燃え立つような栬葉の緋
恵が嫁いでゆく。
その日は着実に近付いていた。
「誕生日には何が欲しい?」
秀一郎が訊ねると、恵は絵が欲しいと言った。己を描いて欲しいと。
狂ったように
「来年の誕生日にはもうここにはいないね」
柔らかな午後の光の中、キャンバスに鉛筆を走らせながら秀一郎が口を開く。
女学校を卒業したら、恵は嫁いでゆく。縁談の相手は、秀一郎の高等学校の同窓だ。
いっそ、まったく知らない男ならよかったのに。
「高林なら恵を幸せにしてくれるよ」
本心だった。だけど望んではいない。
「ウェディングドレスが着たかったわ」
少し眉を顰めた恵が庭に向けていた視線を秀一郎に移す。目が合って、鼓動が跳ねた。役に立たない秀一郎の肺が酸素を求めて喘ぐ。
「生まれ変わったら今度はウェディングドレスを着るわ」
無理をして笑っているような恵の表情に、秀一郎は手を止めた。
騒ぐ鼓動が、喘ぐ肺が、秀一郎の思考を奪う。風が出てきたようで、窓の木枠がカタカタ鳴った。
「今度生まれ変わったら」
秀一郎は恵から視線を引き剥がした。代わりに、キャンバスの中の恵を見つめる。
「生まれ変わったらなあに? お兄様」
秀一郎はその問いには答えずに絵の中の恵を撫でた。
生まれ変わったら。今度は……
窓に嵌めた色付き硝子が、白いキャンバスの恵に影を落とす。頬を染め、瞳に色を躍らせて秀一郎に微笑みかける。
恵。
秀一郎が口を開きかけたとき、雨粒が窓を打った。
絵の中の恵から色を奪い、庭を、部屋を、
「いや」
秀一郎は唇の端を上げた。
「今度は丈夫な体で生まれてきたいね」
諦めたように頭を振って立ち上がる。恵の方は見なかったが、その視線が自分を追って動くのを背で感じていた。
窓辺に立って外を見遣る。静かに降る雨が終わりかけた秋を流してゆく。
「柔らかい雨だね」
秋の初めの雨のように激しくはない。けれどそれは容赦なく季節を塗り替えてゆく。燃えるように咲いた緋い葉を奪い去ってゆく。
留まることが叶わないなら。ならばいっそ。
秀一郎は窓辺を離れた。自席には戻らず、恵の元に歩み寄る。
恵が秀一郎を見上げた。
鼓動が早まる。汗ばむ手のひらをぎゅっと握る。
窓の外では雨が降っている。
すべてを押し流すように、覆い隠すように、降り続いている。
そっと手を伸ばした。
恵の前髪を左右に分けて額に触れる。
己の指が震えているのが秀一郎には分かった。恵にだって伝わっているだろう。
許されないと知っている。
間違っていると分かっている。
それでも。
ふたりの眼差しが交わる。
音が消えた。
時が止まった。
窓の外では雨が降っている。
すべてを覆い隠すように。
何もかもを、押し流してしまうように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます