第2話「千湖の国へと翼は舞い降りる」

 風光明媚ふうこうめいびという言葉が、あまりにもピッタリな原風景。

 山々に囲まれた無数の湖は、山紫水明さんしすいめいの名に相応しい。

 オーレリアは今、観光客を満載した遊覧船に乗っていた。デッキで手すりに身を乗り出し、陽光を反射する水面みなもを見詰めている。行き交う大小の魚たちの、その魚影がハッキリ見える程に透明な水質。とてもここが、大量破壊兵器の作ったクレーターとは思えない。

 風は温かく、ウルスラ王国の短い春は初夏へとうつろう中で輝いていた。

 ふと顔をあげれば、すぐ側でツアー客に観光ガイドが笑顔を振りまいている。


「皆様、ウルスラ王国水上ツアーはいかがだったでしょうか? 皆様が乗る遊覧船は今、最も大きなクレーター、旧ソ連が投下した爆弾の爆心地を通過中です」


 おおー、という声があがって、携帯電話のカメラが無数にフラッシュをまたたかせた。

 誰もオーレリアの姿に気付かない。

 この国の姫君がいるとも知らず、楽しい時間を過ごしている。

 それでいい、それでこそとオーレリアは自身に呼びかけた。オーレリアは時々こうしてお忍びで、臣民しんみんたちの暮らしに溶け込むのが好きだった。産業にとぼしいウルスラ王国では、主な収入源は観光と畜産、そして漁業だ。

 遠くの山脈は裾野すそのを芝生で緑化粧みどりげしょうし、のどかに牛や羊が草をんでいる。

 周囲を見やれば、漁師たちの小舟があちこちで網を引いていた。

 身分を忘れて風景を楽しむオーレリアは、観光ガイドの声に静かに聴き入る。


「1945年、第二次世界大戦の集結を目前にして、各国の高官が秘密裏にこのウルスラ王国で会談を持ちました。どの国も戦後の覇権を狙う中で、永世中立国えいせいちゅうりつこくだったこの地が選ばれたのです。しかし――」


 しかし、悲劇は起きた。

 この地に訪れた大国の代表は、誰もが皆こう思っていた。

 、と。

 既に戦勝国となることが確定していた各国は、戦後の世界に想いを馳せた。どの国もリーダーシップを発揮して、来るべき時代に覇者とならんとしたのだ。

 そして、なにかが起こった。

 なにが起こったのか、正確な記録は残されていない。

 その場に立ち会ったオーレリアの曽祖父そうそふも、もう既に故人だ。

 だが、各国大使は互いに用意しておいた保険を、全員がそろって使うことになったのだ。


「秘密会議の結果、各国の大使は各々がそれぞれに……このウルスラ王国に新型爆弾を落とし、自分以外を消そうとしたのです。招待されていた大使の全員がその選択をし、参加国の数だけ強力な爆弾が落とされました」


 観光ガイドは歌うように情感を込めて、己の身が受けた痛みのごとく語る。

 このウルスラ王国の誰もが決して忘れないだろう。

 ずっと忘れない。

 一秒たりとも忘れられない。

 決して忘却ぼうきゃくを許されない、それは暴虐ぼうぎゃくの過去。

 各国大使がそれぞれ本国に打診した、その悪意の数だけ無慈悲な大量破壊兵器が炸裂した。元は巨大な湖だった内海、翠海ジェイドシーの周囲に無数のクレーターができたのだ。そして国土の大半が、無数に生まれて繋がる湖の底へと消えた。

 その復興のため、ウルスラ王国は周辺国から不可侵条約を取り付け、援助を受けたのだ。

 それが、今から百年前の話だ。

 自分のルーツを振り返るオーレリアの背後で、静かに声が響く。


姫殿下ひめでんか……失礼、御嬢様おじょうさま。お飲み物をお持ちしました」

「ありがとう、アシュレイ。いつも申し訳なく思っています。私の我儘わがままに」

「お気になさらずに、御嬢様。民草たみぐさの暮らしを直接見て感じれば、その中からこそ見えるなにかがありましょう。それに、御嬢様にも息抜きは必要ですので」

「嬉しく思う、重ねて感謝を」


 慇懃いんぎんこうべを垂れて、よく冷えた飲み物を男は渡してくる。

 彼の名は、アシュレイ。

 王宮を守る親衛隊の長、近衛長このえちょうだ。

 幼い頃からオーレリアは、身辺警護しんぺんけいごを彼に任せている。それは先代、彼女の父が全幅の信頼を寄せていたからだ。そして、アシュレイは期待を裏切ったことが一度もない。そもそも彼が武道や剣術の腕前を披露するような事態は、一度たりともオーレリアの身に降りかからなかった。

 このウルスラ王国は平和な土地だ。

 アシュレイもなかば執事のような立場で、そのことに両者は満足しているのだった。

 開封したサイダーを一口飲み、オーレリアはアシュレイに向き直る。


「そういえば、アシュレイ。先日の少年……そう、確か」

「エディンのことでしょうか?」

「そう、その者だ。近衛のエディン、彼はどういった人間なのだ?」

「そのことにつきましては、まずはおわびびを申し上げねばなりません。彼は優秀な人間ですが、不躾ぶしつけに過ぎました。あの様な場所で発言を求めるなど」

「よい。アシュレイが気にすることでもないし、エディンは実に有意義な発言をしてくれた。常に世の中には、第三の選択があることを意識し、正確に把握するべきだからな」


 だが、オーレリアはアシュレイの言葉を聴いて驚いた。

 予想だにせぬことが、先日の不思議な少年の身に起こっていたのだ。そして、そのことをオーレリアは知らなかった。報告を求めたこともなかったが、気にしていた人物の進退に言葉を失ってしまう。

 かろうじて絞り出した声と共に、風が洗う金髪を軽く手で抑える。


「近衛の職をした、だと? 辞めたのか? 何故! 罰か?」

「いえ。ただ、御嬢様は彼の言葉に決断され、すぐにそれを実行なさいました」

「予算のことか。うん、そうだな……今年より計上される軍事費、これは百年の条約が失効することを見越して、父祖ふその代から積み立てていたものだ」

「それを、陸軍派に四割、空軍派に四割使うことを許されました。残り二割は――」

「うむ。残りの二割で、世界戦略や新機軸戦術の研究をせよと……その、彼の言う海軍のことも、スタッフたちに伝えたはずだが」


 アシュレイの話を聴いて、オーレリアは胸が痛んだ。

 あとから知った話だが、あのエディンという少年は王宮では有名人だった。メイドたちも皆、彼の名を出せば面白い話を聞かせてくれた。そのどれもが、全く違う話ばかりだった。

 その彼が、近衛の仕事を辞めた。

 だが、それはオーレリアの想像とは少し違った。


「彼は喜々ききとして出ていきましたよ。今頃は恐らく……」

「恐らく?」

「その、彼の言う海軍とやらを始めたのではないかと」

「ウルスラには海がないが」

「しかし、国土の大半が湖で、ほぼ全てが運河や川でつながっております。陸軍であれ空軍であれ、防衛すべき国土そのものの特性を無視はできないでしょう」

「それはそうだが――」


 その時だった。

 不意に周囲が騒がしくなる。

 通りの良い声で喋っていた観光ガイドも、突然のことに慌てふためき始める。

 そして、優しく吹き抜けていた風が荒々しさを纏った。

 それは、水面に叩きつける風圧。

 突き抜ける金切り声は、絶叫と悲鳴を織り交ぜたようなエンジン音だ。

 暴風となって荒れ狂う風の中、誰もが指差す青空をオーレリアは見上げた。


「鳥? いや……降りてくる? ちてくるのか!」


 雲一つない晴天の空から、銀翼ぎんよくが舞い降りた。

 遊覧船からは、100m程しか離れていない場所で、静かだった湖面がさざなみを広げる。その中心に、軍用機を思わせる鋭いシルエットが舞い降りた。

 そう、

 直線と曲線が互いを結び合う、前進翼ぜんしんよくの流麗な戦闘機だ。

 そして、その姿はあっという間にほどけて輪郭りんかくを失う。

 次の瞬間には、エンジンの轟音がより高まる中に巨人の姿があった。

 背に翼を持つ人の形は、天使セラフのようでもあり悪魔デーモンにも見えた。


「御嬢様、お下がりを」

「あれはなんだ、アシュレイ! あのようなものが何故なぜ、我がウルスラに!」

「私にも仔細しさいの程はまだ……しかし、これは彼の仕業ですな」

「彼? あやつか、エディンとやらが!」


 宙に浮いた巨人は、戦闘機の面影を残す翼から、なにかを外して両手で構えた。それは、ライフルのように見える。銃を空へと向けて撃ちながら、水の上を滑るように飛んでゆく。

 同時に、二機目が追いかけるように頭上をかすめて飛んだ。

 両者は互いに光を走らせ火線の応酬をしながら、遠くの稜線りょうせんへと消える。

 僅か一分にも満たぬ中で、オーレリアは絶句した。

 ようやく荒れ狂う風が過ぎ去ると、誰もが目を丸くして互いに顔を突き付け合う。百年間、軍隊も兵器も知らなかったこの国に今……新たな力が呼び込まれようとしていた。


「……アシュレイ、そのエディンとやらと連絡はつくか?」

「可能です。早速おつなぎしましょう」

「いや、私からはなにも言うまい。ただ……」

「ただ?」

「よく言っておいて欲しい。観光客に危険が及ばぬよう、万事徹底ばんじてっていすること。それと」


 一度言葉を切って、オーレリアは豊かな胸の膨らみに手を当てる。

 早鐘はやがねのように響き渡る鼓動は、まるで心臓が胸から飛び出してきそうなほどだ。

 目を奪われた……先程の機械は飛行機、それも兵器である戦闘機だ。その上、目の前で瞬時に人の形に変形して撃ち合い、再び戦闘機に早変わりして飛び去った。

 美しいと思った。

 民を殺し、国を焼くおぞましい殺戮装置キルマシーン、純然たる兵器が。

 オーレリアにはその時、美しいものに見えたのだ。


「それと、アシュレイ。エディンに伝えよ。優先して予算を回す故、必ず定期的に王宮へと報告する義務を課す、とな。連絡員を近衛より派遣せよ、人選はアシュレイに任す」

「心得ました、御嬢様」

「しかし、あれはなんだ……あのような兵器が外の世界では?」

「いえ、そのような話はどこにも。ただ、あれでしたらエディンから少々聞かされておりまして。極東の島国日本で開発された、非常に趣味的な兵器のようです」

「日本か。して、名は?」

機動戦闘機モビルクラフト……と」

「ふむ、モビルクラフトか」


 オーレリアは再び、遠くの峰々みねみねに目を細める。

 その先に飛び去った翼を想えば、不思議と胸の奥が熱かった。

 周囲では多少の混乱があったが、すぐに楽しい観光旅行の雰囲気が戻ってくる。そんな中でオーレリアだけが、運命的なものを感じて心に火をともした。

 その小さな炎が照らす先へと、翼はオーレリアを、そしてウルスラ王国を導いてくれる……そんな気がした。気がするだけで今は十分だが、可能性は広く拾って見聞けんぶんし、必要とあらば英断を持って止めなければならない。

 それでも、エディンが始めた奇想天外きそうてんがい国防計画こくぼうけいかくが、とても気になるオーレリアだった。

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