な魔力だけを意識して注ぎこむ。初歩的な魔医術の一種だ。セオドアは小さくうなずくと、指先に魔力の光を灯し、少年の腕をなぞった。

 時間は、ただ過ぎてゆく。ジルフィードはそれを、魔力の消費だけで感じていた。

 長いとも短いとも思える時の流れ。その終わりは、細い腕に新たな黒い模様が現れたことで、告げられた。光と音もやんでいる。振り向けば、少佐が女を無力化していた。後から迫ってくる軍靴ぐんかの響きに安堵して、ジルフィードもセオドアも全身の力を抜いた。

「うまくいったかい」

 ジルフィードが、いつもの調子で問いかけると、セオドアは「なんとかな」と息を吐いた。少年も意識を保ったらしく、彼の腕の中でか細い謝罪を繰り返している。

 駆けつけた軍人たちが事後処理にあたっているのを見つけ、ジルフィードもそちらに加わった。これで大騒動も終わる。そう思っていた。



 ジルフィードは被害状況の確認を終えると、少佐に手早く報告する。彼が報告を受理すると、敬礼をしてきびすを返した。少年たちの様子を見ようと路地に入ったとき、すぐ後ろから名前を呼ばれる。

「ジルフィードさん!」

 振り向けば、長い黒髪の少女が大きな箱型の鞄を抱えて走ってくるところだった。少し遅い救援に、しかしジルフィードは安堵の笑みを浮かべる。

「よくわかったね」

「軍の人が教えてくれたの」

「そうか。ちょうどいい、一緒に行こう」

 少女はかたい表情でうなずいて、ジルフィードの隣につく。

 彼が路地をのぞきこんだとき、悲鳴が聞こえた。あの少年の声だった。目をみはったジルフィードは、そばにいた女性の軍人を捕まえる。すると、彼女は困り果てた顔をした。

「じ、実は、彼女があの子を連れだそうとしたら、暴れ出してしまって。私がさっき声をかけたときも拒絶されてしまったので、どうすればよいのかと……」

「なんだって?」

 ジルフィードは素っ頓狂な声を上げ、目を走らせる。少年は、先ほどよりもかたくなにうずくまって、震えていた。すぐそばにいる、別の女性少尉は、彼を気にしつつも近づけずにいるようだった。少女と顔を見合わせてから、おそるおそる、少年へ近づく。王都の子どもたちが不安げに寄りそい、セオドアやティルもお手上げとばかりに首を振っていた。

「ロト?」

 名前を呼んで顔を近づけると、わずかに声が聞こえた。その多くはシェルバ語で、グランドル語を母語とするジルフィードには、ほとんどわからない。同じように顔を近づけていた少女もしばらく固まっていたが――あるとき、息をのんだ。


 その瞬間の単語だけは、ジルフィードも聞きとれた。

『ヘクサ』――つまり、『魔女』。


「ロト!」

 金切り声を上げた少女が、飛び付くように少年に触れる。彼が軍人を拒絶した理由を察したジルフィードは、慌てて叫んだ。

「マリオン、触っちゃだめだ――!」

 しかし、予想に反して少年は暴れ出さなかった。丸くなるのをやめ、代わりに少女にしがみつく。彼女は、小さな背中をあやすようになでた。

「聞こえる? あたしがわかるよね? 大丈夫、ここはグランドルの王都よ。『漆黒の魔女』も黒い豹もいないのよ。あんたはあたしと同じ所にいる。だから落ちついて、ほら、ちゃんと息しなさい」

 少女は、慣れた様子で少年をなだめてゆく。ジルフィードはその姿を、驚きと感心をもって見やっていた。

「女性は全員だめなのかと思ったけど……あの娘は平気なんだね」

「ま、あいつは赤ん坊の頃から一緒にいるからな。異性というより家族なんだろ」

 そっけなく答えたのは、セオドアだった。彼の推測を聞いたジルフィードは、それはそれであの娘がかわいそうな気もすると首をひねったが、戯れのような思いつきは、すぐ打ち消した。

 それよりも、彼の心に強く残ったのは――

「ったく。なんで、若いのにばっかり不幸が来るんだ。俺にも少しは、寄越しやがれってんだ」

――セオドアの、怒りと苦みのにじんだ一言だった。



 これは、あとから少女に聞いた話だが。

 少年は、『漆黒の魔女』と呼ばれる規格外の魔術師によって呪われてしばらく経ったある一時期、悪夢にうなされ続けていたらしい。それが原因で、人を拒んでいたのだという。いったん彼の人嫌いは落ちついたが、この事件がきっかけで、ふさがりかけていた傷が再びえぐられてしまったのだ。これよりしばらく、少年はほとんどの女性を寄せつけなかった。


 彼の見ていた悪夢がどんなものか、ジルフィードが知ったのは、この頃だった。

 黒い魔女の幻影が、小さな体を捕らえて、最後には彼のすべてを食らい尽くしてしまう夢。そして、笑い声がいつまでも消えないのだという。

 夜見る夢など、普通はすぐに忘れてしまうが、この夢は例外。いつまでも記憶に残るのだ。こらえきれない痛みや冷たさとともに。


 今まで、一緒にいながらそのことを知らなかったセオドアとティルは、ひどく驚いて落ち込んでいた。ジルフィードはその姿をみるたびに、セオドアの小さな言葉を思い出した。


 少年は、恐怖症が落ちついた頃、王都より西の街へ移り住む。セオドアが同じ所へ移住したのは、後悔のためかもしれない。少なくともジルフィードはそう思った。

 

『なんで、若いのにばっかり不幸が来るんだ』


 彼の嘆きは、軍医のなかで、胸に刺さって抜けない棘になっていた。

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