第29話「嘘と罠」

 エディンは内心、戦慄せんりつしていた。

 高高度より落下を始めた、旧大戦の悪夢……ゼウスの雷ユピテル・トォオーノ。その中には恐らく、ウルスラの王都をすっぽり包む程の毒ガスか生物兵器が充満している。

 すでに領空なので、ここでの撃墜は無理だ。

 あふれ出た内包物を完全に焼却することも難しい。

 急上昇する愛機"カリバーン"一号機のコクピットで、いつになく胸騒ぎが収まらない。そんな彼を気遣きづかってか、背後から響くエリシュの声はいつも通り緊張感がなかった。


「おーい、エディン? ターゲットを目視で確認……でっかいねー」

「ああ、あれか。"カラドボルグ"各機、発砲は禁止だ。小さな穴が空いても、中身が国民の頭上に降り注ぐ」


 現在、王立海軍要撃隊おうりつかいぐんようげきたいの稼働機数は18機……これは奇跡的な数字と言ってもいい。

 だが、開戦からこっち、ずっと機動戦闘機モビルクラフトは全機がフル稼働している。予備パーツも物凄い早さで損耗してゆき、整備班から出撃停止でフルメンテを言い渡される機体も出始めた。

 そして、今のウルスラに予備機や補充のあてはない。

 ここが正面場という局面で、敵は最大のカードを切ってきた。

 さてと思案すれば、徐々に前方に巨大な飛行船が迫る。

 あまりに巨大で、完全に距離感を食い潰していた。


「あれを落とさず、破壊せずに領空外へ押し出す……そんなとこかな。姉さん」

「もう計算してるよん? この質量、仮に内包物がヘリウムガスと同等として……うん、全機の推力を集中すれば持ち上げられる。これ、あれじゃん?」

「ん、なに?」

「ウルスラが駄目になるか、ならないかなんだ! やってみる価値はありますぜ! ……ってやつ? ほら、男の子ってこういうのが好きなんでしょ」

「……ごめん、本気で言ってることがわからない」


 ちらりと見たミラーの中で、エリシュがつまらなそうにくちびるとがらせた。

 時々彼女のジョークは、上級者向け過ぎてエディンにはわからないことの方が多い。でも、姉がこの場の空気を和らげようとしてくれてるのだけがわかった。

 そして、僚機りょうきから無数の通信が行き交う。


『隊長、それはあれですよ。日本で有名なアニメ映画ッス』

『そうそう、ガンダムだよな。……ま、今じゃ俺たちガンダムよりやべえもんに乗ってるが』

『んじゃま、押し返してみますか? たかが飛行船一つ、ってやつでさあ』


 全機、機兵形態ストライダー・モードへと変形して両手を広げる。

 巨大なユピテル・トォオーノが、すぐ眼前まで迫っていた。

 すぐ横に、先行してたリシュリーとスェインの"カリバーン"三号機も並ぶ。

 すぐに操縦系統をスイッチしたリシュリーが、三号機の右腕をブンブンと回した。


『おっしゃあ! フルパワーで押し返してやる! アイハブ!』

『ユーハブ。気をつけてくれたまえ。空中での機兵形態は推進剤を激しく消耗する』

『わかってるよ、スェイン! それよか、おいエディン! ……客だぜ?』


 同時に、アラート音が響く。

 すぐにエリシュがレーダーを確認して声を尖らせた。


「下よ、エディン! 高度7,000m、輸送機多数! C-130が……目視で500機以上!」

「500……しまった、やられた、かな?」

「どうする、エディン?」

「姉さん、再計算して。押し返さないまでも、一時間。いや、三十分このユピテル・トォオーノを支えるのに必要な機動戦闘機の数は? 逆算して、余った数を迎撃に」


 エリシュはさながら、生きる小さな巨大コンピューターだ。あっという間に計算をやり直し、周囲の"カラドボルグ"へと伝達する。

 だが、それを上回るスピードで、事態が急転し始めた。

 それも、最悪の方向へとである。


「エディン! ユピテル・トォオーノの落下速度が速まる! 落ちてくる!」

「くっ……リシュ! 5機連れてさっきの輸送機を……いや、待て。考えろ、考えるんだエディン」


 一瞬の迷いと判断の遅れが、故国を火の海にしてしまう。

 そうこうしている間にも、目の前にユピテル・トォオーノは迫っていた。

 後にエディンは、このわずか数秒を後悔することになる。

 だが、今は機体を操縦して両手を伸ばした。

 全機が、大質量を受け止めスラスターから青白い炎をほとばしらせる。

 既にもう、ユピテル・トォオーノは急降下に近い体勢を取っていた。


「エディン、降下が止まった! けど、輸送機の大群が!」

「そう、輸送機だ……何故なぜだ? 何故、爆撃機じゃなく――!?」

「エディン? っとっとっと、もっとパワー出して! 押しつぶされちゃう!」


 18機の機動戦闘機を持ってしても、全長800mの巨大飛行船を支えることは至難だ。

 ちらりと見れば、推進剤が急激に減ってゆくのが電子表示で確認できる。

 あせる中でエディンは、ようやく意図いとを理解した。

 しかし、遅かったと奥歯をむ。


「全機、離脱! このユピテル・トォオーノは……だ!」

「えっ? ちょっと待って、エディン!」

「リシュ、そっちの火器で落としてくれ。残りは僕に続いて輸送機を追う!」


 仲間たちからも、疑問の声があがった。

 目の前には、大量破壊兵器を満載した飛行船が落ちつつある。

 対して、低高度へと加速して去る輸送機は非武装のC-130だ。

 どちらを優先すべきかは、明白に見える。

 だが、そう思わせる相手の策をエディンは見破った。

 これだけの悪意を練り上げられる、その人物にも心当たりがある。


『おいエディン! これ、毒ガスとか、ええと、ほらあれだ、あれとか入ってるんだろ!』

「入っていない。断言できる」

『どうしてだ! お前、昔から時々難しいこと言うぞ! 今は言ってすらくれねえ! あの時も……オレとオーレリアが湖で迷子になった時もそうだった!』

「説明はあとだ、リシュ!」

『クソッ、どうなってもしらねえからな!』


 全機が、ユピテル・トォオーノから離れる。

 その中で、リシュリーとスェインが乗る"カリバーン"三号機が翼のパイロンから大型の火器を手に取った。

 それは、ガンベルトで弾倉と繋がった長銃身の二連装砲。

 八神重工製60mmガトリング砲"エウリュアレ"である。

 ヴン! と唸る砲身が回転を始めると、あっという間になまりつぶてが吐き出された。まるでミシンで縫い上げられたように、ユピテル・トォオーノが切り裂かれてゆく。

 そして、その中から真っ白なガスが吹き出した。


『状況、ガス! 隊長、これは』

『い、いや、待て! なんてこった……』

『これは……ただの不燃性ガスだ! 主成分はヘリウム!』

『毒ガスおよび化学兵器の痕跡、発見できず! つまり』

『野郎、ただのでかい風船だったって訳か!』


 そう、極めて高度な知恵比ちえくらべだった。

 わざわざ、百年も前の骨董品こっとうひんを再現して、それを撃ち込んでくる。当然、普通の人間ならばユピテル・トォオーノの存在など知らないのだ。

 かつて旧大戦の折、ユピテル・トォオーノはイタリアの最終秘密兵器だった。

 そして、それは一度も使われるまま、歴史の闇に葬られた。

 だが、相手はオーレリアの勉強熱心と、エディンの博識を知っていた。

 逆手を取って、毒ガスや化学兵器を警戒させることこそが目的だったのだ。

 この狡猾こうかつな策をろうした男を、エディンは知っている気がした。


「やってくれたね、シヴァンツ……やはり、敵に回った、か」

「まー、あの陰湿眼鏡クソメガネがやりそうなことよね。で? エディン、これはもう片付いたでしょ? なら!」

「ああ。全機、反転! 先程の輸送機を叩く! ……間に合うか? 今からで、あの数を」


 瞬時に各機が、戦闘機形態ファイター・モードへと変形する。

 真っ先に加速する"カリバーン"一号機の中で、エディンはれる気持ちに平静をよびかけた。既に初手から、駆け引きに負けていた。そのことを悔やんでも今は、意味がない。

 大勢の人間を瞬時に殺す、化学兵器のたぐい……それは、なかった。

 逆説的に言えば、そう思わせることでユピテル・トォオーノに全戦力を集めさせられたのだ。

 その隙を突いて侵入した大量の輸送機の、その目的が今は手にとるようにわかる。

 そして、エリシュの声がエディンの予想を真実に変えてくれた。


「まずいわ、エディン! 輸送機から空挺部隊くうていぶたいが! 落下傘らっかさん、多数!」

「そっちが本命だね、クッ! 僕は……なんてミスを」

「そゆの、あとでいいから! 急いで! 大半が王都の中心部へ降りる。白兵戦になるわ!」

「一気に核心をついてきた。地上部隊の手薄なウルスラは、このままじゃ」


 すぐに音速へと到達した翼が、あっという間に輸送機を補足する。

 だがもう、遅い。

 次々と降りてゆくパラシュート部隊は、全てが各国の特殊部隊だろう。一国に百人程度の最精鋭も、それを全部集めれば一個師団レベルだ。

 ウルスラには、組織だって地上戦ができるレベルの兵力は存在しない。

 志願してくれた者たちの訓練だって、まだ十分ではないのだから。

 そして、エディンは決断を下した。


「各機、手を出すな。発砲を禁止するよ。……全部、僕が片付ける」

「……エディン、言ってる意味わかってる? 生身の人間よ」

「ああ、そうだね姉さん。でも、一人も着地を許すわけにはいかない。そして、虐殺者の汚名を被るのは僕だけでいいはず

「あきれた……、でしょ? あたしも後ろにいるっての! 対人兵器はっと……あったあった、これで大多数は挽き肉のミンチよねー、おおこわ」


 この作戦を考えたのは、恐らくシヴァンツだろう。

 あの男は、常に痛み分け以上の結果しか得られないように立ち回る。、そして常にその中から五分以上の結果を手にしてきたのだ。

 落下傘部隊が上陸すれば、半日でウルスラの王宮は落ちる。

 それを阻止するには、生身の人間を王立海軍要撃退が殺さねばならない。

 明日には世界各地に、ウルスラの残虐非道さがニュースとなって飛び交う訳である。

 だが、そうはならなかった。


『隊長、後方! 高速で接近する――がああああっ!』

『ウォーレン! 隊長、ウォーレンがやられた! ありゃ』


 不意に横を、高速で黒い影がすり抜けた。

 それは、無数の落下傘を守るように変形するや、立ち塞がる。

 目の前に今、漆黒しっこくの機動戦闘機が銃を構えていた。

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