6 招かれた狩人

 日が昇る頃。ロトは再び南門の前にいた。石壁に背を預けて沈黙していると、外の方から騒がしい足音が聞こえてくる。目を開いたロトは、弾みをつけて上体を起こし、門扉もんぴの方を振り返った。黒い門の隙間から、黄色い肌の娘がちぎれんばかりに手を振っている。ふんふんと、人のものではない息遣いも聞こえた。足もとに『森の主』がいるのだろう。

 交渉の結果、朝早くの開門を許された南門は、軋みながらゆっくりと上がり、冷えた外気を吸い込んだ。一方、早くから集落を抜けてきた双子と仔狼も、転がるように街の中へと入ってくる。娘は、肩で息をしながら、きらきらした瞳で青年を見上げた。

「おはようございます、ロトさん!」

「うん。おはよう。元気だな」

 淡白に返したロトは、良くも悪くもいつもどおりの二人と一頭を見てから、街の方へ体を向けた。

「ほら、こっち来い。狩人さんたちは、もう待ってるはずだ」

「まだ日が昇ったばかりだけど」

「あいつら、朝早いんだよ」

 眉根を寄せたシオンに答えを放り投げ、ロトはさっさと歩きだす。視線だけで背後をうかがえば、レーシェが先頭を走り出していた。シオンがサリカの手を何気なく引いている。これが、いつもの彼らの姿なのだろう。刹那の微笑を唇に乗せた青年は、まっすぐ前を見て、歩きだした。

 人もまばらな市民街。石畳の上にはまだ、吹き散らされた草葉と、宵の冷気が落ちている。ずんずん奥へ進んだロトは、使われているのかいないのかわからない、三階建ての民家の前で立ち止まった。店のカウンターとなっているのであろう、窓の縁に、男たちが背と腕を預けている。

「こっちだ、こっち」

 ロトは、珍しく声を張り上げた。昨日、言葉を交わしたばかりの狩人たちは、ぎょっと顔を上げる。

「お、魔術師。ほんとに来た」

 一人が、目陰まかげをさして言う。無愛想に立ち止まった青年の影からひょっこり娘が顔を出すと、二人の表情が固まる。しばらくのぎこちない沈黙の後、「いかにも先住民……」と呟きが漏れた。ロトのすぐ後ろで、シオンが眉をひそめる。魔術師は、冗談の通じない少年を手ぶりでなだめた。呆然としている狩人たちをよそに、サリカに水を向ける。

「こいつらが例の狩人たち」

「そうなんです? 悪い人たちじゃ、なさそうです」

「実際、悪い奴らじゃないんだよ。昨日のことだって、悪気があってやったわけじゃないんだろ」

「なるほど」

 サリカは神妙にうなずいた。話が見えず、困惑気味に顔を見合わせる狩人たちを、正面から見た。

「はじめまして。私、サリカといいます。南の森の奥にある、村に住んでいるのです」

 娘がはきはきと名乗ると、男たちはさらに戸惑ったようだった。唇を折り曲げ、言葉をむりやりのみこんだふうに見える。

「森の奥の村……って、その話、本当なのかよ」

「本当なのです。私たち、森の動物たちと、大地と食べ物と水を分けあいながら、暮らしているのです。森の主――魔物とも」

 魔物、という言葉が出た瞬間、彼らの顔が引きつった。悪戯がばれてしまった子どものような心細さが、小さな目に見え隠れする。ロトとサリカとシオンの三人は、それぞれに視線を交わしあう。結局、サリカが先を続けた。

「森の主は、確かにすごい力を持っています。凶暴になってしまうときもあります。けれど、生き物たちをまとめてくれたり、森に嫌なことをする生き物たちを追い払ってくれるのです」

 サリカは、落ち着いた口調で、しばらく森の主の大切さを語っていた。狩人たちの困惑が頂点にまで達したところで、察したサリカも眉尻を下げ、押し黙る。そこでようやくロトが口を開いた。

「要は、暴れてもいない魔物を勝手に狩られちゃ困るんだよ。そう伝えたかったから、こいつらはわざわざ街まで出てきたんだ」

 やや乱暴に結論を投げつけると、男たちは再び口を折り曲げる。その姿を、サリカは渋面で見ていたが、ややあって背筋を伸ばし、親指を立てた。

「『百聞は一見にしかず』という言葉がある、です。私たちのご先祖にあたる民族の言葉です」

 半歩踏み出した彼女は、しなやかな腕を、狩人たちへのばした。

「あれこれ言うより、見た方が早い。そういう意味です。なので、狩人さんたちも――よければ、見に来てください」

 凛と響いた言葉に、男たちが目を丸くする。一方、背後で聞いていた二人は、肩をすくめて互いを見た。

「やれやれ。最初からこう持ってくつもりだったな、あいつ」

「みたいだね……まったくもう」

 嘆息するシオンの足もとで、灰色の仔狼が、元気よく尾を振った。


「こっち、なのです!」

 娘の明るい声が、森の中にこだまする。後に続く狩人たちが、当惑して顔を見合わせているのを、ロトは遠巻きに見守っていた。

 ――手段が強引ではあったが、つかみは上々だ。あとはどれだけ、彼らに森の民の存在を意識させられるか、にかかっている。それは、今回の作戦を考案した双子もわかっていることだろう。サリカはいつも以上に気合が入り、シオンは今朝からずっと顔をこわばらせっぱなしだ。ひとまずシオンの背中を小突いてみれば、彼は大げさなほど勢いよく飛び上がり、ロトをにらんだ。当人は、何食わぬ顔で娘と狩人を観察する。

 道行きは、昨日とまったく一緒だった。サリカが堂々と道を外れたことに狩人たちがそれほど驚かないのは、彼らもこうしてやぶの中に入ったことがあるからだろう。

 狩人と森の双子は、ロトを介して話をする。おかげで沈黙はなかったが、気まずい道程どうていではあった。

 道なき道の終わりが見えると、サリカがつかのま足を止める。静かに立ったあと、かすかな笑みを浮かべて、後続の人々を振り返った。

「どうしても、今日、あなた方を呼びたかったのです」

 力強いサリカの言葉に、弟は肩をすくめる。一方、怪訝に思った街の人間は、首をひねった。

 木々をかき分け、広い場所に出て、ようやくロトも気がつく。

「……魔物?」

 魔術師の感覚が、小さな悲鳴を上げる。けれどロトは、いつものような危機感はおぼえなかった。魔力の気配はずいぶんと大人しい。サリカの言葉と関係があるのは明らかだった。裏付けるように、娘は迷いのない足取りで草花をまたぎ越える。

「お、おい。この先、絶対魔物がいるぞ。いいのか」

 ためらいがちに声を上げた狩人の一人を、ロトは肩を叩いて黙らせた。いいから来いとばかりに一瞥すると、彼らもしぶしぶ娘に続く。

 村から西に逸れるかたちで進んだ後。広がっていたのは、実に奇妙な光景だった。

「彼らが例の?」

「ああ。ひと月前に棲みかを荒らされた連中。生き残った彼らは勝手に、隠れられる場所に逃げてたんだよ」

「なるほど、それで廃屋か」

 木々が奇妙にうねり、森のただ中に空洞をつくっている。灰色の狼の親子が、そこで身を寄せ合っていた。ひときわ大きい親狼は、立ち上がって光のある方を見ている。視線の先にいるのは、毛皮の衣をまとった人々。ゼク、と呼ばれている男が、知らない男女と話をしていた。ロトは思わずレーシェを振り返るが、彼は狼たちではなく、地面を見ていた。鼻を押しあてて、土のにおいをかいでいる。

「こいつの親、というわけじゃないのか……?」

 思わず呟いてしまったが、聞いていたのは狩人たちだけだったらしい。森の双子は平然としていた。

 やがて、ひと組の男女と話を終えたゼクが、狼たちの方へ歩み寄る。小声でしばらく何かを話しかけると、ずっと立ったままだった狼が、持ちあげていた尾を下ろした。それから、興味を失ったかのように暗がりへと消えてゆく。ゼクは立ち上がり、集まっていた同胞たちを振り返った。

 空に、声が響く。耳慣れない言語で紡ぎ出される言葉は、祈りのようでも、歌のようでもあった。双子が小さく口ずさむ。ロトも狩人たちも、黙って聞きいっていた。ロトには意味を解することはできなかったが、おそらくは謝罪と祈りを詩にしたものだろう、と思う。――故郷でも、似たような風習があったので。

 声がやむのを見計らい、サリカが声を上げた。

「みんな!」

 すると、集まっていた森の民たちが振り返る。先ほどの男女はぎょっとしていたが、ほかの人々は、一行にほほ笑ましげな視線を注いでいる。彼らは、サリカとシオンが考案した今回の作戦を知っているのだ。ロトが肩をすくめてみせると、ゼクが歩み寄ってきた。全員を順に見て、相好を崩す。

「本当に連れてくるとは大したものだな、さすがはサリカというか、なんというか……」

「彼らを呼んでくれたのは、ロトさんなのです」

 サリカが、無邪気に笑う。ロトは、またしても率直な言葉にひるんで、咳払いした。ゼクは声を立てて笑うと、狩人たちに穏やかな目を向ける。

「ようこそ、森の外の狩人たち。ゆっくりしていくといい。――ああそうだ、今からみんなで遅めの朝食なんだ。よければ食べていってくれ」

 街の人々の舌に合うかどうかはわからんが、と、ゼクは悪戯っぽく付け足した。


 森の民の食事は独特だったが、ロトにしてみれば懐かしい感じがした。彼は、かたい棒をかじりながら、なごやかな食事風景を遠巻きに見守る。ロトが手にしているのは、さまざまな木の実を焼き固めたものだ。舌にわずかな苦みが残る。ふるさとの主食にも似たようなものがあったが、あれよりもにぎやかな味がした。

 半分まで棒をかじったロトは、食事の手を止めて顔を上げる。森の双子と狩人たちが、連れだってやってくるところであった。狩人たちの顔には、困惑と疲労と安堵がなまぜになって、からみついている。

「よう、どうだった?」

 ロトが、軽く手を上げて問えば、狩人たちは腰を下ろして深く息を吐いた。

「思ったより陽気な人たちなんだな。びっくりしたぜ」

「森の中にこんな集落があったとは、思わなかった。食いもんも独特だが、嫌いじゃねえ」

 呟いた狩人の一人が、手の中で熊肉の串焼きをひっくり返して、口に運ぶ。双子が微笑を浮かべて、互いを見ていた。サリカがレーシェの頭をなでながら、おっとりと口を開く。

「みなさんに知られていないように、村の人たちも、外の人たちをあまり知らないのです。だからみんな、狩人さんたちとお話をするの、楽しかったみたいです」

「積極的に街に出るのは、サリカくらいだしね」

 ロトは「そうか」と相槌を打って、手もとの棒を見やる。ふと頭に浮かんだ疑問を舌にのせた。

「そういえば、あの荒らされた場所についての話は、したのか?」

 狩人たちが背を丸める。答えたのは、木の杯に口をつけていたシオンだった。

「したよ。それで、こっちで起きたことを話したら、この人たち、泣きそうな顔をして土下座したんだ。みんなは注意しただけであんまり怒ってなかったよ。二人とも本気で謝ってたし、あそこの魔物たちは殺されていなかったみたいだから。ふてくされてたのは長老たちくらいかな」

 狩人の一人が、「余計なこと言うなよ、坊主」と唇をとがらせたが、少年は無視して続ける。

「僕はもうちょっと怒ってもいいと思うけどね。みんな、なんだかゆるいんだ。まあ、外の人間と派手にけんかしたら、最悪村が滅ぼされるから。それを恐れてるっていうのもあるんだろうけど」

「おいおい。いくらなんでも、そこまでしねえって」

「君たちはそうだろうね。けど、そういう人たちばかりでもないだろう」

 淡々と語る少年の黒眼には、冷徹が宿っている。狩人たちは言葉を詰まらせ、ロトもつかの間、沈黙した。抜き身の剣にも夜の闇にも似た冷たさの中にやりきれなさを見いだして、青年は息を吐く。それはあるいは、少年の感情ではなく、己の感傷なのかもしれない。

 価値観の違う人間どうし。そのはざまで生まれる齟齬そごは、さまざまな形があれど本質は同じものだ。

 他者への無理解と恐れ。それゆえに争いが起き、多くの罪なき命が道半ばで消える。悲しく恐ろしい未来の形を、彼はかつて目の当たりにした。

 だからこそ、森の民と街の人々には、同じ道を辿ってほしくはなかった。

「なあ、あんたら、なんで魔物の巣をわざわざ荒らしたりしたんだ」

 ロトがさらりと問えば、狩人たちは顔をこわばらせる。怒っていると誤解させないためにも、さりげないふうを装って棒をかじった。そうして答えを待っていると、狩人二人はぽつぽつと語りはじめる。

「理由はいくつかある。ひとつは、町や村の奴らから狩りを頼まれたため。街道に出てこなくても、そばに魔物が棲んでるってだけで怖がる奴は、結構いるんでね。もうひとつは、魔物からとれる『資源』を売るため」

「魔物の毛皮や、牙や爪は、高く売れるんだ。なかなかとれねえ上に丈夫だから」

 細い腕に抱かれていた仔狼が、毛を逆立てる。まさか言葉の意味がわかったのか、とロトは目を見開いた。一方、サリカは泣きそうな顔をして、シオンは「くだらない」と吐き捨てる。森の人々からすれば、胸の悪くなる話だろう。このままでは双子が怒りだしかねない。ロトは話をうながすために、口を開いた。

「ひょっとして、魔物の狩人たちって、普段はみんなそんなことしてんのか」

「ああ。言い訳するつもりじゃねえけど、ほかの連中だって似たり寄ったりさ。街や国からの討伐依頼はめったに来ねえから、その間に食いっぱぐれないために、みんな必死だ」

「ほかに身を立てる方法がある奴はまだいい。俺たちみたいに、魔物狩りしかしてこなくて、それしか能のねえ奴らは、『巣穴荒らし』に走っちまう」

 狩人たちの顔には、隠しきれない苦渋がにじんでいる。森の民の存在を知ってしまったからこそだろう。便利屋の青年と森の双子は、思わず顔を見合わせた。レーシェもまた、つぶらな瞳で彼らを見上げる。

「つまり、職にあぶれなければ、森の主の巣を荒らしたりもしないってこと?」

「そういうことだろうな。よほどの変人でもない限り、好きで魔物を怒らせてるわけじゃねえだろうし」

 ロトとシオンのやり取りの後に、熟考の沈黙が落ちる。この場で考えていてもどうしようもないと知りながらも、考えずにいられなかった。しばらく頭をひねっていたロトは、ふと先日便利屋に届いていた一通の手紙を思い出し、目をみはった。――それは、『ある人材』を探すことを手伝ってほしいという、国からの依頼だった。

「……遺跡の探索、なんてどうだ?」

 ロトが浮かんだ言葉を口にすると、全員の視線が集中する。中でもぽかんとしている狩人たちに、ロトは深海色の目を向けた。

「今、国や都市で、遺跡調査隊を結成する動きが盛んでな。表だってではないけど、そいつらが人手を集めてる。遺跡は魔物がねぐらにすることが多いから、魔物狩りの経験がある人材は、重宝されるはずだ」

「そ、それ、本当か?」

「本当本当。一回、王都に行って役人たちに訊いてみるといい。これなら、自然をむやみに荒らさんでも済むだろ」

 狩人たちは、お互いの目を見る。意志を確かめあった後、輝く顔でロトに向かってうなずいた。

「よっしゃ! 街に戻ったら、王都に行く準備だな!」

「国が雇ってるんだろ? ぜってー報酬いいぜ」

 彼らが元気になったところで、遠くから村の若者が駆けてくる。

「狩人さんたち、こっちに来てくれ! じいさんが、あんたたちに弓を試してほしいって聞かないんだ」

 若者の言葉を聞いた狩人たちは、はりきって立ち上がり、彼の方へ走っていった。杯を持ったまま去りゆく影を見送っていたシオンは、三人の姿が遠くに消えるなり、青年を見上げる。

「……さっきの話、本当なのか」

 怪訝そうな言葉に、ロトはあっさりうなずいた。

「ああ。そもそも、きっかけをつくったのは俺たちだし」

「え?」

 サリカとシオンの、反問の声が重なる。ロトは、棒を最後までかじってから、続けた。

「春先にな。魔物が街道に出てくる原因を調査してくれっつー仕事で、ヴェローネル郊外の遺跡に入ったんだ。その奥で守護獣が暴走していたせいで、漏れだした魔力に感化された魔物たちが凶暴性を増していた、とわかった。そのことを市に報告したら、そのまま王都に伝わったらしい。で、ほかの遺跡でも同じことが起きてたらやばいからって、あちこちで遺跡を調べる動きが出たんだよ」

 姉弟は、しばらく唖然としていた。けれど、サリカが小さく笑いだすと、シオンは顔をしかめる。

「春先って……そんな働き口があったなら、もっと早くあの人たちに教えておいてくれたって、よかったじゃないか」

「しかたねーだろ。たった今思い出したんだから」

 ロトがしれっと返せば、シオンは肩を落とす。

 微妙な空気を漂わせる三人と一頭をよそに、狩人たちが去った方では、明るい笑い声が弾けていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る