第3話 Thanksgiving (北米・ネイティヴアメリカン)
1.
「みなさん。思い出してください」
樫の木で造られた教会の壁に、神父の太い声が、しめやかに響いた。
「かつて、我々の祖先が新大陸へやって来た頃……彼等は貧しく、飢えていました。大勢の子どもたち、女性や老人たちが、餓死してしまったのです」
講堂に集まった人々は――大部分は白人だったが、神妙な顔で聴いていた。
ベンジャミン・ゴールド神父は、ひとりひとりと目を合わせるようにして、話し続けた。
「その様子をみかねたインディアンの人々が、彼等に食べものを運んで来てくれました。七面鳥やカボチャ、トウモロコシなどです。人々は、彼等と、彼等をお導きくださった神に感謝して、食糧をいただきました。それが、感謝祭(Thanksgiving Day)の始まりです」
神父は目を伏せ、人々の心に言葉が沁み入るのを待った。
「……毎年、我々は秋になると、当時のことを思い出すようにしています。インディアンたちも、今では、我々と同じ神を信じる隣人です。力を合わせて、この地を豊かにしていきましょう」
言いながら、神父は、合唱隊の中に佇む娘のハリエットを見て、微笑んだ。
「アーメン」
「アーメン」
人々が唱和し、それから、教会に賛美歌が流れた。
「お父さん!」
礼拝を終えて去っていく人々を、ゴールド神父は、教会の入り口に立って見送った。人々の間を縫うようにして、ハリエットが、豊かな小麦色の髪を揺らして駆けて来る。
躊躇いなく抱きついて愛情を表現する娘に答えながら、神父は、彼女の後からやって来た青年に声をかけた。
「やあ、バック――失礼。今は、エリアスというのだな」
「こんにちは、ゴールド先生」
青年は、油断のない、けれども親愛のこもった眼差しで神父を見ると、つばひろの帽子を脱いで会釈した。
エリアス・ブディノーは、栗色の髪、青い瞳をした混血の若者だ。白人の父とインディアンの母の間に生まれた。元はバック・ワティーという名前だったが、自分をミッション・スクールに入れてくれた宣教師・エリアス・ブディノーに感謝して、改名したのだ。
ゴールド神父は、エリアスが通った学校の理事の一人であり、チェロキー・インディアンの子ども達が通う、他の多くの学校の支援者でもある。
白人とインディアンの間を取り結ぶ、この青年の資質を、神父は高く評価していた。
「どうだね、その後は」
「順調ですよ。また学校が出来ます」
「それは素晴らしい」
口々に「先生、さようならー!」と叫んで駆け去っていくインディアンの子ども達を、眼を細めて眺め、神父は何度も頷いた。
「私が初めてここへ来た頃には、子ども達は皆痩せて、ボロをまとい、どうにもならないと思えたのに。今ではきちんと服を着て、賛美歌を歌う。この短期間で、よくぞここまで……」
「また始まったわ。お父さんったら、そればっかり」
ハリエットがからかう。エリアスは、口元をわずかに歪めて微笑したが、黙っていた。
狩猟民族だったチェロキー・インディアンには、文字がなかった。銃もなく、文化的に『遅れて』いた彼等は、白人たちに搾取され続けていた。
その状況を憂えた親インディアン派の宣教師やエリアスたちは、チェロキー族の『文明化』に力を注いできた。
白人と同じ神を崇め、英語を話し、狩猟から農耕に生活の手段を切り替える。そうすれば、白人たちも、彼等を認めてくれるのではないかと考えたのだ。
子ども達の教育は、その要だ。三年前、セコイアがチェロキー族の文字を発明してからというもの、改革は一気に進んでいた。最近では、大規模な農場や紡績工場を経営し、白人同様に奴隷を持つチェロキーも現れている。
日一日と裕福に、『文化的』になっていくチェロキーの人々の姿に、神父が感動する気持ちは理解出来た。
しかし――
「トーキング・レイン!」
「トーキング・レインだ!」
ふいに、子ども達の歓声があがった。一人のインディアンが、馬に乗って、教会前の広場に現れたのだ。通りがかった大人達は、驚いて道を譲った。
エリアスには、彼が子ども達を迎えに来ただけだと分かった。
メディスン・マンのトーキング・レインは、子ども達の人気者だ。せがむ子どもを三人鞍に乗せると、彼は、手綱を引いて歩き出した。きゃっきゃと笑い声があがる。
一瞬、彼と目が合ったエリアスは、片手を挙げて挨拶した。ハリエットも、軽く腰をかがめる。トーキング・レインは無表情だったが、黒い瞳は頷いているようだった。
陰口をたたく男の声が、ゴールド神父の耳に届いた。
「真昼間からあんな奴がうろつくようじゃ、世も末だぜ……」
「…………」
神父は声のした方向を顧みたが、相手の姿は見えなかった。何事もなかったかのように、人々は、各々の仕事に戻っている。
神父は、太い腹を揺らして嘆息した。
長い黒髪を腰まで垂らし、鹿革の衣を着て、頬と腕に刺青を施したメディスン・マンの姿は、ゴールド神父には、前時代の遺物だとしか思えなかった。
白人文化に同化することこそ、彼等の幸福だというのに。何をいつまでも、固執しているのだろう……。
「……彼が教会に来てくれることは、ないだろうか」
溜息交じりにベンジャミンが呟くと、トーキング・レインを見送っていたエリアスは、首をかしげた。数秒考え、恩師を振り返り、はっきり答えた。
「無理でしょう」
2.
エリアスと別れて家に帰ったベンジャミン・ゴールドは、妻の差し出す新聞を手に取った。
「久しぶりに会ったが、なかなか、頼もしい青年だね」
エリアスのことだ。ハリエットは、頬を染めて頷いた。
「そうでしょう? 学生時代から、ジョン・リッジと一緒に、人気があったもの」
「ああ、彼は凄かったね」
ベンジャミンは、微笑んだ。
クリーク戦争(1812年)の英雄・メイジャー・リッジの息子ジョンと、学校の経理官の娘・サラ・バード・ノースロップが結婚したのは、二ヶ月前のことだ。メイジャーとジョンの父子は、盛装した御者の操る白馬四頭だての馬車でサラを迎えに来て、町の人々を仰天させた。
チェロキー族の指導者の富と権勢に目を丸くした人々の顔を思い出し、ベンジャミンは笑った。今頃、彼等はジョージアで、幸福に暮らしていることだろう。
機嫌よく新聞に目を落とした神父は、いつものように、社説を読み始めた。
「それでね、お父さん。私――」
「……なんだ、これは?」
いい機会だと思って話を切り出そうとしたハリエットは、父の頬が強張ったのを見て、口を閉じた。新聞を読みながら、ベンジャミンの顔からは、みるみるうちに血の気が引いていった。
「お父さん?」
ハリエットは、父の手元を覗き込んだ。
そこには、先刻話題にしたリッジ家とノースロップ家の結婚をほのめかす形で、こんな文章が載っていた。
『……我々は、われとわが身をインディアンの腕に投げ与えた女性の名をあげつらうことは差し控えるとしても、この不自然な結合の遠因を作った連中の名を挙げることを、躊躇うものではない……。』
ベンジャミンを含む、ミッション・スクールの経営にあたる数名の宣教師たちの実名が掲げられ、さらに
『……娘は公衆の面前で鞭を加えられるべきであり、インディアンは絞首刑に処すべきとする意見もある。』
とまで書かれていた。
「…………」
ハリエットは息を呑み、呼吸を止めた。世界が突然剥き出した凶暴な牙に眩暈がして、父の座る椅子の背に縋りついた。
ベンジャミンの身体に震えが走った。それは、腕から手へと伝わって新聞を揺らし、カサカサ耳障りな音を立てた。
「誰が、こんなことを」
怒りに任せて破ろうとして、思いとどまった。感情的になっても、良いことは何もない。ここは、威厳をもって対処するべきだ。
社説を書いたのは、イザヤ・バンスという編集者だった。公然とこんな中傷を行う輩には、断固とした処置をとらせてもらおう。
「ちょっと、学校へ行ってくる」
ベンジャミンは立ち上がり、不安げな妻と娘にこう言って、再び家を出た。ミッション・スクールの理事会の面々と、相談するつもりだった。
ハリエットは、息苦しくなって片手を胸に当てた。
彼女は、エリアスとの結婚を考えていたのだ……。
3.
町外れ。森との境界には、白人と暮らすことを好まず、昔ながらの生活を続けようとするチェロキー族の一部の人々が、小屋を建てて暮らしていた。
そこへ近づいたエリアスは、カチリという音を聞いて立ち止まった。
「白人の犬が、何の用だ?」
「…………」
振り返ると、自分と同じくらいの歳の若者が、こちらに銃口を向けていた。怒りに燃える瞳を見て、エリアスは溜息を呑んだ。
低い声が間に入った。
「やめなさい。スマイリング・クラウド」
「トーキング・レイン」
《笑う雲》と呼ばれた若者は、全く名前に似つかわしくない仏頂面で、メディスン・マンを顧みた。トーキング・レインは首を振って、エリアスを促した。
「行こう。……君は、ここへ入らない方がいい」
そう言うと、まだ銃が下げられないうちに、エリアスの腕を取った。犬の吼える声と、夕食の支度をする人々のざわめきを聞きながら、エリアスは、長身の男に従った。
木々の落とす影がひときわ濃い場所に立ち止まり、夕日の赤い光を頬に浴びながら、トーキング・レインは青年を顧みた。
「君が私のところへ来るとは、珍しい。どうした?」
「……なぜ、あんなことをした?」
迷った末、エリアスは尋ねた。トーキング・レインの片方の眉が、ひょいと持ち上がる。
「撃たれたいのか? 俺たちを、試しているのか?」
「……ああ、昼間のことか」
トーキング・レインは破顔した。エリアスは、再び嘆息した。
青年の顔に鋭い視線を当て、メディスン・マンは、人の悪い嗤いを浮かべた。
「解っている。白人は、そういう連中だ。口では綺麗なことを言っていても、実際に私を見れば、血の気の多い奴は銃を持ち出すだろう。心配をかけて、すまない」
「トーキング・レイン……」
痛烈な皮肉に、エリアスは言葉を失った。
「エリアス」
トーキング・レインは、真顔になって、青年を見詰めた。
「君の努力には、感謝している。今、子どもたちが笑っていられるのは、君たちのお陰だ。――それが幸福だと思う者もいるだろう」
「…………」
黒い瞳を、エリアスは見返した。それから、目上の者の顔を見詰めることは、先住民族の流儀では礼儀に反することを思い出し、眼を伏せる。
メディスン・マンは、寂しげに微笑した。
「だが……自分の姿を、見るがいい。白人と共に生きることを選んだ結果、君たちはどうなった? 赤い狩人(インディアン)でもなく、白い農民(白人)でもない。全く別のものが出来上がっただけではないのか?」
「トーキング・レイン。俺たちは――」
「本当に、彼等が同等に扱ってくれるようになると思っているのか? 肌の色が違う我々を」
「…………」
『それでも、共に生きてゆかなければならない』――言い返そうとして、エリアスは言葉を呑み込んだ。トーキング・レインが理解していることを、察したのだ。
彼は、とうに解っている。承知していて、言わずにいられないのだ。
トーキング・レインは、そっと囁いた。
「君と私でさえ、こんなにも違うのに……」
「…………」
エリアスは、項垂れるしかなかった。
途方に暮れている青年から視線を逸らし、地平線を見詰めて、トーキング・レインはしばらく考えていた。やがて、ぼそりと告げた。
「……私は、彼等と一緒に行くつもりだ」
はっとして、エリアスは顔を上げた。トーキング・レインは、ゆっくりと肯いた。
「山に入ろうと思う……。知っての通り、我々は、君たちのやり方について行くことが出来なかった。ここに居ては、邪魔になる」
「…………」
彼の言葉は、エリアスの胸にグサリと突き刺さった。
白人側がそうであるように、チェロキー族とて、決して一致団結しているわけではない。自分達の土地に侵入してきた白人を追い出そうと、武器を持って戦おうとする者がいる。メディスン・マンの彼が宥めてくれていたお陰で、戦争にならなかった。
今度は、彼等を連れて行こうというのだ……。反抗しようとする者たちの心情を考えると、トーキング・レインには、彼等を見捨てることは出来ないのだろう。
逆もまた、然りだ。
二つの血、二つの民族に引き裂かれる心情は、混血のエリアスには、容易に想像出来た。今、自分が白人とチェロキー族の仲を取り持とうとしているのも、その所為かもしれない……。
「……君は、君の力で出来ることをやりなさい。私は、私に出来ることをする」
青年の肩を軽く叩くと、トーキング・レインは、来た道を戻って行った。
「…………」
エリアスは、自分の掌を見下ろした。頭の中で、彼の声が繰り返す。
『本当に、彼等が同等に扱ってくれるようになると思っているのか? 肌の色が違う我々を。』
――ハリエットは違う。と、思いたかった。
4.
『いったい、何事だ?』
翌週、教会を訪れたエリアスは、驚いて立ち止まった。建物前の広場に、大勢の白人たちが詰め掛けて、口々に神父を罵っていたのだ。
『インディアンに白人の娘を売った奴』と、人々の言うのを聞いたエリアスは、体中の毛が逆立つのを感じた。
学校は、閉鎖されている。
「エリアス」
茫然と立ち尽くす彼の腕を、誰かが後ろから引っ張った。碧い瞳を見て、エリアスはほっと息をついた。
「ハリエット」
「シッ、急いで」
彼女は、すばやく周囲を見回すと、彼を裏道へ連れて行った。人々の目を避け、物陰から物陰へ隠れるようにして、家へ案内した。
「エリアス。無事だったか」
ハラハラしながら娘の帰りを待っていたゴールド夫妻は、駆け込んできた青年を、立ち上がって迎えた。
「いったい、どうしたのですか?」
「この新聞のせいよ。見て」
ハリエットは、ことの発端となった社説を、青年に手渡した。読み進めていくうちに、エリアスの頬は怒りで紅潮した。
「それから、これ……」
父が急いで発表した反論記事を見せながら、ハリエットの表情は、絶望に陰った。その気持ちは、エリアスにもよく解った。神父たちの反論は極めて『良識的』だったが、一度火がついた群集を宥めるには、力が足りなかった。
それほどに、バンスの記事は扇情的であり、一見、開明的で進歩的な白人たちの心の底にある暗い感情を、見事に引きずり出していた。
トーキング・レインの皮肉が、俄かに重く心に圧し掛かってきた……。一家を慰める言葉がなく、エリアスは、二つの記事を返した。
「……どうするのですか?」
「これ以上、どうすることも出来ないよ」
ベンジャミンは肩をすくめた。
「嵐が過ぎ去るのを、待つしかない。それまで、学校は閉鎖だ。子ども達が可哀想だが、仕方がない」
「…………」
「君も、ほとぼりがさめるまで、ここに近づかない方がいい。インディアンの友達にも、伝えてくれたまえ。危険だ」
「……いいえ。来ますよ」
腕にしがみつくハリエットの手に片手を重ね、エリアスは答えた。口調は静かだったが、藍色の瞳には、強い意志が宿っていた。
ハリエットは、彼を見詰めた。彼女に微笑みかけて、エリアスは続けた。
「これくらいで怯んでいては、この先、やっていけませんからね。結婚するのなら……」
「…………」
「何ですって?」
ゴールド婦人が、鋭く息を吸い込んだ。悲鳴に近い声に、ベンジャミンも目を瞠った。
ハリエットは落ち着いていた。エリアスと手を結び、毅然と顔を上げた。
「私達を、結婚させて欲しいの。お父さん、お母さん」
「…………」
母親はよろめいた。ベンジャミンは、よろめきこそしなかったものの、気持ちは同じだった。選りによってこんな時に――。
それだけではなかった。雷鳴のごとき轟音となって彼を打ちのめしたのは、エリアスだった。
『インディアンの混血児が、娘と結婚する!』
彼は、激しく動揺した。
「……帰ってくれ!」
母は、急いで娘を手元に引き寄せた。うろたえながら叫ぶベンジャミンを、エリアスは、冷静な瞳で見詰めた。
「駄目だ! 帰ってくれ。とんでもない――」
「それが、貴方の答えなのですか。」
青年は、ぽつりと呟いた。間が悪かったと思うのと同時に、『良識的』な言葉に隠された夫妻の素顔を、見た気持ちにさせられた。
ベンジャミンは押し黙った。母親は、娘をしっかり抱いている。
ことを荒立てるつもりは、エリアスにはなかった。不安げなハリエットを安心させるように微笑むと、一礼して踵を返した。
「エリアス……」
ハリエットには、彼を引き止めることが出来なかった。
5.
ベンジャミンは、この話が世間に洩れないよう、出来るだけの措置をした。そして、妻とともに、断固反対の態度をとった。
エリアスは、何度か神父のもとを訪れ、その度に拒絶された。けれども、諦めることなく、一年あまりの間、こつこつ通い続けた。――それは、トーキング・レインの知るところとなる。
白人たちの敵意はなかなか鎮まらず、学校は、遂に永久に閉鎖されてしまった。
しかし、最も傷つき悲しんだのは、ハリエットだった。
彼女は、エリアスと共に両親の気持ちが解けるのを待っていたが、心痛のあまり、病気になってしまった。病は日を追うごとに重くなり、どんどん衰弱していったので、その想いの強さに、とうとう両親は屈した。
神父が二人の結婚を許可したニュースが広がると、町は再び騒然となった。家を囲む塀は壊され、教会の窓ガラスは割られ、神父は腐った卵をぶつけられた。
エリアスがハリエットを迎えに来ると約束した日。かつてハリエットが入っていた教会の合唱隊のメンバーは、喪服を着て門の前に並び、エリアスは、人々の罵声を浴びながら家に入った。
『インディアンは、我々の隣人だ。』
『肌の色や習慣で、差別してはならない。』
いつも、そう話してきた。教会の中では素直に(彼にはそう見えた)話を聞いていた人々の剥き出しの敵意に、ベンジャミンは愕然としていた。
いや、違う。
説話は説話であり、あくまで「心がけ」だ……。インディアンにくれてやるのが他人の娘である限り、いくらでも博愛を説き、人道を説くことが出来た。自分の身にそれが降りかかってくることなど、考えていなかったのだ。
娘は彼の言葉を信じ、混血の青年を愛してしまった。今更、「あれは嘘だ。ただの建前でしかなかったのだ。」などと、どうして言うことが出来るだろう。
エリアスは、それに気づいた。あのメディスン・マンも、知っていた。何よりも、それがハリエットを傷つけたのだ。
「…………」
ベンジャミンは目を閉じた。己の偽善に、打ちのめされた。
安全な場所にいて、自ら危険を冒す必要のない範囲でなら、インディアンやニグロを愛し、彼等の権利を擁護する友人となることは、如何に容易だったことだろう。それは快感ですらあり、その心地よさにどっぷり漬かっていた自分に、気づかされたのだ。
表では、ハリエットを模した藁人形に、人々が火を放ち、奇声をあげている。
何が、彼等をここまで残虐にするのか――ベンジャミンは、陰鬱な気持ちになった。同じ感情が間違いなく己の内にも存在するのだと、理解した故に……。
「行きなさい」
家の中で簡単な結婚式を済ませ、ベンジャミンは二人を促した。娘を失う感傷に浸ることを許さない、厳格な声だった。
「さあ、早く。もう、ここへ帰ってきてはいけない」
「お父さん」
ハリエットの眼には、涙が溜まっていた。自分達が家を出た後、夫妻がどんな目に遭わされるかと考え、エリアスも青ざめた。
家の前には、馬車が待っていた。けれども、周囲には、すっかり興奮した人々がいる。まず、そこへたどり着けるかが問題だった。
と。
「…………!」
パーン! と、銃声が響き、人々は一斉に黙り込んだ。エリアスたちも、身を竦ませた。一瞬、家の中に銃弾が撃ち込まれたかと思ったのだ。
そうではなかった。晴れた空に向けて放たれた、祝砲だった。
続いて、蹄の音が――口々に陽気な叫び声をあげるインディアンを乗せた馬達が、町の中心の道を、どっと駆けて来た。殺気だった集団ではなかったが、時が時なだけに、集まっていた人々は、大慌てで逃げ出した。
馬群が通過したとき、エリアスは、笑っているトーキング・レインの姿を、見たように思った。
今だ!
エリアスとハリエットは、急いで馬車に乗り込んだ。二人を送るために、ゴールド夫妻も、一緒に乗り込んだ。彼等は、ジョージアのチェロキー・ネイションへ――エリアスの故郷。メイジャー・リッジと、ジョンとサラ夫婦が待つ街へ、旅立った。
***
チェロキー・ネイションに到着したエリアスとハリエットは、人々から、非常に温かく迎えられた。ハリエットが心配していた異様な生活習慣などなく、近代化したチェロキーの生活は、宗教も文化程度も、新聞や雑誌を楽しみにするところまで、ほとんど同じだった。
1829年、異郷に暮らす娘の許を訪れた彼女の両親は、幸福そうな彼女と孫たちを見て、大いに安堵した。
ハリエットは三十歳の若さでこの世を去ったが、エリアスとの間に六人の子どもを残している。豊かで、満ち足りた人生だった。
Thanksgiving Dayは、アメリカでは十一月の第四木曜、カナダでは十月の第二月曜に、盛大に祝われている。
~第3話、了~
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『掌の宇宙』第3話 解説
《アメリカ先住民・チェロキー族と、エリアス・ブディノー》
第一話『話す木の葉』をご参照下さい。
エリアス・ブディノーは、メイジャー・リッジの甥です。1828年、チェロキー国民新聞『チェロキー・フェニクス』の主幹となり、ヨーロッパにも名を知られる存在となりました。エリアスとハリエットの物語は、史実に基づきます(1826年結婚)。
トーキング・レイン、スマイリング・クラウド以外の登場人物は、全て実在していました。
★ご注意★
本作品では、19世紀当時存在したネイティヴ・アメリカンや黒人に対する差別をテーマとするために、あえて「インディアン」という呼称を用いました。また、当時の白人側の考えとして、侮蔑的な表現を用いています。(文化的に遅れている、文明化、ニグロ、奴隷、インディアンにくれてやる、など。) これは、白人の文化・宗教・人種を至上のものとする当時の偏見や社会風潮を表すためであり、作者自身にそれを肯定する意思はありません。
「白人の文化・宗教とは違う独自のものとして、ネイティヴ・アメリカンや他の民族の文化・宗教があり、そのどれも尊重されるべきではないでしょうか?」というのが、本作品のテーマです。その為に、創作上の人物・トーキング・レインを登場させました。
お読み下さる方が誤解なさらないよう、敢えて書かせていただきます。
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