夜明け前

一花カナウ・ただふみ

夜明け前

 とても退屈な夜だった。

 俺、こと、ミナギタイスケはイヴの夜なのに一人で仕事をしていた。

 コンビニの夜勤の仕事は俺にとって好きな仕事であったが、時々虚しくなる瞬間というものがある。こういうイベントごとのある夜にどういう訳か入ってしまうのだ(年越しもコンビニにつめることになっている。あぁ、年中無休二十四時間営業)。

 とりわけ彼女がいるわけでもなく、一人もんの友人とつるんでパーティなんて事もないので、店長に頼まれても断りきれない。

 はじめは一人で家にいるよりも接客していた方が気が楽かと考えたが、カップルばかり来店するものだからそれなりに嫉妬する。

 しかし、好きな女の子がいるわけではないが、気になる子はいた。もし仕事明けまでに逢えたら、少しは会話を試みようかと思う。そのころはきっと、クリスマスになっているだろう。

 店長が先にあがって、いよいよ一人でクリスマスを迎える。仕事のノルマで買わされたケーキの処分先を考えながら、彼女が来ないかと待つ。来なかったらそれはそれで諦めようと思うが、何となく、来てくれるような気がした。そのくらいの運の良さならサンタクロースも運んできてくれるだろう。それを生かすか殺すかは受け取った本人次第だ。

 彼女はこの近所に住んでいる高校三年生らしい。俺自身もこの近所に住んでいるので、制服姿の彼女を何度か見かけたことがある。

 初めて出会ったのは去年の今頃。夜勤に入ってすぐの二十三時頃、私服姿で缶コーヒーを買っていくのを何度か相手をしているうちに興味を持った。どうやら受験勉強らしいと気付いたのは夏になってからだ。この近所では有名らしい予備校のロゴ入りの冊子を片手にやって来たことがあり、それで判断した。俺はこの土地の人間じゃないから制服を見て何処の学校の生徒かまではわからなかったし、調べりゃわかる事だが、そこまでする意味を感じられなかった。

 ストーカーになるつもりはさらさらない。


 * * * * *


 若いカップルの客からスポーツ新聞を買い求める客に変わった五時過ぎ、彼女が現れた。どうやらサンタクロースは実在するようだ。

 彼女の頬は寒さの所為かとても赤い。色白の肌のおかげで、それがよりはっきりと見えた。

 いつもなら缶コーヒーを一本買ってすぐに出て行ってしまうのだが、今日は雑誌コーナーの辺りでファッション雑誌をめくっている。こんなことは初めてだ。めずらしいと言えば、今日はミニリュックを背負っている。缶コーヒーだけを買いに来るから、普段は荷物などいらないわけだ。

 不審がって視線を送っていると、別の客から「ちょっと」と声がかかる。レジに人が列んでいた。

「すみません、お待たせ致しました」と、営業文句を言って会計をする。

 仕事はきちんとやらなければ。

 お客が一度途切れた。店内には彼女一人。

 気分転換だろうか。受験を経験したので言えることだが、確かに気持ちを切り替えたくて出掛けることはある。滅入ってしまうし、体に悪い。

 でも俺は、その気分転換がコーヒーを買いに行くことで成り立っているのだろうと思っていた。もしかしたら習慣づいてしまったがために効果が薄れてしまったのかもしれない。

 俺はそこまで考えると、暇なので店内にモップをかけることにした。

 一般的な広さの四角い店内にモップをかけることは造作ないことだ。外は晴れているのでとりわけ汚れているわけでもないし。センスのないBGMにうんざりしながらも、彼女の辺りまでやってくる。

 さて、どうするか。

 取り敢えず様子を窺う。大抵足音を立てて掃除をはじめると、客は自然と道を開けてくれるものだが、さてはて。

 数秒の後、彼女は雑誌をぱたりと閉じると元にあった場所に丁寧に戻し、すっと振り向いた。セミロングの下ろした髪がふわりと半円を描く。目が合うとにっこりと笑んだ。

「変なこと、お尋ねしてもよろしいですか?」

 彼女の声は高くて可愛らしいものだった。

「えぇ、答えられる範囲なら」

 何だろう、と思う。

 向こうから声を掛けてくるなんて全く予期していなかったものだからドキドキしている。でも、生まれつきのポーカーフェイスである俺は赤くなどなっていないだろう。おそらく営業スマイルを持続しているはずだ。

「占いは信じる方ですか?」

 からかう様子は微塵もなく、真剣らしかった。

「へ?」

 いきなりの何の脈絡もない(否、彼女にはあるのかも知れない)問いに、思わずきょとんとする。間抜けな顔をしてしまったかも、と思う。

「うーんと、俺はどちらかというと信じませんね」

 質問の内容を理解し、返事をする。

 すると彼女は、あぁやっぱり、という顔をする。

「あの、それが何か?」

 彼女は俺が考えていたよりもずっと不思議少女のようだ。

「クリスマスですからね」

「はい?」

 答えになってない。

 彼女はリュックを下ろすと、中からハガキサイズの紙を取り出した。

「良かったらこのあと、ここに来ていただけませんか?お話ししたいことがあるんです」

 すっかり彼女のペースだ。

「えっと……」

「先約がありますか?」

「……特にはありませんけど」

 俺が曖昧に答えると彼女はにっこりと嬉しそうに笑んだ。

「じゃあ必ず来てください」

 さりげなく、地図を受け取った俺の手を彼女の両手が包んだ。表情には出さないが、かなり俺はあたふたとしていたと思う。彼女はそのあと、何もなかったかのようにホット缶の前に行くとレジに列んだ。

 慌てて俺は業務に戻る。

 レジに入ると彼女は「あと、肉まんを一つください」と注文する。

「肉まんをお一つですね。会計、二百十二円です」

 地図をポケットにしまうと、いよいよ仕事再会だ。公私混同はいただけない。彼女は二百二十円を出し、お釣りを受け取ると、コーヒーと肉まんを持って出て行った。

 身の回りで不可思議なことが起きるのは慣れっこになっているつもりだったが、俺が気にしている女の子からの誘いにはさすがに驚いた。夢でも見ているのかと思ったが、まぁ行ってみれば分かるだろう。からかわれた、とは思いたくないし。




 朝番の女の子とマネージャーがやってきて仕事から解放される。まだ外は薄暗い。

 歩いて二、三分ほどの距離にある公園まで自転車で向かう。陽が昇る直前で空は白み始めているものの、街灯の明かりの方が眩しい。

 彼女はベンチに腰掛けていた。

「寒くないの?」

 俺は挨拶らしい挨拶なしに、そう声を掛けた。息が白い。

「大丈夫です」

 手袋をしたまま、しっかりと缶を握っている。

「何の用かな?」

 自転車を脇に止めて彼女に近付く。

「信じてもらえないと思うんですけど……天から降ってきた男の子に『あなたはミナギタイスケに会わなければいけない』と言われたもので……なんていいますか……あれですよ。道ばたの怪しげな占い師に『お前の運命の人は身近におる』と言われた状況でして……えぇっと……で、ミナギなんて名字の知っている人はあなたしかいないんですよ」

 彼女は真っ赤になりながらおどおどと話す。

 名乗った記憶はないが、おそらく仕事中につけている名札を見たのだろう。それにしても、全く要領を得ない。

 彼女は続ける。

「それでずっとあなたを見ていたんです。そのついでにコーヒーを買って、勉強をして……。そこの大学の学生さんですよね? あたし、そこの理工学部を目指しているんです」

「――っと、その前に、名前を訊いてもよろしいかな? 俺はミナギタイスケ。君の言う大学の二回生。君は?」

「あたしはアサギリアエカ。県立高校の二年生です」

 ますます赤くなってもじもじとしながら答える。

 俺の予想は外れていた。勉強熱心であることは確かなようだが。

「じゃあ、アサギリさん。もう少し話をまとめてくれないかな? 要点がわからない」

 そういうと、彼女はおろおろとした。どこまでも赤くなっていく。息の白さが増したように思えるのは気のせいか。

「えっと……つまりですね……」

 困ったような顔をして、視線を足先に向ける。

 俺は黙ったまま待つ。この雰囲気、どこか覚えがある。彼女が言うであろう台詞に思い当たると同時に声が被さった。

「付き合ってくださいませんか?」

 大きな声で一息に言う。冷たい空気を彼女の声はよく通った。おそるおそる顔を上げる。俺の目と合った。

「俺で良いの?」

 にっこりと笑んでそれだけを言うのにどれだけ苦労していることか。たぶん今の彼女にはわからないが、そのうち理解してくれるだろう。

「付き合ってくれるんですか?」

 ばっと立ち上がって叫ぶ。興奮しすぎ。

「落ち着いてくれないかな……」

 ちょっと戸惑う。こんな朝っぱらからテンションが上がりすぎているも良いところだ。

「落ち着けませんよ。――占いってあたし、全く信じていなかったんですけど、天から降ってきた男の子に会ってからはそうも言っていられなくて……」

「天から降ってきた男の子って?」

「天使ですよ、たぶん」

「ふぅん」

 俺は思い当たるところがあったが、ここでその話をして不審がられるのも勘弁して欲しいところなので流すことにする。彼女が話したくないのも同じ理由かも知れない。

「さっきの立ち読み、占いを読んでいたんです。それで……告白するなら今しかないな、と」

 実は俺も、と言おうかと思ったが、あまりにもクサイのでやめる。

「占いって当たるものなのかな……気の持ちようだと思うけど」

 仕方なく話を逸らす。

「気の持ちようですよ。無責任なことを言うだけの」

 意外な返事。

「でも……それで勇気づけられたり励まされたりするなら、悪いものじゃないですよ」と、にっこりと笑む。

「……そうだな。確かにそうだ。当たるかどうかは二の次なのだろう。何もしないでいるなら何も変わらない」

 視線を明るい空に移す。太陽が顔を出し始めた。夜明けのこの瞬間に隣に誰かがいるのは初めてのことだ。

「えーと。これからどうする?」

「あたしは家に帰って休みます」と小さな欠伸。

「告白って、かなりエネルギーを消耗しますね。気がゆるんだら眠気が襲ってきました」

 軽く目を擦る仕草が可愛らしい。

「夜勤明けで俺も眠い」

 落ち着いてきたらどっと疲れが出た。ぐっすりと眠れそうだ。

「じゃあ、一度出直しましょう。あたしのケータイの番号とメアド、さっきのカードに書き込んでありますから連絡ください」


 * * * * *


 そんなわけで午後一時に目が覚める。今日もいい天気だ。ケータイが鳴っていることに気付き、手に取る。

「もしもし?」

「よっ、ミナギ。ケーキの処分、手伝うぜ」

 ヒビキの元気そうな声。去年は彼にケーキの処分を依頼した。しかし今年は……。

「あぁ、悪い。そっちはそっちで勝手にやってくれ」

 寝起きで頭が回らない。

「え? なんで? 余ってないのか? 無理そうだって言っていたくせに」

「いろいろあるんだよ。じゃあな」

 一方的に通話を切る。ヒビキには悪いが、ケーキは無事に処分を終えている。

 電話が再び鳴る。

「はい、ミナギです」

「おはようございます。アエカです。今日はこれからどうしますか?」

「勉強は良いの?」

「バッチリ今までやっていましたから。ついでにさっき、解けない問題があったんです。教えていただけませんか?」

「と、すると受験生らしく図書館にでも行く?」

「今何時だと思っているんですか?」

 アサギリはくすくすと笑う。今から行っても図書館の席は埋まっていることだろう。

「じゃあ、マックかファミレス。行きたい店はある?」

「おごってくれます?」

「高くなければ」

「じゃあ、パフェをおごってください」

「この寒いのに?」

「そんなの関係ないですよ。――ところで、昨日のケーキごちそうさまでした」

「いやいや。俺としては二人で食べることができて嬉しかったし。無理そうって言っていたから」

 彼女が照れているのは無言でもわかる。

 付き合い始めてから一年経った。身の回りでは様々な変化があったが、この関係は心地よいままだ。

「迎えに行くよ。着くのは十分後かな。外で待ってて」

「はい。じゃ、またあとで」

「了解」

 プツリと途切れる。

 それを合図にスイッチの入った俺は身支度を整える。

 めずらしく昔の夢を見たものだ。俺の人生は外部の人間がとやかく言う占いより、夢をベースに生きているような気がする。解釈は自分次第。

「さぁって、今日は何が起こるやら」

 大きく伸びをすると、俺は家を出た。

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