3 夜の街

 日が落ちて、闇が空を支配し、ほんのわずかな虫の声が響き渡るようになった時分。椅子にもたれかかって目を閉じ、時計の針の音を聞きながら時間を待っていたロトは、呼び鈴の音に導かれて目を開けた。すぐそばに寄せておいた角灯を手にとって、慎重に火を灯してから立ちあがる。音を立てないよう扉を開けると、軒先に少年が立っていた。帽子のつばが、昼間よりも濃い影を目もとに落としている。けれど、表情の明るさは昼間とまるで変わらない。

 ルゼはにっと笑うと、自分の角灯を掲げてみせた。

「ロト兄ちゃん、さっそく行こうぜ」

「はいよ」

 ぞんざいに返事をしたロトは、するりと外に出てから扉を閉めて鍵をかける。春先の冷たい夜気が全身をなでて、目ざめをうながしてきた。ロトはルゼをちらりと振り返ると、角灯を持ちあげて歩き出す。

 街は死んだように静まり返っていた。学術都市、とたいそうな名で呼ばれている街だが、夜になると眠りにつくところはほかの町や村と同じであるようだ。一瞬だけ鳥の影を見たものの、それ以降は動物に出会わない。二人は、息をひそめて、暗い小路をもくもくと歩く。ロトは、昼間にたどったものを思いだし、炎の明かりでひとつひとつを確かめながら進んでいた。ルゼは、ロトの前に出てみたり後ろに下がったりと忙しい。暗夜あんやにおびえる気配がないのは、さすがといったところだろうか。

 不安をかきたてられる静寂の中、少年と青年は何度目かの角をまがった。遠くに、大通りへと通じる道が見える。昼と同じように踏み出そうとして――しかし、直前で足を止めた。

「あれって……」

「――ルゼ、来い」

 ロトは、呆然と呟いたルゼの腕を強く引き、近くの建物の裏に隠れる。同時に、指先を小さく躍らせ、角灯の光を弱める。少年が飛び出さないよう牽制しながら、視線だけで小路の様子をうかがった。

 夜の闇よりさらに濃い影が、石畳のうえを、ゆらり、ゆらりと揺れる。不定形でどこまでも長い影。それをつくっていたのは、列をなす猫たちだった。猫たちは一列にならび、鳴きもせず小路を抜けてゆっくりと歩いてゆく。ときおり、からん、と軽やかな音がした。猫の誰かの首に飾りがついているのだろう。

 ルゼが息をのむ。ロトは、猫たちの様子を用心深く探った。なじみ深い、大きな黒猫の姿はない。

「トリステスは」

 ロトがささやくと、ルゼは小さく首をふった。

 猫たちは二人の人間に気がつくわけでもなく、粛々と、大通りにむかって歩いてゆく。やがて彼らの姿は、完全に通りの先の暗がりへ消えていった。のびる影すら見えなくなった頃、ルゼが勢いよく物陰から飛び出して、興奮気味に青年を振りかえる。

「兄ちゃん、今の見た!?」

「見た」

「猫の列だったよね!」

「ああ」

「噂は本当だったんだ……」

 感慨深げに呟いたルゼは、はっと息をのむと、「追いかけよう!」と叫んで、走り出そうとする。ロトは少年の細い腕をはしっとつかんで止めた。氷海のような瞳で彼をにらむ。

「落ちつけよ、猫に気づかれたら台無しだろ」

「あ、ああ……そうだな」

 ルゼはどぎまぎしながらもそう言って、ロトの隣についた。彼は驚いた様子で、ちらちらと青年をうかがっている。だが、当人はまったく気にせず、いつもの歩調で小路を進んでいった。

 ほどなくして、また猫の影を見つけた。そうっと後をつけてゆく。

「みんな、逃げないんだな」

 ルゼが不思議そうにささやいた。ロトも無言のうちに同意する。飼い猫はともかく、野良猫ならばこれほど近くを歩く人間の気配に、とっくに気づいているはずだ。それなのに、猫の列はいっさい揺らがず進んでゆく。確かに生きた猫なのに、生気を失った幽霊のような雰囲気があって不気味だった。

 その後も静かに猫の列を追いかけていた二人だが、ある場所で完全に見失ってしまう。

「やっぱ教会かよ……」

 ロトは、とがった屋根を見上げながら、苦虫をかみつぶしたような表情でぼやいた。一方、ルゼは角灯を掲げ持ち、きょろきょろとあたりを見回している。それから、「ああっ!」と、夜闇を打ち消す声をあげた。ロトはぎょっとして振り向く。

 にゃーん?

 甘い声が、揺れながら近づいてくる。ルゼが弾かれたようにそちらへ走った。しゃがみこむと、やってきた猫を抱きあげる。

「トリス!」

 ルゼが猫を抱いて立ちあがる。そのとき、やっと、ロトは猫が茶色の毛に白のまだら模様をもっていると知った。まだ小さな猫は、つぶらな瞳でルゼを見上げたあと、主人と知らない青年を見比べて、小首をかしげる。

 少年は顔をほころばせて、子猫――トリステスの喉元をなでた。

「おまえ、どこ行ってたんだよ。心配したんだからな」

 トリステスは答えない。ごろごろと喉を鳴らしているだけだ。そして、ルゼの指が自分から離れると、彼におろせ、おろせとせがむようにもぞもぞ動く。それに気づいたルゼが子猫をおろすと、彼は主人を振り返ってから、ゆっくり歩き出した。

「あ、トリス?」

 ルゼが呼びかける。トリステスは、数歩進むたびに、主人を振り返って見つめた。

「ついてこい、ってことなんじゃないか?」

 ロトはとうとう、そう助言した。ルゼは、なるほど、と呟いて飼い猫のあとを追いはじめる。ロトもまた、その後ろから、見失わない程度の距離を保ってついていってみた。

 トリステスはゆったりとした足取りで、教会の裏手に回りこむ。見えるのは、柵に囲まれた小さな庭と墓地。そして、そのそばには――ぎょっとするほどたくさんの、猫、猫、猫。

「はあ? なんだこれ、猫の集会!?」

 ルゼはひっくり返りそうになっていた。ロトは、冷めた目でその光景を見ていた。猫といっても様々な種類がいるようで、やっていることも一匹ずつ違う。毛づくろいをしてみたり、あたりを見回してみたり、拾い食いをしたり。やはり自由な生き物である。

 が――そんな彼らはあるとき突然、いっせいに立ちあがった。列をなした猫たちがやってくる。ロトとルゼが息を詰めるなか、ほかの猫たちもその列に加わりはじめた。主人と遭遇したトリステスだけが、その場に居残っている。彼はまた「おいで」というような目で二人を見つめていた。

 少年と青年が歩きだすと、子猫もまた列の最後尾につく。彼らは、教会の庭のそばにある、四角い空洞の中へ入ってゆくようだった。

「……て、おい。こんなところに地下への入口があったのか?」

 ロトは思わずそう言った。石畳を強引に引っぺがしたかのような穴は、確かに地下へ続いているようだった。ひるみもせず穴へ潜ってゆく猫たちについて、ロトたちも穴の中に入ってゆく。地上と地下は、古びた石段でつながっていた。黒い穴の中、冷たい風が笛のように鳴ってはしる。闇に食われてゆくような石段を見ていると、果てしなさにくらりとしてきて、ロトは眉をひそめた。

「出そうだな」

「そういうこと言うなよ!」

 正直な感想を述べたロトは、ルゼに激しく非難されて肩をすぼめる。暗闇への多少のおそれを、角灯の明かりとのんきな会話でごまかして、石段を一歩ずつ下りていった。壊れそうに見える石段だが案外じょうぶで、ロトがつま先でしつこく叩いたくらいでは、びくともしなかった。

 猫たちは、粛々と段をくだってゆく。ゆらゆら揺れる静けさのなかで進む彼らの様は、さながら葬列のようだ。ひとつだけ陽気に動いているトリステスの尻尾を目印に進む。

 だが、ロトはその途中で、つかのま足を止めた。炎がボボッ、と猛って燃える。

「兄ちゃん? どうした?」

 後ろから、少年の怪訝そうな声におされ、ロトは我に返った。

「いや、なんでもない。ちょっと空気が重いなって思っただけだ」

「ふーん。地下だからかな」

「さあ」

 背後の影が躍る。炎の音が狭い道にこだました。

 ルゼはきっと、納得していない。けれど、しかたがない、と、青年は己に言い聞かせる。この感覚は、魔術師――あるいはその素養をもった「魔力持ち」にしか、わからない。

 ロトは我知らず息を詰めていた。

 魔力が漂ってきている。まるで、香の煙のように。あの、独特の芳香をまとっているようにさえ、錯覚してしまうほど、濃密な。それなのに、暗く、重く、淀んでいる。


 息苦しい。目が回る。淡いにおいは、強烈に記憶をかき起こす。

 捨て去るしかなかったのに。見送ってなどやれなかったのに。すべては遠く、灰と化し、土に還った者らを連想させる。


「ひょっとして、この先は」

 呟いて、ロトは拳をにぎった。鼻をつまみたい、耳と目をふさぎたい衝動をこらえて、ただ足を動かす。そんなとき、後ろからか細い悲鳴が聞こえた。

「ルゼ?」

「ろ、ロト兄ちゃん。な、なな、何か聞こえないか……?」

 ルゼの声は恐怖のせいかひきつり、裏返っていた。ロトは猫を見失わないようにしつつも、音を打ち消して耳を澄ませてみる。

 少しして――聞こえた。低い音。何やら韻を踏んでいる。奇妙に反響しているせいで、言葉なのか否かわからない。聞いているだけで胸の中がぞわぞわするような、かえって安らぐような、変な感じがした。そしてロトは、悟った。

「ど、どうしよう。まさか幽霊、それとも魔物か」

 ルゼが震えているのが、見えていなくともわかる。主人の様子を察したらしいトリステスが少しだけ振り向いた。ロトはわざと大きく息を吐く。

「だから落ちつけ。たぶん、どっちも違う」

「へ? なんでわかるのさ」

「勘」

 会話の終わりとともに、着地点も見えてきた。猫たちが石段から軽やかに飛び降りる。人間たちも続く。目の前に立ちはだかったのは、大きな扉。それを前にし、猫たちはいっせいに、ひと鳴きした。それから、二人の方を振り返って、道をあける。ロトとルゼは、顔を見合わせた。しばしの逡巡ののち、ロトが扉の前に立ち、ルゼがすぐ後ろにつく。

 低音は先程までより大きく聞こえた。今度は、明らかに言葉とわかる。ロトは目をつぶり、息を吸って止める。両手を扉に添え、力をこめた。

 古びた扉は少しの抵抗もなく、奥へ開いた。月明かりと間違うほどのかすかな光がもれてくる。ロトとルゼは、扉の先に半歩踏みこみ――出迎えたものたちを見て、立ちすくんだ。

 地下の空洞は意外にも広い。そこにずらりと並ぶ大小の石。地面には、ところどころ、古代文字が刻まれていて、空中を音が舞っていた。

 

 天地のすべてを司りし六の神よ

 みもとに召されし者らに清めと安息を

 その深き懐に、その広きかいなに、彼らをお迎えください

 

 繰り返される死への祈り。つむいでいるのは、石の列の前に立つ、小柄な老人だった。

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