第8話 ででぽっぽ (日本・東北地方)
1.
じりじりと照りつける日差しに、滲み出る額の汗を拭いながら、男は山道を歩いていた。
大人の背丈ほどもある熊笹が、道の両側に生い茂る。何処かで鹿が鳴き、夏の終わりのぬるい風に乗って、赤とんぼが通り過ぎる。
道は、ゆるやかな上り坂だ。視線を上げれば、木立の向こうに、『
男は足を止め、再度、こめかみを伝う汗を拭った。一休みしようと辺りを見回した時、黒い塊が視界に入った。
「…………」
巨きな栗の木が山道に差し伸べる影の下に、うずくまるようにして、一人の女性が腰を下ろしていた。傍らには、息子らしい少年が立っている。
近づいてみると、荒い息を吐く母親の背を、子どもが心配そうに撫でていた。
いつもなら黙って通り過ぎるところだが、女性がひどく苦しそうだったので、喜三郎は、躊躇いつつ声をかけた。
「……どうした。大丈夫か?」
とたんにばっと振り向いた子どもの瞳が、あまりに真摯だったので、彼は一瞬呼吸を止めた。
母親は、肩越しに彼を見て、軽く頭を下げた。
「これは、
「大丈夫か?」
「へえ」
母親の頬は青白く、血管が透けて見えそうだった。言葉の間、間で息を継ぐ。喜三郎は眉根を寄せた。
子どもは、じろじろと彼を眺めている。好奇心たっぷりの声が、弾むように問いかけて来た。
「
「こらっ、
「いや、構わぬよ」
窘める母親に微笑みかけ、
「わしは、
「へえ~」
日に焼けた顔の中で、黒い瞳がきらきらと輝いた。さもあろう。喜三郎は苦笑した。
母親が
「道者さまは、何が出来るだ?」
と訊いたのは、昔から山伏には
「何も出来ぬよ、まだ……。大先達のお手紙を、
「ううん、うん……」
血を吐くような母親の咳が止まらないのを見かねて、喜三郎は、持っていた竹筒を差し出した。清太は躊躇う風だったが、背に腹は替えられないと思ったのか、ひったくるようにして栓を開け、母に差し出した。
けれども、母親は、何度も頭を下げて謝意を示しつつ、水を飲もうとはしなかった。両手で口を覆い、目に涙を浮かべて咳を耐える様を見て、喜三郎は言外の意味を察した。
『
うつしては申し訳がない、というのだろう。
まだ若い女性と幼い清太の行く末に、にわかに同情が湧き起こるのを覚えながら、喜三郎は、彼女の咳が収まるのを待った。
「……
ようやく、咳が止まった。肩で息をする母の背を撫でながら、清太は答えた。
「おら
「そうか。では、
「えっ?」
母子は、ぎょっとした顔で彼を見た。聊か唐突だったかと、喜三郎は自嘲した。
「ここから先、道は険しくなる。その調子では、辿り着く前に日が暮れてしまうぞ。……この辺りは、クマさ出るがらな」
「
「……
恐る恐る、といった風に、母親が訊いた。
「道者さまは……
「わははははっ!」
これを聞いた喜三郎は、思わず笑いだした。髭をぼうぼうに生やした大男が声をあげて笑ったので、清太は目を丸くした。
荷と金剛杖を少年に預け、母親に背を向けて屈み、喜三郎は言った。
「わしは、出家坊主ではないぞ。峰入り(修行)中ならいざ知らず。困っている者を見捨てては、神仏の罰が下るであろうよ。――任せなさい」
2.
清太の母は、驚くほど軽かった。修行中に背負う
母親は恐縮していたが、清太は、話し相手が出来たのが嬉しかったらしい。問わず語りに、事情を説明した。
親子は、
一昨年、病で清太の父が死に、母子は二人きりになってしまった。母親はもとより体が丈夫ではなかったが、無理がたたって病んだのを、清太が湯治に誘ったのだという。――よくある話だ。
死んだ息子が生きていればこの子くらいになるだろうかと、喜三郎は眼を細めた。
「
「んー? うむ……」
「これっ、清太」
彼の背で『
「
「いや。……気遣い無用」
喜三郎は微笑んだ。
誰もが、人には言えない二・三の事情を抱えて生きている。修験の道を選んだことで、逆にそれを窺わせるようになってしまったのは、我が身の不徳というものだ。
子どもの世間は狭く、一つ一つの事象を重大に受け止める……。己もそうであったことを、思い出した。
清太は、金剛杖を嬉しそうに突いている。喜三郎は、話題を変えることにした。
「山伏になりたいのか?」
「うん!」
木漏れ日を反射して、黒い瞳が煌いた。
「
「これは、お不動さま(不動明王)の姿だぞ」
「おら、山駆け(山中を走る修行のこと)さ、してみだい!」
「
背中の母親が息子の失言を
「清太は、まだ幼い。もう少し、大きぐなってがらだな」
「大きぐって、幾つだ?」
「数え十五になるまで待て」
不満げに口を尖らせる少年を見ていると、再び笑いがこみあげてきた。
「まんず、
「
清太がぼやき、喜三郎が声をあげて笑った時、ぐぐうと、蛙の鳴き声のような音がした。少年は、恥ずかしげに腹を撫でた。
「さっき喰っだのに……」
「待っでろ」
喜三郎は足を止め、懐から、熊笹の葉に包んだ握りを取り出した。五分づきの飯に粟を混ぜ、味噌を塗って焼いたものだ。無造作に、二つに割った。
「
「
喜三郎の背に顔を埋める母親の声は、消え入りそうになった。
「
「そう、
えへへへへ、と照れ笑いする少年を見ていると、喜三郎も嬉しかった。
上から見下ろすと落ちそうな気分になる急な山道を下り、
地に足が着くなり、彼女は、深々と一礼た。
「ほんに、ありがとうごぜえますだ……」
「宿はあるのか?」
「へえ」
屈託のない息子とは対照的に、終始気遣わしげな彼女の様子が、喜三郎は気になった。嘘でもつきかねないと思われたのだ。
「わしは、お役目を終えたら、正善院(羽黒山修験本宗本山)さ戻って潔斎する(入峰修行前に身を清めること)。差し支えなければ、帰りも送ってしんぜよう」
と言ったが、彼女は、いよいよ深く腰を曲げて沈黙するばかりだった。
「
「…………」
清太が手を振り、二人は、何度もお辞儀をしながら川上へと去って行った。紫色の宵に影が融けて見えなくなるまで、喜三郎は見送ったが、再び会える気はしなかった。
3.
羽黒山では、春夏秋冬に
毎年、この『山伏出世の峰』を目指す修験者たちが――また、一生に一度は峰入りをと願う人々が、遠くは江戸や上方から、最上川を下って訪れていた。
峰入りの前夜。白装束に着替え宝冠(白木綿の頭巾)をかぶり、
諸先達とともに梵天(儀式に使う巨大な幣束、長さ約5m)と法具を整えながら、喜三郎は、先日出会った親子のことを考えていた。結局、その後、二人は姿を現さなかったのだ。
今頃、どうしているだろうか。
「…………」
本尊の前に、願文を入れた入峰者たちの
幕の外に座って錫杖経を聞きながら、喜三郎の脳裡では、泥に汚れた清太の顔と、白い歯が輝いていた。母親の透けるように薄い頬と、肩に触れた腕の細い感触を思い出す。
母子二人では、食べるものにも事欠くだろう。あの母親の様子では、里に戻る前に、行き倒れてもおかしくはない。
中途半端に手助けするのではなく、きちんと見届けるべきであったか。雪に降りこめられる前に、戻ることが出来ていればよいが……と、そこまで考え、ほぞを噛んだ。
『南無三鈷大悲遍照如来。……執着が強いな、わしは。』
潔斎に入った修験者は、一度死んだことになっている。笈を荘厳して法会を営むのは、俗世に生きる自分の供養だ。それを背負って入峰し、新たに生まれ変わらなければならない。
何度も行っているのに、気が緩むと、このように、失くしたものに囚われる……。喜三郎は、改めて、己の業の深さを思い知った。
祭壇を囲む幕が取り払われ、法螺貝が吹き鳴らされた。法会が終わったのだ。
喜三郎は立ち上がり、
「
目前の白装束の集団から、返事が返ってくる。
「
「此れより、一人も残さず参詣さっしゃれ!」
「承けたもう!」
山伏の修行は厳しい。断食し、
考える余裕を失うほど身体を酷使する修行の中で、いつしか、喜三郎の心から、親子の面影は消えていた。
4.
冬季、三山は、深い雪に閉ざされる。山伏たちも、この間は宿房に留まり、『篭り修行』中心となる。
しかし、春になれば、フキノトウは勿論のこと、月山筍、タラの芽、ゼンマイ、アオミズ、ウゴアザミ、コゴミなど……植物が芽吹き、山は食べ物の宝庫となる。山伏たちも、その名の通り、入山して修行を行う。
ワラビやトチのようにアクの強いものは仕方がないが、喜三郎たちは、大抵のものは生のまま食べた。病気で死んだ鹿や、里の者から供えられた魚なども、弔いを兼ねて食し、獣皮は
ある日。月山で山駆けを行っていた喜三郎たちは、雪崩の跡に出くわした。雪と共に崩れた土砂が、杉や桑の大木を押し流し、道を横切って、生々しい山肌を露出させていた。
「今年は、雪融けが早い上、雨が多い」
喜三郎の隣にいた山伏が、苦い声で呟いた。
「川の
「…………」
喜三郎は黙って肯いた。この時は、そうだな、と思っただけだった。
別の道を探すべく、山伏たちは、引き返して行った。
春の峰入り修行を終えた喜三郎が、肘折の薬師堂を訪れたのは、梅雨の頃だった。雪融けと雨が重なって、あちらこちらで土砂が崩れ、川の水嵩が一番高くなる時期だ。最上川の下流では、毎年のように、洪水が起きていた。
銅山川も、例外ではなかった。
雨は何日も降り続いた。月山への登山道の様子を見に出かけた喜三郎は、村の大人達に、一人の子どもがまとわりついているところをみつけた。
「
「……清太?」
悲壮感溢れる声に驚いて、喜三郎が声をかけると、村人達は、暗い表情で振り向いた。知った顔をみつけた清太は、大急ぎで駆けてきて、喜三郎の腰に縋りついた。
「道者さま、助けてけろ!
「人柱……」
喜三郎は、頭からさあっと血の気が引くのを感じた。
見れば、清太の母は、白い衣を着て、村の男衆に腕をとられ、諦め顔で佇んでいる。別れた時よりいっそう痩せ衰えた姿に、喜三郎は胸を衝かれた。
彼の喉は渇き、声はかすれた。
「……何故?」
「小僧が、がめた(盗みを働いた)んだ」
村の男の一人が、苦い声で説明した。
「
「そんな」
喜三郎は絶句した。いくら何でもと、思いたかった。
「なにも、人柱にせずとも良いであろう?」
「他に、方法があるが?」
「…………」
喜三郎には、返す言葉がなかった。彼自身を含め、この時代の人々の信仰は、山河と密接に結びついている。一般に、人柱にされるのは罪人だが、母親が身代わりを申し出たのだろう。
清太は、すすり泣いている。母が、喜三郎を振り向いた。
「いいがら、道者さま。……
「しかし――」
「
静かな言葉を聞いて、喜三郎ははっとした。夫を喪い、病んだ彼女が、息子の足枷になるまいと自ら死を選んだことを、直感的に悟ったのだ。
同時に。病み衰えたとはいえ、この女性の最後の意地をみたような……それを、他でもない自分が踏みにじったような気持ちがした。
何も言えなくなった喜三郎に、彼女は頭を下げた。
「清太を、お
「…………」
用意されていた桶の中に、彼女は座り、手を合わせた。息をするため、蓋には、穴を開けた竹が差し込まれた。
暗くどうどうと流れる川を見下ろす堤の上に、彼女の入った桶は埋められ、周囲に注連縄が施された。
男達が去った塚では、清太が、いつまでもうずくまって泣いていた。
5.
清太は、薬師堂に引き取られることになった。子どもの身で修行は出来ないので、下働きだ。まだ幼い少年の将来を喜三郎は案じたが、清太自身が、里に帰るより、母の埋められた山に棲むことを望んだ。
法会の為に護摩を焚き、入峰者の食事を用意し、宿房の掃除をし――。やりきれない思いを振り切るように、少年は仕事に打ち込んだが、時折、堤の方角を悲しげに眺めていた。身寄りを亡くし帰る場所も失った清太に、喜三郎は、己の身上を重ねずにいられなかった。
人柱の甲斐もなく、その年の雨は長く続き、田は水浸しになった。堤は何度も破れかけ、その都度、人々は土俵を積み、杭を打って補強した。
皆、気が気ではなかった。
ある嵐の日。どどどうっと山の崩れる音を耳にして、少年は立ち上がった。
「
叫んで、清太は駆け出した。近くにいた修行者が止めようとしたが、遅かった。
「清太!」
「おっが、流れる!」
泣きながら、清太は堤の上を走った。灰色の雨のなか、注連縄で囲った母の塚に登ると、そこをぐるぐる廻り始めた。
「おっがが流れる!」
「清太、危ない! こっちさ来い!」
喜三郎が連れ戻そうとした途端、足元の土が崩れたので、彼は慌てて跳び下がった。まるで人々と清太親子を切り離そうとするかのように、川は堤を切り、塚を孤立させた。
「…………」
喜三郎も村人も、成す術なく見守る視線の先で。少年は走り続け、悲鳴は天を割るように響いた。蒼白い稲光に照らし出された姿は、もの凄まじく、人々の目に映った。
見かねた村人が、喜三郎に懇願した。
「道者さま、何とかしてけろ」
「道者さま」
「そうは言うが――」
嵐は神仏が起こすものだ。山伏ごときにどうこう出来るものではない――と思う。喜三郎にも、九字の印を結ぶくらいしか出来なかった。
「
刀印を切り、錫杖を振ったのは、清太を正気に戻したかったからなのだが。別のことが起きた。
ぐるぐると狂ったように駆ける清太が、何度目かにそこを通った時、天が金色に輝いて、塚の表面の土がぼこりと盛り上がった。そこから、一羽の山鳩が舞い上がり、鋭く鳴きながら、円を描いて飛んだ。
「ででぽっぽ、ででぽっぽ!」
それを見た清太も、鳩となって舞い上がり、二羽は、互いの周りを飛んだ。茫然と見上げる喜三郎の頭上を旋回し、やがて、二羽は山の向こうへ消えた。
母子を憐れんだ山の神が、二人を鳩の姿に変えたのだろうと、人々は語り合ったという。
~第8話、了~
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『掌の宇宙』第8話 解説
《山形県最上郡大蔵村 肘折温泉郷》
山形県は、秋田県に次いで民話の多い県で、約四千話あると言われています(秋田県は、約五千話)。肘折温泉郷は、月山(がっさん)から流れ出る銅山川の川沿いにある温泉で、約千二百年前(大同2年・807年)に発見されたと言われています。新潟と並ぶ日本一の豪雪地帯です(3~6m積もります)。
山形県の有名な民話としては、『笠地蔵』、『貧乏神と副の神』、月読命を月山へ案内して鳥海山を噴火させた『三本足のカラス』(八咫烏・太陽の化身)、チベット民話の影響かと思われる『びっき(かえる)の嫁さん』などがあります。
「ででぽっぽ」とは、山形弁で鳩の鳴き声を表し、そのまま「山鳩」を意味します。
■出羽三山と山岳信仰(修験道)
出羽三山とは、山形県の中央部を北から南へ連なる羽黒山(436m)・月山(1984m)・湯殿山(1504m)の総称です。第三十二代崇峻天皇(在位587 ? ~592)の子・蜂巣皇子(能徐太子)が開山したといわれています。
古来「山」そのものを神とする信仰があり、これに古代日本の神道(古神道)や祖霊崇拝、仏教・道教・陰陽道、役小角の密教(雑密)や真言宗・天台宗・禅宗などが加わり、「本地垂迹」(神仏習合)の思想や即身仏崇拝なども影響して、複雑に混ざり合った宗教形態が「修験道」です。出羽三山の他にも、大峯山(吉野~熊野三山)、比叡山など、全国各地にあります。
出羽三山を修行場とするものは、羽黒修験と呼ばれます。春夏秋冬の四季に羽黒山から入山し、月山での修行を経て湯殿山で終えます。
修験者は山中に寝起きして修行することから「山伏(山臥)」と呼ばれます。笈を背負い、錫杖や三独鈷・金剛杖・数珠を持ち、頭襟(ときん)や斑蓋をかぶり、引敷という獣の皮・法螺貝・梵天・檜扇といった装束を身につけ(不動明王の姿だといわれます)、独特の「山伏ことば」を使います。五体投地や断食・瀧行・山駆けなどの厳しい修行を行うことによって、死とあの世を経て生まれ変わるのだと考えられています。
山伏は出家僧ではなく、俗界に生き、修行によって験(山河の神の力)を身につけることで、人々を助けるとされました。妻帯している者もいました(里山伏)。
明治政府による民俗宗教の弾圧によって、一時は壊滅的な打撃を受けましたが、現在も毎年入山・修行する人々がおられます。かつて月山は女人禁制でしたが、昭和25年以後、女性の入山・修行も認められています(即身仏には、女性のものがあります)。
月山神社には記紀神話の月読命(月夜見命:ツクヨミノミコト。イザナキ命の子で、三貴子(天照大神・月読命・須佐之男命)の一人、月・暦・海などの神)が祀られています。湯殿山のご神体は、熱湯が湧き出る巨岩です。
(肘折温泉郷は、私の父の郷里です。本作品は、昭和50年頃、祖母から聞いたものに基づきます。人柱伝説(死)と再生がセットになっているところは山岳信仰的だと考え、山伏を登場させました。喜三郎が唱えたのは、光明真言(大日如来へ呼びかける最も重要なマントラ)です。芭蕉が羽黒修験を行った元禄ごろの風俗を想定し、方言は最上弁(新庄弁)のつもりですが……ご容赦下さい。)
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