未来2
ずいぶん、年相応以上に幼いツラで寝るんだな、と初めに思った。
荒れ放題の髪の毛が枕に散らばっているが、枕自体もかなりの年季の入った物だ。
おそらく古物屋とよばれるような店で、購入したんだろう。
それにしても、もうちったあましな買えなかったのか、この餓鬼。
枕はぼろぼろでそれを何度もつぎはぎしてあるが、そのつぎはぎもかなり色あせた代物だ。
はっきり言って俺の家だったら即座に、ゴミとして捨てているような奴だ。
たしかに俺の収入と、このちび餓鬼の収入を比べりゃ、天と地の差があんだろうが、な。
不衛生だ。
俺にも不衛生の概念があるってのに、この餓鬼にはないのか。
それとも死体をいじる環境の中、そういう物がずれたのか?
わかりゃしないが、ちび餓鬼はすよすよと眠っている。
そして俺はそれを見下ろしている。
自分の手を見つめてみても、幽霊だから半透明、とも思えないしっかりとした輪郭だ。
これは一体何なのか。
また未来に跳んだというのなら、そいつは何の符号だ?
全く分からない。
こいつを叩き起こしてけり熾すにも、俺は物を透過しちまうから無理だ。
「あー!」
だんだん苛々して来て、俺は声を上げる。この声が聞こえる人間はいないから、いくら騒いだってかまいやしねえだろ。
って思ったその時だ。
「うう……うるさい……」
もぞもぞとぼろい掛布が動いて、ちび餓鬼の頭がぐらりと揺れて、あの妙に大きくて鮮やかな色彩のヴァイオレットがのぞいた。
そして俺をしっかりと確認する。
おお、ちび餓鬼てめえは俺のことがわかんだよな。
何でなのかは考えたくないが。
「天上世界だか、地中世界だかに逝ったのかと思ったのに」
「行ってねえ! 死んでねえ!」
口を開いたとたんに可愛くないセリフだ。それに怒鳴り返せば、ちび餓鬼はのそのそと起き上がって欠伸をした。
「どっちにしても、あんたは僕の所に来たのか……」
欠伸の後に目をこすり、俺をしっかりとその目玉で確認したちび餓鬼が言う。
「……変な気分だ……」
「俺の方が変な気分だ。なんで自宅で寝ていたのにこんな所に飛ばされるのか、心外だ」
「……ふうん」
ちび餓鬼が敷布ごと自分の膝を抱える。
その無表情に近い唇が、俺に隠れるように緩んでいた。
「なんだよちび。ずいぶん機嫌がいいツラだな」
それを指摘してやれば、ちび餓鬼はちろ、と膝から視線を俺に向ける。
「いきなりうるさい音で叩き起こされて、機嫌がいい顔なんてできない……」
「じゃあその、吊り上がって緩みまくった口は何だ? ああ?」
俺が手を伸ばし、ちび餓鬼の唇のあたりをつつこうとすれば、やっぱり透過する。
それでもこいつには十分な効果があったらしい。
ちび餓鬼は、ぱっと顔を赤くしてそっぽを向いた。
……ははあん。
「なんだちび餓鬼、俺がいると嬉しいのか?」
可愛い所があるじゃねえか、と思って言ってやればちび餓鬼は、俺の声なんて聞えなかったように立ち上がって、着替え始めた。
「話を無視すんじゃねえよ」
俺はそいつの正面に回って、にやにやしながら顔を覗き込んでやる。
さっき赤かった顔をもう、元の無表情と色に戻したちび餓鬼はしかし、また俺からあのヴァイオレットをそらした。
「仕事に間に合わなくなるから、話しかけないでほしい……」
餓鬼のくせに生意気な事を言っているちびだが、ちびなりの言い分だと俺は譲ってやる事にした。
「わあったよ」
俺はそれ以上話しかけず、ちび餓鬼はもそもそとこの前と同じ献立を腹に収めて、部屋を出る。
やっぱり強制的に、俺もそれについてく事になっちまった。
引っ張られるからしょうがねえんだがな。
「戦争か?」
血まみれた死体の数々、だが血液はそこまで新しくない、十分に腐臭に近い匂いがするそれらを、黙々と縫い合わせてまともな見た目にしていくちび餓鬼に、問いかけた。
二百年経とうが経たなかろうが、戦争ってものは消えないんだな、とあきれ果てながら。
そうじゃなけりゃ、ここまで死体が無残っていうのもないだろう、と思ったわけだ。
俺は戦場じゃなけりゃ、こんな凄惨な奴はお目にかかった事がない。
だというのに。
「……まああるんですよ、拷問系が好きな貴族がいると」
ずいぶんとだんまりをした後に、ちび餓鬼が淡々とした調子で言った。
言ったないように目をむいてしまうのは、俺だけじゃないだろう。
「拷問で殺すのか? 加減を知らねえ奴がいるんだな、拷問ってのは殺さないのが鉄則だって知らねえのか? 殺しちまったら吐きだす情報がなんもねえだろ」
「そんな事は」
ちび餓鬼は手を休めないで言う。
「知らない……。ただ、この時期になると、こういう死体が増えるだけ……」
時期で済まされる死体じゃねえだろう、と思う俺とは裏腹に、ちび餓鬼は慣れた調子で直していく。
身内が見ても、嘆き悲しむだけで済むように。
発狂するような状態の屍を、まともにしていく。
その中の幾つかに、欠損があったが、ちび餓鬼はそれに布や綿をあてがって直していく。
服を着ればそこが欠損だなんてわかりゃしねえ、達人の域の仕事っぷりだ。
「少し前に」
ずっと屍の青ざめた肌と、黒く変色した体液を眺めていたちび餓鬼が口を開いた。
「戦争は、あったから。たぶんこの人たちは、戦争とかで、飢えの人たちの気に食わなかったんだろうとは、感じる」
最後の一人を直してやって、ちび餓鬼はそのまだ年若かっただろう、自分と似たような年齢の少年の遺骸の額を撫でて言う。
「こう言う事をされてしまう、隙があったんだろうなとは」
「お前はどう思うんだ?」
「どうって」
ヴァイオレットは死の色、というのを俺はどっかで思い出した。
紫は死の色だ、それは呼び方の音が死、に通じるせいだ。
そして死の魔術を象徴する色もまた、こういう紫。
だからか、ちび餓鬼は死体を恐れも忌避もしない。
そんな気がしたんだが、俺は問いかけた。
「こんな死体を直すの、嫌だと思わないのか」
「……」
はたはたと瞬く瞼、思った以上に長いまつ毛が揺れている。
「無残だとは」
思う。
たったそれだけを秘密のように言ったちび餓鬼は、立ち上がる。
「……仕事が終わったから帰らないと」
これだけ仕事してんなら、給金も弾むだろうなともっともな事を俺でも思ったんだが。
ちび餓鬼にとって世界は残酷、だった。
まず第一に、ちび餓鬼は仕事が遅いと殴られた。
続いて契約違反だと給金をもらえなかった。
更に俺でも言葉が出なくなりかけたのだが、それで葬儀が遅れたから、その分の違約金を支払い、そしてただ働きを追加された。
ちび餓鬼はたった一人であれだけの、人数を直したというのに金をもらうどころか暴力を振るわれた挙句に、持っていた雀の涙のような金を、むしり取られたのだ。
「抵抗しろよ」
殴られた頬をそのままに、ほかの腕の悪い奴が汚した床だのを磨いていたちび餓鬼に言えば、ちび餓鬼は首を振る。
「意味がない」
「なんでだ? おかしいだろ」
契約がどうだか知らないが、それに間に合うだけの量の仕事を任せるのが基本だろう。
あれだけの数を、一日かからないで完璧に直したちびは、賞賛に値すると俺は思う。
俺はこれでも、仕事をまともに行う奴は評価するんだよ。
ついでに否応なく俺はちび餓鬼と一緒にいるしかねえからな、下手に嫌いだと思い込むと苛々するんだ。
だからちょいとばかり身内基準の判定になるように努力してんだが。
「……死体を縫い合わせたりする、この職業に一度ついたら」
ちび餓鬼は何を思い出したのか、荒れて血のにじみそうな指を、薬品の特有の香りが染みついた手を眺めて、言う。
「ほかの職種の人間には、忌避されるから、まっとうなお仕事には就けない……」
「なあ、まっとうってなんなんだ?」
俺は逆に問いかけた。
俺からすればちび餓鬼の仕事はまっとうだ。立派だ。誇っていいだけのものがある。
だってお前が、身内との最後の別れを、優しい物に変えるんだろう?
身内が、死体に残る痕で苦しまないように、やるんだろう?
人の心ってものを救ってんだろう?
それのどこがまっとうじゃねえんだ?
まっとうどころか、すげえ仕事だろう? なかったら困る物だろう?
なんでそれを、まっとうじゃねえっていうんだ?
ならばまっとうな仕事ってのは何なんだ?
俺の当然の疑問に、ちびは目を開いた。
「知らない……ただ」
お前はまっとうじゃないと、よく言われるからそう思うだけ。
床を拭き終わって壁も吹き終わったちび餓鬼は、薬品を補充して後始末を完璧にして、吐きだす声でそう言った。
ちび餓鬼の刷り込みがえらい深いのだけは、俺でもわかっちまった。
なんだかな……こいつに足りないのはたぶん、力と知識だ。
それのどちらも持たないで、弱者のまんま、弱いまんまでいる事を強要された末路がこのちびだ。
だが俺は、そのちび餓鬼を見ているくらいしかできない現状だ。
とっとと見捨ててどっかに行くってのも目覚めが悪いし、出来ねえ。
ならどうするか。
答えは簡単だ。
「ちび」
俺はちび餓鬼に呼び掛けた。
「そんなにまっとうがいいのか」
「まっとうには、なれない」
「そんななれる成れない論してんじゃねえよ」
眉を寄せた疑問の顔に、俺はずいと近付いた。
「んなら、そのためのいしずえを叩き込んでやる」
ヴァイオレットの諦観のその中に、炎が燃え上がり始めるのを俺は確かに確認した。
「遅い」
「……あんたはおかしい」
「言ってろ」
鍛え上げるのはかなり得意な方だろう。
俺はちび餓鬼を、暴れても問題のない場所に連れ出して、手始めにこのちびがどっちに向いているのかを測る事にした。
どっちっていうのは、武術か魔術かってやつだ。
こればかりは本気で適性がものを言うからな。
知識を手に入れるばっかりの頭でっかちだと、うっかり口が先に出ていらん怪我をするからな。
まずは自衛手段を覚えさすのが先だ。
ちびを走らせてみる。俺がくそ生意気だった時代とは考えにくいほど足が遅い。
反射速度もあれだ。
目だけはいいらしいが、目に体がこれっぱかりも追いつきゃしない。
肉がないからな。体力もないんだろ。
よくまあこれで今まで生き延びられたものだ。
あれだけ暴力を振るわれているってのにな。
当たらないを幸いに、手加減して攻撃を加えて行きゃあ、またまたこれを避けられねえ。
お粗末もいいところだ。
こいつほんとなんで生き延びてんだ?
心底不思議だが、俺はしばらくやって見切りをつけて、魔術の方面をいじらせる事にした。
「だーから! 体の中に燃え上がる物があんだろ!」
「そんなもの……どこにもないし、燃えたりしない」
「普通あんだよ! なんでこの魔術大国の人間だってのに欠片もそういう物を感じねえんだよ!? こういうのはフィーリングなんだよ!」
「また無茶苦茶な」
おいちび餓鬼、てめえあきれ果てた面してんな?
殴るぞ。当たらねえがな。
「心の中ってのを見るようにしてみろ。なんかないのか、爆発しそうなもの、何でもいい、火花を上げるものだって凍り付くものだって、あたりを腐敗させそうなものだってなんだって」
「……ふはい」
俺の言葉に何を思ったのか、ぱちりとちび餓鬼は目を瞬かせて、自分の手を見つめた。
「腐敗する、もの……」
数秒黙ったちびの指から、何かが滴り始める。
なあるほど、こいつの適正は毒か。
七術の中でも、特に取得が難しいと言われている毒術がこいつの適正なのか。取得が最も易いと言われた俺みたいな、火術の取得者とは相性がいいんだ。
毒の中には、燃える力を激減させる事が出来る毒も多いんだ。
なんでこのちび、俺の時代で見つからねえのかね。
俺の時代だったら拾い上げて、鍛えてしごきあげて足の一本代わりにしてやるのに。
「そこまでだ」
俺は毒のような液体を指先からはたはたと落としているちび餓鬼に、声をかける。
ちび餓鬼は俺を見て、ヴァイオレットを見開いて顔をらしくなく赤らめた。
「あんたも笑うんだ」
そこで俺はちび餓鬼に、笑いかけてやった事は一遍もないな、と思い至った。
ちみちみ、ちび餓鬼の負担にならないように俺は、魔術の基礎を教えてやる。
毒術使いの未来があるちびには、いきなり魔力の器を広げたりさせんのは危険だ。
炎だの水だの、風だのという四種原理ならましなんだが、毒術は全部の複合でさらに面倒くさくて危険だ。
常に監督できるわけでもねえのに、器なんて広げさせて、あたり一面毒の海ってのは笑えないからな。
火の海氷の海かまいたちが吹き荒れる……とはわけがちがう。
毒は一番危険なんだ。
神術と形容されがちな雷術より危険だぜ?
だいたい、空から降ってくるから雷が高位魔法だの神の術だのという奴はほんっとうに陳腐な頭してるぜ。
何もかもを修復不可能にしてしまう、毒の方が危険物だってなんでわからねえのか理解に苦しむのが俺だ……
それはさておき。
「まず自分の体から出てくる、毒の匂いを覚えるんだ」
「匂い……」
「そうだ。俺は自分が焦がす炎の匂いを一番に覚えた。だからお前も覚えろ。お前がお前だっていうしるしだ。何よりも雄弁にお前を語るのがちび餓鬼、お前の魔術だ」
「……?」
「こんな初歩も教えられてねえのかよ!」
俺は何度目かわからない怒鳴り声を漏らした後に、言う。
「普通にな?! 魔術は痕跡が残るんだよ! どこの誰がどういう術を使ったのか、ってのが分かるのが魔術なんだ! 俺が炎を使ったら、そこで俺が何をしたのかがわかる。ちび餓鬼てめえが毒を使ったら、痕跡で誰だどういう毒を使ったのかが特定できるって言ってんだ」
「相手を知らなくても?」
「知らなくても識別できる」
「へん……」
「簡単に言えばな、酒場で同じ席に座るやつを、またあいつだって認識するのと似てる感じだ」
「ちょっとわかった……かも……」
ちび餓鬼は爪の先から染み出す毒の操作に四苦八苦しているが、匂いからして大した毒ではない。まだ。
魔術の器を広げちまったら、さぞかし化けちまうだろうがな……
楽しみなのか怖いのか、この俺様でもわからないあたりに、ちび餓鬼の成長の余地があると思うぜ。
そして教えて数日後。
「……今度は何日寝てたんだ」
少しばかり淀んだ空気の自室に、俺はぼやいた。
自動式日めくりが、ちび餓鬼の所で過ごした時間と同じだけの時の経過を、俺の目玉に知らせていた。
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