7 人の輪
「おっ、サリカちゃんにレーシェ。今日はどうしたんだ」
「人に会いにきた、です」
道端に布を広げ、石や貝でつくった装飾品を並べていた男が、愛想よく話しかけてくる。サリカはゆっくりと笑みを広げた。レーシェは、ご主人以外どうでもいいとばかりによそを向いている。わずかな時間、世間話に花を咲かせた後、手を振りあって別れる。彼の姿が見えなくなるなり、サリカは背後を見て、呆れた。
「もう、シオン。いつまで怖い顔してるの?」
「サリカがいろんな人のところに次々突っ込んでいくからじゃないか。見ている方は気が気じゃないよ」
「心配しすぎ。みんないい人よ」
「もっと疑え、っていつも言われてるだろ。あいつだってそうだ」
「ええ? ロトさんのことは、もう疑ってないと思ってたのに。違うの?」
「心を許したわけじゃない」
大通りの隅で、姉弟は額を突き合わせる。いつもの言い合いに突入しそうだった二人だが、すぐそばにぬっと影が差したことに気づき、口をつぐんだ。
「よう。いつかの嬢ちゃんと弟じゃねえか。相変わらずやかましいな。……っと、魔物のチビも元気か」
現れたその人物は、近寄ったレーシェの首をくりくりなでる。弟が慣れた手つきに感じいっている間に、サリカは彼に話しかけた。
「薬屋さん。お久しぶり、です」
「おう。元気してた……みたいだな」
薬屋の
「今日はどうした」
「ロトさんに会いにきた、のです」
「へえ。ひょっとして、こないだの件か」
「です」
おもしろがる目で二人をながめるセオドアに、サリカは力強くうなずいた。
彼女が、森に狩人を招いてから、すでに十日が経っている。今になって、双子の姉弟はロトから呼び出しを受けたのだ。予想外のことに戸惑いつつも、二人はこうしてヴェローネルまで足を運んだのである。
「そうかそうか。便利屋の場所は、もう大丈夫か?」
「大丈夫です。私も、レーシェも、覚えたのです」
なら結構だ、と言ったセオドアは、二人の頭を順番になでた。気の済むまで頭をくしゃくしゃにし、背の高い建物群の方へと歩いていく。大きな荷物を背負っているから、仕事かもしれない。サリカとシオンは、ぼんやりと後ろ姿を見送ってから、便利屋のある方角へつま先を向けた。
※
扉を叩かれる音がした。書類と向かいあって舟を
「悪かったな、いきなり呼びだして」
「大丈夫です!」
客の一人、サリカが胸の前で拳をにぎる。彼女の足もとで、レーシェがふさりと尾を振った。そのまま世間話に突入しそうな娘を、もう一人の客であるシオンが目で制した。
「どうしたの? まさか、わざわざ呼び出されると思ってなかった」
「ああ。ちょっと、おまえらに伝えときたいことがあってな」
双子の姉弟は怪訝そうな顔をする。ロトは、あえてそこで言葉を切り、「まあ入れよ」と、雑に二人を招いた。居間の椅子に座らせて、茶を出す。さっそく文化の違いに戸惑う二人だったが、ロトが「飲め飲め。変なものは入れてない」と言い、向かい側で同じ茶をすすっていると、ためらいながらもカップに口をつけた。二人揃ってぱっと目を輝かせる。机の足もとで待機しているレーシェには、干し肉の切れはしをやった。
彼らの気分がほぐれたと見てとって、ロトは切り出した。
「おまえらに話したいことはふたつだ。――ひとつは、あの狩人たちの件。あれからすぐ王都に行ってな。ちょうど、結成されたばかりの調査隊に入ったらしい」
「本当ですか?」
サリカが、前のめりになって訊き返す。シオンも目を丸くした。うなずいたロトは、そのまま続ける。
「とりあえず、しばらくは生活にも困らねえだろ。調査隊が解散した後のことは少しずつ考える、魔物の巣を荒らす以外の仕事を見つけたい、っつってたぞ。あと、双子にお礼しといてくれって言われた」
当の双子は、視線を交差させると、力が抜けたように笑った。
「よかったね、サリカ」
「うん」
ロトは、喜びあう二人を、頬杖をついて見守る。
――今回は、人に恵まれたとしか言いようがない。魔物を狩ることを
もし、そのようなことになったら。この双子や村の者たちに何かがある前に、ロトも介入するつもりでいる。おそらくそれが、彼らに関わってしまった自分の責任だと思うから。
ただし、少なくとも今は、そのような暗い話をする必要もないだろう。ロトは、話題を切り替えた。
「で、もうひとつの話なんだけど……おまえら、文字は読めるか?」
ロトがそう切り出すと、二人は首をかしげた。シオンがサリカを指さす。
「サリカなら、読めると思う。街に出るたび、文字を習ってるらしいから」
「そうか」
ロトはうなずくと、脇に用意していた紙を二人の方へと滑らせる。サリカは紙を手にすると、しばらく黙って目を通した。それから、青年と紙を見比べる。
「これ、人の名前、です? それに、学者さんとか、学校の生徒さんとか、書いてあるのです」
「ああ、そうだ。――それな、おまえらの村を見てみたいって言ってる奴らの名簿」
軽い調子を心がけて言ったものの、双子は「は?」と素っ頓狂な声を上げる。ロトは思わず、額を押さえてうめいた。
一応、前回の件は、セオドアや狩人たちに口止めをしたのである。けれど一方で、多少話が漏れても問題ないだろうと思っていた。まさか、魔物のいる森の奥に、好んで入る人間などいないだろう、と高をくくっていた。
しかし、甘かった。実に甘かった。
ここは、ヴェローネルは――『学術都市』なのである。
「そいつら全員、魔物学や生物学、民俗学に関わってる奴らだ。サリカが狩人たちを村に招いたことを聞きつけて、研究のために村を見たい、あるいは森の民に案内してもらって、魔物の巣を調べたいって言ってんだ」
口早に話してから顔を上げれば、双子の姉弟はおもしろいほど絶句している。しかし、ロトとしても笑っていられることではなかった。
「どこから話が漏れたのかはわからねえ。ひょっとしたら、狩人たちがうっかり口を滑らせたのかもな。そいつら、あろうことか、俺が関わったことまでかぎつけやがって……。とにかく、悪い」
――外来者が森に踏みこみすぎれば、最悪衝突が起きる可能性がある。ロトには、それが気がかりでしかたがなかった。
おそらく、シオンも同じなのだろう。渋い顔をしている。しかし、サリカは、逆に目を輝かせていた。
「む、むしろ、嬉しいです!」
大声で言ってのけた娘を、今度はロトが唖然として見やる。間抜けなほどに目を見開いた青年に、サリカは力説した。
「それって、街の人たちに、私たちのことをもっと知ってもらえるってことですよね。それはすっごく嬉しいです! 知ってもらえたら、森の主たちが傷つくことも減るかもしれないのです!」
「そうかもしれないけど……逆の可能性もあるよ?」
鋭く指摘したのは、シオンだ。しかし、サリカはひるまなかった。
「逆のことにならないように、みんなで頑張ればいいの!」
断言された弟は、かぶりを振った。最初から、頑固な姉がこの程度で考えをひるがえすはずもないと、わかっていたのだ。ロトもまた、ある種の諦観と安堵を抱きながら、腕を組む。
「まあな。俺の方でも、明らかに危なそうな奴は追い返しといた。それに、ほかの奴らにも、行けることになったら森の奴らの言うことを聞いて動くよう念を押しといた。それができないのなら、二度と仲介はしない――ってな」
「それ、脅しだよね」
「多少脅すくらいがちょうどいい」
平然として言ってのけるロトに、シオンが呆れた目を向ける。青年は、冷たい視線をまるきり無視した。
「とにかく、一度村の連中と相談してみてくれ。そっちの許可が下りたら、何人かと顔合わせもしてもらいたい」
「わかったのです! ありがとうございます!」
「……まあ、うん。僕も協力するよ。顔合わせくらいなら」
サリカの返事と、シオンの言葉に、青年はほっと胸をなでおろした。特に、シオンが顔合わせに協力してくれるのは大きい。人を見極める場においては、疑り深いことがよい方向に働くときもある。もちろん、口に出しては言わないが。
「じゃ、頼んだ」
彼が締めくくれば、双子は強くうなずいた。足もとにいるレーシェも、すくっと立ち上がってひと声上げる。さっそく名簿を片手にあれこれ語りはじめる彼らを見て、ロトは目を細めた。
排除することをためらわない人がいると思えば、懸命に他者を理解しようとする人もいる。
ロトもかつて、人に奪われ、人に救われた身だ。だからこそ、人間は不思議だとつくづく思う。
――サリカのような、そして彼を救った人々のような者がいる限り、人は争いあいながらも、やがては理解しあえるのだろう。一度はすべてを拒んだ少年が、より多くの人と関わる『便利屋』の青年へと変わっていったように。
人と魔物も、いずれは森の民のように共存できるようになればいい。
若き魔術師は、窓の外に広がる夏空を見つめ、淡い願いに思いをはせた。
(Ⅲ 森の民、魔の獣・終)
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