もしもし?こちら王立海軍要撃隊です!

ながやん

第1話「プロローグ」

 とある式典の場で、ソ連大使がオーストリア大使にこう言いました。

「オーストリアにも海軍省があるんですか」

 オーストリアは海のない、内陸部の小さな国です。

 大国意識を丸出しにしたこの皮肉に、オーストリア大使はこたえます。

?」




 御前会議ごぜんかいぎは紛糾していた。

 すでに開始から三時間、話し合いは平行線のままで進展がない。

 まさしく、会議は踊るとはこのことだ。

 上座かみざで優美な表情を崩さぬまま、オーレリア姫は小さな溜息ためいきこぼした。父王が亡くなって半年、北欧の片隅にある最果さいはての辺境へんきょう……ここは、ウルスラ王国。人口僅かに三百万人の小さな国だ。

 だが、第二次世界大戦終戦から百年の節目を迎えた今、岐路きろに立たされていた。

 そして、目の前では相変わらず重鎮じゅうちんたちの応酬が行き交う。


「だから! 我がウルスラを守るべく、最も大事なのは陸軍! 陸軍である!」

いなっ、断じて否だ! 今の時代、航空戦力が肝要かんようである。直ちに空軍の設立を!」

「貴様ぁ、わかっとらんな!? 最後は全て、着剣ちゃっけんした歩兵の突撃で決まるのだよ!」

「わかってないのはそっちでしょう! 制空権せいくうけんを守る手段もなくて、なにが陸軍か!」


 つばを飛ばし合う老人たちは皆、名だたる大臣や長老たちだ。その政治的な手腕は勿論、人格や教養についてもオーレリアは熟知している。皆、身をにして国に尽くしてくれる忠臣たちばかりだ。

 だが、この場には残念ながら……軍事の専門家が一人もいない。

 オーレリアは本日何度目かの溜息と共に、冷めた紅茶で唇を濡らした。

 そんな時、側に控えて立つ男が耳打みみうちしてくる。


「どうなさいますか? 姫殿下ひめでんか……いささか議論が空転しているようですが」

「よい。まずは双方、言いたいことを全て吐き出さねばならぬ。これは、ウルスラ王国が次の百年、次の次の百年を平和に生き残るための大事な話なのだから」


 男の名は、シヴァンツ。この国の摂政せっしょうである。まだ成人しておらぬ十八のオーレリアに代わって、国の内政を取り仕切る人物だ。オーレリアの後見人も務めており、その手腕は内外に高名をせている。

 だが、秀才のほまれも高き名宰相めいさいしょうには、不思議と影を感じる。

 オーレリアは、シヴァンツを用いて頼るが、

 亡き父の遺言ゆいごんが教えてくれた……王室はすぐ側に、国を揺るがし滅ぼさんとする奸物かんぶつひそんでいると。物証を得ぬ限りはなにも言わぬが、オーレリアは警戒心を胸に秘めていた。

 そうと知ってか知らずか、シヴァンツが言葉を続ける。


「いっそ、どうでしょうか……殿下。永世中立えいせいちゅうりつうたった先代、先々代の御意志を継ぐためにも、軍備など最初から永久廃棄えいきゅうはいきしてしまっては?」

「シヴァンツ、それはできぬ話だ」

「平和な王国に軍隊などは、という声は、臣民しんみんの中にも多いと聞いております」

「それでもだ。スイスを見るがいい……の国は永世中立国だが、自らの血と汗でその平和を守り、どこの国を敵に回してでも、中立を守る覚悟がある。故に国連にも加盟せず、軍事や国防に心血を注いできた。それこそ、真に平和を守るすべに他ならぬ」


 あの有名な永世中立国、スイス……この国が実は、小さな軍事強国ぐんじきょうこくだという事実は知られていない。中立とは、どこの勢力にもくみせぬこと……言い換えれば、どこの勢力にも頼らず独立を貫くこと。

 スイスでは一家に一丁、軍用ライフルの常備が義務付けられている。

 家族を持つ家長、おっとや父親は、有事の際に銃を持ち国を守るのだ。

 スイスの全ての学校は、地下に核シェルターがある。

 核攻撃にも屈せず抵抗し、国民を守る気概きがいがあるからだ。

 古くはスイスは、傭兵王国ようへいおうこくと呼ばれた武門の国柄だ。外貨を稼ぐ手段が、他国へ兵力を供給する国家規模の傭兵しかなかった時代がある。ゆえに、世界の数多の戦場で、雇われたスイス兵同士が殺し合うこともあったという。そうした悲劇を自ら選んでなお、列強ひしめく欧州でスイスは生き延びてきた。

 だが、ウルスラ王国は違う。

 ウルスラ王国はその特異な立場と立地故に、スイスとは違った形で永世中立を保ってこられた。そしてそれは、終わってしまったのである。


「シヴァンツ、EU各国やロシアとの相互不可侵条約……これの履行りこうを引き続き伸ばせる道はないでしょうか? 外交ルートを通じて交渉するよう命じたはずだが」

「はっ、残念ながら……先の終戦に際して、各国と結んだ一時的な相互不可侵条約。これは来年で締結ていけつ百年を迎えるため、もとより定められた期限を過ぎて失効しっこういたします」

「近隣の全ての国との不戦を確約させ、破った国を他の全ての国が迎え撃つことを約束させた……その約定がもたらす庇護ひごが失われようとしている。そしてもう、それは永遠に戻ってはこぬのか」

左様さようで」


 ウルスラ王国は、国境を接する国、およびその周辺国と相互の不可侵条約を結んでいた。それは、先の大戦でこの土地が、に見舞われたからである。

 世界は、ウルスラ王国に百年の平和を約束した。

 百年間、全く軍事予算を使わずにこの国は復興してきたのだ。

 そして、その平和が終わろうとしている。

 条約の失効と前後し、ウルスラ王国は百年ぶりに軍事力を持つこととなったのだ。

 だが、重鎮たちの意見は真っ二つに割れている。

 すなわち、陸軍を重視するべきか、空軍を重視するべきかである。

 オーレリアは形良いおとがいに手を当て、考え込む。


「ふむ……なにかよい考えはないものか」

「姫殿下、いっそこれを機に民主化などはいかがでしょう? 国を開き臣民……いえ、国民主権の新たな立憲君主制りっけんくんしゅせいを設けるのです。永世中立などと言わず、国連に加盟し多くの国と軍事同盟を結べば、あるいは――」

「それはならぬ、ならぬのだ」

「失言でした……おおせのままに、姫殿下」


 騒がしい会議が、一瞬黙ったのはそんな時だった。

 声が、走った。

 瑞々みずみずしくて、落ち着いた声音だ。

 決して大きくはない、叫んだり怒鳴ったりするような声色ではない。

 ただ、静かに繰り返しその声は言葉をかたどった。


「発言を許可していただけないでしょうか」


 それは少年の声だ。

 誰もが振り返る先で、一人の男子が歩み出る。

 近衛このえの制服を着た、この場を警護する親衛隊の少年だった。彼は先程までドアの前に立って、不動を崩さず全てを見守っていた。だが、長い長いテーブルの向こう側に立って、オーレリアを真っ直ぐ見詰めてくる。

 彼を射抜いて串刺しにする老人たちが、一斉に紛糾ふんきゅうした。


「近衛の小僧が、不敬ふけいであろう!」

近衛長このえちょうを呼べ! 教育がなっとらん!」

若輩じゃくはいになにがわかる、黙って警護しとれ!」


 だが、厳しい声を浴びせられて尚、少年はすずしい顔をしていた。

 ただ、凛々りりしい表情で真っ直ぐオーレリアを見詰めてくる。

 ひどく不思議な、んだ清水しみずのような表情だった。

 静かにオーレリアが右手をあげると、室内が静かになる。


「よい。発言を許す。なんなりと申せ」

「ありがとうございます、姫殿下」


 少年は一歩踏み出し、ぐるりと周囲を見渡した。

 そして、とんでもない言葉を言い放ったのだ。


「意見具申します。陸軍派の皆様も、空軍派の皆様も……


 誰もが黙った。

 重苦しい沈黙が一瞬、部屋の空気を支配した。

 そして、あっという間に爆笑が広がる。

 オーレリアも思わずまばたきを繰り返すしかない。

 冷静沈着で常に表情を崩さぬシヴァンツも、背後で笑いを噛み殺していた。

 だが、嘲笑ちょうしょうにも等しい騒がしさの中で、少年は喋り続ける。その声は不思議と、喧騒の中でオーレリアの鼓膜を優しくでた。とても歯切れがよく、まるで音楽のような言葉がつむがれる。


「先の大戦で無数の新型爆弾を落とされ、そのクレーターは全て巨大なみずうみとなっております。我が国が観光立国であり、美しき千湖せんこの国と呼ばれる所以ゆえんであります。そう……山脈に四方を囲まれたウルスラ王国は、国土の実に58%が湖や池沼ちしょうなのです」

「よいよい! もうよい! ハハッ、笑わせおる! 小僧、下がれ、下がっておれ!」

「聞きましたかかな? ハハハ、山国で海軍など!」

「次は空中戦艦か? それとも潜水艦かね? 三流小説の読み過ぎであるな!」


 これが、オーレリアと少年の出会いだった。

 親衛隊の近衛でも、変わり者と評判の若き男児……王宮務めの城爺しろじいやメイドたちが、不思議といつも頼っている奇妙な少年である。

 名は、エディン。

 これより始まる、ウルスラ王国の存亡を賭けた戦い……彼我戦力差ひがせんりょくさ1:50と言われた国連軍との戦争に勝利をもたらし、故国を守った英雄の名である。だが、この時はまだ彼は無名の近衛、変わり者の親衛隊隊員でしかないのだった。

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