第3話「ペットな彼女(意味深)」

 事態は一触即発だった。

 地下室の出入り口はひとつだけ。でもそこは謎のモンスターがいて、実質塞がれている。

 病的なまでに青白い肌。ツノのような突起。ごつごつした岩のような骨格の頭部、その中心に一つだけギョロリと開かれた眼。にやけているとも牙をむき出しているともとれる口元。地面に伸びた四本の手足は獣のそれではなく、人間のそれに酷似している。元は二足歩行なのだろう。巨人だろうか。トラック一台は通れる大きさの地下室の出入り口を、四つんばいの状態で埋め尽くしているということは立てば相当大きいに違いない。

 間違いない、このモンスターは――。

「――サイクロプス、どうしてこんな場所に」

 急激に早くなった心臓の鼓動に押し出されるように、不意に言葉が漏れた。

 サイクロプス。ラスト・リゾートの中でも特に危険度の高いエリアに生息する、一つ眼の巨人だ。五メートル近くある体躯から繰り出される物理攻撃は、よほど戦い慣れたプレイヤーでなければ一撃で倒されてしまうほど強力なことで知られている。ただ動きがのろいのが救いで、開けた場所でなら戦わずにスルーできるんだけど……。

 こんな状況じゃ逃げられないじゃないか!

 そもそもなんでサイクロプスがラムダブルクの街中にいるんだ? 街周辺のモンスターが市街地に入りこむことは以前からあったけど、サイクロプスは生息域がかなり離れているはずだ。まさかこれもゲーム改変の影響か? いや、だとしたらどうして今の今までこんなことが起きなかったんだ? だって事件から三か月以上は経っているのに……。

「来るで!」

 耳に飛び込んできたブルの言葉に思考をさえぎられ、俺は我に返った。

 一つ眼の巨人は肩をすぼめて左右の壁に体をこすりつけながら、じわじわとこちらへ迫ってきていた。

 そうだ、今は原因なんてどうだっていい。どうこの場を切り抜けるかだけを考えるんだ。

 俺は自分たちの戦力状況を分析した。

 ナイトの戦闘適性を持っている俺は、攻撃面はともかく防御面は充実している。首から下を鋼鉄製のアーマーで固めて、手には魔を退ける力を持つ聖別された銀の盾。武器の片手剣は威力は心許ないけど、素材は頑丈なヒヒイロカネ合金製だから攻撃を相殺しても砕けることはない。ナイト用の耐久上昇スキルを使えば、一撃ぐらいはしのぐことができるか。

 それに対して、ブルは明らかに戦闘向きじゃない。ゴスロリ衣装は見た目重視なせいで防御力は皆無だし、場数を踏んでいないせいで戦闘適性も持っていない。普段やることといえば変な動きで移動するか、跳ぶか、よじ登るかしかないプレイスタイルだから戦闘に重きを置いていないというのもあるだろう。最低限の自衛はできるように小型のボウガンを携帯してはいるが、それもサイクロプスの分厚い皮フの前では焼け石に水だ。

 ダメだ、戦力差がありすぎる。

 せめてこちらにもサイクロプス並みの攻撃力があれば……!

 ……………………ん?「サイクロプス並みの攻撃力」?

 その瞬間、俺の頭に閃きが走った。

「ブル、まだ攻撃するな。敵をめいっぱい引きつけるんだ」

「……その様子やと何か考えがあるみたいやな。勝てるんか、ハルト?」

「大丈夫。正攻法がダメなら別の手を、俺たちがいつもやってることじゃないか」

 そう言っている間に、敵はもう階段を下りきる寸前まで迫ってきていた。

 いいぞ、好都合だ。でもまだ足りない。

 俺たちの両脇の壁にサイクロプスの筋肉質な腕がのびる。これで完璧に囲まれた。

 でもまだだ、もっと近づいて来い……!

 そして巨大な一つ眼が、俺たちの顔を至近距離でなめまわすように接近してきた。


 今だ!


「〈セクシーオーラ〉ぁぁぁ!」

 俺が着ていた鎧がくす玉のように割れ、その中から放出されたピンク色の色香が巨人の顔面に直撃した。

 いつも狂った用途でしかこのスキルを使わないから忘れがちだけど、〈セクシーオーラ〉の説明文にはこう書かれている。


 効果:半径2m以内に存在する全ての敵に状態異常:魅了チャームを与える。


 この魅了という状態異常になると、敵を攻撃する代わりに自傷や同士討ちしかできなくなる。俺の記憶が正しければサイクロプスの状態異常耐性はゼロ、つまりセクシーオーラをモロに食らえばその高い攻撃力で自分を殴ることになるのさ!

 俺を普通のプレイヤーだとナメてかかったのが間違いだったな。ラスト・リゾート随一の〈セクシーオーラ〉使いにケンカを売った代償、高くつくぜ!

 周囲に展開されたピンクの霧のエフェクトが晴れていく。

 その中から現れた巨人の姿は、セクシーオーラを食らう前の体勢で静止していた。自分を殴り始める気配はない。こちらを攻撃してくる様子も見られない。

 まさか失敗したのか? だとしたらどうして襲ってこないんだ? 何が起きたんだ?

 息が止まるほどに緊迫した空気が場を支配する。


 この一触即発の空気を破ったのは、この場に似つかないおっとりとした笑い声だった。

「うぷっ、うふふふ。あー可笑しぃ」

 若い女性の声だ。俺はすぐさまこの場にいる唯一の女性に視線を向ける。

「ちゃうで、ウチ笑てへんよ。確かにおもろかったけど、流石にTPOぐらいわきまえ――」

 ブルは話している最中に何かに気づいたのか、口をポカーンと開けて絶句した。

「どうした?」

「…………一応確認やけど。サイクロプスって、頭から女の子生えとったっけ?」

「は?」

 意味が分からず、彼女の視線の先にあるサイクロプスの頭頂部を確認する。

 ……信じられないけど、ブルの言ったことは本当だった。一つ眼のインパクトにばかり目が行って気がつかなかったけど、最初に見えた「ツノのような突起」、あれはツノじゃない。女の子だ。女の子が生えてる!

 たれ目がちで丸みがかった顔立ち、赤みがかった茶色のカールヘアー、頭からピョコッと伸びたウサギ耳、東洋風のノースリーブの衣装、腕はふわふわした白い体毛に覆われ、手の甲には龍をかたどった籠手がはめられている。ウサギ系の亜人デミ型プレイヤーキャラだろう。そんな容貌の女の子の、腰から上の部分だけが巨人の頭部から飛び出していた。そんなどこからどう見ても異常事態なのに、その当の本人はうろたえもせず呑気に笑いこけている。

「え、何、えっ? ちょ、どうなってんの君、大丈夫?」

 異様すぎる状況に脳がオーバーフローを起こして、言葉がうまく出ない。

 そんな俺の声に反応して、ウサ耳少女はおっとりとした口調で話しだした。

「もしかしてぇ、マイアのことが見えるのぉ?」

 マイア、というのはあの少女の名前だろうか。

「え、見えたらアカンやつなん……?」

「まぁヘタな幽霊より恐ろしい絵面だけどさ」

「え~、マイア怖くないよぉ。ねぇ、スーちゃん?」

 目の前の巨人が短くうなりながら頷く。スーちゃんというのはどうやらサイクロプスのことのようだ。

「スーちゃんって……あぁなるほど、ペットやから攻撃して来おへんのか」

「うん、そうだよぉ」

「ペット? どういうことだ?」

「好きなモンスターを従わせられるシステムがあるやろ? あれでペットになったモンスターはこっちから危害を与えへん限り敵対してくることはないんや」

「でも俺はセクシーオーラを当てたぞ?」

「スキルの効果対象をよう見てみい。『敵に』って書いてあるやろ? ウチらはこいつを攻撃せえへんかったから、敵とは認識されず不発になったんよ」

「じゃあ俺のしたことって……」

「要は脱ぎ損、恥の晒し損やな」

 マジかよ……これじゃただ裸になっただけの変態じゃないか。いや、〈セクシーオーラ〉なんてスキルをアイデンティティにしている時点で十分変態か……俺って、一体……。

「うふふふふふ、でも面白かったよぉ。だから落ち込むことはないってぇ」

「気遣ってくれるのは嬉しいんだけどさ、面白いつもりでやったわけじゃないんだよ……」

「そこの変態はともかくとしてや。そこのウサギちゃんは、何がどうなってそないなことになってもうたんや?」

「ん~なんだろぉ? マイアはただ〈乗馬〉を使っただけなんだけどなぁ」

 なるほど、〈乗馬〉か。確かペットにしたモンスターの上に乗ることができるスキルだったか。

 あのマイアって子はサイクロプスに対して乗馬を行ったが、対象がデカすぎるせいで自身の3Dモデルの下半身がめりこんでしまった……ゲームではよくあることだ。そう考えればこの怪現象にも説明がつく。

 しかし、ブルにはまだ腑に落ちない点があるようだった。

「……それはおかしないか? 確かサイクロプスは、乗馬対象にはできへんモンスターのはずやで」

「え、そうなのか?」

「乗馬をするにはそれぞれのペットに適した鞍が必要なんやけどな、巨人型モンスターには適したそれが無いねん」

「えっとぉ、何て言ったらいいのかなぁ。マイアが乗馬してるみたいに見えるけどぉ、本当は乗ってなくてぇ、乗っているのは本当はスーちゃんなんだよぉ」

 乗っているのは本当はスーちゃん……? なんだ、どういうことだ?

 難解すぎて皆目見当もつかなかったが、その謎にいち早く気づいたのかブルは堰を切ったように声を張り上げた。

「なるほどなー! そういうことかー!」

「ビックリした、耳元で叫ぶなって。何か分かったのか?」

「ペット、乗馬ときて何か引っかかるなーって思っとったけど……何か思い出さへんか? このゲームに施された悪質な改変の中でも、特に代表的な『アレ』や」

「それって『主従逆転バグ』のことか?」

 主従逆転バグっていうのは、プレイヤーが乗馬可能なペットに〈乗馬〉を行うと、なぜかプレイヤーの上にペットが乗ってくるという、妙ちくりんな改変のことで……あれ?

 え、ちょっと待て、だとするとこの状況っておかしくないか?

「どうやら気づいたようやな。主従逆転バグが起きるこの状況やと、ウサギちゃんが乗馬をするんやなくて、ウサギちゃんの上にサイクロプスが乗ってへんと辻褄が合わへんねん!」

 上に乗っているのはサイクロプスの方だって!? いや、だとしたらあのマイアって子が乗馬可能なペットじゃないとおかしいんじゃ……。

「ウサギちゃん、ちょっとこっちに背中見せてくれへんか?」

「うん、いいよぉ」

 少女は言われるまま腰をねじらせてこちらに背中を向けた。

「……やっぱそういうことか」

 ブルの予想通り、あの子の背中には本来ではあり得ないはずのものがはまっていた。

 それはペット用の鞍だった。当然モンスターにしか装備できないはずのものを、彼女は背中装備として身に着けていたのだ。

「えっ、コレどうなってんだ……?」

「あのねぇ、前にダンジョンを探検してたらぁ、アイテムが一杯になってどうしようかなぁと思ってぇ。背中装備を拾っててぇ、それで背中が空いてたからぁ、装備してアイテム枠を確保しようかなぁって思ったのぉ。そしたらぁ、なぜか代わりにぃ、持ってた鞍を装備できちゃったのぉ。うふふふふふ」

「なに笑てんねん」

「それでぇ、面白いからスーちゃんに〈乗馬〉を覚えさせてぇ、乗せて回ろうと思ったのぉ」

「それ普通にやったら死ぬで」

「そうだぁ。ここで会ったのも何かの縁だしぃ、そっちに降りてお話してもいいかなぁ?」

「別に構へんけど……」

「じゃあ今行くねぇ」

 えっと、これは、助かったってことでいいのか?

 確かにこの場をしのぎきることはできたのだろう。でもここまでの一連の出来事があまりにも濃すぎたせいで、まだ何かあるんじゃないかという漠然とした不安をぬぐえない。

 それはきっとあのマイアって子が、個性的というか、色々とクセが強すぎるせいでそう感じてしまう部分もあると思う。あの癒し系すぎてこっちまで眠たくなるような口調とか、それなのにサイクロプスを引き連れているギャップとか、元々ツッコミ所は多いけれど……。

 やっぱり一番気がかりなのは、あの鞍バグのことだ。ペット専用の鞍を身に着けて乗馬可能なペット扱いになるなんて……俺の知る限り、そんなバグがあるなんて聞いたことがない。ブルの様子から察するに彼女も初めて知ったのだろう。バグ探しのプロと呼ばれる名登山家の目にも今まで触れられなかったということは、かなり特殊なものに違いない。

 その時、俺の脳裏にある考えがよぎった。


 もしかして彼女も、俺と同じ「自分だけのバグ」を持つプレイヤーなんじゃないか?


 その疑念を後押しするように、ブルが俺の耳元でこう囁いた。

「よかったやん、多分お仲間やで」


 文字通り《ペットな彼女》と呼べるマイアの出現は、この先に待ち受ける波乱の展開を俺たちに予感させた――。

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