1-29 機械仕掛け

 機械仕掛け


「か――」

った。

 そう、マモンという絶望の悪魔を打ち倒した喜びによって心臓から足先まで例外なく震わせる感動を言葉にしようと動いた咽頭は、動作半ばで力尽き、たった一音を発させたのみにとどまらせる。そのまま、剣を支えとしていた身体は僅かに傾き始め、支えを中心に回転するように倒れる。

 ――膝で衝撃の吸収を、腕を前に出して頭を。

 そんな思考の存在を確認できないまま、徐々に接近する砂の床に伏せる。

「死にたくない」

そんな生存本能で、呼吸だけを望んだ首が勝手に横を向いてくれたことが非常に生きている感覚すら与えてくれる。

 その感覚とは逆に、全身が冷えるように熱が引いていく感覚。

 それはどうやら、朦朧とした意識の離れの兆候であった。


 次に目を覚ました時、眼前を覆うようにエリスの顔がいっぱいに広がっていたことは、自身が気絶していたという事実を掻き消すには十分だった。

「フィル! よかった……目を覚ました」

 涙が目頭から鼻へ伝い、フィルの顔へと垂れていく。

「マモンはもういないんだ、死ぬわけないだろ……?」

 マモンと戦えば、四人全員が空からの光景を望まされる可能性もあった。しかし、もし一人でもかけていたら最後の戦い方はできなかっただろう。四人とも同時に死ぬか、同時に生きるかしかの選択肢しかなかったのだ。

「違う……!」

「私はあそこで魔素玉をあげるべきじゃなかった」

「……どうして?」

「短期間に魔素玉を一つ以上消費するのは身体に相当の負担をかけることになる。そうわかってたのに……」

「そもそも。ディセクタム・ドラゴンの時に魔素玉を丸まる一つ使ったのは明らかに過剰なんだよ」

 エリスが切った言葉の続きを代わりに述べるエア。

「エアは知ってたのか」

 首を横に振る。

「ここに来るまでの間、ずっと言ってたんだよ。このまま魔素が身体を食い尽くして目を覚まさなかったら、って」

 口を開き、声を掛けようとしても発すべきものは見えてこず、複数回顔を縦に振りながら元の真一文字に結びなおすしかなかった。 

「気にすることじゃないだろって言ってるんだがな。そうしないと倒せなかったんだ」

「そうだな。間違いないよ」

 フィルはエリスの顔を覗き込み返すと、

「あそこでエリスの機転が無かったら俺たちは全員マモンの餌食だったんだから」

 正直どう声をかけていいかわからない。自分が無理をして倒していれば、他人を苦しめることにはならなかったと思っていることも可能性の一つにある。それほどにやさしい。過度なまでに。

「だから気にすることないんだよ」

 そう発して身体を起こそうとすると、

「いったたた……」

 身体が重く、無数の傷口を常に圧迫されるようにひりつく痛みが感じられる。

「すまんフィル。お前をあの建物からここに連れてくるまでに二回落した」

 神経を摩耗している感覚すら知らせる痛みから漏れた一言に、被せるようにして発した、状況を明るくしようとしたのであろうステインの一言。

「酷いな……けが人だぞ?」

「おいおい、俺が怪我してないとでもいうんじゃないだろうな?」

 そんな冗談に付き合って、頬を引き上げて二人で笑うと、信頼関係の構築も叶い始めたのではないかと思う。

「まあ冗談だよ。本当は一回だけだから」

 前言撤回。

「フィルが寝てる間、ここに来るまで結構運んだんだからね? ちょっとくらい感謝してほしいくらい」

「はいはい、ありがとうありがとう」

 息をふーと一つ吐いて、どこか得意げに、しかし不満げでもある表情を見せるエア。

 そう三人と、一言二言の会話を終えてようやく気付く。

「……ここ?」

 ここはどこだ。見覚えのない洞窟空間。

「あのあと、マモンの魔力が切れたからか最初にマモンが老人だった時の竪穴に戻されたの。そこには新しく道が一本だけできてたから、その道を進んできた」

 エリスの声が響く。共鳴し増幅し、垂れる水音が立てるぴとんという朝夕絶えない一定のリズムを刻む環境音も相まって、鼓膜を心地よく揺らす。

 しかし、その中に不自然な甲高い音。

 金属音であることは間違いないであろう。擦れるような金属音は岩壁を震わせるほどに低音を持ち合わせ、傷や綻びからか一定ではない音を立てている。そしてそれらの音は最終的に、

「ガシュッ」

と、最大の音を知らせた後に再び動き出すという機械的に厳密な動きをしているようだった。

 そしてそれは、鮮やかな原色の赤を漏らしていることも、天面のみを視界に収めるフィルでもわかる。

「それじゃあ……この音が……」

「うん」

 エリスは頷く。そして一人、その発光源を見る。

「そうだ、俺たちが目指していた、『アイギスの匣』だよ」

 ステインは誇らしげに、やはりその発光源を眺めた。

 だからこそ、そのアイギスの匣をこの目で見たくなる。

 音だけではなく、マモンを踏破した末に得られる光景をこの目で仔細までみようと、軋む腕を支えにして身体を起こす。

「……」

無言で手を差し伸べ、背中を支えたエリスに届くほどに小さな声で、

「ありがとう、エリス」

 そう声をかけ、鈍痛から意識を遠ざけるべく口の中を噛みながら胡坐をかく体勢にまで持ち越した。

 そこには目の奥が厚くなるような神秘的な光景が広がっていた。

 湿気てダークな色味をより濃とした坑内志保の先。そこには坑道然とした現空間と対比して、さながら異空間へと繋がる扉を潜るように急激に広さを得る。その広大な地下空間の中で、ただ唯一目を引くもの。

 岩を抉る水滴。その源は、天面から伸びる、白く、球が幾つも連なるような鍾乳石。

 直下には深さの知れない水海をもつ水面が広がる。どれだけ透き通っていようとも、どれだけ光があろうとも、それらすべての要素を吸収する黒が水底から湧き上がり、反射し、底知れぬ恐怖と化して見たものを襲う。

「こんなところがこの世界に……」

 曇りばかりを知れば、神秘的な世界を知ることは今までなかったのだ。フィルは信じられないと首を横に振りつつ、浅い息をするばかり。停滞する風はとても冷たく、音とともに揺らされるような感覚を脳に与えられる。気付けば、背中を押されたかのように背筋を伸ばし、空間に圧倒されていた。

 それら二つの幻想的な中間に、異質な金属塊が存在する。

「――匣……?」

には見えない物体。

 まるでからくり箱のように、立方体で、複雑に絡み合った正円に楕円に球な形をした歯車。その歯車が擦れるように常時稼働し続けている。

 その中央部から漏れだす赤。鮮血よりも強い赤が歯車の動きに合わせて揺れる。

 ただ純粋な太陽光のみが差し込んでいれば、青と黒、もしくは波紋が生み出す眩い煌きの輪を見られたのであろうが、光源がその赤でしかないために禍々しさがひと際網膜を焼くに痛いものである。

「フィルが匣を封印して」

 背後からエリスにぼそりと呟かれる。

「そうだそうだ。今回マモンに止めを刺したのはお前だからな、勝利の立役者にいいところを持って行ってもらわないと」

「本音は?」

「本音だからァ! 別にどうやって封印するのかわからないとかじゃないからァ!」

 エリスは、そんなステインの嘆きを右から左へと受け流し、フィルの腕を持ち上げると自らの肩に掴まらせ立ち上がらせた。

「いいのか? 俺が封印を――」

「いいからいいから!」

 背中を押されながらゆっくりと匣に接近していく。立ち上がるのもやっと、バランスを保つこともやっと。帰り道はまた運んでもらわないといけないな、などと考えながらも懸命に足を動かす。

 徐々に深くなる孔に溜まる水に足を触れると、それは靴越しですら冷たさを感じるほどに温度が無い。

 みるみるうちに体温が奪われるであろう液体に、膝下まで浸かったところでようやく匣に辿り着く。近づいてみると、直視することはできないほどの閃光である。

「やっと一つ目だ」

 思えば、ステイン、エアと出会ってから狼を倒し、エリスと出会ってからバロールにドラゴンに、遂には匣の守護者であるマモンをも倒し。どの戦いでも死にかけるという危ない橋を渡り続けここに立っている。

 ――ここまで一緒に来てくれてありがとう。

 どこか力づくで、引き擦り出すように無理やりであったやり方で、そう声をかけてしまうとどこか別れ際な様子が浮かび、気が引けた。だから、

「もう大丈夫だよ、エリス」

 幸か不幸かあまりにも冷たい水のおかげで足の感覚も覚束なくなり、痛みがやわらげられてきたようである。そのためしっかりと二足で立ち、エリスの肩から腕を下す。

「でも……」

 心配そうにこちらの顔を覗き込むエリス。

「エリスも手を出して」

 ――エリスが居なければここまでくることはできなかったから。

「ん」

 フィルは先に手を匣に翳すようにしてエリスを見つめ、手が差し出されるのを待つ。

 数秒の間の後、鼻で息を漏らすように笑ったかと思えば、口端を上げ、えくぼを作り、

「ん」

と発して、真っすぐに匣を望んで手を差し出した。

「いくよ」

 エリスは無言でうなずくと、肩を近づけ腕を寄せる。トンと勢いで小指が触れたことを合図に、手を伸ばして無機質で不祥な機械仕掛けの匣に指先を触れた。

 その瞬間。

「ガンガンガンッ」

と連鎖するような金属音と共に歯車は回転数を上げる。それはどこか、内部から強制的な力が加わったことによる歯車と歯車が衝突し暴走するよう。

 しかし、その歯車の衝撃音は間隔を狭め、終に一つの音が音としての主張を無くしたころ。

「光が……!」

 気付けば漏れ出す赤い光が淡くなっている。絶対量が少なくなり、辺りを徐々に暗闇が埋めていく。

 それはつまり、歯車と歯車が密になっているということ。

 そして、高速に回転していた匣は瞬時に動きを停止した。

「……一つ目、封印」

 刹那的にすべての光が消え去り、水滴の音と暗闇が四人を襲ったが、視界は封印がなされたアイギスの匣が発する水色の淡い光によって取り戻された。

「やっ――」

 一歩の水音。

「たあー!」

 背後からエアが飛びつく。

「うおっ!?」

「よかったあ。私たちが初めてだよ! 世界で初めて封印しちゃったんだよ!」

「……そうだな」

「歴史作っちまったんだぞ? もう少し喜べよ」

「死ななくてよかったってしみじみしてるんだよ」

 首を傾げて同意を求めるように言葉を続ける。

「まだ六つある。当然――」

「当然……封印しに行くよ」

 そう、エリスは力強く発した。

 思わず、口を半開きで驚くような表情を見せてしまった。

「なに」

「何でもないですよ!」

 胸を撫で下ろすような思いだ。

「また情報収集から始めないといけないのか……」

「どっかのお城に行けば教えてくれるかもよ? だって初めて封印しちゃったんだから!」

「それもそうだな!」

「とりあえず外に出よう? 地下に落とされてから大変だったからさ。平和なところで一休みしたいんだ」

「賛成」

 会話を重ねる四人の背後で完全に静止した、マモンが守護した一つ目のアイギスの匣。

 青く発光するそれは、鍾乳石から垂れる水滴を浴びて、屈折させた光を散らす。

 長きの封印から放たれ、魔物をこの世に吐き出し続けた悪魔の匣は今ここに封印された。

 

 厄災の匣は残り六つ。

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アイギスの匣 すくあ @square_la

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