現在1
「あー、俺はどうなってやがった?」
「開口一番にそれですか、殿下も経験豊かになったようで」
「途中までは覚えてるぜ、たしかぶっ刺された」
「その通りですよ。殿下は腹部を刺されて致命傷で、ここまで運ばれてきましたからね」
いい迷惑だと言わんばかりの声で、馴染みの医者が言う。
そんな事言ったってな。刺した方がいけないだろう。
俺は女を平等に愛しているだけだってのに。
そんな俺の不満の顔に、医者が深々と溜息を吐く。
「本当にあなた、救いようがありませんよ……治療費はいつも通りあなたの財布から引き抜かせていただきましたからね」
「ぼったくり値段じゃねえだろうな」
「ご安心を」
医者が実にいい笑顔に変わって、言い始めた。
「臨床実験がまだだった、最新の治療法を試させていただきましたから、問題ありませんよ」
「おい俺は人体実験のモルモットか!」
噛みつく調子で言い返すと、医者がそれがどうした、みたいな面をしやがった。
「殿下、この前書いた借金を帳消しにする文書で、これ位の事には協力すると……」
「あー! わかったよ! くっそ忌々しいほど調子がいいぜ!」
俺は肩を回して、その肩の軽さにぼやいた。医者がにやにやとしている。
「これから一週間は経過を見ますからね。退院してもいいのですが、毎日医療院に来てくださいね」
「あーめんどうくせえな」
ぶつぶつ言いつつも、腹の傷はふさがっているわけだし、血が足りない等でめまいがするわけでもない。
まあいいことにして、俺は立ち上がった。
元々運ばれてきたわけだから、持ち物は本当に少ないわけだ。
その、着の身着のまま一歩手前の姿で、医療院を出て行けば、空が嫌に明るい。
その眩しさに目を細めてから、俺はあのちび餓鬼の事を考えた。
あれは俺の夢だったのだろうか。未来予知? んな馬鹿な。
俺はちび餓鬼の冷めきった表情だの、薬品の匂いが染みついた指だのを鮮明に覚えている。
あれは夢じゃない、と何かが強烈に訴えかけて来てんだ。
となると……?
俺は魂だけが、未来に飛んだって事か?
おいおい今回、どんだけ死に際だったんだよ。
息を一つ吐き出してから、いつも通りに愛人の誰かを捕まえようと、俺はそう言う道に足を進めた。
進めた足が数歩で止まる。
「……あれが未来だったら、俺の黒歴史は三百年も伝わったわけか……」
ぶるりと身を震わせる。冗談じゃねえよ。
俺の黒歴史なんぞ、そんなに長年伝わってたまるか。
そうならないようにするためには、どうしたらいい?
「……生活を改善するしかねえのか」
ぼやいた声は、俺にあるまじく自信のない調子で、なんかもうむしゃくしゃして、俺はその思いを忘れるために、愛人のディアナ……いつも俺を温かく迎えてくれる度量の広い女のもとに向かった。
「ごめんなさい、新しい恋人ができて……」
困り果てた顔のディアナを見て、俺は怒りの表情なんて浮かべない。
元々お互い、遊びの関係だったからな。ディアナに新しい男ができた事で、不貞をなじる俺じゃねえ。
「そうかい。そんじゃ、新しい恋人と仲良くやれよ。俺の前みたいに、ほかの女との刃傷沙汰になっちまった時、男殺されないようにしろよ」
「ええ」
ディアナとの出会いは、彼女ともう一人の女とで二股をかけていた恋人が殺され、そしてディアナも殺される寸前に、俺が介入したっていうのだ。
そうならない事を願う、と俺は格好いい男の調子で言ってやり、そこを後にする。
「あー。畜生」
ディアナの家から完全に離れてから、俺はぼやく。
甘い匂いのする肌のディアナって決めてたのにな。
ほかの女捕まらねぇかな、と俺はほかの場所に足を運ぼうとする。
しかし今日は、時間が悪いのかどの女も捕まらない。
そう言う日は、賭博場に足を運ぶんだが……
俺は賭博場の一歩手前の場所で、また足を止めた。
「……今日はやめてみるか」
これをきっかけに、生活を少しばかり改善した方がいいという、俺のかすかなまっとうな神経が、あの光景を見せたのかもしれない、と少しばかり思って、俺は賭博場から足を遠ざけた。
こういう日は、酒で誤魔化すしかない。
やってみるか、と俺は動き始めた。
きつい味の蒸留酒。それをいくらでも作れる氷でロックにし、舐めるように飲んでいく。
苦く甘く、そして鼻を突き抜ける酒精を感じながら、俺はあの夢の中のちび餓鬼を思った。
夢っていう物だと、普通相手の顔なんて忘れちまうらしい。
だが俺は、あのちびのすべてをよく覚えている。大粒のバイオレット、荒れ放題の茶髪。
そして全部冷めきったような眼差し。
荒れた肌と、割れた指先。
何もかもを覚えているあれが、夢だったとは何とも言い難い。
やっぱそうなると、あれは未来だったわけか。
「あー、忌々しい」
黒歴史が延々と伝わるなんざ、なんの冗談なんだよ。
俺はまた酒をあおり、酒瓶の口を刃物ですっぱり切り落とし、注いだ。
こういう口の開け方をすると、飲み干さなきゃならねえが、気にしない。
そのまま今度は、一気に酒瓶から酒をあおった。
その結果どうなったかって?
分かるだろ?
二日酔いだ。俺はすさまじく痛む、いつも通りの頭の痛みと吐き気に襲われながら、水を飲む。
この調子だと、今日はどっかに行く事もできやしないな。
俺は酒が抜けるのも早いが、昨日はいささか飲み過ぎた。
ごろりと上等の敷布に転がり、気休めで頭に氷嚢をあてがい、俺は目を閉じた。
それで目を閉じてしばらくすると、おそらくいつの間にか合いかぎを作っていた何者かが、玄関を開けて入ってきたのが分かった。
俺の家は、全てに俺の魔力と精神を張り巡らせてっから、誰がどこで何をしているのかは手にとるようにわかるのだ。
才能の無駄遣いと言われるが、これ位できない俺じゃねえんだよ。なめんな。
しかし俺はいま動きたくない。
だからそのまま、その侵入者が不審な真似をしたら、防犯用に仕込んでいた術式を炸裂する予定でいたのだが。
「デンドロビュウム殿下! 今日はあなたが兵士の訓練に来る日でしょう! いつまでも来ないと思ったら何をしているんですか!」
ぎゃあぎゃあとうるさい声が、寝室の扉を開けた途端に響き渡った。
ああうるせえ。
俺はとりあえずそれを黙らせるために、術式三番、沈黙を発動させた。
わめいていた声は途端に聞えなくなり、俺はまた目を閉ざす。
しかし、相手の対抗術が発動。
俺も一遍で相手が黙るとは思っていねえから、今度は多少身構える。
「あなたはそれでも将軍なのですか! 嘆かわしい! さあ支度をして城に登城してください!」
俺の寝台の敷布を引きはがし、憤懣やるかたないと言った調子で言ったのは、従兄である。
「あ? うるせえよ」
俺はまた沈黙を発動させようとしたが、従兄が俺を軽蔑した顔で見ている。
「そんなだらしのない生活態度だから、女に刺されるのです! もう少し酒も女も賭博も控えてくれれば、巷に広がる噂を鎮静化できるのに……!」
「おい今なんて言った」
俺は気力で起き上がり、問いかけた。
噂を鎮静化できるって言ったな?
従兄たるノーリスが、いきなり俺が食いついてきたから怪訝そうだが、頷く。
「ええ。あなたの行動は目に余るものがありますから、少しそれを抑えていただければ、噂を少々抑える事が出来ると言っているのです」
俺は素早く考えた。
この時代でも俺の噂がひどいから、三百年後まで残されているってのなら。
俺が多少この時代に、大人しくすれば、三百年後まで黒歴史だのなんだのは、伝わらないかもしれない。
「……善処してやる」
俺はうなるようにそう言った。
俺がそう言ったとたんに、ノーリスが俺の額に手をあてがった。
「殿下、知恵熱ですか……?」
取りあえず、失礼な事を言いやがるノーリスの頬を拳で殴りつけた。
「殿下は気が短いのがいけませんよ! どうして女性を口説く時の気の長さを、普段から発揮しないのですか!」
「てめえの知ったこっちゃねえだろう」
俺は仕事先の副官、ランゴバルトに裏拳を入れながら、俺の指揮下の元動く兵士たちの、調練を監督していた。
「そこ爪が甘い! 今は敵だ! 甘さを捨てろ!」
俺はぱっと見で甘くなっている攻撃を、吼える声で指摘する。ああ、調練のがんがんとする音が頭に響くから、苛々とするぜ。
賭博場のにぎやかな音が恋しい。
そして女の甘い肌のにおいと温かい体温が恋しい。
さっさと仕事終わらねえかな、と思うが、仕事を始めた以上責任をもって仕事を全うするくらいは俺だってできる。
そのため、調練の監督をし、攻撃の詰めが甘いだのどうせ味方だから殺されないと高をくくっている防御だのを罵倒する勢いで指摘していく。
そしてさらに、兵士たちをあおっていく。
「俺に言われんのが不満なら、俺に言われない位の気合いでどうにかしやがれ! 結局最後に残るのは体力と気力だ! 技術は二の次三の次だ! 根性見せろ!」
「あなたに言われるとなんだか本当の事のように聞こえますね」
「本当の事だ」
副官が、俺と反対側の調練の指示をしながらのんびりという。
ランゴバルト、何が言いたいのかはっきりしやがれ。
そんなに俺に言いたい事があるなら、俺に殴られる覚悟で進言してみろってんだ。
「いやですよ、あなたの拳痛いんですから」
「痛くなくてどうする。俺はこれでも戦う人間だ」
「ですよね。戦う人間じゃなかったらあなたはただの暴力男だ」
俺は何も言わずに、もう一遍ランゴバルトに裏拳を入れた。
どっか入りどころが悪かったのか、姓だにせき込んでいるが。
口は災いの物だぜ。
しかし俺は、いざ戦争のときだのなんだのの時、俺の意をくみ俺の背中になってくれるランゴバルトを気にいっている。
元々、俺が目をかけて拾い上げたのがランゴバルトだからな。
それまでこいつは、平民の兵士で、身分が平民の中でも下級だったから腐ってやがった。
こいつ使えるなと、目をかけて拾い上げた当時の俺の、目の良さをほめたたえたい。
そして鍛えぬいたランゴバルトは今や、誰も追随を許さない副官だ。
よく引き抜かれかけてるけどな、俺が渡すわけがない。
俺のもんだ。俺が育て上げた副官だ。
しょっぱなから有能な奴だと、有能になった一面しか見ないで引き抜く奴らに、俺の可愛い副官を渡してたまるかよ。
「そこ、防御がなってねえ! 後で走り込みだ!」
俺はまた怒鳴る。
ちなみに俺も乱戦状態で。
俺の調練は、俺も参加する本気の物だ。
そして俺に不満がある兵士たちは、ここぞとばかりに俺に襲い掛かってくるが、全部返り討ちだ。
魔法を使用しない、完全なる肉弾戦に慣れていれば。魔力切れの時でも戦えるからな。
俺の部隊はいつもこうだ。
脳筋集団と言われる事もあるが、ほかの隊よりも戦闘継続時間ははるかに長い。
その結果、表彰される兵士も多いのだ。
まあそんなのはさておいて。
俺は何度目になるかわからない、複数方向からの攻撃をはねのけ、怒鳴る。
「てめえら、俺に一太刀浴びせる気概があるんだったらもうちっと粘れ!!!」
「大将いつも通り過ぎてやばい!」
「くっそ昨日は馬鹿呑みしたってランゴバルト副官が言ったのに!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ根性があるのか。
それなら。
「てめえらあと一時間追加するぞ!」
「「「いやそれはやめてください」」」
そんな漫才のような事もしばしやった、これは俺の調練の時のお決まりの流れだ。
それを終わらせてから、休憩を取らせる。
基本俺の調練は、途中で物を腹に入れると吐くような物だから、ぶっ通しで何も休憩なんざとらない。
戦場で食事休憩なんかないからな。
色々周囲は、あなたはどれだけ戦場を仮定した戦い方を教えるんです、と突っ込むが。
調練ってのは、戦場で戦う事を仮定したやり方だろ。
俺が悪いわけじゃねえ。
そして調練が終わってぶっ倒れている奴らに水を被せて、熱が過剰な奴らの体を冷やし、適当に補佐をしてやる。
動けない奴らは担いだり小脇に抱えたりして、日陰に引きずっていく。
「大将なんだかんだ言いつつ面倒見がいい」
「くずだけどなー」
「くずのくせになー」
「くずのぶんざいでなー」
「てめえら、もう一遍やるか?」
「「「「すみませんもういいません」」」」
俺と兵士の間の距離は割合近い。
それはおそらく、俺が王族だが城に住居を持たず、下手すりゃその辺のゴミ捨て場で酔いつぶれているからだろう。
家に帰るはずなのに、何故だかゴミ捨て場で夜を明かす事もあるんだよな、俺。
そんな事をちらりと思いながら、俺はようやく覚えた空腹のために、兵士の食堂に顔を出して飯を食った。
仕事はこれで上がりだ。
誰の所に行くか。賭博場か。
ちらっとそんな事を思ったが、ノーリスの言葉を噛みしめる。
俺がもう少しおとなしければ、噂が下火になるというあれだ。
……やってみるしかねえ。
愛人はそう簡単に切れないが、新しい女を作らない所から始めりゃいいのか。
まるでわからねえな。
娼婦のガキとして放置されて餓鬼大将になり、裏道で名の知られた状態になった後から、実は王族の血を引いていると、王家に認知された俺は、まっとうな生き方なんて知らねえんだ。
俺の周囲の大人は裏道の人間で、飲む打つ買うの三拍子は当たり前だったからな。
賭博は三日で限界がきて、結局有り金を半分以上すった。三日も金がもった事が進歩だ。
今いる愛人たちのあいだを渡り歩き、全員と熱い夜を交わしたのは普通の事だしな。
しかし、周りからすれば俺は大人しくなり始めたらしい。
だが、その影響なのか酒の量が増えたからどうにもならねえな。
長年の習慣はなかなか治らねえってやつらしい。
俺は女の家から自宅に帰り、ごろりと寝台に寝転がった。
目を閉じる。意識が真っ暗に落ちていき、そして。
「……まじかよ」
目を覚ませば、ちび餓鬼の部屋で、ちび餓鬼の寝顔を眺めていた。
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