俺が俺の黒歴史を未来に伝えないための手段
家具付
始まり 未来?
あー、俺が誰かって? なんだよ、この俺様を知らないってのか?
この俺様、デンドロビュウム・カタストリオスを知らねえってのか? って事はあんた、このカルデラ国の人間じゃねえな? オレの名前を知らねえってのはそう言う事だろう?
まあまあそれはさておいて。
おれはちょっとばかり聞いてみたいんだが。
ここ一体どこなんだ?
俺の家じゃねえのは間違いがない。なんでかって言われたら答えは簡単だ、俺の家はこんなに貧乏ったらしい感じじゃねえ。
寝具も破れそうなものじゃねえしな。それにこの薄暗い黴臭いような空気と言ったらないぜ。
それとも俺はどこかの女と一夜をしゃれこんで、こんな場末に転がり込んだのか?
しばし周りを見回すんだが、俺は場所の特定ができない。
さっそく前日の記憶を思い出してみる。
たしか……愛人のエリザベートの所に行って、それからうっかり街でデートしてたら別の愛人のマルガリッタにそれが見つかったんだ。
そこから始まった痴情のもつれで……えーとマルガリッタがぶちぎれて刃物を振り回して、それでもって腹をぶっ刺されたあたりで記憶が途切れてんな。
まあそこら辺のよくある話だ。
なんといっても俺は見た目が素晴らしいからな。
女はいくらでも群がってくるんだよ。
そう言えば、刺されたのは今回で記念するべき百回目だ。
百回目ってのは、愛人に刺された回数な。
しょうがないだろ、俺は愛してくれる女たちを平等に愛してんだよ。
一人なんて決められないし、一人にしたらほかの女が涙にぬれるだろう?
だから百回も刺されているわけなんだが……
ここ医療院とも違う感じだしな……
もう一遍周囲を見回してみる。
そこで鏡を発見した。
さっそく俺は自分の状況を見るために、そこを覗き込み……
「なんじゃこりゃ……」
俺の姿を確認しようとして、出来なかった。
俺は鏡に映っていなかったのだ。
数拍遅れて叫びそうになるのは仕方がない。
しかし意思の力でそれを抑え込み、それから急いで自分の現状を確認する。
体に痛みやしびれはない。軽快に動く。
しかし得物の類が一切合切ねえ。
場所の特定もできない。
なんつう手詰まり、そして甘すぎる俺だ。
これはちょっとばかり脳内会議で俺に審判を下すべきだろう……それはさておき。
もう一遍周囲を見回してみる。
すると、俺が座り込んでいたはずの寝台に、丸まった背中を発見した。
体格からしてみれば、まだまだあどけない子供だろう。
おいおい、なんの冗談だ。
俺はそんな事を思いながら、寝台に近付く。
近付いて思ったのは、足音が立たないという事実だ。
俺は普段、がちゃがちゃと足音を立てて移動するんだが……
なんだかさっきから、とある可能性に気付きそうで目をそらしたい。
そんな事を思いながら、俺はその背中の持ち主を覗き込んだ。
「ほんとに餓鬼じゃねえか」
年頃は十一、二? 痩せこけた餓鬼だ。
男なのか女なのか、この状態では判断がつかない位の年頃だ。
がさがさとした肌といい、荒れた唇といい、ぼろきれのような敷布から覗く指先の荒れきった具合といい。
見た目で自分を売る、そう言う商売の女とは大違いだ。
「……誰だこれは」
俺は呟き、そして仕方なしに寝台に座り込んだ。
やっぱり、軋みそうなおんぼろの寝台の癖に、俺を乗せても軋みもしなかった。
それからいろいろ試してみたんだが。
俺は引き出しを開けたりする、そう言う芸当は出来ないらしかった。
座る事は出来る。しかし物は動かせない。
触れる事も出来ない。
……まあ、手がすり抜けんだよ。
「まじか……」
俺は小さくぼやいた。
これってあれじゃん。
俺、死んで幽霊になったとかそう言うやつじゃねえか。
「よしてくれよ……まだ口説いていない女がいるってのに」
ああ、素晴らしい曲線美のレイチェルを、まだ口説いてすらいないんだぜ……
なんて色々絶望していた矢先だ。
いつの間にやら日が昇り、そろそろ夜明け前だ。
そこで、あのちび餓鬼に動きがあった。
こんな早すぎる時間だというのに、ごそごそと動き出したのだ。
ぱたぱたと手が揺れて、それからしばしの沈黙の後、ひょいと起き上がる。
寝ぼけ眼は澄み渡るバイオレット、なんだ、結構綺麗な瞳をしているじゃねえの。
それがぼさぼさの艶なんてない、茶色の髪の奥で揺れている。
数回瞬きをしたちびは、左右に頭を振った。俺に気付いた様子はなし。
……物は試しだ。
「おい、ちび餓鬼」
俺は呼びかけてみた。呼びかけた途端に、ちび餓鬼がはっとこちらを向く。
そして目を丸く見開き、口が開く。
「ぎやあああああああああ!!!!」
俺はとっさに耳をふさいでいてよかった、と心底思った。
それ位、朝っぱらから騒々しい声だったわけである。
そしてしばし後に、隣の部屋との壁が叩かれ、だみ声がうるさいぞ、舌を切り落とすぞ、と恫喝してきた。
その間にちび餓鬼は三回ほど刃物や鋏を投げつけてきたわけだが、俺の体は見事にそれをすり抜けた。
そこでちび餓鬼もはっとしたらしい。
「おい、気は済んだかよ」
「ゆ、ゆうれい……」
「おい、恐ろしい事言ってんじゃねえよ! 俺は認めてねえからな!」
俺はまだ死んでない! と無駄になりそうな主張をしてみる。
しかしちび餓鬼も大したもので、息を一つ吐き出して問いかけてきた。
「えっと……あの、帰らないんですか」
「出来たらやってるに決まってんだろ」
「え?」
「さっきから試したんだけどな、ここから出られねえんだよ」
そう。
体が通り抜けてしまうなら、外に出るのもたやすいと思ったんだが、何の縛りがあるのか俺は、ここから抜け出せなかったわけだ。
「……人の家に勝手に……」
「何言ってんだよ、ここはありがたく俺を拝め」
「幽霊なんて拝んでもご利益がない……」
「うっ……」
ずけずけと物を言うちび餓鬼だなこいつは!
なんて思ったが、ちび餓鬼は目をこすった後にこう言った。
「まあ、いっか……」
まあいっかで済ますのか。おいおい。
俺は済ませないぞ、細かいなんて言うなよ、自分が幽霊になったなんて考えたくねえからな。
俺の存在をそれですませちまったちび餓鬼は、ごそごそと扉付きの箱から燻製肉の切れ端と卵を取り出した。
何なんだその扉付きの箱。
「おい、ちび」
「……ちびじゃない」
「その箱なんだ」
「……幽霊は冷却箱を知らないんだ……」
「冷却箱? どんな術式を使ってんだ?」
恒常的に冷やす箱なんて、一体どんな永久型の術式を使ってんのか、興味がわいたんだが。
「知らない」
ちび餓鬼の答えはそっけないものだった。
「知らないってそんなわけないだろう」
普通知ってんだろ? 壊れた時だの、術式が劣化した時だの、修理するために。
「この部屋に備え付けの型落ちのやつで、平民なんかは術式なんてものは理解できないから」
使えるだけでいい、と淡々とした調子でいうちび餓鬼はどっか、冷めていた。
おいまてや。
「平民だから術式が理解できないってなんだそれ」
魔術大国たるカルデラの平民だったら、基礎魔法の理論くらいは平民だったら知ってんだろう。
奴隷だったら知らないだろうが。カルデラに奴隷はいない。
「カルデラの餓鬼だったら基礎魔法位知ってんだろ」
「……何言ってんの。知るわけがない。魔法は貴族様の特権」
燻製肉の切れ端と卵を炒め、おひつに入った夕べの米の上に豪快に乗せたちび餓鬼が、それをちまい卓に乗せて、スプーンですくって食べながら言う。
「平民は魔法なんて触りもしないのに」
「……おい、ちび餓鬼。今何年だ」
俺はなんだか、異様にまずい事になった気がして問いかけた。
「幽霊は時間の概念がないんだ……今はオーブ歴1900年。14月の15日」
俺は、あるのならば血の気が引いていく気がした。
何で血の気が引くのかって言われたら、答えは簡単だ。
俺が暮らしていたのは、オーブ歴1600年なんだよ。
つまり。
俺は未来に来ていたのだ。
騙されているとか、担がれているとか、そういう感覚はない。
俺は第六感が働く人種であり、基本的にだまされないんだ。
だからといって賭け事で馬鹿勝ちができるわけでもねえが……
「……幽霊は何年ごろに生きていたの」
「うるせえ、まだ死んだって決まったわけじゃねえよ!」
わめいて見せる。ちび餓鬼は食べ終わったらすぐさま食器を洗い、一張羅らしき、壁に掛けられた服を着始める。
あー。うー。
唸った俺だが、これが夢だと思えないのはちび餓鬼が妙なくらい現実的だからだ。
……俺本当に、死んで幽霊になったんか。
だったらなんで、美人の姉ちゃんの住居でも何でもなくて、こんなちび餓鬼の所に化けて出てきちまったんか……
色々思ったが、ちび餓鬼はざっと櫛で髪を整えて、部屋を出て行こうとする。
俺を置いていくらしいと思った矢先だ。
ぐい。
「うぉっ!」
俺はぐいと引っ張られる感覚のまま、ちび餓鬼の脇に立っていた。
「わっ!」
ちび餓鬼にとっても突如の事だったらしく、ちび餓鬼は目を真ん丸に開いてびっくりしてやがる。
無駄にでっかいバイオレットが、瞬きもしないで俺を見ていた。
「なんでついてくるの……」
「知らねえよ! てめえが何かしてんじゃねえのか、ちび!」
「してない!」
噛みつく調子で言い切ったちび餓鬼だったが、俺を上から下まで眺めて、こんな事を言った。
「僕にとりついてるとか……? いったいどこの墓場でこんな幽霊を拾ってきたんだろう、僕は」
「おい、ずいぶんひでえな!」
何なんだよお前の仕事!
突っ込んだ俺を見て、ちび餓鬼は目を瞬かせてからこう言った。
「見れば……わかる」
「胸糞わるい仕事してんな」
俺はちびの仕事を見ながら、そんな事を言った。
その仕事場に行くまでの間に、いくつか試したんだが、俺はちび餓鬼から20メートル以上は離れられない事が判明した。
それ以上離れると強制的に、ちび餓鬼の真横に戻ってきちまう。
五回も六回も試せば距離はわかる。
そして通りを歩けば、ここが俺のいた時代よりもはるかに……未来だと分かる。
俺の時代には、大通りだろうが何だろうが、魔術式の街灯なんてものは存在しなかった。
通り道に、歩道と車道の区別なんてなかったわけだ。
そう言ういくつかの記憶との違いは、かなり決定的な物がある。
それと、通りを歩く女たちの衣装の違いだな。
本気で未来に来たんだと思ってるわけだが、やっぱり俺はちび餓鬼以外には見えていないらしかった。
通りで、それはもういい女に声をかけようが何しようが、きれいに無視されたのだ。
無視なんてものじゃねえ。俺なんていない状態だ。
俺が声をかけて、顔を赤らめなかった女なんて人生で一度もいなかったというにに。
えらい屈辱だ。
まあそんな道中の後に到着した仕事場は……墓場だった。
こいつ葬儀にかかわってんのかよ……餓鬼なのに……と思わないでもないが。
ちびの仕事はその中でも、特に胸糞わるい仕事だった。
……ちび餓鬼の仕事は、死体を綺麗にする仕事だったんだ。
切り刻まれた亡骸を縫い合わせたりな。
水死体でむくんだ体を包帯で巻いて押さえて、死に装束を着せたりな。
惨殺死体の被害者が、最後身内と別れを告げるために、まともな姿になるための、準備をしていたわけだ。
餓鬼がする仕事じゃねえ、と思った。
死臭の漂う、一歩間違えば仕事してるちび餓鬼の方もその匂いが染みつきそうな仕事だ。
それをちび餓鬼は、文句も何も言わないでやってるわけだ。
そして、大人たちはちび餓鬼が泣き言の一つも言わないから、どんどん凄惨な亡骸を任せていく。
そして、ちび餓鬼がそれをしたなんて、依頼主には気付かせないで、いかにも自分たちが整えましたという姿でいる。
ちび餓鬼に、お礼を言う奴はいない。
そしてちび餓鬼は、葬儀を遠くで見つめている。
そのまなざしはどこか遠くを見るようだった。
だから俺は、言ったんだ。
「胸糞わるい仕事してんな」
と。
しかしちびは目を瞬かせて答える。
「必要な仕事だから……誰かがやらなくちゃいけない事だから」
お金はちゃんともらえるのだから、と言ったちび餓鬼は割り切った調子だった。
「たとえその人が生前どんな人でも……かの悪名高き紅蓮眼みたいな人でも、身内にとってみれば家族だから」
俺は目を瞬かせた。紅蓮眼。聞き覚えがないわけがない。
だってそれは、俺の異名なのだから。
「紅蓮眼が悪名高いってどういう事だ?」
本日何体目なのか、わかりゃしないほど屍体を整えているちび餓鬼の背中に問いかける。
ちなみに俺は、作業台の上に座ってんだがな、高さがちょうどいいんだ。
「……幽霊は記憶もあいまいなんだ……紅蓮眼は、最低最悪の英傑。飲む打つ買うの三拍子で、一晩で酒場と賭博場を三つ潰したとか、娼館の女性を皆夢中にさせて刃傷沙汰とか、お金が無くなると従兄の公爵にたかりに行ったとか、人助けと称して金品巻き上げたとか……」
ちび餓鬼が言う事の半分が、身に覚えがある。確かに酒場は潰したな。そして従兄に金をたかりに行くのも日常だ。チンピラに襲われた奴を助けて、手間賃を巻き上げたのも事実だ……
何だよ、俺のやった事三百年後も、覚えられてんのかよ。
「それから、戦場で顔から出せる物皆出して命乞いしてる、相手の大将を高笑いしながら踏みつけて鞭で打ったとか、決め台詞が天と地と人が見ていなくとも、この俺様が全部見てるんだぜぎゃはははは! だったとか……酔っぱらいながら反乱軍相手に呪いのような声で歌って戦闘不能状態に持って行ったとか……」
俺の唇が引きつった。
なんだそれ、身に覚えがあるようなないような奴ばっかりだ。
そして俺の忘れたい黒歴史だ。
何なんだいったい……俺……
俺は真っ白になりそうになりつつ、何とか意地と根性で自制心を保ち、ただ顔を覆った。
その後もいくつか、忘れてしまいたい黒歴史の数々を羅列された俺の気分を、理解してほしい。
本当にもう、燃え尽きたいくらいだ……
しかちちび餓鬼は、死体相手の仕事のせいなのか、話し相手がいるのがうれしいのか、色々披露してくれたぜ、俺の黒歴史。
……まあ、やった事は覆せない。俺は真人間とは言い難い人生だったからな。
そして数日、俺はちび餓鬼と一緒にいた。風呂は滅多に入らないというちび餓鬼の手は、死体を保つ薬品で荒れているし、鼻を近づけるとその薬品のにおいが染みついていた。
そしてその匂いは周囲にもわかるらしく、ちび餓鬼は腫れものを扱うような態度をされまくっていた。
本人が一向に気にしていなかったんだがな。
その代わりに俺は、ちび餓鬼が眠るまでの間にいくつかの、寝物語を話してやった。
女も買えない、賭博場にも行けない、酒も飲めないとなるともう、ちび餓鬼をかまうほかなかっただけなんだがな。
そして何度目かの夜、目を覚ますと。
「殿下、お目覚めですか」
「……は?」
俺は見慣れた病室の天井を眺めていた。
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