第39話「素顔の女王、素顔の臣」

 重い身体に鞭打むちうって、エディンはベッドから這い出て着替えた。

 今は仲間たちと、空母クィーン・オブ・ウルスラの格納庫ハンガーに集まっている。あちこち探したが、六華リッカの姿は見当たらなかった。

 彼女は唐突に、残酷な真実の刃で切り付けられた。

 それは、同じ仲間としてエディンには、こくに思えるのだ。


「いたかよ、エディン!」

「いえ、駄目ですね。艦内はほぼ見回った気がしますが」

「同感だな! しっかし、参ったね!」


 今、エディンと話してるのがエドモンで、他にもマーリンやイワオ、スェインにリシュリーも一緒にいる。全員で探したが、いまだに六華は見つからない。

 エディンの病室で現実を突きつけられ、彼女は走り去った。

 それほどまでに、ショッキングな話だったし、エディンも驚いている。

 だが、周囲の光景にも思わず言葉を失った。


「ところで、この状態は」

「ん? ああ、女王様も承知してるぜ」

「であれば、いいんですが」


 今、格納庫の中に機動戦闘機モビルクラフトは一機もない。

 代わって、そこかしこで避難民たちがひしめいている。テントを張る者、輪になる者、挙句あげくの果てには火をおこしてなべをかける者。敵側が送り込んできた移民モドキまでいる始末だ。

 皆、怯えて恐怖する中で、この場に一時の安堵あんどを得ている。

 改めてエディンは、飛行甲板に機体が全部出されている理由を知った。

 スェインも周囲に目を細めて、自分に言い聞かせるようにつぶやく。


「陛下がよしとされたのであれば、この状況も甘んじて受けねばな。それに、我々は国を守るために飛んでいる。民を守れねば、国を守るなぞ夢のまた夢」

「ですね」

「さて、俺はもう一回りしてくる。エディン、君は?」

「そうですね……あ、そういえば。もう一箇所、心当たりがあります。そこを当たってみます」

「ああ、そうしてくれ。みんなも、もう一度頼む。六華君のことが心配だ」


 皆、貴重な休息の時間をさいてくれている。

 そして、嫌な顔一つせず散ってゆく。

 エディンも、最後の心当たりに向かって再び走り出した。

 傷は、痛む。

 でも、それ以上に心が痛んだ。


「まあ、最初からあの場所に行ってみるべきだったな。彼女が生みの親だしね」


 一人呟き、エディンは飛行甲板へのエレベーターへ向かう。機動戦闘機が出撃する時の、巨大なエレベーターではない。ブリッジ方面への人間用エレベーターだ。

 何人かのメイドや近衛兵このえへいと同乗して、途中で降りる。

 夜の飛行甲板に出ると、吹き付ける風が酷く冷たい。

 機兵形態ストライダー・モードで立ち尽くす機動戦闘機も、どこか寒々しく見えた。

 そしてその中に、一際目を引く騎士然とした姿があった。

 エディンが任されてる最新鋭機、"エクスカリバー"だ。


「っと、やっぱりか。でも、一人じゃないな」


 "エクスカリバー"の足元に、小さな背中が座り込んでいた。湖面を見詰めてひざを抱える、それは間違いなく、六華だ。そして、その隣に寄り添う影がある。

 静かにつむがれる言葉は、小声なのに優しくエディンの鼓膜をでた。


「それは驚きましたね、六華さん。でも、責任を感じることはありませんよ」


 何故なぜか六華と一緒にいるのは、あのオーレリアだ。

 決死の脱出から丸一日、エディンが寝込んでいる間もオーレリアは多忙だっただろう。世界の全てを敵に回す女王は、寝る暇も惜しんで民のために働いている。

 その彼女が、今はたった一人の少女のために心を砕いているようだった。


「すみません、陛下……私、でも、びっくりしてしまって」

「誰でも驚きます。そうですか、そうだったのですか。あの黒い機動戦闘機は、私たちの使う"カリバーン"と"カラドボルグ"、そして"エクスカリバー"の兄弟という訳ですね」

「設計コンセプトは少し違うみたいですけど、あの"ハバキリ"と"ムラクモ"も、八神重工やがみじゅうこうで造られたものです」

「企業の利益を優先するありかたは、私なりに理解しているつもりです」

「でも、私は知らなかった。知らされてなかった」


 このウルスラ王国の、存亡を賭けた戦い。

 その渦中かちゅうで、戦局を左右するのが機動戦闘機だ。

 だが、敵味方で使う機体は全て、同じメーカーで造られた兵器だった。

 その基礎を設計していたのは、六華なのだ。


「私、小さい頃から八神重工の施設にいたんです。そこで、なにも知らずに色々な技術を開発していました」

「ええ、存じています」

「こんなことになるなんて、思わなかった……私のせいで」

「それは違いますよ、六華さん」


 オーレリアの声には、迷いがない。

 そして、深いいつくしみが感じられた。

 盗み聞きするつもりはなかったが、エディンは顔を出すタイミングをいっしてしまった。

 オーレリアは、縮こまって膝に顔を埋める六華の、その震える肩を抱き締める。


「六華さん、どんな人間にも秘密はあります。そう、私にも」

「えっ? 陛下にも?」

「そう、そして女に秘密はつきものです。秘密は女のアクセサリー、嘘はそれを飾る香水」

「……なんか悪女っぽいですよ、陛下」

「あら、お忘れですか? 私は全世界を敵に回して戦う女王です。向こう側では、魔女とか暴君とか、それはもう散々に言われてますから」


 オーレリアは女王になってから、少し変わったとエディンは思う。

 以前からしんの強さを持ってて、いかなる時も清廉せいれんで気高い。そして今は、そこに恐るべき度胸と度量が加わったように思える。絶体絶命とも思える故国の危機、そして重鎮じゅうちんを失った今でも……彼女は静かに優しく微笑ほほえめるのだ。


「六華さん、誰にでも大なり小なりあります。例えば……これは秘密なのですが、私は」

「わ、私は?」

。いいですね? 私は」


 神妙に作った声で、オーレリアが表情を引き締める。見えなくても、その息遣いきづかいがエディンには伝わってきた。

 だが、次の瞬間には脱力が襲う。


。わかりますか、六華さん。マッシュルームです」

「……えっと、キノコの? あの、食べるやつ」

「そう、それです。……私はキノコ全般が苦手ですが、特にマッシュルームが駄目です」

「え、ええと……国家機密?」

「ええ! バルドゥールしか知らなかったことです。……その彼も、今は。あ、いえ、でも本当に、マッシュルームは駄目です。何故って……キノコは皆、菌類ですね?」

「ハ、ハイ」

「菌類……小さな頃から悩んでいます。菌類とはつまり、バイキンの仲間なのでは。そして、その中でもマッシュルームはいけません。あれはいけません。バイキンなのに不思議と美味しい……その美味しさがいけないのです」


 よくわからない好き嫌いだが、エディンは思わず笑いを噛み殺した。

 そして、彼の代わりに六華がかわいらしい声で笑ってくれる。


「やだ、陛下……っ! ふふ、あははっ! そんな、女王陛下がマッシュルームを食べられないなんて!」

「ええ、そうでしょう。そうでしょうとも。だからこれは、重大な国家機密なのです」

「じゃあ、私も……実は、小さい頃から八神重工で育てられてて」

「はい。そして、私たちウルスラ王国の民に希望の翼をもたらしてくれた」

「陛下……」

「敵もまた、八神重工の機動戦闘機を用いているかもしれません。しかし、私は思うのです……私たちが使う機動戦闘機は、生みの親である六華さんと共にウルスラ王国のために飛んでくれるのですから」


 なにも心配はいらなそうだ。

 オーレリアは、どこで聞きつけたのか飛んできてくれた。そして、誰よりも早く見付けてくれたのだ……巨大な企業の中で育った、小さな天才少女の涙を。

 エディンが安心していると、背後に気配が立った。

 振り向くとそこには、六華のコパイロットを務める元自衛官、巌が立っていた。


「心配する必要はなかったようだな」

「ええ。流石さすがは陛下……でも、少しまずいな」

「ん? どうしたエディン君。なにか問題でも」

「いえ、陛下に好き嫌いがあるとは……なにか、マッシュルームを食べられるようになるメニューを考えないといけないなと思って」


 エディンは真面目も真面目、大真面目クソマジメだった。

 だが、その言葉を聞いた巌は目を丸くして、次の瞬間には笑った。

 その大きな声で、六華とオーレリアも振り返る。


「あら? まあ、エディン。五十嵐一佐イガラシいっさも」

「はは、元一佐だ。今は巌でいい。そうか、陛下はマッシュルームが駄目なのか」

「まあ! それは私と六華だけの秘密です。国家機密です……もし漏洩どうえいさせようものなら」

「ものなら?」

「巌さんも一緒に、マッシュルームの刑です。これ、女王命令ですよ?」


 強面こわもての巌が、またしても破顔一笑はがんいっしょうで笑い声をあげる。

 夜空に吸い込まれるその声は、とても真っ直ぐで気持ちのいいものだった。だが、ひとしきり笑った巌が、ふと遠い目で湖の向こうへと視線を投げかける。

 たくましい体躯たいくの巌が、不思議とエディンには小さく見えた。


「昔、娘が作ってくれたシチューに山程入ってましてな。ふっ、戦闘機しか知らぬ自衛官一筋の俺には、マッシュルームがキノコかどうかすら知らぬ時期もありました」

「……五十嵐一佐、いえ……巌さん。経歴書は読ませていただいてます。確か」

「PKOでカンボジアに空自こうくうじえいたいが出向いてた時です。娘の輸送機は」


 エディンも思い出した。確か、五十嵐巌一佐、元一佐の娘は殉職じゅんしょくしている。カンボジアの民を救うための物資を輸送中、反政府ゲリラと化したカンボジアの歩兵に地対空ミサイルで撃たれたのだ。

 そのことを思い出していた、その時だった。

 不意にサーチライトが無数に灯り、けたたましいサイレンの音が響く。

 多くの避難民を抱えた空母クィーン・オブ・ウルスラは、突然真夜中の臨戦態勢へと突入したのだった。

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