4 森に生きる人々

 目を焼くほどの青空の下、生い茂った鮮やかな緑が寄り集まって、こんもりとしている。その様はさながら低い山だ。木々の狭間、暗がりへ続く道の前に立つ青年は、しばらく正面を見た後に、左隣を振り返った。

「で……この先に、おまえらの村があるのか? 本当に?」

「です」

 これから進むであろう方を指させば、かたわらに立っているサリカは、自信満々にうなずいた。やや後ろで、魔物の仔を抱いたシオンが苦い顔をしている。ロトも――別の意味で――顔をしかめ、今度は右を振り返った。

「ティスタ森林に人が住んでるなんて聞いたことないけど。それも村」

「俺だってねーよ。なんで誰も教えてくんなかったんだ?」

 ロトの言葉に、セオドアが舌打ちをして、頭をかく。どうやら彼は、便利屋の場所を訊かれるだけにとどまらず、呼びつけられてしまったらしい。ロトは目を輝かせているサリカに気づく。無意識のうちに、視線があらぬ方向へ流れた。

「少し前に、奥まで行ったことあるけど、集落なんてなかったぞ」

「あ、たぶんそれは、道が違う、です。狭くて急な道を通ってゆくのです」

「……ふだんから、外部の人間との接触があまりないからね。街の人間は、知らない人が多いと思う」

 力強く拳をにぎるサリカの後ろから、シオンが小声で付け足した。ロトとセオドアは、不信感をのぞかせつつもうなずく。とりあえずはこの姉弟を信じてみようと心に決めたのである。二人のささやかな変化を察したわけではなかろうが、そのときにサリカが先頭に立ち、「行くよー」と声を張り上げた。レーシェが、力強く吠えた。


 大きな木々の枝葉がまだら模様の影を落とす。しっとりとした土の上に、わずかながら黄色の丸っこい花弁が色を添えている。蛇行しながら奥へ続く道を、四人と一頭は言葉少なに歩いた。そして、その道が細りはじめたところで、サリカとシオンが道を逸れて、細い木々をかきわけた。ロトとセオドアは怪訝な顔を見合わせたが、素直についてゆくことにする。

 深い木立こだちの中は、無秩序だった。ぼうぼうに生える草と、複雑に絡み合う枝や茎が、太ももやふくらはぎをびしびし打って行く手を阻む。目をこらせば、かろうじて獣道が見え、毛皮の衣をまとった姉弟は、それを頼りに進んでいた。道なき道に慣れ親しんだ四人の足取りは危なげない。シオンが、青年と薬屋を興味深そうに振り返っていた。

 足音とはまた違う、乾いた音色をとらえたロトは、足もとに視線を落とす。狼の仔が、くんくんと地面をかぎまわっていた。小さな葉の先に鼻を押し当てた彼は、それから、土を破ってにょっきり生えた枝の先の、赤い実を見る。好奇心旺盛な仔狼の『探検』は、なかなか終わりそうにない。

「変なもの踏むなよ」

 意味がないとわかりつつも、ロトはそう声をかける。レーシェは、一瞬だけ彼に目を向けた後、大きく一度、尾を振った。

 ――森を練り歩く時間は、のびやかに、ゆるやかに過ぎていった。次第に周囲の木々が太くなり、人と草葉を包む影は濃さを増す。セオドアが、道端の細長い草の集まりを珍しげにながめたとき、サリカたちが足を止めた。

「あ、ゼク」

 サリカは元気よく手を振った。木々の間を縫うようにして進んでいた長身の男が、彼らの方を振り返る。弓を抱えた彼は、大股で双子へと歩み寄ってきた。

「よう、サリカ、シオン。戻ったか」

「なんとかね」

 シオンが吐き捨てるように応じると、双子と同じ色の肌と髪を持つ男が、声を立てて笑う。彼の小さな目はそのまま、瞠目して固まっていたロトたちの方へ向けられた。

「で、君たちがサリカとレーシェを助けてくれた街の人間か」

「俺は何もしてないけどな」

 男の問いに、ロトはぶっきらぼうに返す。セオドアは、頭をかきながら曖昧にうなずいていた。

 とりわけロトの反応に、サリカが唇をとがらせる。

「何もしなかったなんてこと、ないです。私に薬屋さんを教えてくれた、です」

「別にあれくらい、誰でもできるだろ」

「本当にやってくれたのはロトさんだけなのです」

 サリカの声は、ゆるぎない。まったく譲る気がなさそうで、ロトはとうとう何も言えなくなった。代わりに、深く息を吐く。一部始終を見ていたセオドアと森の男が吹き出した。

「なるほど。だいたいわかったぞ。それなら、来るといい」

「そんなあっさり迎え入れてしまっていいのか」

 男はからりとした態度でと四人に背を向けた。シオンが目を瞬き、甲高く裏返ってしまった声を上げる。

 ゼク、と呼ばれている男は振り向くと、薄く笑った。

「森の主を救った者は、丁重にもてなすものだ。そうだろう、シオン」

 シオンは、喉にものを詰まらせたように固まって、それきり押し黙ってしまった。


 双子と同じ村に住んでいるらしい男の案内で、四人は再び草木を越えた。太い木々の隙間から、不自然なほど強い光が漏れだしていることに気づき、ロトは目をみはる。そうしているうちにも、男は「こっちだよ」と言って木の間をすり抜けていった。

 後を追えば、あたりがすうっと明るくなる。草葉のそよぎとは別に、水音やかたいものを打つ音が、かすかに響き渡ってくる。そして目の前に広がった光景に、さすがのロトたち二人もひるんでしまった。二人の動揺に気づいているのかいないのか、サリカが嬉しそうに振り返る。

「ここが村です。ようこそ、なのです」

 ――彼らが『村』と呼ぶその場所は、森の中、自然にひらけた空間の中にあった。草木の合間を縫うようにして木造の小さな家いえが建ち、その隙間を人々がせわしなく行き来している。奥には、細く透明な水の流れが見て取れた。先に一歩を踏み出した男が、錆びた弓矢を弄んでいる若者に手を振る。

「お、ゼク。双子も一緒か」

「ああ。ついでに、街の奴もいる」

「街の?」

 若者が目をみはり、素っ頓狂な声で叫ぶ。「声がでかい」と男が咎めたもののすでに遅く、驚きは、あっという間に伝播でんぱした。あちこちから無遠慮な視線をぶつけられたロトは、居心地の悪さに身じろぎする。隣を見たが、セオドアは平然として、顎をさすっていた。

「こんなとこでこんなふうに暮らす連中がいるとはなあ。大物だぜ」

「そういうあんたが一番大物だよ」

 ため息混じりに吐き捨てたロトが「だいたい、俺たちだって似たようなもんだったろ」と付け足せば、薬屋の男は軽く笑った。緩んだ空気を察したわけではなかろうが、二人の間をレーシェが楽しげに行き来する。最後にロトの前で立ち止まると、手指の先に鼻を押し付けた。

 値踏みするように外来者をながめていた人々は、二人の応酬と森の主の態度を目にして、緊張を解く。それでも顔を見合わせている彼らに代わり、サリカが振り返って、無邪気にほほ笑んだ。

「ゆっくりしていってほしいのです。大したおもてなし、できませんが」

 たどたどしくも誠実な娘の誘いに、青年は何も言えず、ただうなずいた。


 耳慣れぬ言葉が空に溶け、その終わりに、ぱんっと乾いた音が響く。風を切って飛んだ矢は、重く鋭く熊の体に突き刺さり、一瞬で動けなくさせた。動かなくなった熊の体を前にして、人々がまた、古い言葉を唱和する。

「なんだか懐かしいねえ。こういうの。『天空神ヴォードと英霊、精霊の御名のもとに』ってやつだ」

 冷たい岩に腰かけているセオドアが、にやにやとして頬杖をついた。問うような視線を受けたロトは、曖昧にうなずく。しばらくは狩りの後の儀式を黙って見学していたのだが、途中で背後を振り返った。いつの間にか、すぐそばに少年が立って、彼を見おろしている。

「なんか用か」

 あくまで無愛想に問うと、シオンはうなずきかけて首を振る。煮え切らないしぐさにロトが首をかしげていると、シオンはうつむきかけていた顔を上げた。切れ長の瞳には、研がれた剣に似た警戒の光が灯っている。

「あなたたちは街の人間、だよね? その割には驚かないと思って」

「ああ――。この国に来る前は、鹿やら熊やら追いかけまわしてたからな」

 ロトがそっけなく答えると、シオンは目を丸くした。「僕たち以外に、そんな人々がいるのか」と身を乗り出してくる。

「グランドルにいるかどうかは知らないけど、よそにはまだそういう連中も残ってる。俺たちが暮らしてたのは、ここよりもっと寒くて厳しい土地だったな」

「真冬に白熊ヴィブルドとか狩ってきた奴いたな」

「ありゃ、命がけだろ」

 軽口を叩きあう二人を、シオンはしげしげとながめていた。話を聞いているのか、いないのかわからない相槌を打った彼は、セオドアの視線が逸れるなり立ち上がる。その姿を横目で見ていたロトはしかし、次の瞬間、右腕を強く引っ張られて慌てた。一瞬凍りついた心ノ臓が、遅れて激しく脈打つ。ほどなくして動揺から立ち直った青年は、いまだ腕をつかんでくる少年に、非難の目を向けた。

 しかし、シオンは冷たい表情のままだ。

「こっち」

「は?」

 ぐいぐいと引いてくる少年の手指に抗うようにして立ち上がったロトは、彼をにらみつける。しかし、シオンは動揺をかけらも見せず、隠された人里の西を指さした。そこにはただ、木々の群がある。少年は再び「こっち」とささやいた。

 ロトにはまったく意味がわからなかったが、不思議な娘の双子の弟は、どうやら彼をどこかへ連れていきたいようである。まったく引き下がってくれそうにないので、しかたなく、導かれるままに木の枝をかき分けた。

 歩いた時間は四半刻にもならないほど。木立の先から、ぱんっ、と乾いた音が響いて、連続した。シオンの黒茶の目が、うかがうようにロトを振り返る。ロトが何かを問うよりも早く、少年は草をまたぎ越えて、また別のひらけた場所に出た。

 そこには、一人の男がいた。かたわらには、大量の弓があった。単純ながら強烈な光景に、ロトは唖然とする。

 男は、無言で弓をひく。矢が飛んで、目線の先の木の幹に突き刺さった。

「そんなに撃ったら狩りに使う矢がなくなるじゃないか」

「こらぁ失敗作だ。いくら撃とうが折ろうが誰もかまわんだろ」

「そういう問題?」

 男に向かってぞんざいに声をかけたシオンは、肩をすくめる。そこでようやく、男の目が彼らをにらんだ。

「帰ってきたならそう言え、坊主」

「出てこないあなたが悪いんじゃないか。――ところで、また白髪が増えたようだけど」

「森の主の客人の前で、いらんことを言うな」

 聞こえてるんじゃないか、とシオンが唇を尖らせる。年相応の表情に、ロトは軽く目をみはった。少年を見おろした彼は、黒い頭を小突く。シオンは文字通り飛び上がって、彼を鋭くねめつけた。

「何をするんだ」

「それはこっちの台詞だ。なんで俺をここへ引っ張ってきたのか、いい加減教えろ」

 苦言を呈すると、いや、と呟いたシオンが男の方を指さす。

「あなたにもあれをやってもらおうと思って」

 あれ、と言われてつかの間何を示されたのかがわからず、ロトは言葉を失った。けれど、すぐに立ち直って、腕組みしている男と、胸を張っている少年を交互に見た。

「つまり、弓をひいてみせろと?」

「そう。彼が今やっていたのはつくった弓の試し撃ちなんだ。手伝うと思ってひとつ、やってみてくれないかな」

 シオンは悪戯っぽく語った。しかし、両目には未だに警戒心と敵意がちらついている。その意味するところを悟って、ロトはため息をついた。視力の弱い姉が心配なのはわからなくもないが、少々神経質になりすぎているようである。

 とはいえ、変に突っぱねれば、さらに相手の敵意を煽るであろう。ロトはしかたなしに、弓をつくったと思われる男へ、目配せをした。彼は興味深げに目を瞬く。

「別にいいが、こりゃあ素人が扱えるもんじゃない。危ないと思ったらすぐ止めるからな」

「それは、まあ、頼む」

 ロトは曖昧に言ってから、男の方へ歩いた。彼が数歩退くのに合わせ、ロトは彼のいた場所に立つ。正面に見える木には、くすんだ赤色の丸印が打たれていた。渡された弓を受け取り、まだ撃たれていない矢を拾う。しばらく手もとでそれらを弄ぶ。矢の出来は男が言うほどは悪くないように思えた。弓は、かつて使っていたものに比べてやわらかく軽いように感じる。材料に使っている木の質の違いだろう。

 加減を間違えたら折っちまいそうだな、と心の中でぼやきながら、ロトは自然と背筋を伸ばし、足を開いていた。ゆるやかに曲げた腕で弓を構えて、静かに矢をつがえる。

「ほう」

 そばにいた男の口から、感嘆のささやきが漏れたことを、青年は知らなかった。雑多に散らばっていた思考がじょじょにまとまり、ひとつのところへ集まってゆく。凪いだ意識は、赤色の丸だけを見ていた。


 左腕を伸ばす。わずかに波打っていた内側が、きんと冷える。力は抜ける。照準よし。

 狙いが定まれば、あとは狩りと同じだ。獲物は動かない。絶好の機会だ。狩り場にいるときの感覚が自然とよみがえり、刺すような寒さと懐かしいささやきさえもが、そこにあるように感じた。


『さあ、撃ってみろ』

 もう二度と聞けないはずの声が、ロトの背中を押す。彼は弦をいつものようにひいて――指を離した。


 細い破裂音が響く。風が切り裂かれたと思った後に、木が爆ぜた。

 そこでようやく、ロトは『今』を思い出す。いつもの暑気と、むせかえるような草葉のにおいが立ち込める。青年は大きく息を吐き、弓を下ろした。改めて正面の木を見てみれば、矢は中心からやや右にずれているものの、丸印の中に突き刺さっている。しかも、結構な衝撃があったらしく、割れ目から木屑がぱらぱらと散っていた。

「やりすぎた」

 ロトがため息混じりに呟いたとき、かたわらから木の実が弾けるような音がする。男が、上機嫌に手を叩いていた。

「やるじゃねえか。おまえさん、本当に街の人間か?」

「ガキの頃に狩りをしてたってだけだ。大したことじゃない。――それより、これ、ありがとう。いい弓だ」

 言って、弓を返せば、男は太い手でそれを受け取った。自分のつくったものを褒められて気をよくしたのか、あいた左手で肩をばしばし叩いてくる。ロトは曖昧に笑いながら彼の称賛を受け流し、言い出しっぺの少年の方を見た。ちょうどそのとき、「こら!」と高い声がする。サリカがシオンのすぐそばで、腰に手をあて立っていた。

「シオン、何してるの!」

「ちょっとあいつを試しただけじゃないか。……悔しいけど、なかなかの腕前だよ」

 不満げに口を尖らせたシオンの、最後のささやきをロトは聞きとれなかった。サリカが目を丸くしていたから、何か意外なことを言ったのだろうかと思った程度である。

「もう」

 サリカは目を細め、呆れたふうな視線を弟に送っていた。けれど、その顔つきはすぐ険しいものになる。

「まあ、いいわ。それより、ゼクに二人を呼んできてって言われたんだ」

 そう言うサリカは、首をひねる弟を見つめた後、弓と矢を片づけている男に目を配った。男は、娘の視線に気づくと、顔を上げる。

「――森の主の巣のまわりで、たくさんの人の足跡が見つかったって。今から様子を確かめにいくから、来て」

 温和な彼女の口からこぼれた言葉に、シオンや男だけでなく、部外者のロトまでもが凍りついた。

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