第2話「おのぼりさま」
「あーもうアカン、万策尽きたわー」
薄暗く湿っぽい雰囲気と対照的な、少女の甲高い声が無機質な地下室に響いた。
「ワープ系は体バラバラなってアカンやろ? 移動系・飛行系もあらかた試したけどアカンかったやろ? で、渋々こないな《変態》に辱められたのにアカンかったやろ? もうどないしたらええねん」
子どものようなあどけない外見から次々と吐かれるトゲトゲしい言葉に、俺は心底うんざりしていた。
「人聞きの悪いこと言うなって……俺がいつお前を辱めたよ」
「バグ使うてまで裸ンなってる時点で、存在が恥ずかしいやろ。あぁイヤや、変態が伝染る」
ダメだ、またコイツの悪いクセが始まった。普段から関西弁なせいで口調がきつく感じるヤツだけど、実験が失敗して不機嫌になると関西弁の悪いところを全部凝縮したんじゃないかと思うぐらい口汚くなる。
「気持ちは分かるけどさ。ここで言い争っても何の解決にもならないぜ、ブル」
ブル、というのはこの少女のハンドルネーム「ダブル・クロス」にちなんた呼び名だ。
「だからぁ、ウチのことはブルやなくて『クロ』って呼んでって何回も言うとるやん!」
もっともコイツはクロと呼ばれないとお気に召さないらしい。確かにブルのアバターは髪も黒だし、服も黒を基調としたゴスロリ衣装で全身を固めているし、いかにもキャラ付けを頑張っている感じはする。でも、だからと言ってクロと呼ぶのも何か違う気がする。
「やだよ。クロっていうとさ、フィクションのキャラだと言動はヒールだけど根はいいやつって感じだろ」
「なんや、ウチにピッタリやん」
「お前は根っこまで真っ黒だろうが。正直クロじゃ表現が足りねぇ。ブルの方が凶暴そうな感じで似合ってるよ」
「ケンカ売っとるんか? ケンカ売っとるんやろ? えぇで、買うたるで」
「ゴメン、悪かったよ。ほら、これでも食って機嫌直せよな」
そう言って俺は、手持ちのまんじゅうを差し出した。
「わーい、美味そー……ってアホか! まっすぐ走れんくなるやろ!」
「まんじゅう怖い?」
「そうそう、あとは淹れたてのお茶が怖い……って何言わせとんねんドアホぉ!」
こんな性格でもノリが良いのはせめてもの救いかもしれない。
ブルのことは、この事件が起こる前から一方的に知っていた。
彼女はいわゆる「登山家」と呼ばれるプレイスタイルを極めたプレイヤーとして、以前からゲーム内では有名だった。
「登山」とはMMORPG界隈の用語で、スキルやアイテムなどを巧みに活用して通常のゲームプレイでは不可能な方法で目的地へ行く行為を指す。例えば、空中で死んだふりをするとなぜか体が急浮上する謎のバグを利用して、断崖絶壁を飛び越えて対岸へショートカットしたり、自分よりも大きなモンスターに変身すると壁にめり込んで引っかかる仕様を利用して、塔のダンジョンを外壁から駆け上がったり……。まぁ奇想天外なものばかりだ。
ブルは、この登山の存在をラスト・リゾートの世界中に広めたパイオニアだった。たびたび常識破りな方法で新たなルートを開拓し、それらをSNS上で披露することでゲーム中を大いに沸かせる、スター的な人物だった。登山用に開発されたテクニックのうち、彼女の考案したものは全体の六割にも及ぶという。今日の登山はブルの存在なくしては決して語ることはできないと言われるほど、彼女はラスト・リゾートの中で影響力を持っていた。
この功績だけではなく、本人自身のキャラが強烈なのも知名度に拍車をかけていた。小動物のようなかわいらしいルックスから飛び出すキツイ口調の関西弁。ドSで高慢ちきで喧嘩っ早い性格。黙っていれば美人なのに、と今まで何回思わされてきただろう。「むしろそれがいい」とか言って彼女を「クロ様」と崇める狂信者も一定数いるらしいが、そいつらの気が知れない。
登山家としての尊敬、特徴的な方言、尊大な態度。
これらにちなんで、いつしかブルは《おのぼりさま》と称されるようになっていた。
事件が起きた時、俺の周りで最も躍起になっていたのはブルだった。
ラスト・リゾートの南西部に位置する城壁都市【ラムダブルク】に閉じ込められ不満を募らせていた俺は、あるとき街の一角にある【エルソードの渓谷】で彼女を見かけた。
ラムダブルクの街は東西南北の四方を城壁で囲まれているのだが、東南の一区画にだけは壁が建てられていない。というよりも、そこにだけ建てることができないのだ。なぜならそこには、ラムダブルクの南からラスト・リゾートの中心部へ向かって伸びる巨大な地割れが横切っているからだ。この地割れこそが【エルソードの渓谷】である。
ブルは各城壁にある出入り口から出ることは不可能だと判断し、この谷を横切ってラムダブルクから脱出しようとしていた。ただ、いくら凄腕の登山家だからってそう簡単に飛び越えられるような場所じゃないということは、素人の俺でも知っていた。
エルソードの渓谷を横断できたという前例は、今までに一件もない。目をこらしてようやく対岸が見えるほど大きく開いたその谷間にはどんな移動テクニックも通用せず、多くの登山家がその攻略法に頭を悩ます、通称「エルソード問題」は前から有名だった。
事件の日からブルは何度もエルソード越えに挑み、そのたびに落下死することを繰り返していた。彼女が渓谷へ向かって死んだふりジャンプを敢行し、そのまま本当に死んでしまうなんて光景をよく見かけた。ラムダブルクの街中に諦めムードがまん延し、みんなが屋内へ引っ込みはじめても、ブルは構わず谷間へ駆けていった。彼女が落下死したことを示すシステムメッセージは俺たちのログにも流れ続け、決して途切れることはなかった。
無謀な挑戦だという現実をいくら突きつけられても、ブルは決してエルソード越えを諦めなかった。
ある日、どうしてそこまでするんだとブルを問いただしたことがある。
こうすることで少し冷静になってもらいたかったからだ。あの強情な性格のことだから、どうせ大物登山家のプライドを傷つけたくなくて意地になっているに違いない。為す術なんかないという現実を受け入れて何もしないでいる俺たちを、遠回しに責めるようなことはやめてくれと、そう話を持って行こうと思っていた。
そんな俺の予測に反して、彼女は迷いなくこう答えた。
「決まっとるやん。ゲームを愛しとるからや」
衝撃だった。
いつも息をするように毒を吐いているあの口から、そんな綺麗な言葉が出てくるなんて想像もしていなかった。
驚きで呆然としている俺をよそに、ブルは言葉を続けた。
「普段からバグ使うてゲームの粗探しっぽいことばっかしとるから誤解されがちやけど、ウチはゲームのこと心の底から大好きやねん。むしろ本来の楽しみ方だけじゃ愛し足りひんから自分だけの楽しみ方が必要なわけで……自分もゲーマーなら分かるやろ?」
いつもとキャラが違いすぎて違和感が半端じゃなかった。それでもその言葉は本心なのだろうと思えるぐらい、話しているブルの顔は心底楽しそうだった。
しかしその表情は途端に曇りだし、鬱憤を吐き出すように早口でまくしたて始めた。
「それに比べて、この事件を起こした奴はどうや? どういう人間で、何が目的でこないなことしたかよう知らんけど、それでもこれだけは分かる。犯人は、ゲームのことを微塵も愛しとらへん! 悔しいやろ、そんな奴にゲーム愛を踏みにじられて。てなわけで、ウチは決めた。どんな理不尽なゲームやろうと意地でもクリアして、犯人を見返したるって。そんでソイツにこう言うたるねん」
そしてブルは頭上に広がる大空へ向かって中指を突きたて、声いっぱいに叫んだ。
「ゲーマーなめんなや! ってね」
まっすぐな言葉が、空に、街中に、そして俺の心にこだました。それが心の色んな場所にキンキン跳ね返って反響するたびに、自身のカラッポさが身に染みた。
そんなことなんて気にも留めずに、彼女は満足そうにニカッと笑っていた。
「そのために、まずはココを出ぇへんと。せやろ?」
暗雲を晴らす太陽のような笑顔だった。そこに恥じるべき要素は一つもなかった。
それに比べて俺は……何が「現実を受け入れて」だ? 忘れたのか、ここは「ゲーム」だ。そして俺は誰だ? ゲーマーだ。どんなゲームでも愛して、楽しんでナンボだ。それなのに俺は、その誇りを得体の知れない奴に売り渡そうと……!
気づけば俺は怒りを覚えていた。それは、抜け殻のように過ごしていたせいでしばらく忘れていた感情だった。その怒りが犯人に対してのものなのか、それとも大事なものを忘れていた自分自身に対するものなのか、分からなかったけれど……どちらにしろ、それを表わす言葉は一つしかなかった。
「ゲーマーなめんなああぁ!」
心にたまった憂さを何もかも吐き出すように、俺は空の彼方へ声を張り上げた。
ブルは突拍子もなく叫んだ俺を、キョトンと見つめていた。けれど何か納得したのか、急にニマニマ笑いだした。多分からかっているつもりなんだろう。だから俺も笑ってやった。
「結構きもちいいな、コレ」
「なんや、けっこう話分かるやん」
それが、俺たちがエルソードの渓谷越えのために結託した最初の瞬間だった。
俺とブルはラムダブルクを出るために思いつく限りの裏技を試しまくった。
彼女からは谷越えに必要なテクニックを一通り叩きこまれた。俺も何かの役に立つかと思って例の「セクシー滑空バグ」の存在を打ち明けた。案の定これでもかというぐらい笑われたけれど、ブルの笑みには何か手ごたえを掴んだような喜びがにじんでいた。実際に例のバグを従来のジャンプテクニックに組み込んでみたら、三秒滑空できる分のおかげで飛距離を各段に稼ぐことができた。
ただ、これでもまだようやく谷間の中間を越えるのでやっとだった。
この飛距離を倍に伸ばせるような革新的なアイデアは、通算九十三回の実験を経ても未だに見つかっていない……。
「なんやろ、あと一つ何かが足りひん気がすんねん」
さっきの口論からしばらくして、俺たちのいる地下室はいつもの作戦本部の様相を呈していた。
エルソード越えの話にはどうしてもバグや裏技といったグレーゾーンな要素が絡むから、極力周りのプレイヤーに聞かれることは避けたい。
そこでラムダブルクの中でもNPCが多いせいで今は誰でも寄りつかない、でも無敵の子供NPCはいないから強行突破でなんとかなる実は穴場な区画を拠点にし、そこにある地下倉庫を二人きりで占領していた。倉庫といっても物資はまばらにしか置かれていなくて、音を吸収するものが少ないから声がよく反響する。だから自由にあちこち寝転がれるぐらいには住み心地は良かった。
「別にハルトが悪いわけやないんよ。これで合っとるはずなんやけど、ただ何て言うたらええんやろ……」
ブルは拗ねたネコのように気難しい顔で横になりながら、こんな風にずっとうなっていた。
ハルトっていうのは俺のハンドルネーム「レオンハルト」にちなんだ呼び名なんだけど、普段のブルがこの呼び名で俺を呼ぶことは滅多にない。もし彼女が俺をハルトと呼んだら、それはきまって不安を感じているか、精神的にまいっているかのどちらかだ。
こう見えて意外とセンチメンタルなところもあるものだ。こういう時は俺がなんとかするべきなんだけど……俺もあらかたアイデアは出し尽くしていて、もう何も思い浮かばなかった。
このままじゃダメだ。この悪い流れを変えられるなら何でもいい。何か、何かないのか。そう俺は祈りにも似た思考を頭の中でぐるぐる巡らせる。
そしてその祈りは、俺が願っていたよりもはるかに悪い形で叶えられることになった。
ズシン、という地響きが俺たちを突き上げた。最初はなにが起きたか分からず、首をかしげるしかなかった。こんなこと長い間ラムダブルクにいて初めてだったからだ。
ただ、疑問はただちに戦慄へと変わった。ズシン、と一回だけだった地響きが、ズシンズシンズシンズシンと、断続的なものになり、確実に大きくなっていたからだ。それが巨大な“何か”の足音だと気づくのに時間はかからなかった。
こっちに、来る――!
すぐさま俺たちは糸をピンと張り詰めたマリオネットのように飛び起きた。各々の武器をとって臨戦態勢を整え、外へ向かって駆け出す。
地下室の出口に繋がる階段に足をかけ――そこで、俺たちは凍り付いた。
だって、もうそこには――。
こちらをギョロリと睨む、モンスターの巨大な一つ眼があったのだから。
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