第28話「ゼウスの雷」

 フェイ・リーインは興奮していた。

 心地よい高揚感、探究心と好奇心。

 なにより、前を歩く少女を好きになり始めていた。このましい人物だと、心を許し始めている。それは、厳正なる中立性を己に戒めることで、ひとまず忘れる。

 オーレリア王女に案内され、彼女は王宮の奥へ徒歩を進める。

 広く大きな部屋へと足を踏み入れ、フェイは驚きに目を見張った。


「これは、また……女王陛下、なんか凄いですね」


 語彙ごいが失われる。

 そして、この特殊な小国の事情を思い出す。

 

 今は、謎のロボット兵器を使って、全世界を敵に回して戦っている。

 その作戦の中枢たるこの場所は、異様な雰囲気に包まれていた。


「ああ、陛下! こちらに。みんな、陛下がお見えだ!」

「皆さん、どうかそのまま。そのまま仕事を続けてください。さ、フェイさん」

「は、はい……なんか、悪い冗談みたい」


 広い大広間では、無数の老若男女ろうにゃくなんにょが働いていた。だが、そこに軍服姿はない。中央の巨大モニターや、机に並んだ機器は、確かに軍事指揮所のそれなのだが。

 だが、行き交う女性は皆、メイド姿だ。

 男性も、執事服の者もいれば農夫や庭師のような格好の者もいる。

 緊張感は本物なのだが、まるで劇団の楽屋みたいな光景だった。

 そうこうしていると、先程の近衛長アシュレイが案内してくれる。

 フェイはオーレリアと並んで、指揮所の中央へと座った。

 すぐに中央の巨大なモニターに空が映し出される。行き交う報告が、ライブ映像だと教えてくれた。その中央に、巨大な飛行船が浮かんでいる。

 アシュレイは端的に状況を伝えてくる。


「陛下、海軍の機動戦闘機モビルクラフトからの映像です」

すでに現場に?」

「はい」

「パイロットに回線を繋いでください」


 メイドたちの働きは見事なものだった。

 すぐに通信が繋がり、ややノイズ混じりの声が室内に響き渡る。


『オーレリアか? オレだ、リシュリーだ! スェインも一緒にいる』

『ま、俺が操縦してなきゃお姫様は落っこちてる訳だが』

『……ま、まあ、そうだな。んで、見えてるか?』


 パイロットの二人は、妙に緊張感がない。最初の声はオーレリアと同世代の少女だったし、もう一人の発音はアメリカンな英語だった。

 そして、画面の端に二人の顔が表示される。

 思った通り、十代の少女と、精悍せいかんな顔つきのパイロットだ。


「見えています、リシュ。報告をお願いします」

『あいよ! このデカブツと今、高度12,000m上空にいる。もうウルスラの領空内だ! 全長は800m、スキャンしてみたが完全な無人機だ』

「800m……随分と大きいのですね」

『攻撃してくる気配はねえけどよ。なんか、嫌な予感がするぜ』


 先程スェインと呼ばれていた男性パイロットからも、同様の内容がより詳しく語られた。その間も、周囲ではメイドたちが忙しそうに働いている。

 思わずフェイは、脳裏に記憶を探して小さく驚いた。


「スェイン……スェイン・バルガ少佐? えっ、なんでアメリカのトップガンがここに?」

『おや? 俺を知ってるとは、まさかファンかな?』

ブルースブルーエンジェルスでソロを任されてる人間なんて、そういないもの。でも、どういうこと?」


 なにかの取材記事を読んだ、その記憶があった。

 だが、今はそのことを後回しにする。

 突如、遥かな頭上に現れた超巨大飛行船……この国は戦争中なので、他国の空軍が侵攻してくるのは不思議ではない。

 でも、何故なぜ非武装の飛行船なのか?

 フェイの中で、とても恐ろしい予感が芽吹く。

 そして、それを裏付けるような声が緊張感を帯びた。


『おいっ、スェイン! やっこさん、高度を下げ始めたぞ!』

『こちらでも見ている。どういう意図だ? 戦略爆撃という感じではないが』

『よし、撃墜しようぜ!』

『まあ待て、お嬢ちゃん。これは、まさか……』


 そう、そのまさかかもしれない。

 そして、オーレリアの決断も同じ結論を感じさせた。


「待ってください、リシュ。……決して攻撃してはなりません」

『なんだよ、オーレリア! オレにもわかるように話してくれ』

「なにか、最近……軍事の勉強で本を読んだ気がします。古い本に、なにか」


 その時だった。

 不意に、すずやかな声が静かに響いた。

 とても真っ直ぐな、そしておだやかな少年の声だった。


「賢明な判断です、女王陛下。危ないところでした……少し遅かったみたいですが、遅過ぎた訳じゃないと思いますよ」


 振り返ると、パイロットスーツを着た少年が立っていた。小脇にはヘルメットを抱えていて、まるでちょっとした宇宙服姿である。

 だが、彼は立ち上がるオーレリアが向き直ると、うやうやしく片膝をついた。

 まるで、女王に使える騎士のようだ。


「ご苦労さまです、エディン。やはり、ですか」

「ええ。ただ、驚きましたよ……百年前の亡霊に遭遇するなんて、運が悪い」


 立ち上がった少年は、フェイと同じ結論に達していた。

 彼は手首の端末でモニターにアクセスし、巨大飛行船の三面図を表示させる。


「これは、ユピテル・トォオーノです。旧大戦末期、降伏直前にイタリア空軍が考案した戦略兵器……大量殺戮兵器です」


 ――ゼウスの雷ユピテル・トォオーノ

 フェイの予想は当たっていた。

 オーレリアも、やはりという表情を強張こわばらせる。


「エディン、説明を」

「ユピテル・トゥオーノは、高高度から侵入する巨大飛行船で……その中身は、化学兵器。簡単に言えば毒ガスです。細菌兵器のたぐいも、今なら考えられますね」

「つまり、あれ自体が巨大なガス爆弾ということですか?」

「そうです。今のウルスラ王国の防空網では、どうしても発見が遅れてしまう。そして、撃墜すれば中身は国民の頭上にばらまかれるわけです」


 フェイは、この不思議な少年に興味を持った。

 取材対象のオーレリアと、特別な関係に思えたからだ。

 同時に、戦慄する……これでは本末転倒ではないか。そもそもウルスラ王国は、大量破壊兵器を極秘裏に所有しているとして、国連の名の下に世界各国の多国籍軍に攻められているのだ。

 どこの国かは知らないが、現代のイタリア空軍ではないことは確かだ。

 あらゆる国家が参集しているので、足がつくようなことはしないはず

 だが、どこかの国が現代の空に悪魔の兵器を蘇らせたのだ。


「エディン、阻止できますか?」

「リシュが短気を起こさなければ」

『あんだと、エディン! オレがいつ短気を起こしたよ! ぶっ飛ばすぞ、お前!』


 クスクスと、メイドたちの噛み殺した笑みが連鎖した。

 だが、状況は逼迫ひっぱくしている。

 それでも、エディンと呼ばれた少年は落ち着いていた。

 思わずフェイも、椅子を蹴って立ち上がる。


「陛下、彼は……もしや、あのロボット兵器のパイロットですか?」

「ええ。エディン・ハライソは私の騎士、王室円卓騎士ナイト・オブ・ラウンドです」

「王室円卓騎士……確かこの国の、王族の全権代理人たる立場ですね。あのっ! 取材をさせてください!」


 オーレリアの返事も待たずに、思わずフェイはレコーダーを向けていた。

 驚いた様子もなく、エディンは真っ直ぐ見詰め返してきた。

 不思議な少年だ……全く動じていない。目の前のマイクにも、頭上の虐殺兵器にも。騎士というにはどこか頼りなく見えてて、その実不思議な揺るがなさが感じられた。


「ユピテル・トゥオーノの迎撃は可能ですか?」

「軍事機密につき、お答えできません」

「例のロボット兵器についても」

「残念ながら、お答えできません」

「さ、さっき、山を超えて空母が!」

「お答えできません」


 思わずオーレリアが、小さく笑う気配がした。

 彼女が「エディン」と呼びかけると、やれやれといった感じで少年は肩を竦める。


「ユピテル・トゥオーノは、とてもシンプルな兵器です。それ故に、対処も難しい。ある意味では、洗練されてるからですね。でも、王立海軍はこれを要撃、排除します」

「通常火器を使えなくても?」

「穴が空いたら終わりですよ。中身がなんであれ、もうウルスラの空なんですから」

「じゃ、じゃあ」

「お引取り願うしか無いですね。それも、できるだけ穏便に」

「……できますか? それ」


 ちらりとエディンが、オーレリアを見た。

 オーレリアもまた、小さくうなずく。

 二人の自信に満ちた姿を、周囲の誰もが気付けば見守っていた。


「できますよ。やります。記者さんも……ええと」

「フェイです。フェイ・リーイン。陛下の密着取材をさせてもらうことになりました」

「ああ、了解です。ちょっと、王立海軍には広報をやる余裕はないんですが……今後は、軍の取材に関しても便宜べんぎをはかります。そのためにも、まずはあれをなんとかしましょう」


 現場の機動戦闘機が映し出す映像が、白く染まってゆく。

 まるで大海を泳ぐクジラのように、ユピテル・トゥオーノは雲海へと沈みつつあった。それを追って、カメラも降下を始める。

 頭上で既に、倒してはならない怪物との戦いは始まっていた。

 そして、エディンは再び一礼すると部屋を出てゆく。

 その背にフェイは、王国の存亡がかかっているのを感じるのだった。

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