未来3
色々繰り返して、なんとなくわかった事がある。
あちら側で意識がぶちりと途切れると、その後目を覚ますのは決まってちびの場所だという事だ。
そしてちびの世界と俺の世界の時間は、同じ速さではないらしい。
ちびの世界で何日も過ごしていても、次に俺の世界で目を覚ませばたった数時間という事もあるのだ。
その意味や仕組みはわからねえんだが、俺はそれをありがたいと思っている。
少なくとも、ちびの食い物事情を改善できるわ、鍛え続けても俺の仕事に支障をきたさないわ、ちびの方で色々止めていれば俺の世界に戻ってもそれと同じだけ止められるわ。
俺もすっかり真人間である。
人間変わるもんだ。
だがその変化は回りからすれば、かなり不気味らしい。
一遍お祓いを受けさせられたぜ。
お払いの結果俺は、相手にぶちっときて拝み屋だというその男を殴り飛ばして失神させた。
その後にそいつが、偽物で身分を詐称していたことが判明し、そいつは何日か牢獄で実に寒々しい思いをしたようだ。
頭の回転がいいから、こいつも俺が拾ってみた。使い勝手は上々だ。
何か知らないが、俺が寛大にも許してやったせいなのか、俺の事を崇め奉ってやがる。
その空気を、ほかの連中はにやにやしながら見ているわけだ。
俺はちっとも変な気分にならない。
もっとほめたたえてみやがれ、と思っちまうのが俺の性格だ。
そして褒められた分鼻高々になり、その鼻がそのうち折れて痛い目を見るのも、俺である。現実問題として、俺はそれをちびの所で感じていた。
どれだけちびの事を鍛えていても、俺の姿はちび以外には認識されないのだから。
くそ忌々しいが、ちび以外の誰も俺を見ないという空気認識なので、俺はぶつかってこられたら体をすり抜けられてしまう。
この時のイラっと来る感じは、なんとも言いがたいわけだ。
こう、なんだ。
無視してんじゃねえっていえばわかるのか。
難しい問題だ。
そんな今日も、俺はちびの仕事が終わってから森に連れて行き、あいつの毒術を教えている。
ちびの毒術はそろそろ次の段階に行ってもいいだろう。
「ちび、次の段階に移るぞ」
俺の言葉に、ちびが鮮やかな色になりつつある、見た人間がはっとする紫水晶になり始めたヴァイオレットを瞬かせる。
「いよいよ」
「ああ。今までは自分の毒にやられないようにってのを、基本にしていたわけだが、次の段階になったらそれを外に出して制御するってのを覚えるんだ」
「制御」
「自分の手のひらに、毒を出して変質させるんだ。これを自在に操れるようになれば、たいていの薬と同じだけの物も作れるようになる。まあ、薬に関しては万人に効能があるっていう代物は出来ないわけだがな」
「どうして」
「人間の体から生み出したものだからだ。体質体調それから相性、そんな物で効能が全く違ってくる場合だってある」
ちびはじっと俺を見つめてから、手のひらにわずかな毒を生み出す。
この一瞬を見るたびに、俺は不思議な気持ちになるんだが。それを言った事はない。
無から有を生み出すような、そんな不思議な気持ちになるのは俺だけらしく、ちびはなんとも思っちゃいない。
手のひらに生み出された毒は無色透明だった。
それはちびの中にあるだろう、無垢な物を象徴している。
こいつは冷めているように見えるし実際に冷めているわけだが、俺のように屑野郎でも何でもない。
ちゃんとまっとうな良心だの常識だのが存在していて、それを守ろうという気持ちだってある。
それらや悪意を持たない姿勢とかが、この毒に現れているのだろう。
きっとこれを飲んだとしても、即死になる事はないと俺はどこかで感じている。
毒術使いの毒は、その術者の心のあり様で大きく変わるのだ。
相手に悪意を持てる奴ほど、えげつなく醜いものを生み出すと俺は聞いた事がある。
そんな思念を払った後、俺はちびにいう。
「それの色だけでいい、変えて見ろ」
ちびはどうやって、と言いたげな顔をしているがそんな物、感じてやるものだ。
火術だってそうなのだ。
師匠はいたが、ろくすっぽ役に立たない事ばっかりだったな、俺も。
そして同じ術同士でもわからん部分があるのだから、系統が違えばもっとわからん。
「感じろ、ちび。その色だけを変えるように、手のひらから伝わってくるそれを見てみるんだ」
炎だったら。熱さや色や、手のひらを舐めるような感覚を感じ取って、少しずつ変えていくんだが。
毒はどうなのか。
やってみるしかないだろう。
ちびは要領がいいので次第に、それを感じ始めたらしい。
眼の中がぼやけてきた、と思えば手のひらの中の液体が、粘度を増してぼこぼこと音を立てた。
そしてそれは美しい赤色に染まったのだ。
赤い毒か。
「あなたの眼のような色をしている」
ぽつりと言ったちびは恥ずかしそうに顔を伏せた。
別に俺の眼の色が素晴らしく赤い色をしているからって、そんな照れてどうするんだ。
ああ、俺を褒めているからか?
「毒があなた自身だと言っているような気がして、少し気分よくない」
「ばかやろう、そんな事考えてたのか? 綺麗な良い色してんじゃねえの。これを飲んでも死ななさそうだぜ、体が芯から温まる気がする」
「毒術だというのに?」
「毒は加減で薬にもなるんだって教えただろう? 俺が見るとお前のその色は、心まで温まりそうな赤色だなって話なだけさ」
「あなたは毒が毒ではないように言うのは何故」
「俺の炎の方が数十倍は威力もあっておっかないからさ。現段階ではな」
「毒はそれを超えるの」
「越える越える。俺の知っている限り、毒術の神髄まで到達したような奴に勝利した火術使いはいない」
「あなたの世界には、そんな人もいるの」
「おれの師匠様の奥様がそうだったぜ。あれは大変な強さのお方だった。それに俺もよく、飯食わせてもらったもんだよ。あの方は、微笑み一つで城一つ国一つ傾けるだけの実力持ちにして、大変な毒術の達人だった。でも薬は作るのに毒は一つも作らなくて、……いや、師匠様が浮気したら毎回酷い腹下しの毒作ってたか……? あれ……?」
おれの師匠の奥様という女傑は、ちょっと嫉妬深いひとだったからな。
でもその浮気だって、度を越し過ぎて師匠に跳ね返ってくる寸前に、まるで師匠を守るかのように使われていたからな……
あの方の心理は良く分からない。
取りあえずおれは、色を一度で変えられたちびを合格、という調子で撫で繰り回してみた。おれの腕力は幽霊の状態でも、触れるものには効果があるらしい。ぐりんぐりんと頭が回るちび。
「眼が回る」
苦情もなんのその、おれはちびを心行くまで撫でまわし、言った。
「さあて、飯だ飯。毒術がどれくらい腹減るか知らねえけど、術式を使うと腹は減るもんだ」
「あなたのご飯?」
ちびの眼がすこーしばかり輝いたような気がする。
ちびはこの前、おれの指導した煮込みを、泣きながら食ってたけど。旨かったんだろうな。
あの煮込みはおれの部下たちにも大変に、好評だったやつだしよ。
「今日は簡単な物にしようぜ、炒め飯とか簡単だ」
おれは言いながら、ちびを前に歩かせて、家に戻った。
家は相変わらずのぼろ部屋だし、なんだか碌な事にならないような隣人がいるわけだし、うるさいと壁を殴って恫喝する声が聞こえて来るけれども。
安全っちゃ安全な感じだ。
それゆえにちびは、逃げ出す事も覚えて、もっとましな住居に暮らせるかもしれないのに、ここを拠点と決めている。
「ちび、なんでいつまでもここにいるんだ?」
「屍の匂いが染みついているから。ほかの場所に移って、その部屋まで屍の匂いで満たしてはいけないもの」
相変わらず謎の思考回路のちびである。
おれはちびを指導し、炒め飯を作った。ベイコンに卵にご飯に菜っ葉、同じ材料でも手順が違えば別の料理に早変わり。
簡単な物だからその分、腕で決まる食い物なわけだが。
ちびはやや油のきついそれを、幸せそうにほおばっていた。
そう、ちびは最近顔の表情が出るようになってきた。
嬉しい位はわかるようになって、おれとしてはいい気分だ。能面相手に会話する気分じゃねえしな。
「うまいか」
「脂っこい」
「あんだけ鍋に油入れたらそりゃ、脂っこいわな。だから少な目にしろって言ったんだ」
「この前焦がしたから」
「焦がすほど鍋を火にかけてりゃ当たり前だろばーか」
そんな軽いやり取りも日常になって。
最初に出会った季節から、三周くらい過ぎていた。
ちびは第二次性徴を迎え始めたのか、体が丸くなってきた。そこでおれはこのちびが女なのだな、と改めて発見した気分になる。
ちびもおれにすっかり慣れ切った物の、目の前で服を脱ぐのにためらいが出てきた。
それを見るとああ、女ってやつだななんて思っちゃったりするわけだ。
ちびはすっかり色々な飯を知るようになって、自分一人でもそこそこの飯ってやつを食べるような習慣が出来てきた。
よしよし、このまますくすく育ってくれよ、なんて。
俺の時代とちびの時代を行き来しながら思っていれば。
俺の時代の感覚で数か月後。ちびの所に行ったと思えば。
ちびがぼろぼろぼたぼたと、涙を流して部屋に座り込んでいた。
部屋は目を見張るほど豪華なもので、明らかに王侯貴族のそれらだった。
なんなんだと口を開けていれば、ちびがおれを見て安堵した顔になる。
しかしその安堵もすぐに崩れて、また唇がわなないて、嗚咽を漏らす。
「めそめそしてんじゃねえよ、何があってこんな場所にいるんだ」
この問いかけにちびは答える。
「毒術を使っているのを見られて、強制的に王子様の第三妃にさせられるのが決まった」
毒術という驚異的な力を、単身で会得した……ようにみえるちび。
なるほど、王族が欲しがるのも無理はない。天才にしか思えないのだろう。
おれの指導があって、ちびはここまできたってのに。
「明日、王子様がこの部屋に来て一夜を明かすんだって」
それは結婚と同じ意味だった。ちびはぼろぼろと涙をこぼし、いやいやと頭を振る。
「結婚なんてしたくない、あなたとずっと一緒がいい。結婚なんて言葉を考えて、頭に浮かぶのはあなたしかいないのに」
おれはちびが向けてきた、初めての言葉の愛情にぎょっとする。
……多少気付いてはいたんだ。視線の中にこもる熱が増える事も、おれの事を見て解けたように笑う唇の意味も。
だが言葉にしなきゃ、ずっとおれらは師弟のまま、何も変わらないと思って黙ってやっていたのに。
くそ、どうしたらいいのやら。
俺は苛々と唇を噛み、眼を閉じて思考の中に入ろうとした。
そこでおれは、ちびを残して元の時代に戻ってしまっていた。
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