第21話「陛下の目となり、耳となり」

 ヨハンは走る車中の中で、落ち着かなかった。

 今年で18歳になるが、ずっと主体性もなく流されてきた。全てにおいて優秀な弟の影で、全てにおいて愚鈍ぐどんな兄として生きてきた。

 だが、母親似の美貌びぼうがあって、父親には愛された。

 文字通り、夜だけぬくもりをむさぼられる愛され方をした。

 それで満足していた日々もあったが、それは過去だ。

 顔をあのオーレリアと同じに作り変えた時、始まったのだ。弟の愚兄ぐけいでもなく、父の愛玩動物ペットでもなく……そして、オーレリアの影武者でもない。自分が望む自分としての人生が。


「あの、何か……変じゃないですか? こんなに人も車も」


 ヨハンは、黒塗りのセダンを運転するアシュレイに声をかける。

 アシュレイは近衛兵このえへいを束ねる近衛長、そして内情を熟知したオーレリアの忠臣ちゅうしんである。当然、ヨハンがオーレリアの身代わりをしていることを知っている。

 だが、彼はいつもヨハンに敬意を払ってくれる。

 オーレリアとしてあつかうからではない。

 共にオーレリアを守る者として、礼を尽くしてくれるのだ。


「ヨハン様、車の外からも見てる者がおります。どうか落ち着いて」

「す、すみません」

「オーレリア殿下……いえ、オーレリア陛下のようにゆったりと、ゆるりと泰然たいぜんと。まだ車中では緊張する必要もありません。平気な顔で堂々となさってください」

「う、うん……いつもありがとうございます、アシュレイさん」


 国境へと走る車の中で、アシュレイが小さく笑う。

 この男は、あの日からずっとヨハンに親切だ。最初は、オーレリアの影武者として便利だからだと思っていた。

 だが、違った。

 アシュレイは、ヨハンを仲間として扱い、同志としてぐうしてくれるのだ。

 その上で、必要な時はヨハンをウルスラ王国の女王として接してくれる。

 それに応えたくて、ヨハンも自然と影武者生活に気合を入れていた。


「アシュレイさん、確か国境には……難民が押し寄せてると」

「ええ。正確には、難民に偽装した中国の人民解放軍じんみんかいほうぐんです。全部が全部ではありませんが、動員された偽装難民ぎそうなんみんの三割程度が、人民解放軍の特殊部隊と思われます」

「……どうすればいいんでしょう。あ、いえ……オーレリア陛下からはお話をたまわってます。まずは視察……この国の女王が顔を見せたという、既成事実きせいじじつですよね」


 黙ってアシュレイはうなずく。

 だが、ガタゴトと揺れるセダンの周囲は、やはり変だ。

 国境沿いの山道は、少し開けた平原を走っている。そして、その左右には、そこかしこで働く人達が活気付いていた。皆、ウルスラ王国の国民である。

 そして、国境の見える丘まで来て、車は停車した。

 アシュレイと一緒に、スーツ姿でヨハンは下車する。


「こ、これは……え、どうして? 何で……!?」


 そこには、想像だにしなかった光景が広がっていた。

 恐らく、視察してきて欲しいと頼って、自分は王宮の地下にある大本営で指揮をるオーレリアすら考えなかっただろう。

 その、予想の埒外らちがいにあって現実となっている景色に、ヨハンは息を飲んだ。

 そして、次の瞬間には緊張感で身を引き締める。

 彼は瞬く間に、可憐で気高いウルスラ王国の女王の顔になった。


「アシュレイ、これは何か? 知る限りを話しなさい」

「はっ! 女王陛下……つい先程、陸戦隊の方からも連絡がありました。ここにいるのは皆、


 そう、ただの市民……一般人だ。

 そこかしこでが燃えて鍋を温めている。鉄板を熱している者もいて、一帯に香ばしい油と調味料の香りがたゆたっていた。

 時刻は丁度、正午過ぎ。

 ヨハンも食欲を感じる時間だ。

 そして、目の前では無数の臣民達がめいめいになべかまを火にかけていた。

 即座にヨハンは察した。


「これは……炊き出しか? しかし何故!」

「この場でお待ちを、陛下。私が聞いてまいりましょう」

「いや、いい! 私が自ら民に問おう。ついて参れ、アシュレイ」


 公衆の面前では、自分はオーレリアなのだ。

 全世界を敵に回してなお、屈せずに民のために戦いを選んだ女王なのだ。

 そう思えば、自然と歩調は強くなる。

 そんな彼女に、周囲の者達は気付き始めた。


「ありゃ? おい……ありゃ、オーレリア陛下だ!」

「な、何でこんな場所に!?」

「やだよぉ、ちょいと! 化粧けしょうもしてないってのに、陛下が」

「みんなーっ! オーレリア陛下がいらっしゃったぞ! 集まれ!」


 たちまち、この場にいる民達に囲まれてしまう。

 主に中高年の女性が多い。そして、皆が親しげを込めた眼差まなざしをヨハンに注いでくれた。

 改めて思い知らされる……オーレリアが背負ったものの重みを。そして、背負うことで彼女が、どれだけの信頼を勝ち得ているかを。

 だから、そんなオーレリアの看板かんばんどろってはいけない。

 ヨハンは普段のように、オーレリアを演じて声を作る。


「皆様、お疲れ様です。こちらで何を? すでに国境には、敵の軍勢が迫っております。どうか、皆様はそれぞれ己の命を大切になさってください! ここは危険です!」


 だが、顔を見合わせる民達は笑った。

 腹の底からる、愉快でたまらないといった笑みだった。


「女王陛下、それを言うなら陛下が逃げにゃあいけません」

「そうだそうだ! でも、陛下は戦っておられる。王立海軍の騎士達、兵士達と一緒に戦っておられる! そうだろう、みんな!」

「そうさね、あたしゃ知ってるよ。女王陛下はあたし達のため、故郷のために戦ってくれる。地球の一個や二個が敵でも、ひるむもんかね!」


 そして、一人の老婆がヨハンの前に歩み出た。

 よろよろとおぼつかない足取りだが、彼女はつえを突きながらしわだらけの顔をさらにしわくちゃにした。

 それは、とても温かみのある笑顔だった。


「女王陛下、陛下が小さな女の子の頃からのぅ……わたしゃ、ずっと見てきましたよぉ」

「……ならば、わかる筈。私は民を、国を守りたい。ここは危険な土地、難民が押し寄せる向こうに、敵国の軍隊が迫っているのだ」

「そりゃあ、そうでしょうねえ。フェッフェッフェ……死んだ爺様じいさまが聞いたら、興奮しちまうくらいの大戦おおいくさですじゃ……だから、こそ。わたしゃ、戦いますよぉ」

「戦う、とは」

「この国に、ウルスラ王国に逃げ込みたいって人がいるならねぇ……わたしゃ手を引いて、迎え入れてやりたいんですじゃ。国境越えたって、ちょっとなら構いやしませんよぅ。ごはんを食べさせて、温かい寝床ねどこを与えたいですのぅ」


 ヨハンは衝撃を受けた。

 そして、本物のオーレリアがいてもそれは同じだと思った。

 老婆ろうばがそうであるように、ここに集って炊き出しをしている皆がそうらしい。つまり、難民が押し寄せている……一部の者しか知らぬが、難民に偽装した敵兵が迫っている。

 それを全て、老婆達市民は温かいスープで迎えようというのだ。

 ちらりとヨハンは稜線の向こうをみやる。

 王立海軍の陸戦隊が警備する中、難民は今にも押し寄せてきそうだった。

 そして、もう既に国境では食料や医薬品、毛布の配賦が始まっていた。

 全て、国民が自主的に始めたことだ。


「……そなた達は、悪意をはらんだ可能性のある流浪るろうの民にも……微笑みをもって迎える覚悟があるのだな」

「そりゃ、違いますよぉ、陛下。わたし等にあるんじゃなくて、それを陛下がお示し下さった。オーレリア女王陛下は、何も間違っていない。国と民を守って戦う……なら、わたし等だって、ウルスラ王国を『押し寄せた者達がえる国』にはしたかないんですよお」


 顔をくしゃくしゃにして老婆が笑う。

 周囲の者達も、そうだそうだと声をあげた。

 ヨハンは素直に、感動した。そして、あのオーレリアが民を守りたいと言った意味がわかった。分かった気がしたが、気がしただけで十分だった。

 ウルスラ王国は、世界のグローバル化や安全保障、難民問題とは無縁なのだ。

 それらは厳然げんぜんとして存在するが、この国が、民が選ぶ唯一の選択肢。

 ただ、飢える者には手を差し伸べ、凍える者にい温める。

 難民に偽装して兵士を送り込むという作戦など、ハナからわからない、知らないのだ。想像すらしないし、知ってても老婆達は同じ行動を選択しただろう。


「……私はそなた達を誇りに思う。どれ……アシュレイ! 私も炊き出しを手伝います。貴方あなたもそのように」

「しかし、陛下」

「オーレリア女王陛下はそうします。だから、私がこうして腕まくりをしているのです。さ、貴方も手伝いなさい。ウルスラ王国が憎悪ぞうおと刃ではなく、ぬくもりと食事で出迎えたと歴史にきざむのです! それこそが、私の……ウルスラ王国女王、オーレリアの望み!」


 周囲から歓声があがって、誰もが笑顔になった。

 その笑みを、逆境の国難でも笑える顔を、オーレリアは守りたいのだとわかった。そう知ったからには、ヨハンにも不思議な気力が満ちてくる。

 だが、そんな雰囲気を爆発音がき消した。

 兵士の声がなごやかな空気を切り裂く。


「敵襲っ! 敵が国境の……国境のギリギリ外側で、難民達を!」


 ヨハンは見た。

 難民に偽装した者達を襲う、それは同じくウルスラを攻める軍隊だ。目のいいアシュレイが教えてくれたが、ロシア軍らしい。ロシア軍は今、難民として入国する中華人民共和国に攻撃を始めていた。

 それは、傍目はために見れば難民の虐殺ぎゃくさつだった。

 だが、それを待っていたかのように空気が沸騰ふっとうした。


「み、見ろっ! 海軍さんだ! ありゃ、海軍さんのロボット戦闘機だ!」


 上空から、一機の機動戦闘機モビルクラフトが降下してくる。

 機兵形態ストライダーモードへと変形したその機体は、シールドブースターから剣を抜き放った。それを、ちょうど国境ギリギリのラインに突き立て、そのつかに両手を置く。


『ウルスラ王国円卓騎士えんたくきし、エディン・ハライソです。ただちに戦闘を停止して下さい。武力衝突が国境を越えた場合、こちらは防衛行動として武力を行使せざるをえません』


 落ち着いた声が響く。

 初めて直接目にする、ウルスラ王国の切り札……機動戦闘機。

 ヨハンはオーレリアを演じるのも忘れて、その巨躯きょくを見上げる位置に走り出していた。

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