2 配達少年の依頼

 目を回し、両手を振りながらなおもまくし立てようとする配達の少年をなだめたロトは、彼を家へひっぱりこんで、椅子に座らせた。彼が呼吸を整えている間に茶を入れて、自分のぶんと彼のぶんをそれぞれ並べて席についたあと、ぞんざいに切り出した。

「で? 何がどうなってるのか、まずはひとつずつ話してみろ。――おまえの飼い猫の件から」

「お、おう」

 背筋を伸ばした少年は、うなずいたあと、話しだす。

「おれの家の猫さ、トリステスっていうんだ。おれはトリスって呼んでる。茶色い毛に白いまだら模様がある猫で、まだ小さい。家族みんなで世話してるからさ、みんなになついてくれてる、本当にいいやつなんだよ」

「で、そいつが戻ってこないと。いつからだ?」

「兄ちゃんに会った日だよ。あの夜、ふらって消えたっきり、今日まで戻ってこないんだ」

 その言葉を聞き、ロトは目をすがめる。反対に少年は少しうつむいた。

「兄ちゃんの言いたいことはわかるぜ。猫は犬と違ってけっこう気まぐれだから、いなくなることもあるんだろ。知ってるよ。実際、トリスもふらっと遠くまで散歩に行って一日経ってから戻ってくるってこともあった。だから最初はおれも気にしちゃいなかった。

けど、トリスはさ。どんなに遅くても二日で戻ってくるやつなんだ。今まではそうだった。だから、二日どころか三日四日過ぎても帰ってこないってのは、なんというか、変なんだ」

 なるほど、とどことなく呆けた相槌を打ったロトは、茶をすすってから言葉を続けた。

「だからそいつを俺に探してほしい、って言いたいんだな。おまえは」

「そう! もちろん、報酬はきちんと払うぜ!」

 少年は前のめりになり、噛みつくように言ってきた。その勢いに少しおされたロトは、のけ反った後、ひるんだ自分を咳払いでごまかす。机を指で強めに叩き、話題を転換した。

「――まあ、ひとまずそっちはわかった。けど、まだ全部話を聞いてないからな。もうひとつの『変な噂』ってのは、おまえの飼い猫とどう絡んでくる?」

「おお、兄ちゃんはさすがに話が早いな。おれも、この話を聞いたから、兄ちゃんに手伝ってもらおうって思ったんだ」

 少年は勢いをつけてそう言った。とっとと話せ、とロトが視線でうながすと、彼は急に神妙な表情になる。

「街の中で聞いた噂なんだけど――『夜になると、猫が列をなして通りを歩いていく。それから少し経ったあと、教会の方からたくさんの猫の鳴き声が聞こえてくる』っていうんだ」

 雰囲気を出すつもりか、低く押し殺された声を聞きながら、ロトはその場面を想像してみる。ふわふわと不安定で、現実味がなかった。

「……どんな伝奇小説だ」

「おれだってそう思ったさ。けど、トリスが帰らないこの状況じゃそんな話でも繋がってるんじゃないかって思えるだろ。それに、最近、兄ちゃんのところに猫探しの依頼がたくさん来ることとも関係があるかもしれないし」

 唇をとがらせ、少年はすまして言った。思わぬ時に自分のことに触れられて、ロトは言葉を詰まらせる。猫探しの依頼が多い原因が、説明できる事柄であるなら、それをさっさと摘み取ってしまいたいと考えているのも、確かだからだ。ロトの表情から、揺らいでいることを察したのだろう少年が、強い目で彼を見すえてくる。

「な、だからさ。ひとまずこの不思議な話を一緒に調べてほしいんだ。それでだめだったら、いつもどおりの猫探し。もちろん、おれも一緒にやるよ。手間がかかったぶんだけ報酬増やすから、どうだい?」

「おいこら。俺を金で釣ろうとするな。ガキのくせに」

 ロトは半眼で少年をにらみつけたが、ややあって、押し殺したようなため息をつく。軽くかぶりを振りながら「わかったよ」と小声で言った。少年の目がわかりやすく輝く。

「本当か!」

「とりあえず引き受けるよ。伝奇小説じみた噂も、ちょっとは気になるし」

 ロトがどこまでも投げやりに告げると、少年は拳をにぎり「よっしゃあ!」と叫ぶ。無邪気な少年を見つめ、わずかに目を細めた青年はすぐ仏頂面に戻った。いそいそと数をかぞえはじめていた少年はけれど、はっと顔をあげた。

「そうだ、忘れるところだったよ、自己紹介。おれ、ルゼっていうんだ。よろしく、便利屋の兄ちゃん」

「ああ、よろしく――」

 相槌を打って終わらせようとしていたロトはけれど、少し考えたあとに「ロトだ」と短い名乗りを言葉に乗せた。配達の少年ことルゼは、目をまたたいたあと、「よろしく、ロト兄ちゃん」と言いなおし、歯を見せて笑ったのだった。

 

 ルゼが「今夜調査に行こう!」と言ってきかないので、しかたなくロトは彼を連れて下見に行くことにした。とりあえず、くだんの教会まで歩いてみようというわけである。ルゼが先頭に立ち、元気よく青年を先導した。彼はよく使われる経路ではなく、ロトの自宅のそばからのびて、曲がりくねって続いてゆく小路を、軽快に駆ける。

「噂によると、このへんで、猫の列が見られるらしいんだよなー」

 ルゼは帽子のつばをつまみながら言って、小路から広い通りに接続する道を見る。人影はなく、無造作に捨てられたごみくずだけが石畳のうえに散らばっている道。今は当然、猫の気配さえなかった。ロトは、ふうん、と適当にうなずきながらルゼへついていく。一応、それとなくあたりを観察しているが、変わったところは見受けられない。

「魔術がらみ……では、ないのか?」

 怪談や伝奇には魔術が関係しているものも多い。それゆえに、ロトも噂を気になると言ったのだが、今のところは魔力の残滓ざんしすらも感じ取れていなかった。猫の列がただの見間違いか、言葉どおりのものなのか。後者だとすれば、なぜ猫は列をなして歩いているのか。謎だらけである。

 ロトが考えこみながら小さな背中を追いかけているうちに、教会の前に着いてしまったらしい。ルゼが、ここだ、と叫んで足を止めた。ロトも立ち止まって、教会を見上げる。

 白に近い灰色の石壁の上には、鋭くとがった三角錐のような屋根。その先で光るのは小さな鳥をかたどったものだ。ロトは王国の信仰に興味がない。ただし、鳥のようなものが、天空神ルジーナの使いを示すものだとは知っている。この宗教にはいくつかの宗派があるようで、ヴェローネルでおもに信仰されているのは、自然を司る六柱の神を絶対とする宗派だが、中にはそれだけにとどまらず、魔術師を「悪魔」とする一派があることを、彼は知っていた。

 彼らの信心しんじんの強さも、それゆえの恐ろしさも、嫌というほど身に染みている。

 風が吹く。古びた記憶が脳裏にひらめき、忘れがたい感覚が全身をなぞる。


――やめろ。今はそれを考えるときじゃない。

 ロトは強く頭を振って、記憶の影を振りはらう。陽光に照らされた教会の威容を見つめることで、ほの暗い気分をごまかした。そんな彼の隣で、ルゼはとんとん、と軽快に足踏みしながら、教会のそばを行ったり来たりしている。

「うーん。別に、どっこも変わったところないよなあ。中も普通だし」

「知ってるのか?」

「おう。ときどき礼拝に行くから」

 くるりと振り返り、屈託なく笑うルゼにそうか、と答え、ロトは教会の正面に立つ。今は礼拝する時間ではないせいか、人の出入りがまったくない。ヴェローネル市の喧騒にまぎれていながら、この建物だけが動かぬ静寂のなかにあるようで――うらやましい、と彼は思う。

「あれ。猫だ。でもトリスじゃねえな」

 物思いにふけっていた彼の意識を、ルゼの声が引きあげる。見てみると、ルゼはおぼえのある黒猫の前にしゃがみこみ、にらめっこしていた。ロトはそちらへ歩きながら、両者へ声をかける。

「イサじゃねえか。今日はよく会うな」

 すると、黒猫イサはロトを振り仰いでいつもの声で鳴き、ルゼは意外そうに目をみはった。

「え、こいつ、ロト兄ちゃんの飼い猫か?」

「いいや、野良猫だ。俺の家のあたりにときどき来るってだけで」

 凶暴で有名らしいから一応気をつけろ、と言ったものの、ルゼはひるんだ様子がない。イサもイサで、今はお気に入りの人がそばにいるからか、人間の子どもを襲う気はないようだった。ロトをちらちら見ながら毛づくろいをしたあと、名残を惜しむふうでもなく立ちあがり、大通りへ歩いていく。ロトもルゼも、去りゆく放浪猫をぼんやりと見送った。

「野良猫かー。でも、なんか、ロト兄ちゃんにはお似合いだよな」

「お似合いって……」

「ほら。猫は、っていうか黒猫は、魔術師のしもべっていうじゃんか」

 ルゼの言葉に、ロトはうなずきつつ、わずかに顔を歪めた。

「あれ、いい意味で言われることはないけどな。昔は猫が魔力を媒介するのに適しているとかなんとか、信じられてたみたいで、実際猫を連れてるやつも多かったらしい。今はそんなやつ、ほとんどいねえさ」

 この大陸では、黒猫やカラス、黒い生き物は不吉な存在と信じられていた時代があるともいう。ロトの淡々とした講義を、ルゼは興味深そうに聞いていた。彼の言葉の終わりに、大きな目をさらに見開く。

「おれも、ちょっと聞いたことあるな。魔術師や魔術師を象徴する生き物が殺されまくった事件が昔あったとか、なかったとか」

「昔ってのがいつなのか知らねえけど、そのときにいなくてよかったよ」

 あくまで他人事な少年の言葉に、ロトはため息混じりに答える。それから、強引にひとつの話題を打ちきった。

「そろそろ帰るか。――今夜、俺の家の前に集合、ってことでいいんだよな?」

「うん。よろしく!」

 親指をぐっと立てるルゼの頭を軽く叩いたロトは、きびすを返し、歩きだす。二人の背中を見送る者は、誰もいなかった。

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