第4話 イオマンテ (日本・北海道)
1.
私は、アイヌ(人間)たちが『キムンカムイ』と呼ぶクマの神です。今は、カムイモシリ(神の国)にいます。
これからお話するのは、アイヌのこと。小さなコタン(村)で一緒に過ごした、友達のことです。
**
私は、母と一緒に、カムイチセ(神の家:ここでは、冬眠の穴のこと)で暮らしていました。
私にとって初めての キムンカムイポフライェㇷ゚(クマ神が子どもを洗う雨:二月の雨)が降った数日後、チセ(家)の入り口から、賑やかな声が聞こえてきました。
イヌ神たちが吼えて、しきりに私たちを呼んでいます。
キムンカムイさま、山の岳を頂く神さま
アイヌモシリ(人間の国)へ いらっしゃいませんか
ご馳走と、美味しいお酒と、イナウ(神幣)を用意しています
私たちが ご案内しますよ
キムンカムイさま、山の岳を頂く神さま……
それを聞くと、母は立ち上がり、
「アイヌたちが招待してくれたから、行こうと思う。お前は、もうしばらく遊んでおいで」
と言い、クマの毛皮と肉を背負って、出掛けて行きました(注①)。
まだ幼かった私には、何のことか分かりませんでしたが、イヌ神たちの呼ぶ声がとても楽しそうだったので、自分の小さな毛皮と肉を背負って、外へ出てみました。
その冬一番の「しばれる」朝で、辺りは一面、真っ白な ウカ(表面が凍った雪)に覆われていました。
アイヌたちは、私を見ると、帯を締めなおして礼拝し、その中の一人が、そっと私を抱き上げました。
そうして、私は アイヌモシリへ向かったのです。
2.
私を連れて帰ったのは、コタンコㇿクㇽ(村長)でした。
彼は、チセ(家)に着くと、家族と一緒にもう一度私を拝んで
「キムンカムイさま。貧しい私たちのコタンへお出で下さいまして、ありがとうございます。神さまをお泊めするのは畏れ多いことですが、精一杯おもてなししますので、どうぞ我が家にお留まりください」
と言いました。
そこで私は、彼のチセに住むことに決めました。
彼等は、私の為に、真新しい立派な小屋を作ってくれました。私がそこへ落ち着くと、すぐに、子どもたちが大勢やってきました。
「カムイさまだ。キムンカムイさま」
「可愛らしい、ペペㇾ(仔グマ)のカムイさまだ」
どの子も頬を染め、瞳を輝かせて、私を見ています。私は、なんだかとても嬉しくなりました。
コタンコㇿクㇽには、家族が大勢いました。優しいフチ(おばあさん)と、エカシ(おじいさん)。ハポ(母)と若いメノコ(娘)も私を可愛がってくれましたが、私が一番好きになったのは、末っ子の イソンノアㇱ(狩が上手い人、という意味の名)です。
イソンノアㇱは、元気のいい男の子で、友達と一緒に、よく私を外へ連れ出してくれました。
イタヤの木を削ってとる甘い樹液・ニトペを凍らせた飴を舐めさせてくれたり、春には プタエモ(野生の草の球根)堀りに連れて行ってくれたりしました。
フキノトウを齧って、一緒に口の周りを真っ黒にし、夏には、巣立つ前のスズメの仔を捕まえました。
セイピラッカ(貝下駄)という、穴を開けたほっき貝に紐を通して下駄のようにしたものを履いて、カッポカッポと歩く イソンノアㇱの傍を、私は、跳んだり跳ねたりして遊びました。
子どもたちが食べるものと同じものを私も食べ、すっかりご馳走になったので、アキアジ(鮭)が川を上ってくる頃には、まるまると太ってしまいました。
こうして、一年はあっという間に過ぎたのです。
3.
「いやだ!」
新しい年を迎えた日。アチャ(父)に、私をカムイモシリへ帰さねばならないと言われたイソンノアㇱは、驚いて大声をあげました。
「せっかく、仲良くなれたのに……」
けれども……来た時には イソンノアㇱより小さかった私の体は、今では彼より遥かに大きく、重さは三倍にもなります(注②)。これ以上、一緒に遊ぶのは無理だと思われました。
エカシに窘められたイソンノアㇱは、泣く泣く別れを承知しました。
私も残念でしたが、一方で、先にカムイモシリへ帰った母と兄たちに逢うことが出来るのだと思うと、嬉しくもありました。
カムイを送る儀式のことを、アイヌたちは『イオマンテ(神送り)』と呼びます。コタン(村)をあげて、盛大に私を送ってくれるというのです。
祭りの準備が始まると、コタンは、なんとなく華やいできました。
メノコ(娘)たちは、ヒエを搗いて大きな器に酒を醸し、エカシ(おじいさん)は、私の為に ヘペㇾトウㇱ(クマをつなぐ綱)を編んでくれました。
若い衆が使う ヘペライ(花矢)や イソノレアイ(仕留め矢)も、作られました。すすを塗って彫刻を施した美しい花矢は、イソンノアㇱも使うのです。
コタンコㇿクㇽの一番上の息子は、祭りの日取りを近隣のコタンに伝える イヤシエウㇰ(招待役:将来を嘱望される青年が選ばれた)に選ばれて、得意そうでした。
やがて、また キムンカムイポフライェㇷ゚(クマ神が子どもを洗う雨)が降る頃。隣村から サマイユㇱクㇽ(祭司役:祭りの最高責任者)が到着しました(注③)。
正装した チャイヌコㇿクㇽ(最も丁重にもてなす人、の意味)に迎えられた サマイユㇱクㇽ(祭司役)が チセに入ると、オンカミヤン(礼拝)が始まりました。
最初は アペフチカムイ(火の神)へ、それから酒の神様へ。男たちが礼拝すると、持っている杯に酒が注がれます。
さらに、水の神、山の神へと。正装した男たちは、声をはりあげてお祈りを続けます。
この間、私はチセの外で待っていたのですが、彼等の唱える カムイノミ(祈り)は、大変よく聞こえました。これなら カムイモシリにもちゃんと届くだろうと思われる響きです。
それから男たちは、自分の守り神にお酒を捧げます。この時、意中の娘の名を呼んで杯を渡すので、若者の間からは、誰かが誰かを呼ぶたびに、どよめきが起こりました。
イソンノアㇱには早いですが、彼のサポ(お姉さん)は、呼ばれたかもしれません。口の周りと腕に入れ墨をした美しい彼女の姿を見ることが出来なかったのは、ちょっぴり残念でした。
この日の為に三日前から食を絶っていた私は、空腹と緊張で、すっかりドキドキしてきました。女たちが、私の周りで穏やかな ウポポ(まつり歌)を歌い、リムセ(輪踊)を踊って、気持ちを鎮めてくれました。
とうとう、私は、引き綱を身につけて、檻の外へ出されました。
大勢の若者が、私と、綱引きや駆けっこをして遊んでくれました。その中には、イソンノアㇱもいます。
彼等は、今日の為に作った綺麗なヘペライ(花矢)を、私に捧げました。私は、沢山ある中から、特にいいのを選んで受け取りました(注④)。
イソンノアㇱの花矢も、勿論受け取りました。
あんまり楽しくて、興奮して騒いでいる間に、私は、何だかぼうっとして、わけが分からなくなりました。
4.
……気がつくと、私は、仔グマの耳と耳の間に座っていました(注⑤)。周囲にはアイヌたちがいて、祈りを捧げています。
サマイユㇱクㇽ(祭司役)が言うことには
「キムンカムイさま。貴方は、本来の御姿に戻られたのです。今しばらく、我々のコタンに留まって、楽しんで行ってください」
そして、脱がせた私の衣を イナウ(木を削って作った神幣)で飾り、酒を振りかけ、干したシシャモや木の実で覆ってくれました。カムイモシリへ持って行く、たくさんのお土産です!
喜んだ私は、今度は祭壇の上で、彼等のもてなしを受けることにしました。
夜になると、チセの中に、いくつもの ラッチャコ(灯明台)が点されました。
イオマンテのために、遠く離れたコタンから、サコロベ(ユーカラ)の名人と呼ばれる エカシが招かれていました。
ブドウヅルで作った サパンペ(冠)をかぶり、真っ白な髭を長く伸ばしたエカシは、まるで位の高いカムイ(神)のようです。
彼の声は、しんと静まり返ったチセの中に、おごそかに響きました。
「キムンカムイさま、山の岳を頂く神さま。今宵、私めが サコロベを演じてお目にかけることが出来ますのは、まことに身に余る光栄です。精一杯つとめさせて頂きます故、もし御見苦しいところがありましても、何卒ご寛恕下さいませ……」
炉辺に並んだ男衆が鳴らす レプニ(拍子木)に合わせて、エカシが謡ってくれたのは、アイヌに知恵を授けた神『アイヌ・ラッ・クルッ』のサコロベでした。
むかしむかし 大海に
羊蹄山の頂だけが 水から頭を出していた頃
コタン・コロ・カムイが 妹神とともに
その山の頂に 降臨された
コタン・コロ・カムイは 雲を求めて 陸をお造りになった
コタン・コロ・カムイが 初めて人を造ろうとしたとき
「何をもって人を造ろう」と スズメを使いにして
天神に伺いをたてたところ
「木をもって造るべし」と 答えられた
人は 木によって造られたために
この世の誰も 永久なる命は もっていない……
地上で苦しむアイヌたちを憐れんだ アイヌ・ラッ・クルッ神が、神々から与えられる試練を乗り越えて降臨し、荒ぶる神々を平定したのち、美しい白鳥姫を娶る話を、私は夢中で聴いていました。
ところが、話が面白くなったところで、突然、エカシは謡うのを止めてしまいました。
どうしたのだろう、なぜもっと謡ってくれないのだろう。と思っていると、エカシは微笑んで
「面白かったでしょう、カムイさま。続きをお聞きになりたければ、どうぞ、またコタンへ遊びにいらして下さい」
と、言われてしまいました(注⑥)。
5.
こうして祭りは終わり、遂に ケヨマンテ(クマ神を送る儀式)の朝が来ました。
もう、イソンノアㇱは、晴れやかな顔をしています。私が持ってきた肉のオハウ(スープ)を食べて、力をつけたのでしょう。
彼のように心根のまっすぐな少年に食べてもらえたなら、私も無事、カムイモシリへ行けるに違いありません(注⑦)。
きりりとした瞳を、私は、頼もしい気持ちで眺めました。
サマイユㇱクㇽ(祭司役)が、私の頭を東へ向けて、別れの口上を述べました。
「キムンカムイさま。我がコタンにおいで下さいまして、本当にありがとうございました。イイェトコチャシヌレアイ(道筋を清める矢)を飛ばしますので、これを目印に、カムイモシリへお帰り下さい。そして、あちらに住む他のカムイに、どうぞアイヌのことをお伝え下さい。またご降臨下さる日を、お待ちしております」
コタンコㇿクㇽが矢を放ち、私はそれを追いかけて、カムイモシリへ帰りました。
**
これで、私の話は終わりです。短いですが、楽しい暮らしでした。
いつか、成長した イソンノアㇱに会いに、アイヌモシリへ遊びに行こうと思います。
きっと、立派なアイヌ(男)になっていることでしょう。
――と、仔グマのカムイが語りました(注⑦)。
~第4話、了~
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『掌の宇宙』第4話 解説
《日本:アイヌ民族》
「アイヌ」とは、彼等が自らを呼ぶ「人間」という言葉であり、「立派な人物」・「男の中の男」という意味の尊称でもあります。人類学的には古モンゴロイド系に属し、縄文文化・擦文文化を築いた人々の子孫だと言われています。
かつては東北から北海道・サハリン・千島に広く居住していました。主に狩猟と漁猟を中心とした生活を営み、固有の言語(アイヌ語)を持っています。中世においては元と闘い、中国・日本本土とも交易を行っていました。
日本人の侵略が始まったのは鎌倉時代からで、1457年「コシャマインの戦い」(約100年間)、1669年には「シャクシャイン蜂起」が起きています。江戸幕府は「同化」政策を行い、開拓のために男性を強制労働(奴隷)に連れ出すことも行いました。
1899年の「北海道旧土人保護法」にて、土地・医薬品・埋葬料・授業料の供与が定められましたが、同時に共有地の没収・狩猟民族アイヌの農業化、主食である鮭の禁猟、日本名への改名、学校で日本語を教えるなど「同化」が行われました。
この背景には、白人の人種主義にも似た当時の日本人側の優越感、開拓こそが「文化的」であり、彼等の文化を「遅れたもの・野蛮なもの」として蔑む思想がありました。「アイヌ」という言葉さえ蔑称として用いられた時期があるため、この語を嫌がり、「仲間・同胞」を意味する「ウタリ」と自らを呼ぶ方もおられます。
1993年の国際先住民年において、先住民族であると認められました。
1997年、「アイヌ文化振興法(アイヌ新法)」が成立し、「北海道旧土人保護法」は廃止されました。彼等の文化への理解や他の先住民族との交流が進んできていますが、差別や生活水準格差など多くの問題が残っています。
アイヌの口承芸術である『ユーカラ』には、神々が自分のことを語る「神謡(カムイ・ユーカラ)」、人間の英雄が語る「オイナ」、長大な叙事詩など、各種あります。必ず一人称の形式をとります(日常的な一人称と同じではなく、雅語です。ユーカラは韻を踏み、謡い手と聞き手が拍子や合いの手を入れながら続ける、演劇のようなものです。)ので、本作品も、クマ神が自ら語る形式としました。
■本文解説
注①:アイヌの人々は、動物神は、カムイモシリ(神の国)にいるときには人間と同じ姿をして、火を起こしたり、ものを食べたりしていると考えていました。動物の毛皮や肉は、カムイがアイヌモシリ(人間の国)を訪れる際の着物であり、「お土産」なのです。
注②:生後一年を過ぎた仔グマの体重は、100kgを超えます。
注③:イオマンテはクマだけでなく、フクロウやキツネ、オオカミの神に対しても行われました。近隣の村の人々も参加します。祭司役は、必ず隣村の人物が務めることになっていました。
注④:アイヌの神謡には、こういう表現が多いです。人が動物を「殺す」のではなく、神の側が人間を選んで受け取る「招待状=矢」だと考えます。行いのよい、心の清い人間の矢は、カムイがそれを知って受け取ってくれる、という思想です。花矢を射ることで、若者は狩の練習をしました。
注⑤:「わからなくなりました。気がつくと耳と耳の間に~」というのも、ユーカラに多い表現です。肉体から離れたカムイ(神霊)は、しばらく頭の上「耳と耳の間」に留まるといわれています。
注⑥:カムイが続きを聞きたがって何度も来てくれるようにユーカラを途中で打ち切ることは、実際に行われます。
注⑦:アイヌの世界観では、人と神は対等です。カムイは、人に食べてもらい、イナウや酒で祀ってもらうことで、位の高い神としてカムイモシリへ戻ることが出来ます。
注⑧:「~と、○○のカムイが語りました」という終わり方は、ユーカラの決まり文句です。
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