カレー
みんな大好きカレーライス。日本の国民食とさえ言われている。ヴァリエーションも非常に多い。明治時代に紹介されたイギリス式のカレーが日本人お得意の魔改造によって変化したものだ。
我らがラノベ主人公たちのうち、カレーに挑戦する猛者はどのくらいいるのだろうか。たしかに中世ヨーロッパ風異世界だと難易度が高いように感じられるかも知れない。が、ちょっと工夫すれば存外説得力のあるシーンも書けるんじゃないかと僕は思っている。
とりあえず、一般的なラノベ読者のイメージするであろうカレーの作り方から見ていこう。
現代のカレーの基本的な作り方は、一口大に切った豚肉を炒める。適当な大きさに切ったじゃがいも、にんじん、玉ねぎを加えてブイヨンで煮る。材料にあらかた火が通ったらカレールウを加えてさらに煮込む。白飯にかけて、または添えて供する。
カレールウは固形のものを使うのが簡単だが、カレー粉から作るひとも少なくないだろう。鍋にバターを溶かし、小麦粉とカレー粉を焦がさないようにじっくり炒める。
こんなところだろうか。異論は認める。家庭ごとに、あるいは作り手ごとに独創性が発揮されるものだろうし、こだわりも多いだろう。ここでは論旨の都合上、あくまでも現代日本のカレーについてひとつの典型を確認しているに過ぎない。
さて、日本語の文献でカレーは明治5年刊『西洋料理指南』が初出だ。この本のカレーレシピの大意は…
「葱、生姜、にんにくを細かく刻み、バターで炒める。水を加え、鶏、海老、鯛、牡蠣、赤蛙などの具材を入れてよく煮る。カレー粉を加えてさらに煮込み、塩で味を調え、水溶き小麦粉を加えて仕上げる」
赤蛙の語が目をひくが、食文化史的にいうと、このレシピで注目すべきはそこではない。ポイントはふたつ。カレー粉を用いることと、ルウを作っていないことだ。
もうひとつ、このレシピそのものでは使うとされていないが、この本ではチャツネに言及している。カレーにコクと味の深みを与えるといわれるチャツネである。あっさりと、インドのもので、輸入品を使うべし、とも書いてある。
それはともかく、カレー粉を炒めず、ルウを作らないという点。明治29年の『西洋料理法』でも水溶き小麦粉を最後に入れてとろみを付けているから、この方式がポピュラーだったのだろう。
ソースのとろみ付けにルウを使うのはそもそも近代フランス料理の技法だ。ルウという言葉自体、「赤茶色」を意味するフランス語
煮汁やソースのとろみ付けに小麦粉を使うのが一般化するのは17世紀のこと。それ以前はパンを用いることがほとんどで、卵黄を使うこともあった。注意したいのは、煮汁にパンのかけらがぷかぷか浮いているようなことはほぼあり得なかったということ。とろみ付けに用いるパンは、ワインかベルジュでふやかしてから鉢でよくすり潰し、さらに布で漉して煮汁に加えた。ラノベなどではふやけたクルトンのように、煮汁にパンが浮かんでいるイメージが書かれていることもあるようだが、これは中世におけるスープというものについての誤解が原因だろう。スープとは、水で薄めてしばしば砂糖などで味付けしたワインに浸したパンそのものあるいはそうやって食べること、というのがもともとの意味。
カレー粉については、仮名垣魯文の『西洋料理通』でも言及されている。
カレーの故郷ともいうべきインドにマサラはあってもカレー粉はなかったとよく言われる。カレー粉というお手軽便利なミックススパイスは18世紀以降のイギリスで発明されたものだ。日本では、明治〜昭和初期にかけてイギリスC&B社のカレー粉が好んで使われていたという。
言うまでもなく、リアル中世ヨーロッパにカレーはもとよりカレー粉はなかった。が、重要な事実を忘れてはいけない。中世ヨーロッパで香辛料が高級食材としてとても好まれたということを。
タイユヴァンに鶏のコミネという料理がある。コミネというのはクミンを効かせた煮込みの名称だ。ワインを加えた湯で丸鶏を茹でる。これを四つ割りにし、ラードを熱した鍋で焼く。ワイン少々とブイヨンを注ぎ、煮立てる。生姜とクミン少々をワインとヴェルジュ(未成熟ぶどうの果汁)でのばす。たっぷりの卵黄を溶き、鍋を火から外して、混ぜながら卵黄を少しずつ加えて仕上げる。
あるいは、シナモンのブルーエという料理。ワインを加えた湯で鶏を茹でる。これを四つ割りにし、油脂で炒める。ローストしたアーモンドとシナモンを鉢ですり潰し、牛のブイヨンでのばす。これを鍋に注ぎ、ヴェルジュ、クローブ、マニゲット(ギニアショウガ。ショウガ科の植物だが香辛料としては種子を利用する)を加えて煮詰める。
このような香辛料を多用する料理がじつにたくさんあるのだ。タイユヴァンでも『ル・メナジエ・ド・パリ』でも、
もっとも、中世の料理書は分量の記載がほとんどないから、どの程度スパイシーだったかは作り手次第、食べ手の好み次第ということは否めない。ただ、『ル・メナジエ・ド・パリ』には、香辛料を加えるのは調理の最後の段階にしないと風味が悪くなってしまうと書いてあるから、スパイシー嗜好はなかなかのものだったのだろうと想像される。
ネット上でたまに、中世料理で香辛料が多用されたのは傷んだ食材の風味をごまかすため、などという、悪意に満ちているんじゃないかと思うような言説を見かけることがある。食品衛生など概念すらなかったし、冷蔵庫もなかったのは事実だが、だからといって、腐りかけの食材を無理矢理食べるために香辛料を使ったなどということはあるまい。そもそも、腐りかけのものさえ食べざるを得ないくらい困窮している者に香辛料は高価で手が出せるわけないのだから。
香辛料が多用されたのは、そういう味が好みだったからだろうと僕は考えている。
なお、このスパイシー嗜好は17世紀の料理書になるとすっかりおとなしくなってしまう。スパイスもハーブも使うのだが、料理の名前にそれを挙げるようなこともなく、脇役というか縁の下の力持ちというか、重要だけれども目立たない位置付けになる。
中世フランス料理で使われた香辛料、香草を思いつくままに列挙すると…
胡椒、ナツメグ、シナモン、クローブ、クミン、コリアンダー、生姜、にんにく、セージ、サフランなどなど。
クミン、カルダモン、シナモン、クローブ、ローレル、オールスパイス、コリアンダー、ガーリック、ターメリック、唐辛子、生姜、胡椒。
このうち、唐辛子とオールスパイスは南アメリカ原産だからヨーロッパで広まるのは16、17世紀以降というのはわかるだろう。それから、ターメリックも見かけた記憶がない。だがそれ以外のスパイスは中世の料理書に出てくる。
そのようなわけで、ラノベ主人公たちは中世風異世界でカレーを作ることに自重する必要もないだろう。
おっと、リアルなら中世だろうと現代だろうと、唐辛子の辛さを効かせるのはやめたほうがいい。そういう味覚、食文化なのだ。
最後に、日本のカレーは白飯にかけて食べるが、ヨーロッパでコメは豆類に準じた野菜の扱いで、料理素材のひとつに過ぎない。でも中世には普通にあった。『ル・メナジエ・ド・パリ』では香辛料商で買うと記されている。
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