4 老紳士、かく語りき

 天地のすべてを司りし六の神よ

 みもとに召されし者らに清めと安息を

 その深き懐に、その広きかいなに、彼らをお迎えください

 

 祈りは繰り返される。戸口に呆然と立って聞き入る人間たちのそばで、猫たちは、一斉に鳴きだした。惜しむように、悲しむように、そして、語りかけるように。その声を聞いて口を半開きにしているルゼを見て、ロトはようやく我に返った。ひかえめに鳴いているトリステスを一瞥してから、ルゼの小さな肩を叩く。

「『教会の方からたくさんの猫の鳴き声が聞こえてくる』」

 昼間に聞いた文言をそのまま繰り返してやると、少年はぱちぱちと目を瞬いた。

「う、ん。これのこと、だったんだな。きっと」

 どこかふわふわしたルゼの言葉にうなずく。同時に、言葉がやんで鳴き声も止まった。石の列の前で動かず言葉だけを繰り返していた老人が、わずかに身じろぎした。紳士然とした黒い衣装に身を包んでいて、頭はすっかり白い。その彼は、振り向くと、しわだらけの顔をゆるめた。

「おや、君たち。また来たのかい」

 老人の目は猫の方をを向いていた。一部の猫たちが、にゃあ、と鳴いて答える。老人は、そうかそうか、とうなずきながら言った後――ようやく、猫ではない来訪者に気づいたらしい。

「……今日は客人が多いな」

 独白には、喜びと戸惑いが同じだけ含まれているようだった。眉を寄せるロトのそばで、ルゼが「ああっ!」と大声を上げて、半歩後ずさりした。

「クレインおじいさん! なんでここに!?」

 ルゼに名前を呼ばれた老紳士も、少年におぼえがあるのか、わずかに目と口を開いた。そのとき、ロトも気づいた。以前、ルゼと猫の話をする前に見かけた老紳士ではないか。

「配達の坊やじゃないか。こんなところに来て、どうしたんだね」

「い、いや……おれは、猫を探しにきたんだ。何日も、帰ってこないから」

「何日も?」

 クレイン老人の声がひっくり返ったことに気づいているのかいないのか、ルゼは決まり悪そうに、足もとの猫を見おろす。トリステスは、「なあに?」といわんばかりに、主人を見上げて首をかしげていた。老人は彼らの様子を見て、あるていどの事情を察したのだろう。目をみはって、顎のひげをしきりになでた。

「まさか君たち、ずっとこの近くに居座っていたのかい。あれほど、早くお帰りと言い聞かせたというのに」

「あんたが猫を呼び付けた、とかいうぶっ飛んだ話ではなさそうだな、どうも」

 それまで黙っていたロトが、腕を組んで口を開くと、老人の驚いた顔が、そのままロトに向けられた。唇がわずかに動き、音にならない言葉をつむぐ。その内容をうすうす察したロトは、けれど無視して、ルゼたちと老紳士を交互に見た。すると、老人の表情に落ちつきが戻る。

「私はずっと前からここに来ているんだ。しかし、この猫たちが地下まで入ってくるようになったのは最近でね。君たちも聞いていただろう? 私がああやって祈ると、猫たちが一緒に鳴きはじめるんだよ。最初は驚いたものだが、一緒に祈ってくれているのだろうと、思っている」

「なるほど。祈り、ね」

 ロトは、冷たい視線を並んだ石に投げかける。路傍の小石のような大きさのものから、ずいぶん立派なものまである。表面に何かが彫ってあるものも、ないものもある。

 ずきり、と。頭の奥が、鋭く痛んだ。

「もう、察しているだろう? 北地人……いや、シェルバ人の青年よ」

 懐かしい呼び方をされて、ロトは少なからず痛みと動揺をおぼえたが、おもてには出さず、うなずく。目が虚空を追いかけ、口と鼻が満ちる空気の味をみた。

「この、ずっしりした魔力には、あんまいい思い出がないんだよ。まあ――死んだ魔術師の魔力の残りかすに、いい思い出を持ってるやつなんて、そういないだろうけど」

 それまで飼い猫を見おろしていたルゼが、え、と言って顔をあげる。老人は静かなままだ。

 もう一度、部屋の中を見回して。ロトは、誰にともなく話しかけた。

「ここは、魔術師の墓地なんだな」


「正確には」

 しばしの沈黙のあと、老人の声が空気を打った。彼は、石の列をじっと見つめている。

「魔術師と、彼らが飼っていた猫たちの墓場だよ。当時は、猫を飼っている魔術師が多かったんだ」

 ロトは呆然としているルゼの頭を、帽子越しに強く叩いた。彼は妙な声を上げたあと、わざとらしい咳払いをしてからトリステスを抱き上げ、なでる。一方、クレインは墓石の列の中に入りこみ、小さなひとつをなでる。彼の表情は、長い時を経てきた老人のものではなく――苦渋と後悔を噛みしめ、こらえきれなくなっている一人の青年のもののようだった。

「私がかつて飼っていた猫の墓は、これだ」

「じいさん、あんた」

「『魔術師になりきれなかった魔力持ち』さ。最低限の訓練と勉強はしたんだが、それ以上が続かなくてね。術師の道はあきらめた。この大陸に、そういう人間は多いよ。――君のところと違って」

 戸惑ったロトの呼びかけに、クレインは自嘲の笑みをたたえて答えた。なんと返してよいかわからず、青年は結局、渋面で口をつぐむ。墓石に向き直ったクレインの目が、ふっと暗闇に沈んだ。「すまないね、侮辱するつもりはなかったんだ」と、こぼして、しわだらけの手で何度も石をなでる。

「墓場、っていうけどさ」ルゼが口を開いて、それから一度、言葉を止める。小さなものを喉に詰まらせたような沈黙のあと、声を続けた。「なんで、こんなところに墓場があるんだ。ちゃんとしたとこ、別にあったよね」

 そうだね、と言い、クレインがほほえむ。ぞっとする、それでいて痛ましくも見える嘲笑。ルゼは戸惑ったように口を動かしているが、ロトは表情をひとつも変えなかった。ただ老人の言葉の続きを、なかばわかっていながらも、待った。

 血色の悪い指が、墓石から離れる。

「ここはいわゆる、『共同墓地』とは違うんだよ、配達の坊や。さる時代の魔術師たちが、自分たちの同胞のために作った秘密の場所なんだ」

「どうほう?」

「家族、一族、仲間、そういうもののことだ。――つまりは同じ、魔術師のことだ」

 噛みしめるように似た言葉を繰り返したクレイン老人は、ふ、と小さく息を吐く。静かだった地下墓地に、小さく猫の鳴き声が響いた。彼らを一瞬だけ振り返ったルゼは、息をのんで、再びクレインを見る。無邪気で快活な配達の少年が、猫たちの姿に何を見いだしたのか、ロトにはわからない。けれど、老爺にむいた緑の双眸には、知らないようで知っている静けさがあった。

「なあ、クレインおじいさん。ここは、なんなんだ?」

 沈黙は一瞬だった。クレインは淡々と語りはじめる。

「――グランドル王国で魔術師の弾圧運動が激しかった時期がある。そのとき、このヴェローネルでもたくさんの魔術師や、魔術師を連想させる動物が殺された。この墓は、そのときに死んだ者たちの墓だ」

 老紳士が振り返る。目は笑っていたが、瞳は泣いていた。

「一年、一年、一日、一日。刻むように、呪うように数えてきた。あと三月みつきほどで、あの日から四十三年になるよ」

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