第35話「その名を歌え、其は聖剣王なり」

 ウルスラ王家には古くからの、秘密の暗号がある。この地に国を開いた王家の始祖しそが、友マーリンと共に作ったものだ。

 それをオーレリアは、小さい頃に父に何度も聞かされた。

 先祖たちが積み上げてきた歴史を、おとぎ話として知らされていたのである。

 それに気付いたバルドゥール伯爵はくしゃくの、これは大手柄おおてがらだというものだ。

 そのバルドゥールが、ハンドルを握りながら後のオーレリアを振り向く。


「もうすぐ指定の座標ですぞ、陛下!」

勲章くんしょうの並びが示す番号は、12の4の9、つまり」

「12番クレーター湖ですな。4は北、9は管理局のエリアナンバーでしょう」

「そこになにが」


 今、危険を犯してオーレリアは、隠れていた倉庫から出てきた。

 勿論もちろん、これはバルドゥールの提案である。今をおいて、脱出の好機チャンスはないと彼は言うのだ。先祖代々から仕える家の重鎮じゅうちんなれば、その覚悟を込めた言葉を無下にはできない。

 オーレリアは国の元首として、その責任のためにも生きねばならぬのだ。

 そして、この脱出の手引らしき暗号のために、アシュレイが今も動いてくれている。陽動のため、自ら敵兵たちの前に出ていったのだ。


「それにしても、アシュレイは大丈夫でしょうか」

「なぁに! 陛下、心配には及びませんぞ。ワシはきゃつが小僧の頃から、よーく知っております。よくも立派に育った……小さい頃なぞ、ほれ、そこの坊主ボウズに似て滅茶苦茶めちゃくちゃでしたわ、ワハハ!」


 ガタゴトと揺れる車は、市街地を避けて山道を走る。

 車で飛ばせば数十分という距離が、酷く長く感じた。

 そして、自然とオーレリアは隣の少年に手を伸べる。ヘルメットを抱えたパイロットスーツ姿のエディンは、ひたいに玉の汗を浮かべていた。

 そっとハンカチで拭い、オーレリアはその暗い表情を覗き込む。


「エディン、ここにモルヒネが……痛み止めです。どうしても苦しいのなら、これを」

「い、いえ……お気遣きづかいなく、陛下」

「しかし」

「モルヒネは痛みを和らげますが、判断力が低下するんです。それに、思考能力もいちじるしく損なわれる。僕は……なにがあっても、陛下をお守りしなければ」


 今こうしている、この瞬間も誰もが戦っている。

 まだ、終わってはいない。終わりにしてはならないのだ。オーレリアは、民と国土を守る義務がある。その責任から、死を持って逃れるなど言語道断ごんごどうだんだ。

 それに、別れ際にあのマーリンが言っていた。

 群雄割拠ぐんゆうかっきょの欧州で、多くの危機を父祖ふそは乗り越えてきた。

 そして今も歴史はまだ、必ず未来に続いていると。

 だから、最後の最後まで希望を捨ててはいけないと。

 その言葉を思い出した、その時だった。不意にエディンの持つヘルメットが、電子音と共に回線を開く。声の主は女の子だった。


『こちらアーサー02ツー! アーサー01ワン、応答して! エディン!』


 確か、紫堂六華シドウリッカという名の日本人だ。機動戦闘機モビルクラフトを設計、開発した少女である。彼女のどこか逼迫ひっぱくした声が、すぐにジェットの轟音に掻き消された。

 真っ暗な夜空を、ラムジェットのバーナー炎が流星のように通り過ぎた。

 それを窓から見上げたオーレリアは、二機編隊がのを目撃する。

 同時に、曳光弾えいこうだんの入り交じる火線が引き裂いてゆく。


『ああもうっ、しつこい! まだ追ってくるっ。五十嵐三佐イガラシさんさ、じゃない、いわおさん! この辺りで限界みたい』

『了解だ。アーサー03スリー、タイミングを合わせてくれ。3、2、1……ケーブル、パージ』

『おいおい、放り出しちゃっていいのかよ! ああくそっ、どこにいるんだ! オーレリア!』

『オートで指定座標に飛ばしたが、あとは運任せだな。では、追手は任せていただく! 国をくれてやったとて……女王だけは絶対に渡さんっ!』


 あっという間に、頭上で空中戦が始まった。

 友人のリシュリーの声も、すぐに聴こえなくなってしまう。

 そして、いよいよ荒れた道を小さなワンボックスが加速する。しがみつくようにハンドルを切るバルドゥールが、今は普段の何倍も頼もしく見えた。

 そして、ヘルメットを被りながらエディンが身を起こす。

 その息は荒く、顔は真っ青だ。

 だが、彼は通信に耳を澄ませながら、呼吸を整える。


「六華さん、五十嵐三佐、それに、リシュと、スェイン少佐」

『エディン? 生きてるのね、エディン! よかった……』

「オーレリア陛下も一緒です、六華さん。それより、なにが」

『使える機体を持ってきたわ! っていうか、使えるかどうかはわからない……けど、現状"カラドボルグ"は予備機よびきまで出払ってて、これしかないの』

「それは……ありがたい、です、ね……もしかして、あれを?」

『ええ。……貴方あなたたくすわ、エディン。MCF-00Ex……""を』


 オーレリアも以前、六華から説明を受けたことがある。

 MCF-1X"カリバーン"のテスト用開発母体、いわば零号機ゼロごうき……それに、特別な磁力炉マグネイト・リアクターを搭載した実験モデルがあるという。それは、ウルスラ王国の空全てをおおう磁気嵐を起こし、空母を低空ながら空へと飛ばす程の出力を持つ、だ。

 従来の、プラス極とマイナス極を内包ないほうする磁力炉ではない。

 プラス炉とマイナス炉を同時にドライブさせる、タンデム方式の高出力タイプだ。

 だが、完成したという報告はまだ受け取っていない。


「こちら……アーサー、01……了解した。陛下と一緒に、それで脱出する」

『ちょっとエディン? 貴方、声が……ちょっと、大丈夫なの!?』

「いや、平気さ。問題は、ない」

『いい、よく聞いて。"エクストラ・カリバーン"はまだ、アビオニクス系の調整が完全じゃないの。急いできたから武装も積んでないわ。でも、エディンなら――』


 声が途切れた。

 瞬間、車も大きく蛇行だこうし始める。

 そして、背後で苛烈かれつな光が土砂柱どしゃばしら屹立きつりつさせていた。

 炸裂する弾丸が、ワンボックスの刻むわだちを追い立ててゆく。振り返れば、オーレリアにもはっきりと見えた。一機の機動戦闘機が、変形しながら追いかけてくる。

 あれは確か、敵側が配備している"ムラクモ"という機体である。

 ゆっくり着地する両足が、その質量ですぐそこまで迫っていた。


「陛下! おい坊主……しゃんとせんか、坊主っ!」


 バルドゥールが怒鳴どなりつつ、加速する。

 彼は前だけを見て、必死で背後からの射撃を避けながら叫んだ。


「陛下をお守りして脱出しろ! ……陛下、おさらばでございます」

「バルドゥール! なにを言う」

「早く行かんか、坊主っ! 我が子リシュリーを頼む……なに、あれは殺しても死なんクチでな……父親似ちちおやにというやつですぞ。さあ、お早く!」


 あっという間にオーレリアは、エディンに抱き寄せられた。そのままドアがスライドして開き、その先の闇へと放り出される。勿論、エディンも一緒だった。

 抱き合うような形で、しげみの中へと転がる。

 パイロットスーツ姿のエディンが、全身でかばってくれてる気配が伝わった。

 ようやく止まると、オーレリアは身を起こす。

 すぐ側を、鋼鉄の巨人が地響きを立てて通り過ぎる。


「バルドゥール……いけません、すぐに助けに」

「いえ、陛下。申し訳ありませんが、こらえてもらいます」

「エディン!」

「それより、御身おんみの安全が優先です。陛下が生き延びねば、伯爵の努力も無駄になります。さあ」


 苦しげに立ち上がりながら、エディンが手を引く。その力は、有無を言わさずオーレリアを湖面の方へと歩かせた。

 エディンの手は、怒りと憤りに震えていた。

 エディン自身の迂闊さ、弱さへの気持ちかと思うと、自然とオーレリアは強く握って歩く。

 ワンボックスのエンジン音は、徐々に遠ざかっていった

 こんなことでは、リシュリーに合わせる顔がない。

 だが、そうまでして自分を守ってくれた忠臣ちゅうしんのためにも、ここでオーレリアが死ぬ訳にはいかなかった。それは、瀕死の傷をおして歩くエディンに対しても同じである。

 そして、不意に視界が開けた。

 旧世紀、百年前に新型爆弾で作られた無数のクレーター……それは、国土の大半を占める翠海ジェイドシーと繋がり、全てが湖となった。その一つが今、目の前に広がっている。


「あ、あれは……エディン! 湖面に光が……なんだ? なにが」


 静かに清水しみずを湛えた水面に、奇妙な光があった。

 それはすぐに、白銀に輝く機動戦闘機だとわかる。殺人と破壊のための兵器とは思えぬ、優美な姿が湖面に浮かんでいた。

 星明かりに照らされた、奇妙なシルエット……それは、見慣れた"カリバーン"より一回り大型に見える。前進翼や脚部になる左右一対のエンジンなどは、以前と同じ……だが、機首は左右より長く伸びるパーツによって追い越されている。その構造物は、主翼まで絶妙なラインで繋がって一体化しているのだ。


「エディン、あれが……エディン?」

「陛下、失礼を」

「ひゃうっ!?」


 突然、エディンがオーレリアを抱き上げた。驚きに固まるまま、おずおずとオーレリアはエディンの首に手を回した。

 そのままエディンは、静かに岸からオーレリアを抱えたまま、新しい機体へ飛び移る。

 コクピットのキャノピーが開くと、すでに機体には火が入っていた。

 エディンは後部座席へとオーレリアを座らせる。

 それは、先程の"ムラクモ"がこちらへ戻ってくるのと同時だった。


「来たか……陛下、身体を座席に固定してください」

「このベルトですね」

ぶなら一度変形を……行くぞ、"エクストラ・カリバーン"ッ!」


 キャノピーが閉まると同時に、機体が微動に震え出す。

 だが、オーレリアの耳朶じだをサイレンのような警報音アラートが叩いた。


「くっ、システムエラー? 変形できない。モードセッティング、リコール……駄目だ!」


 やはりまだ、"エクストラ・カリバーン"は未完成のようだ。ちらりと見れば、既に外の"ムラクモ"は銃口を下げている。新型機と見て、鹵獲ろかくを試みようとしているのだ。

 エディンの四苦八苦しくはっくする気配を読んで、静かにオーレリアは祈った。

 願いをつむぐようにして、たましいなき鋼鉄の翼に語りかける。


「身勝手を承知でお願いします。どうか、力を……貴方は、怖いのではありませんか?」

「システムチェック……くっ、何故なぜだ? このコード配列でエラーなんて」

「生まれてからずっと、実験ばかり……そして今、身体を改造され、恐ろしい力を宿やどした……ですが、恐れる必要はありません。さあ、お立ちなさい」

「――なんだ? システム自身が……自分を書き換えている? これは」


 すぐ側に、巨大な手が迫っていた。

 だが、オーレリアは不思議と恐怖を感じなかった。どこでどんな状況に置かれても、自分が女王だからだ。ならばと命じる、その名を静かに翼へ与える。


「このウルスラの空を貴方に与えましょう。"エクストラ・カリバーン"、いえ――""」


 瞬間、水飛沫みずしぶきと共に機体の輪郭りんかくほどける。肉眼で目視できる程の磁力が、コクピット周辺の変形で見えなくなり、モニターの光にオーロラとなって揺れる。

 分離して宙を舞う両手両足が、月影となって空中で合体した。

 そこには、偉大な騎士王きしおうの威容を思わせる、救国きゅうこくの聖剣が腕組み浮かび上がっていた。

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