6 葬送
「この地下墓地は、事件のすぐ後、生き残りの魔術師たちによってつくられたものなんだ。関わった人間以外に、存在を知っている人はいない……はずだよ」
さびしげに語った老紳士の声は、突然、静寂に吸い込まれるように、消えた。ロトは、自分でも驚くくらい静かな心を保ったまま、感情の読めないクレインと、しぼんだようにうつむいているルゼを見比べていた。
もっと、いろいろ思いだすかと思ったんだけど。案外、平気なもんだな。
青年はため息をつく。今は街全体に気品さえ感じられるヴェローネルでも、おぞましい事件があった。それを知った、知ってしまった。ただ、ロトが抱いた感想は「似たことはどこにでもあるな」というものだった。鈍化したのだろうか、と思い、すぐに否定する。本当に、丸く鈍くなってしまったのなら、今頃はもっと、楽な気持ちで生きていられるはずなのだ。
忘れたふりをしているだけ――
「ふだんはどうしても、忘れたふうを装って、ごまかしてしまうのだがね」
少ししわがれた声がそう言ったので、ロトはぎくりと肩を震わせた。クレイン老人が、痛ましくほほ笑んでいる。
「だからこそ、こうして定期的に墓場に顔を見せて、祈りを捧げているんだよ。まさかそれが、街の猫を呼びよせてしまうとは思わなかった。私としたことが、うかつだったかな」
そう言うと老人は、軽く肩をすくめた。
心を見透かしたような、鋭い言葉に、けれど他意は感じられなかった。ロトは今度こそ大きくため息をついてから、クレインを見すえる。
「……あんたがここへ出入りしていること自体が、原因ってわけではないと思う。たぶんだけど、ここに溜まっている魔力の残滓が外に漏れて、敏感な猫たちが引きつけられちまったんだ」
「なるほど、それはありうる。原因を探らねばならないな」
「ああ。俺も手伝うよ」
そばでルゼが「おれもー!」と手をあげ、真似してトリステスが鳴く。そっくりな猫と飼い主に曖昧なほほ笑みを向けたロトは、それからクレインへと向き直った。驚いた様子でいた老紳士は、少し、考えこむ素振りを見せる。目もとのしわがさらに深くなったあと、ふっと緩み、彼の口が開いた。
「それじゃあ、一緒に探してもらえると助かる。しかし、その前に……君にひとつ、頼みがあるんだ」
クレインが見つめたのは、ロトだった。眉を上げ、自分を指さして「俺?」と言ったロトは、うなずく老人を前にして、さらに目をみはる。彼の静かな驚きに、まったく頓着せず、クレインはまた墓石の方を振り返った。
「知っているか。君たちが来るよりずっと前に、シェルバ人の移民がこの大陸にやってきていたことを」
ロトは、それまでとはまた別の驚きに翻弄されつつ、首を振る。クレインは苦笑した。
「君たちと違って、どこかの国の名で保護されはしなかったから、知らなくてもしかたがない。今の時代に同じことをやったのならば、間違いなく不法入国だといわれ逮捕される。ともかく、シェルバ人たちは少数ながらこの地にやってきて、根をおろした。あの虐殺事件のとき、すでにそのシェルバ人たちは大陸の、そして王国の各地に散らばっていた。ほとんどが魔術師として身を立てていた彼らは、すぐさま標的にされた」
クレインの瞳に、また一瞬、冷たい光が走る。
「……ヴェローネルにも、何人かいたのだよ。ほとんどが、殺された」と――年老いた男の呟きは、どこまでも空虚に響く。彼ほど多くを知らぬ青年は、黙ってうなずくしかなかった。クレインがほんの一瞬、瞑目したあと、まっすぐにロトを見すえてきた。
「彼らのために、祈ってやってはくれまいか、青年よ」
思いがけない言葉に、ロトだけでなく、ルゼも声を上げて驚いた。それでもクレインの表情は変わらなかった。暗く、切なく、強い。
「私は、北地の祈りを知らないんだ。だから君に頼みたい。北地から来た彼らの魂を弔って、故郷へ導いてほしいのだ」
頼み、というにはあまりに重い、懇願とさえとれる言葉。しわがれて響いた願いは地下の石窟に反響する。ロトは、老人の言葉にすぐには答えなかった。沈黙のなか、ルゼが不安そうに彼を見上げる。さらに、ロトがあたりを見回してみれば、この場所に入ってきた猫たちのほとんどが、じっと見つめてきていた。ふだんであればたじろぎそうな視線に、しかし彼は静かなまなざしを向ける。
「俺は、見知らぬ誰かを真剣に弔えるような、できた人間じゃねえよ」
青年が吐き捨てる言葉には、色も、揺らぎもない。子猫を抱きしめた少年が、何かを言いたげに口を開いた。が、少年が言葉を発する前に「でも」と、声が続く。
深海色の瞳は、並ぶ墓石のひとつひとつを焼きつける。いくらあるかなど、数えきれぬほどの石の列。――それはまた、この地で理不尽に奪われた命の数だ。彼の大陸からやってきた人々が、この列のどこにいるのかはわからない。それでもロトは、呼びかけた。
「あんたたちが、こんなでも同胞の祈りを望むなら、せいいっぱい、やってやる」
堂々とした言葉は、人によっては不遜となじる者もいるだろう。けれど、ルゼも、クレインも、ただ深い安堵に顔をほころばせただけだった。
ロトは長く息を吐いたあと、クレインをじっと見た。老紳士は小さくうなずいてから、彼らのそばにまで下がってくる。反対にロトは、前へ出た。きょろきょろとあたりを見回してから、頭をかく。
「ここ、本当にきれいにしてあんのな。石ころのひとつも落ちてねえや。鳴り物にできる何かがあるとよかったんだけど」
呟いたあと、首をかしげているルゼに向かって、そういうものを使う風習があって、とだけ説明する。すると、快活な少年は飛び上がって、「なら、おれ、なんか拾ってこようか」と元気よく言い出した。ロトは、いつもの仏頂面でいやとかぶりを振った後、口の端をわずかにつりあげる。
「その場にあるもの使ってしのげ――がヴァイシェル精神のひとつだ。そうだろ」
言うなりロトは、さらに一歩、前へ出る。
地下墓地を包む空気がさらにはりつめた。クレイン老人が目を細め、さすがのルゼも口をつぐむ。猫たちは、おとなもこどもも彫像のように動かない。
大陸で数少ない、シェルバ人の青年は、深呼吸をすると、力をこめて手を打った。
力強く、乾いた音が、拍子を刻んで響く。少年と老人が呆然として見入っている間にも、低い声が、異国の言葉を紡ぎだしていた。
海へ 大地へ 空へ還りし同胞たちよ
願わくは彼の地にて清められ 英霊たちのみもとへ招かれんことを
シェルバ語――老紳士のいう『北地』の言葉――で、葬送の祈りが繰り返された。きっと、ルゼたちには意味がわからないだろうとロトは思っていたし、事実その通りであった。ルゼも、言い出したクレインでさえも呆然と聞いているしかなかったのである。強く、鋭く響く、この地にはわずかしか伝わらぬ言語。しかし、それであっても弔いの言葉は確かに、響き、しみこみ、のぼっていった。
目を閉じ、時折手拍子を加えながら、少しずつ異なる祈りを繰り返す。その中でロトは、猫たちの鳴き声を聞いた。背後に集っていた猫たちが、また、いっせいに鳴きだしたのだ。ふだんと変わらない声の調子なのだが、いつもよりもほんの少し悲しげな音を奏でていた。
一緒に祈ってくれているのだろうと、思っている――あのじいさんはそう言ったっけ。
案外、ただの思いこみでもないのかもしれない。
猫たちの声が地下から地上へ流れ出て、さらに夜空に咲き誇る。青年の脳裏に、自然と、音が光となってたちのぼるような光景がひらめいた。そっと笑みを浮かべたのち、唇をかんで思いをのみこんだロトは、最後の手拍子を終わらせた。
※
トリステスが腕の中で強く鳴いた直後、猫たちは歌うように鳴くのをやめた。青年の声が途切れた瞬間、「おじいさん」に声をかけようとしていたルゼは、隣を振り仰いで驚いた。
クレイン老人が、墓石の方を見つめたまま、静かに泣いていたのだ。いつもにこにこと笑う彼しか知らないルゼにとって、それはとても、衝撃的な姿だった。
「クレインおじいさん」
なんと言ってよいかわからず、とりあえず名前を呼んだルゼの頭に、老人の声が降る。
「配達の坊や。――彼は、うそつきだな」
「ええっ?」
いきなり出てきた厳しい言葉に、ルゼはまた別の意味で驚いた。帽子がずり落ちそうになったので、あわてて片手で押さえつける。
「兄ちゃんは、ああ見えてけっこうすなおなんだけどなあ」
大急ぎで知り合いを弁護しようとしたルゼはけれど、途中ではたと言葉を止めた。実に四十三年遅れの葬送を終えて、深く息をつく青年をじっと見る。
自然、温かいものがこみあげてきて、笑みが浮かんだ。
「うん、そうだね。ときどき嘘もつくかもね。……でも、たぶん、自分でも嘘ってわからないような嘘なんじゃないかな」
ルゼがおどけてそう言うと、クレイン老人はわずかに声を立てて、笑った。
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