第31話「エリシュ・ハライソ」
音の速さで飛べば、捨てた剣があっという間に後方へと消えた。
だが、空気を引き裂く速度域でも、その一瞬が永遠に感じられる。
"カリバーン"は敵機を振り切り、王都の上空を王宮へと向かう。
後ろで姉のエリシュが、悔しげに
「酷い……街の人たちは関係ないのに」
「一応、親衛隊の方で避難計画を進めてたから大丈夫、だと、思いたい。海軍の各施設に誘導する手筈だけど」
「命あってのものだね、っていうけど……家を、故郷を焼かれちゃ誰だってヤでしょ」
黙って
そして、ようやく王宮の上空で高度を落とす。
こういう時は、
裏手のヘリポートへと回り込めば、既にヘリが二機待機中だ。
だが、エディンは思わず目を見張る。
「陛下、なにを……全く、困った人だなあ」
「でも、そういう人だって知ってるでしょ」
「だね。姉さん、周囲を索敵よろしく。ヘリを護衛して一度母艦に戻る」
眼下では今、燃え盛る王宮から人々が逃げ出している。
その避難の陣頭指揮を取っているのは、あのオーレリアだ。彼女は今、簡素なスーツにタイトスカートで声を張り上げている。
君主である女王が、メイドや老人たちを逃している。
本来ならば、真っ先にヘリに乗らなければいけないのは彼女だ。
きっと、彼女は知っているのだ……本来の指導者としての、自身の生存を優先するという
「こういう時って、嫌に時間が遅く流れるのよね」
「そうだね」
「クィーン・オブ・ウルスラは健在、小型艦艇と一緒に避難民を受け入れてる。モードレット小隊とガウェイン小隊が
「……一番機が離陸する。フォローに回るよ、姉さん」
一機目のヘリが、大勢の人たちを乗せて飛び立った。
その風圧の中で、真っ直ぐオーレリアは空を見詰めている。
そして、いよいよ燃え落ちようとする王宮から見知った姿が駆けてくる。
「おっと、
「ああ、アシュレイさんがいれば安心だね。すぐ二機目に乗って二人も――」
かつての上司が、普段と変わらぬ落ち着いた表情でオーレリアに駆け寄る。
彼と二言三言話した彼女が、ふとエディンの"カリバーン"一号機を見上げた、その時だった。
不意に閃光が走って、待機中のヘリが爆散した。
長距離からの射撃だったが、通常兵器ではない。
集中力を研ぎ澄ませば、エリシュの声が走る。
「右後方、上空!」
だが、殺気へと向けた銃口が粒子の光を浴びて爆散した。あっという間に融解して、内部のケースレス弾頭が誘爆したのだ。
こんな攻撃を行えるのは、現時点ではまだ一機しかいない。
数歩機体を下がらせつつ、エディンは地面のオーレリアを守るように立つ。
見上げれば、先程振り切った筈の"ハバキリ"が滞空している。
その手には、機体の全長を超える長大な砲身が握られていた。
「ビームはやっかいだね。セルジュは本気かな。……姉さん、悪いけど」
ひりつく緊張感の中、そっとエディンはサイドのミラーへ視線を滑らせる。
だが、エリシュは不敵に笑って肩を
「あ、悪いけどそっちからはあたしの脱出装置は作動しないわよ?」
「ああ、そういう」
「そそ、そういうやつ。あんたはあの娘を守ってあげな? あたしはあんたを守るから。ほら、お姉ちゃんだし」
「……わかった」
頼もしい姉は今も健在だ。
そしてエディンは、自分の使命を思い出す。
この国を……ウルスラ王国を、守る。
それは今は、足元のオーレリアを守ることと同義だ。
ゆっくりと高度を落としてくる"ハバキリ"へと"カリバーン"が身構える。
両足の
『逃さねえよ! 逃さねえ……お前はここで! 俺が、倒すっ!』
「能書きはいい、セルジュ。かかってこい」
『もう、逃げの一手は通じないぜ? チェックメイトだ、王立海軍!』
だが、セルジュの"ハバキリ"は大口径のビーム砲を捨てるや、一振りになってしまった
エディンはようやく、セルジュという男を理解した。
彼は、戦士だ。
闘争へと
そしてそれは、エディンにとっては幸運だった。
「彼が馬鹿で助かった」
「ちょっとエディン? 聴こえちゃうって」
『あァ!? 聴こえてるぞゴルァ! 俺は馬鹿でいいんだよ。オヤジが全部考えっから、俺は戦って! 戦ってぇ! 戦いまくるんだ!』
ふと見下ろせば、背後ではオーレリアの手を引いてアシュレイが走り出している。
最悪の事態は、オーレリアが敵の手に落ちることだ。
もしくは、この場で殺害されてしまうか。
正直、先程のビームを防ぐ方法は今はない。セルジュはやろうと思えば、エディンたちの"カリバーン"ごと、オーレリアを消し飛ばすことができたのだ。
それをやらなかったのは、やはり彼が戦士……それ以上でもそれ以下でもないからだ。
「こい、セルジュ。これで終わりにしてやる」
『ハッ! 二言はねぇな? じゃあ、ケリをつけてやんぜっ!』
着地と同時に、"ハバキリ"が鋭い踏み込みで一太刀を浴びせてくる。
残念だが、得物が
燃え盛る王宮を背に、エディンは必死でセルジュの太刀筋をさばいて流す。
一撃を避ける都度、激しい消耗でエディンの精神力は
『オラオラァ! 手も足も出ねえってか!』
「おかまいなく。
『へっ、それじゃあ……そのまま押されて潰れ死ねェ!』
圧倒的に不利な中でも、決してエディンは諦めない。
少しでもここで時間を稼げば、オーレリアは遠くまで走って逃げることが可能だ。それに、近衛長のアシュレイがついている。彼は格闘術や射撃は
エディンなんかは、近衛の一人と言っても雑用ばかりだった。
そのことを今は、何故か不思議と鮮明に思い出せる。
「ん、まずいわエディン!」
「ごめん姉さん! ちょっと手が抜けないんだ。手一杯だよ」
「連中の
「――っ!
「退却できるならね」
変形しながら、次々と敵の機動戦闘機が降りてくる。
おそらくもう、市街地の制圧が終わったのだろう。
今はただ、オーレリアの無事を祈るしかない。そして、ここでエディンが死んではいけない理由もある。
オーレリアに騎士として誓った。
エリシュにも、死んでほしくない。
最後の最後まで、故国を守るために戦う責任だってあるのだ。
「よし、逃げよう」
「出た、お得意の
「無茶かもしれないけど、無理じゃないさ」
「さっすがあたしの自慢の弟! 愛してるよん? エディンさ、愛してる」
突然なにを……そう思った瞬間だった。
エディンは
次の瞬間、"カリバーン"は銃剣を目の前の"ハバキリ"へと
斬り払われて叩き落された、その間隙を衝くように急上昇、変形。
即座に無数の"ムラクモ"が襲ってきた。
セルジュの絶叫だけが、遠ざかってゆく。
『おうこら、結局逃げんのかよ! 卑怯者がぁ、クソッ! クソクソ、クソーッ!』
あっという間に、ミサイルが無数に放たれる。
ビリビリと空気の摩擦に震えながら、翼は最高速度で真っ直ぐ飛んだ。あっという間に周囲の風景が拭い去られて、
そしてエディンは、思わず背後を振り返った。
「姉さん!」
「さっきの話ね、エディン……逆はできちゃうんだなー、これがさ」
エリシュが優しく
次の瞬間、エディンは強制的にシートに縛り付けられた。脱出シークエンスが始まって、パイロット保護のために固定されたのだ。パイロットスーツが連動していて、そのままベイルアウトのカウントが始まる。
どんなに暴れようとも、既にエディンは拘束されたような状態だった。
「エディン、戦いなさい。戦って、戦い抜いて、そして守るの。いい?」
「姉さん、待って! 姉さん!」
あっという間に、エディンは空の中へと放り出された。
同時に、飛び去るカリバーンへミサイルが喰らいついてゆく。
真っ赤な夕日の中へと消えた翼は、遠くで小さな火花をあげて、そして消えたのだった。
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