【6月刊試し読み】極道さんはヤキモチ焼きなパパで愛妻家

角川ルビー文庫

第1話




 住宅街の中でも古くからの住人が多い一等地。その中でもひときわ広大な土地を所有しているのは、この辺りでは有名な極道組織、『東雲組』である。

 暴対法の施行で他の組の弱体化が進む中、東雲組は当代の若頭のもとで巧みに金を稼いで勢力を拡大している稀有な組織だ。

 元はテキ屋であった東雲組は、現在でも地域とのかかわりが深い。ヤクや銃器の密売はご法度という東雲組の睨みが効いているお蔭で地域の治安が守られているという側面もあり、ある意味では警察よりも遥かに役に立つ存在として、この辺りでは昔から頼りにされてきた。

 二代目組長の東雲吾郎は元々心臓が弱い上に高齢で、先日、息子である賢吾が次期組長として指名されたばかりだ。賢吾が次期組長に選ばれたのは決して身内の欲目ではなく、傘下となる組の組長達も皆、賢吾の実力を認めている。

 二十九歳という若さで若頭として組を支えている賢吾は、ビジネスマンとしても優秀だ。組全体の稼ぎの半分以上を稼ぎ出すその手腕は、同性からも羨望の眼差しを向けられるほどで、株に不動産売買、高級クラブの運営など、様々な業種で成果を上げている。

 加えて、賢吾は女性なら誰しもが抱かれたいと願うほどの男ぶりで、鍛え上げた体と端正な顔立ちに魅了される者が後を絶たない。目が合っただけで妊娠する、などと言われるほどの大人の男の色気を持ち、彼が道を歩くだけで、女性達は目を奪われた。

 だがそんな非の打ちどころのなさそうな男でも、片恋に身を焦がすことはある。片恋の相手は、雨宮佐知。生まれたばかりの頃からの幼馴染で、地域にある雨宮医院の三代目だ。

 色素の薄い髪に、常に潤んでいるかのように見える瞳。目元には一つほくろがあり、視線を向けられただけで誰もが落ち着かなくなってしまうほどの美貌。賢吾とはまた別の魅力で見る者を魅了する……男である。

 物心つく前にはもう佐知のことを好きだった賢吾なので、相手が同性だという当たり前の悩みを持つ暇もなく、むしろ男が男を好きで何が悪い、とすぐに開き直ったぐらいには、賢吾に佐知を諦めるという選択肢はなかった。

 賢吾がその長い片恋を実らせたのはつい最近のこと。賢吾の父、吾郎の隠し子の史を、賢吾が実の子供として引き取ったことが切欠だった。

 母親を亡くしたばかりの史は、『男の子は泣いてはいけない』という母の教えを守り、その小さな体で必死に悲しみをこらえて気丈に振舞う子供だった。そんな史の心を開かせたのは佐知で、今史が笑顔を取り戻して楽しく生活しているのも、佐知のお蔭だ。

 その後、紆余曲折の末に賢吾と佐知は結ばれ、永遠の誓いを交わし、今は史と共に東雲組で本当の家族として暮らしている。



「史によいものを買ってきてやったぞ」

 そう言いながら大きな紙袋を持って居間に入ってきた人物に、夕飯を食べ終わってソファで寛いでいた佐知と賢吾は呆れた視線を向ける。

「吾郎さん、また行ってたんですか?」

 入ってきたのは、賢吾の父である吾郎だった。その手に握られた紙袋に描かれた店のロゴは、ここ数週間ほとんど毎日見ているような気がする。衣服やおもちゃ、食べ物から家具に至るまで、子供のものなら何でも揃う子供用品専門の店のものだ。

「じいじ、ぼく、きのうもおもちゃもらったよ?」

 ソファの前のテーブルでお絵かきをしていた史が、クレヨンを置いて首を傾げる。ちなみにその史が今置いたクレヨンも、一昨日吾郎が買ってきたものだ。

「今日はおもちゃではないぞ?」

 そう言って、吾郎が紙袋から出したのはスニーカーだった。それを見た賢吾が舌打ちする。

「おいじじい、スニーカーは俺が史に買ってやる約束してたんだぞ。出しゃばってくんじゃねえよ」

「何を言う! もうすぐ史の晴れ舞台だぞ! 店員に聞いて、一番早く走れるスニーカーを探してきてやったからな」

 もうすぐ、史の初めての運動会の日がやってくるのだ。賢吾に引き取られる以前、まだ史の母親が生きていた頃にも保育園に通っていた史だが、その時は夜間保育園に通っており、そこでは運動会を経験する機会はなかったらしい。

 初めての運動会ということで史もかなりはりきっていて、毎朝かけっこの自主練習をするほどだ。朝は六時から起き出して、庭で警護についている組員達に見守られながら走るのが最近の史の日課だ。

「そうなの? これはいたらはやくはしれる?」

「ああ、もちろんだ。絶対一番になるに決まっておる」

「すごーい!」

 早く走れると言う吾郎の言葉に目をきらきらさせ始める史とは違い、佐知と賢吾の視線は冷め冷めとしたものだ。

「吾郎さん、そんなこと言って、史が一番になれなかったら責任取ってくださいよ?」

「う……っ」

「そもそもじじい、探してきてやったなんて偉そうに言ってるが、どうせベビー用品を漁りに行ったついでだろうが」

 そうなのだ。吾郎はここのところ毎日、暇さえあればベビー用品を買い漁っている。

 京香に新たな子供が産まれることになり、喜びに沸いたのはかれこれ数ヶ月前のこと。その後すぐに産婦人科の医師から告げられたのは、まさかの双子妊娠だった。

 今のところまだ性別は分かっていないが、一気に家族が二人も増えるということで、皆浮足立っている。東雲組は現在、空前のベビー用品ブームだ。もちろん、ブームの火付け役は吾郎である。

 今、佐知の隣で呆れた顔をしている賢吾だって、実はこっそりベビー用品を買っているのを知っている。組員達も浮かれて何やら買い込んでいるようで、そんな東雲組の面々に、京香は困ったもんだと言いながらも嬉しそうにしていた。

 佐知は買っていない。人それぞれ好みがある訳だし、あまりセンスに自信がないのでどれを選んだらいいのかも分からない。そんな佐知でさえ、暇なときにふとベビー用品を検索したりしてしまっているのだから、あまり人のことは言えない。

 史も最近『ぼく、もうおにいちゃんだからね』とよく口にするようになって、生まれてくる子供を意識しているのは間違いない。皆が子供の誕生を心待ちにしているのだ。

「ついでなどと失礼なことを言うな。史の分は史の分で、真剣に選んでおる」

「ベビー用品を買ったことは否定しねえのかよ」

「何だ賢吾、拗ねておるのか? 仕方ない。今度はお前にもおもちゃを買ってきてやろう」

「誰が拗ねてんだよ。まあでも、俺におもちゃを買ってくるなら、当然大人のおも……いてっ!」

 最後まで言わせず、佐知は賢吾の頭を叩く。まったく、油断も隙も無い。

「ぱぱもおもちゃほしいの? ぼくのおもちゃかそうか?」

 賢吾の爛れた煩悩を払うかのように、史が純真な目で賢吾を見上げて首を傾げる。史の純粋さに賢吾もさすがに頬を掻いた時、居間に新たな来客が現れた。

「ああ、お前さんもやっぱりここにいたんだね」

 入ってきたのは京香だった。これまで東雲組を姐さんとして支えてきた京香は、いつもぴしりと粋に着物を着こなしていたが、妊娠が分かって以降は着物ではなく腹回りのゆったりとしたワンピースを着ている。着物姿を見慣れていた佐知は、いまだにそれに少し慣れない。いつも綺麗に結い上げられていた髪も、今は一つに束ねられているだけだ。

だが、着物姿の時の貫禄ある姐さん然とした京香も好きだが、今の恰好で優しい笑みを浮かべ、大きくなってきたお腹の膨らみを愛おしげに撫でる京香も大好きだと佐知は思う。

「おお、京香! 儂を探しておったのか? それは済まなかった。おい、賢吾! とっととそこを退かんか!」

 京香の手を引いた吾郎が、ソファに座る賢吾を押し退けて佐知の隣に京香を座らせる。腰に負担がかからないように、佐知がクッションを背凭れと京香の間に差し込んでやると、京香は「ありがとう、さすが佐知は気が利くね」と笑った。

「今のところは順調ですけど、無理はしないようにしてくださいね」

「分かってるよ。何かをやろうにもここの連中は皆、あたしをまるでお姫様みたいに扱ってくれるからね。何もすることがなさすぎて困るぐらいだよ」

 京香は四十代で、一応高齢出産ということになる。まだ妊娠に気づいていなかった初期の頃に倒れた経緯もあり、皆が心配性になるのも仕方がないことだ。

「け、お姫様ってタマかよ」

 そんな憎まれ口を叩いたところで、文句も言わずに席を譲って京香の膝に膝掛け毛布をかけてやっている時点で、賢吾も十分お姫様扱いだ。

「そんなことより、史はもうすぐ運動会だろう? あそこの保育園はゼッケンを作ったりしないといけないんじゃないかと思って聞きに来たんだよ。それぐらいはあたしにさせてくれてもいいんじゃないかと思ってね」

 京香の言葉に、「何だ、儂を探しに来た訳ではないのか」と吾郎が少し残念そうな顔をする。以前は京香の愛を重いなどと言っていた吾郎だが、最近は新婚さんもかくやというほどの仲の良さだ。

 そんな吾郎を横目に、佐知はそっと手を後ろに隠す。佐知の指には絆創膏がいくつも貼ってあった。京香に見られたら、きっと嘘がバレてしまう。

「大丈夫ですよ、何とかやってますから」

 頬が引きつりそうになるのを堪えて、佐知は京香ににっこりと笑ってみせた。

「佐知、あんたは頭は良かったけど、裁縫はからっきし駄目だっただろう? 家庭科の成績がずっと悪かったこと、あたしは忘れてないよ」

「同じ保育園のお母さん方に教えてもらいながらやってるので、大丈夫です」

「そうかい? じゃあ、どこまでできたか見せてごらん」

「や、あの……医院で休憩時間に作ってるので、今ここには――」

「佐知」

 生まれた時から知られている相手だ。誤魔化しなど通用するはずもなく、京香は子供の頃に佐知と賢吾がこっそり仏壇のお供え物を食べてしまったのを見つけた時と同じような顔をする。

 仕方のない子だね、と言わんばかりのその表情に、それでも佐知は何とか誤魔化そうと口を開きかけたが、話を聞いていた史が急に立ち上がった。

「ぼく、どこにあるかしってるよ!」

「あ、史!」

 ぱたぱたとキッチンに向かった史が引き出しを開ける。隠れてこつこつやっていたつもりだったが、どうやら史にはバレていたらしい。史は迷うことなくゼッケンを見つけ出し、「はい!」と京香のところまで持ってきてしまった。

「佐知の血の滲むような努力が見えるようだねえ」

 京香は茶化すでもなく、佐知が何度も失敗を繰り返してようやく四方を縫いつけることのできた、不格好なゼッケンとも言えない代物を手に取る。

「さちね、これつくるのにゆびをいっぱいけがしてるの。ぼく、さちがいたいのいやだ。でもきょうかちゃんがいたいのもいやだから、ぼく、ぜっけんいらない」

 指をいっぱい怪我しているという言葉に、賢吾が佐知に殺気じみた視線を送ってくるのを感じた。賢吾には、医院での診察での怪我だと嘘を吐いていたのだ。

「史は本当に優しい子だねえ。でもね、あたしはゼッケンを作るのがとても上手だから、痛くなんかならないよ?」

「ほんと?」

「ああ、もちろんさ。あたしは史に嘘なんか吐いたことないだろう?」

 史と京香の会話にいたたまれない気持ちになって、後ろに隠した手をぎゅっと握りしめる。ざらっと指に巻かれた絆創膏が擦れる感触がして、情けなさに拍車をかけた。

 他の保護者に聞いたところ、布やフェルトを使って可愛く装飾するのが最近の流行りのようだが、佐知はまだ四方を縫って形にするのがやっとで、本当に運動会までに間に合うのかと絶望的な気持ちになっていたところだったのだ。

 このことは賢吾にも話していなかったので、初めてゼッケンを目にした賢吾に、何でもっと早く言わなかったんだと視線で責められる。

 賢吾は佐知が一人で思い悩むのを嫌がる。それが分かっているから、最近はなるべく何でも話すようにはしていた。だがこのことを相談すれば、きっと賢吾は組員の誰かにやらせればいいと言うだろう。でもこういうことは本来親がやるべきことだから、佐知がやらなければと思った。

「あんたが、史のことは何でもやりたいって気持ちも分かるんだけどね」

 そう言った京香が背後に隠していた佐知の手を取り、いくつも絆創膏が巻かれた指を労わるように撫でる。

「適材適所、ってものがあるだろう? あたしは佐知と違って裁縫が得意だからね。ゼッケンはあたしに任せて、佐知は当日のお弁当を頑張りな。食べさせてもらうのを、楽しみにしてるからね?」

 京香の言葉はありがたい。それでも少しだけためらったのは、史の本当の父親を京香が知らないからだ。

 賢吾が史を自分の子供として引き取ったのは、跡目争いなどに史が巻き込まれないためもあるが、京香への優しさもあった。吾郎は元々浮気性なところがあったが、もし史が吾郎の浮気相手の子だと知らされていたら、吾郎のことを心から愛している京香は今こうして穏やかに過ごせていただろうかと考える。何も知らないままの京香に、そんなことをさせていいのだろうか。

「佐知、あたしはあんたの実の母親のつもりでいるんだよ? 頼ってもらえないと寂しいだろう?」

 京香の優しく諭すような言葉に、虚勢を張るのが難しくなる。昔から、佐知は京香には弱い。母を早くに亡くした分、京香に母親の面影を追うように思慕を抱いている自覚もあった。

「……よろしく、お願いします」

 正直、慣れない裁縫は大変で、本当に完成するのかというプレッシャーもあった。

 おばあちゃんが作ってくれると言っていた保護者もいるにはいたが、史とは血の繋がりのない佐知が親になると決めた以上、全部自分がやらないといけないと思い詰めていた。おそらくそんな佐知の気負いなど京香にはお見通しだったのだ。

「佐知はいつまで経っても遠慮がちでいけないねえ。もう賢吾の籍に入ったんだし、あんたは家族同然じゃない、あたしらの本当の家族なんだ。家族は助け合うのが当然だろう? あたしが一番可愛いゼッケンを作ってあげるから、任せとくれよ」

 対外的にはまだ雨宮の姓を名乗ってはいるが、戸籍上では佐知はもう東雲佐知である。

 賢吾と籍を入れたのは、京香の妊娠が分かってほどなくしてからのことだった。男同士では婚姻届は出せないので、養子縁組という形を取ったが、今は遠く離れた場所で医療ボランティアとして活動している佐知の父にも、東雲組の組員達にも、もちろん京香と吾郎と史にも、それどころか幼い頃からお世話になった町の人達にも、皆に祝福されて。それがどんなに得難いことかよく分かっている。

 分かっているからこそ、余計に頑張らなければと思ってしまう佐知の肩を、京香が優しくぽんと叩いた。

「……すみません」

 何だか、嬉しさと申し訳なさで少しだけ泣いてしまいそうだ。

 元々赤ちゃんの時から賢吾とは一緒で、お互いの母親にもまるで兄弟のように育てられたが、佐知が中学の時に母親を亡くした後、京香は本当に佐知を我が子のように賢吾と同等に扱ってくれた。高校生の頃だって、佐知のほうから弁当を作って欲しいと言い出せないのを分かっているかのように、京香が『運動会のお弁当、おかずは何がいいんだい?』と聞いてくれていたことを思い出す。

 そして今、自分が史を育てる立場になってみると、遠慮されることがどれほど寂しいことなのかということがよく分かるようになった。だが、分かってはいてもなかなか難しい。

 思わず下を向いた佐知の頬を、京香がむにゅっと両手で抓って無理矢理顔を上げさせる。

「すみませんじゃないよ、こういう時はありがとうだろう? あたしとあんたの仲で、いちいち謝るんじゃないよ」

「……ありぎゃとう、ぎょじゃいまひゅ」

「よし!」

 頬を抓られたままで佐知がお礼を言うと、京香は満足した顔で手を離してくれた。抓られた頬は痛かったが、京香の気持ちがありがたくて、佐知は頬を擦るふりで照れる顔を誤魔化す。

「なるほど、よくやったばばあ。ばばあもたまには役に立つじゃ――ぶふぉっ」

 最後まで言わせず、佐知と京香が同時に賢吾にクッションを投げつけた。あげくに史にまで「きょうかちゃんはばばあじゃないよ? おなかのあかちゃんにきこえたらかわいそう。ぱぱ、ごめんなさいして」と怒られる賢吾に、ざまあみろと思う。相変わらず空気の読めない男だ。……いや、違う。佐知がこういう空気に慣れていないと知っているから、わざと空気の読めないふりをしてくれていると、本当は分かっていた。

 史に怒られている賢吾がちらりと佐知を見る。佐知の頭の中を読んだかのように、賢吾の口元がふっと笑みを形作った。

 生まれた時からの幼馴染みの二人には、言わずともお互いの言いたいことを理解してしまうことがある。今がまさにそれで、佐知は思わずむっと唇を尖らせた。

(バーカ)

 声を出さず唇だけを動かすと、賢吾の笑みが深くなる。ちくしょう。恰好いいな。

 そんな賢吾のことを、佐知は前よりもっと好きになる。それが何だか悔しい。

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【6月刊試し読み】極道さんはヤキモチ焼きなパパで愛妻家 角川ルビー文庫 @rubybunko

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