5 魔物を狩る人々

 集落を東から出て奥へ進んでゆくと、草木がさらに深く茂った場所がある。普段、人間がほとんど立ち入らない領域では、細長い草が好き勝手に背を伸ばして、土を容赦なく覆い隠している。しかし今は、ところどころが乱暴に踏み荒らされて、常ならば決してのぞかないであろう湿った茶色が、木々のもとに姿をさらしていた。めちゃくちゃに重なり合った靴の跡を見つけたロトは、顔をしかめる。

 行く先をちらと見る。すでに、村の者たちが人だかりを作っていた。珍しい光景に双子が目を見開くも、今はすなおに感心しているときではない。先ほどまで弓を撃っていた男が、無遠慮な足取りで人垣に近づいた。

「おい、ここに人が踏み込んだって?」

 乱暴な質問の形をとった言葉は、けれど、すでに状況を断定していた。ゼク、と呼ばれている男が振り返って、沈痛な面持ちでうなずく。

「確かだ。見ろ、これ」

 無言で人の輪のむこうをのぞきこんだ男は、眉間にしわを寄せる。その後ろからロトもこっそりのぞき見て――言いようのない不快感に、目を細めた。

 靴底の形は、先ほど見たものとは違う。大小様々、しかしいずれも男のものだろう。四、五人で来たと思われる彼らの足跡そくせきは、さらに奥まで続いていた。

「なんてことだ」

 すぐ後ろから、シオンの嘆きが聞こえる。ロトが振り向いたところで、一緒にのぞきこんでいたサリカが、細目のままに首をかしいだ。

「なんだか、重なっていてよくわからないです。足跡、です?」

 青年の視線に気づいた彼女は、言う。きつく細められた目から、彼女がよく見えていないのだと察したロトは、淡白にうなずいた。

 確かめるものだけ確かめて引き下がったロトは、人の輪を遠巻きに見る。顎に指をひっかけて、考えこんだ。――間違いなく、あれは狩人だ。言い切れるのは、いずれの足跡も、この地域の狩人がよく使う靴の形をしているからだ。堂々と跡を残してゆくやり方には、敵意は感じられないが、遠慮もない。恐らく彼らも、この森に魔物や野獣と共存する人々がいる、などとは考えなかったのだろう。

「問題は奴らの目的だな。ただの熊狩り、鹿狩りか?」

「そりゃあねえな」

 左隣から声が降る。それは青年の思考を断ち切った。彼は、顔を上げ、いつの間にかそばに来ていた薬屋の男を見る。

「テッド、いたのか」

「おうよ。それよりさっきの話。おめえ、気づいてんだろ」

「……ああ」

 セオドアの問いに、ロトはうなずいた。苦渋を宿した青い瞳が、足跡の続く先を見る。――あの先は、ほかと比べて魔力が濃い。レーシェのような魔物の棲みかなのだろう。ロトは、狩人たちを案じるべきか魔物たちを心配すべきかと、少し悩んだ。

「足跡はあるけど、今、この先に人の気配はない。様子を見にいってみよう」

「女とガキは村に戻っとけ。じじいどもに報告してこい」

 ゼクと、弓の男の声がした。さっそく先へ行くつもりらしく、すでに男女に分かれて動きはじめている。先へ行きたそうなサリカも、弟に腕をひかれて村の方へと戻ってゆく。ロトとセオドアは、顔を見合わせた。

「どうするよ」

「どうする、ったって……」

 額を突き合わせ、ささやきあう。明らかに怪しい二人のもとへ、村の男が一人、歩み寄ってきた。二人は一瞬、雷に打たれたように硬直して、それから顔をそちらに向けた。二人の知る誰でもない、明るそうな若者が、親指で道の先を指さす。

「君たちはついてきてよ。魔術師がいてくれたら、俺らも助かるから」

 ロトは無表情で、セオドアは目を丸くして、うなずいた。若者は、「ありがと、こっち!」と言い、斜面を駆けのぼってゆく。敵意のかけらもない態度に、二人はひそかに安堵した。

 ゆるい斜面をのぼってゆくと、魔力はみるみる濃くなった。家主の感情をそのまま空気に吹き込んだような、ずっしりした力の塊が襲いかかってくる。最後尾を歩いていたロトは、目の前が明るくなったり暗くなったりしてうまく歩けていなかった。生来の体質と呪いのせいで魔力に過敏な体が、悲鳴を上げているのだ。転がる石に足をとられ、よろけたロトの細い腕を、セオドアがとっさにつかむ。

「おい、転げんなよ」

「……ああ」

「呪いは平気か」

「今のところは」

 森の民たちに気取られぬよう、ひそめた声でやり取りする。ロトはちらりと袖をまくった。いかつい腕輪の中心に嵌まる緑の石は、いつもより強い光沢を放っているが、傷ついた様子はない。セオドアもそれを見たのだろう、少しだけ、頬を緩めた。

「きつかったら言え。かついで戻ってやる」

「すげえ恥ずかしいから嫌だけど、いざとなったら頼む」

「おし」

 セオドアが、にやりと笑って拳をにぎる。すでに張りきっている男をじろりとにらんで、ロトは人々を追いかけた。

 深さ増す森の奥。草木がおろす薄闇の先から、低い音が聞こえてきた。誰からともなく身構える。すると、再び音がした。一度目は地鳴りのようだったそれは、二度目には甲高いに変わっている。

 風が吹き、遠吠えの余韻をさらう。代わりに運んできたのは、焼けつくような濃い魔力だった。魔力が少ない森の民たちですら顔をしかめ、魔術師たちは吐き気をこらえて下を向く。

「かなり怒ってんじゃねえの」

 ロトは頬をひきつらせて呟いた。前を行く男たちが、青ざめてうなずく。

「先へ進むのは危険だ。このあたりの状況を調査して、早めに村へ戻ろう」

 先導していた男たちのうちの一人、槍を携えた男が言う。誰ひとりとして反論をする気はない。むしろロトたちなどは、早くこの場を離れたくてしかたがなかった。それでも、人間の痕跡を探しはじめる森の民たちに代わって、しばらくの間、周囲の警戒のために立っていたのである。


「ご、ごめんなさい……」

 しぼんだ声で謝罪し、うなだれるサリカを見て、ロトとセオドアは首をかしげた。

「なんで嬢ちゃんが謝ってんだか」

「わ、私が森へ来てと言わなければ、嫌な思いをさせずに済んだ、です」

 ロトはかぶりを振り、さらにしょんぼりする娘の頭をかきまぜる。彼女が奇声を上げて飛びのくと、腰に手を当てた。

「あのな。別に俺たちは、嫌だとか思ってない。今、騒ぎが起きちまったことは事実で、俺たちが怪しまれるのはしかたがないことだ」

「そうそう。それに、森の奴らはまだ優しいぜ。石を投げてこなかったからな」

 ロトの剣を帯びた言葉に、セオドアが陽気に便乗する。サリカは目を丸くした。

 ここは森の中ではなく、その入り口である。調査が済んですぐ、ロトたちはサリカの案内で、ここまで戻ってきたのだった。森の民が自分たちに向けるぎこちない視線に気づいていた彼らは、さりげないふうを装って、逃げるように帰ってきた。恐らくは今頃、シオンが疑念を晴らすためにあちこちへ説明をしに回っているのだろう。

 ――そこまでしなくてもレーシェがなついているから大丈夫だろう、という声もあったが。

「森の主、ね。魔物のことだよな」

「です。魔物は怖いけど、森のを保つ方々でもあるのです」

「なるほど」

 サリカの言わんとしていることは、なんとなくわかる。故郷でも、似たような見方をされることは、あったのだ。ロトは腕を組んで、うなずいた。「そりゃあ、勝手に狩られちゃ困るわな」と、セオドアがため息混じりに呟く。サリカは肯定し、目を伏せる。

「暴れていない魔物を狩るのはよくないです。けれど、けんかになるのも嫌、です」

 力強く言い切ったサリカの瞳が、ロトの方をひたと見つめる。彼が首をかしげていると、娘はかかとを軽く浮かせ、耳打ちしてきた。

「ですので、ロトさんにお願いしたいことがあるのです」

 楽しげなささやきと、続いた言葉に、ロトは思わず息をのんだ。


 サリカと別れ、さらに街の南門前でセオドアと別れたロトは、いつものようにヴェローネル市街を歩いていた。にぎやかな大通りに入るところで、男二人組とすれ違う。ふわりと舞った風に乗り、聞き捨てならない話が聞こえてきた。

「それほんとかよ?」

「ほんとほんと。さっき、酒場でわめいてたぜ」

「でも、あいつらの仕事って魔物狩りだろ? 魔物にやられて怪我するなんて、いつものことじゃん」

「そうだけど、わめき散らしたくなることもあるんじゃないか」

 一瞬だけ大きく聞こえ、じょじょに遠ざかってゆく話し声。ロトは、眉をひそめた。意味のわからない単語を交わし合う学生の一団を目で追った後、その先に広がる、通称『市民街』に目を留めた。

「酒場、か」

 ヴェローネルには、酒場が二軒程度しかなかったはずだ。はっきりと覚えていないのは、ロトが酒場にほとんど行かないからである。青年はしばらく、熱気の立ち込める通りのまんなかで立ち尽くしていたが、やがては逡巡を置き去りにして、北東へつま先を向けた。

『市民街』と呼ばれる通りは、ヴェローネルでもっとも野性的で、俗っぽい場所であろう。学術都市に身を寄せていながら、行き場を失った俗人は、自然とここに集まる。地元民の住宅も多く、確か配達屋の少年の家もこのあたりにあったはずだ。

 物思いにふけりながら歩いていると、目的の酒場が見えてきた。一見するとただの古民家、ぶらさがっている看板と、扉の隙間から漂う臭気だけが、そこが酒場であると証明している。目的の狩人たちはすぐに見つかった。軒先の石段に腰をおろし、ほんのり赤い顔で何かを語りあっている。

「……昼間から酒とか、おまえらほんと、よくやるな」

 ロトは彼らの前に立つと、冷やかな目で見おろした。二人の狩人は、怪訝そうに顔を上げた後、にやりと笑う。

「おう、なんだ魔術師。おまえも飲みに来たか?」

「絶対ない、ってわかってて言ってるだろ」

 ぶすっとして返すと、二人は声を上げて笑う。いつもの屈託ない態度に、ロトはため息をつきかけてこらえた。そのまま二人の間に立つと、赤ら顔を見おろす。

「風のうわさで聞いたけど、魔物にやられたって?」

 彼らは大仰にうなずくと、それぞれの剣や弓を叩きながら、何事かをまくし立てた。愚痴を適当に聞き流したロトは、「一応、テッドにでも診てもらえ」と言っておく。魔物の一撃だ。傷口から相手の魔力が入りこみでもしたら大事である。それは狩人たちも知っているのか、真剣にうなずいていた。素直なひげ面の男を、ロトは無表情でながめる。――ついでに、他民族の領域への無断侵入を怒られればいい、と、心の中でそっと付け足した。

 少しの間、仕事の話に興じた後、ロトは彼らに目線を合わせる。

「それでだ。仕事で知り合った娘が、魔物狩人に興味があるって言ってたんだけど」

 声をひそめる。――これこそが、本題だ。狩人たちはきょとんとした後、好奇心と興奮をおさえられないような、そんな笑みを浮かべた。

「おまえがそういう話を持ちこんでくるのは、珍しいな」

「いい女か?」

「まあ、そこそこじゃねえ?」

 ロトは投げやりに答える。いろいろとずれた娘ではあるが、顔立ちは悪くないはずだ。そのようなことを続けて言えば、狩人たちは顔を見合わせる。彼らは前のめりになった。ぷうんと香ってくる酒気に鼻をつまみたい衝動をこらえながら、青年はまっすぐに、彼らを見つめ返す。

「それで、どこの女だ」

 深海色の瞳に、迷いがのぞいた。しばらく考えこんでから、彼は親指を突き立てて、街の南を指さす。

「ティスタ森林」

「――――は?」

 男たちは、口を開けて固まった。

 双子のしたり顔が見えた気がする。ロトは目を閉じ、嘆息した。

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