第27話「女王を見詰める瞳」

 王宮の執務室から見える遠景に、しばしオーレリアは目を細めた。

 今、ウルスラ王国を包む山脈の稜線りょうせんを超えて、巨大な船がこの地へと辿り着いた。それは、かつて原子力空母だったもの。老巧化して退役し、原子炉も外された解体待ちの鉄屑ジャンクだったという。

 その巨体が、翠海ジェイドシーへと降りる。

 舞い上がる水飛沫みずしぶきが、空に大きな虹のアーチを描いた。

 これで、エディンたち王立海軍は実際に運用する軍艦を得たことになる。

 山国のウルスラ王国に、本当に海軍が出来上がりつつあった。

 そんなことを考えていると、側に立って控えるアシュレイが小さく咳払せきばらいをした。


「すみません、少し……そう、ほんの少し心を奪われていましたね。ごめんなさい。インタビューの続きを受けさせていただきます」


 今日の来客に向き直って、改めて身を正す。

 オーレリアと応接セットを挟んで、一人の女性がソファに座っていた。ショートカットに切り揃えた黒髪に、切れ長の目鼻立ち。フライトジャケットにジーンズといういでたちも、この王宮の一室では妙に目立つ。

 フリーのジャーナリスト、フェイ・リーインもまた、外を眺めていた。

 唖然あぜんとした様子だったが、我に戻ると慌ててレコーダーを向けてくる。


「い、いえ、こちらこそ……あらやだ、私ったら。でも、どうやって」

「ふふ、王立海軍の軍事機密ですので、詳しくは……ただ、これらは全て国防のみのために整備された戦力です。そしてできれば、こうした兵器が使われないことを皆が望んでいるはずです」


 穏やかな微笑を崩さず、オーレリアは異国のインタビュアーへと話す。

 リーインの質問は先程から鋭く尖って、まるで抜き身の刃である。それも、研ぎ澄まされて洗練された、急所のみを突く必殺の毒針のようなものだ。

 舌鋒鋭いとは、まさにこのことである。

 正直、オーレリアは好感を抱いた。

 各国の報道陣と違って、単身このウルスラ王国に飛び込んできた。何の後ろ盾もなく、たった一人で。そして、フリーだからこそ国やスポンサー、民族や宗教を背負わずオーレリアに質問してくる。誘導も忖度そんたくもない。

 歳もそう変わらないのに、強い女性なのだとオーレリアは思った。


「あ、では……引き続き、先程のお話をお伺いします。……本当に、このウルスラ王国に大量破壊兵器はないというのでしょうか?」

「ええ」

隠匿いんとくしているのでは?」

「いえ、決して。代々の父祖ふそと民に誓って、そのようなことはありません」

「……では、何故なぜ世界中の国々から攻撃を受けているのでしょうか」


 オーレリアとて、それがわかれば苦労はしない。

 こちらが逆に聞いてみたいくらいである。

 だが、勇気ある報道人に対しては、誠意ある回答をと思案に沈んだ。口元に手を当て考え込めば、リーインの意外な声が響く。


「本当に、なんでなんでしょうか」


 リーインも腕組みうなって、独り言のようにつぶやいたのである。そして、レコーダーを止めると話し始める。


「オーレリア陛下、そもそも……この小さなウルスラ王国に、大量破壊兵器を維持運営する能力と資金があるとは思えないんです」

「当然、そうなりますね」

「核は勿論もちろん、生物兵器やガス兵器のたぐいは、いつでも使えるように維持管理するだけで莫大な予算が必要になりますよね? それに、高い練度の専門的な兵科が必要になります」

「ええ。我がウルスラは、長らく軍隊を持たぬ国でした」

「中東の小さな独裁国家みたいに、国民無視で国のリソースを全部軍事に投入すれば、あるいは……でも、この国は小さくても豊かで、国民の生活や権利は充実している」


 よく調べてる上に、知識も豊富だ。

 内心、オーレリアはリーインを今すぐ抱き締めたくなった。それと、王宮で仕事をしてくれれば、さぞかし敏腕を振るうだろうとも思った。

 だが、彼女は報道人、ジャーナリストだ。

 あらゆる権力になびかず、属せず、そして常に身構えて油断しない。

 だからこそ、レコーダーを止めた一個人の彼女の言葉は少し驚きだった。


「あ、ごめんなさい。でも陛下、この戦争はなにかおかしいなって……そりゃ、私の故郷だって共産党の一党独裁だし、武力で香港ホンコンを再併合した歴史もあるけど。ううん、だからこそ、感じるの。変よ」

「……では、逆に問います。リーインさん」


 アシュレイが気を利かせて、二人のお茶を取り替えるべく席を外した。

 もしかしたら彼には、久々にオーレリアがはしゃいで見えたのかもしれない。

 毎日が激務で、インタビューとはいえ同年代の女性と話す機会などずっとなかったのだ。他の国のメディアも来るが、本社から与えられたシナリオにオーレリアを当てはめようとしてくるばかり。それも彼らの仕事なのだから責めはしないが、退屈で一方的な取材の矢面に断つのも、女王としての務めだった。

 だからこそ、リーインの態度や言動が新鮮である。


「約百年前、この国は列強各国によって多くの犠牲を強いられました。戦後の世界を話し合う会議が持たれたのですが、参加国の全てが同時に新型爆弾を投じてきたのです」

「円卓に座って、それ全員で右の者を撃て、って感じ? どうしてまた」

「……未だに理由は不明です。その頃の資料が極端にとぼしいのです。まるで、作為的さくいてきに消されたかのように、そこだけが抜け落ちているのです」


 そう、過去は今に繋がり、いつか未来のいしずえとなるだろう。

 だからこそ、みすみす滅ぼされる訳にはいかないのだ。百年前も今も、世界の大国がなにを求めているかはわからない。そもそも、そんなものがウルスラ王国にあるとも思えない。

 ただ、その真意を知っている者がいるとしたら……それは現在、一人しかいない。

 解任と同時に姿を消した、元宰相さいしょうのシヴァンツである。

 彼の消息も追わせてはいるが、きっと尻尾は掴めないだろう。恐ろしく用意周到な上に、とんでもなく知恵が回る。そして、老獪ろうかい狡猾こうかつ、冷酷なまでの判断力を持つ男。

 きっとシヴァンツは、全ての真実を知っているのかもしれない。

 そう思っていると、ぐいとリーインがテーブルの上に身を乗り出してきた。


「あ、そうそう……オフレコついでに、陛下」

「え? ええ、はい。なんでしょう」

「影武者がいるって本当ですか?」

「……あっ」

「やっぱりいるんだ?」

「え、ええ……そのような仕事を引き受けてくれる者がいます」


 しまった、と思った。

 影武者のヨハンに気付かれたのは、初めてだ。

 どうして気付いたのかを問えば、リーインはニパッと無邪気な笑顔になった。


「顔が完全に同じだからこそ、逆に体つきのわずかな違いに気付けました。どういう訳か、影武者は男性が演じられてますよね? 命を狙われるんだから、訓練された兵士かなとも思ったんですが……妙に線が細くて、普通の人間なら男性と気付かない」


 洞察力があって、観察眼が鋭い。

 リーインを油断できない人だと思ったが、同時に妙に気が楽になった。王宮のメイドたちでさえ知らぬ秘密を、少数の側近のみと共有するのは息が詰まる。

 ただ、知られたからにはただでは帰せない。


「認めます、リーイン。私は影武者を利用し、この国難を乗り越えるために……必要があれば、彼を犠牲とするかもしれません」

「それを望んでいる訳ではないことは、理解します。あと、記事の本題とは関係がないので、私が口外する必要性も感じません。私が報じたいのは戦争の真実だから」

「ありがとう、リーイン。その上で……真実を知ったからこそ、お願いがあります」

「生きては返さないぞ、死んでくれ! ってのじゃなければ。ただ、私はこれでもジャーナリストですから。意図的に真実を曲げること、貴女に有利な記事を書くことはできません。それを望むなら……それこそ、死んでくれって言ってるようなもので」


 アシュレイが戻ってきて、熱い紅茶をテーブルへと置く。

 ティーカップを手にとり、香気を吸い込むと……オーレリアははっきりと言い放った。


? リーイン」

「……は?」

「勿論、プライベートも全てお見せします。そして、こちらからは決して検閲けんえつなどはしませんし、どこで誰と会おうが、外の国の誰と連絡を取ろうが、それは貴女あなたの自由です」

「ちょ、ちょっと待ってよ、お姫様……じゃなかった、女王陛下! ……マジ?」

「ええ。見たまま、聞いたまま……感じたままを記事になさってください」

「私が影武者の話をスキャンダルにするとか、考えないんですか?」

「貴女が書きたいのは、小国を戦争に巻き込んだ魔女の、つまらないゴシップですか? それとも……この戦争の真実、秘められた謎を解き明かすことですか?」


 イーリンは答えなかった。

 そして、オーレリアには答を聞く必要はなかった。

 確信がある……リーインは、世界が本当に知るべきことを、あらゆる人間に届ける使命を持っている。そしてそれを、誇りに思っている筈だ。だからこそ、私情を挟んでウルスラに同情的な発言をした時、レコーダーを止めたのだ。


「……私、いびきがうるさいけど大丈夫かな? 女王陛下」

「お構いなく。アシュレイが言うには、私もかなり寝相ねぞうが悪いそうですから」

「じゃ、決まり! ……遠慮なく書くけど、覚悟してね」

「ええ、よしなに」


 その時だった。

 不意にアシュレイが、懐から携帯電話を取り出して部屋を出る。その背を見送り二人きりになると、なんだか急にオーレリアの中に年頃の少女が蘇った。

 そう、オーレリアだってまだまだ多感な十代の女の子なのだ。

 忙しい中でも、リーインに見られていると思えば張り合いが出るし、プライベートを世界中に知られることで親近感でも持ってもらえばいい。なにより、最近どうにも日々が殺伐としているので、リーインのような刺激のある人間は大歓迎だ。

 だが、そんなささやかな刺激を吹き飛ばす一報が入っていた。

 戻ってきたアシュレイが、珍しく血相を変えている。


「陛下、その」

「うん? ああ、ここで構いません。こちらの方に王宮でのあらゆる自由を許しました。私の密着取材をしてもらうのです。当然、私が受ける報告は隠さねばならぬものなどありません」

「は、では……高高度より謎の超巨大飛行船が接近、まもなく領空内へ入るとのことです」


 ――風雲急ふううんきゅうを告げる。

 王立海軍の善戦で膠着こうちゃくしつつある戦争が、再び過激な速度で絶望へと走り始めた。

 それでもオーレリアは、気品と威厳を保ったまま報告を聞き、決してリーインに無様を見せまいとする。それだけでも、得難えがたい人間を側に置けたのは僥倖ぎょうこうだった。

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