2-7 ザ・コピーライター1(LU3004年164の日)
指先から滴り落ちるように雫がこぼれていく。
ゆっくりと一滴、一滴滴り落ちる雨水のように……。
こぼれていった雫は底に溜まり土と混じっていく。
その光景を『それ』は眺めていた。
水たまりに人差し指を入れて透明な水が茶色の泥水になるようにかき混ぜていく。
濁っていく水を見て『それ』はにまりと笑った。
自分は泥水のようなものだ。
水とも土とも言えないぐちゃぐちゃの中身。
既に自己というものが壊れていることは理解している。
そんな泥水のような『それ』の胸が締め付けられるような経験があった。
彼女を見た。
高貴な気品に満ちあふれ、美しく整った顔立ちに美しいブロンドの髪を持った彼女を……。
『それ』は一瞬、ほんの一目それを見た時点で恋に落ちていた。
彼女を思うと思わず笑みが零れる。
彼女のために手紙を書いた。
壊れて前後すらわからない記憶の中から文字とその意味を必死に絞り出して考えた。
自分の皮膚をはぐ。
醜い、醜い、醜い自分の皮膚をはぐ。
欲しい、欲しい、欲しい。全てが欲しい。
故に必要の無いものをそぎ落としていく。
皮膚をはがれた腕からは血が滴るように零れ雨水に混じる。
その行為は端から見ても目を背けてしまうような痛々しいものだった。
しかし、『それ』は痛みを意に返さなかった。
『それ』には愛があった。
彼女への愛が。
彼女のためならばどんな苦痛すら耐えられる。
そうして、自分の体にペタペタと土を塗っていく。
血の混じった土は皮膚となって『それ』の体に張り付いていく。
『それ』はその光景を見つめて笑う。
「なるほど、君は中々面白いな。」
そう後ろから声がした。
「変わった魔法使いなどというものは見飽きていたが、そんな私の目にも君は特別に見える。」
『それ』は語りかける声を意に介さず、自分の作業に没頭している。
「壊れているのだな。いや、彼らは君を意図的に壊した……のだな。だというのに君のその顔はなんと幸福そうなのか……。」
語りかけているのは赤髪の男だ。肩にかかるほどの長髪に白い僧侶服に身を包んでいる。
「君がかの土地で何をしようとしているのかは知らないが、それはきっと君にとってこの世の何よりも大切な事なのだろう。神にすら見捨てられた君が子供のように愛に心を奪われているのだから……。」
そう讃頌するように彼は言う。
「趣味が悪いものを見ているな……。」
語りかけるもう一つの声。
透き通るような白い髪に東方の民族衣装に身を包んだ若い男がそこにいた。
腰には彼の愛剣がかけられている。
「時間通りだな……ヌアザ。」
『それ』を愛おしそうに眺めながらヌアザと呼ばれた男の方には向かず赤毛の男は答える。
「無駄が嫌いなだけだ。それで俺は何をすればいい……。」
「無論、君が失敗した彼女の奪還を申しつけようと考えていたんだけどね。」
「誰が失敗したと?」
「つまらないと思って仕事を放棄して黒子を放った結果、黒子は返り討ちにあってカレン・ローゼンの元にミア・クイックは落ちたのだろう?これを君の失敗と言わず、なんという?」
そう子供をなだめるように言う赤毛の男。
「……ちっ。」
つまらなそうにヌアザは口を鳴らした。
「それで今すぐにでも、その女を連れてくればいいのか?」
「いや、私の方で調べてみたがどうもカレン・ローゼンはミア・クイックの危険性を十二分に理解しているらしい。彼女の周囲にはいつも数名の騎士団の護衛が張り付いている。自由行動を許しているのは彼女を捕らえようと出てくる我々をあぶり出す為でもあるのだろうな……。」
「ふん……問題ない。俺1人で十分だ。」
そう答えるヌアザに赤毛の男はため息を吐いた。
「結論を急ぎすぎるのは君の悪い癖だぞ、ヌアザ。結果も大切だが、過程も大切なのだ。今、騎士団と君が正面きってやりあえば、それは自然と教団と帝国の戦争になりかねない。そうなれば我々は負けるとは言わないが深手を負うことになる。共和国のこともある。今大事になるのは避けたい。」
赤毛の男はヌアザの言う1人で十分だという言葉自体は否定しない。
事実、任せれば彼は1人でミア・クイックの奪還という事をやり遂げてしまうだろう。
一度腰の剣を抜けば死の風が吹く死神。
教団に10人しかいない断罪者の内の1柱。
その中でも一際特異な特徴を持つ剣客。
第3柱・死風のヌアザ。
それがこの白髪の男である。
「私はね、あれが愛おしいと思えている。」
赤毛の男は『それ』を見つめて言う。
「理解できんな……貴様の悪趣味は……。」
心の底から侮蔑するようにヌアザは言う。
「くはは、悪趣味と来たか私はこれでも慈愛に溢れた人間だと自負しているのだがね。まあいい、ヌアザ……こいつのしたいようにさせてやろうじゃないか……。なあにどうせ我々は今やることが無いのだろう?ならばこうして手を差し伸べるのも一興だ。」
「その結果どうなっても?」
「言っただろう?大切なのは過程だと……なあに、これでも聖職者なものでね。哀れな子羊は導いてやらねばなるまい。」
赤毛の男は『それ』に手を差し伸べた。
『それ』はその意味を理解出来ずに首を傾げていた。
アークライは地下工房で静かに図面と向き合っている。
定規とペンを片手に線を書いては何かその横に書き置きを増やしていく。
ミアはじっとその姿を見つめていた。
真剣に気を張り詰めて作業するアークライの姿。
その姿を見て思い出すのはかつて自分を救い出した時の姿だ。
一緒に過ごす事になって以来、どちらかといえばだらけたアークライの顔を見ることが多かった為、新鮮な気持ちでもあった。
(そうだ……この人は……。)
絶望にくれて自暴自棄になった自分を無理矢理連れ出した人なのだ。
諦めていること笑い、拒絶する自分に強引に関わってきた。
そして、足掻いても結局は適わなかったと再び落ち込んでいた自分をすくい上げた人。
それが、このアークライという男性なのだとミアは再び実感する。
アークライはあれこれと自問するような独り言を言いながら図面に1時間ほど向き合った後、立ち上がる。
「よし、大体これでいいだろ……形状は悪いけど俺の方で選ばせて貰った。前にマナの杖を使っただろ?」
「はい。」
闇オークションからの逃走の際、ミアはマナから指輪型の杖を借りて召喚魔法を使っている。
「その後、マナが杖の調子が悪いから点検してくれって言うからちょっと見てみたんだが、中に仕込んであった印がズタズタに壊れていたんだ。」
印というのは杖の中に仕込まれている魔力増幅機構だ。
これをどう繋いで杖の中に落とし込むかで製杖者としての技量が測られるとされる。
「どうもあんたの魔力量が大きすぎるせいで最近流行の小型アクセサリー化した『杖』だと、あんたの魔力の負荷に耐えられず1度使えば壊れてしまうらしい。なので――」
アークライは図面を広げてミアに見せた。
「古典的だがオーソドックスに杖にしてみた。昨今の杖と比べると少々持ち運びが面倒だが大きいから護身具にもなる。印は通常の倍の数のものを螺旋繋ぎにして増幅より循環による安定を計って繋いでみている。樫をベースにミスリルを少々使って強度を上げる予定だ。長さは1m程度か
な……気に入ってもらえればこれで作ろうと思うがどうだ?」
図面の読み方がわからないミアはアークライが語ったことだけをかみ砕くようにした後、口を開く。
「ミスリルって印とかに使われる金属ですよね?重くなるんですか?」
重たくなると持ち運びが大変そうだという印象があった。
せっかく作ってもらった杖を使えないという自体は避けたかった。
「いや、重さを軽減する為のミスリルだ。ミスリルは魔力を軽く注ぐと浮力を発生させる特質があってな。それで見た目ほど重くならない。まあ、それなりに値は張るんだが……。」
「それはアークライさんに迷惑をかけるんじゃ……。」
「経費で婆さんに請求しておくさ……他に質問ない?」
「いえ、よくわからないのでそれでよろしくお願いします。」
「了解。んじゃ、樫はストックあった筈だからミスリルが残っているか見てくるな……。」
そう言って工房の奥にいくアークライ。
それにしても意外だった。アークライが非認可製杖者だったとは……。
彼の持っている変形する特殊な杖も自分で作ったものだろうか?
となると通常不可能ともいえる無詠唱魔法も彼の杖になんらかの秘密があって可能にしているのかもしれない。
「あーよかった、クレアの奴に使ったミスリルのスペアがあったわ。んじゃ、はじめるからそこに座っててくれ。2時間もかからないさ。」
そういってアークライは工房の炉に火を付けた後、図面を壁に貼った。
それを一瞥した後、手慣れた手つきで木材の加工をはじめる。
のこぎりを持つては淀みなく動き、かんなで削りやすりで形を整えていく。
30分も懸からずに木は図面通りの杖に加工される。
ここから杖を『杖』にする為の加工が始まる。
まずは印の製作。魔力は杖の中心を通って循環するとされている。
その為、まず杖の中心に空洞を空けて螺旋状に後をつける。この作業で杖の質としての価値がほぼ決まるといって良い。
それをアークライはてきぱきとこなしていく。
最後に炉に入れてあった溶かしたミスリルを取り出し空洞に流し込んだ。リミッターを設ける場合はこの際のミスリルに混ぜ物をするのだが今回アークライが扱うのは混ぜ物なしの純ミスリルである。
そうして作業を終えた後、アークライは出来た杖をたてかけた。
「このまま冷却すれば、とりあえず杖として完成なんだけどな……。まあ、せっかくのオーダーメイドなんだし手間加えようか……。」
そう笑ってアークライは残った木材とミスリルを使って加工をはじめた。
作業が全て終わったのはそれから1時間半後だった。
ミアの前に置かれた杖は長さおおよそ1mと少し、樫の木材を中心に頭の部分と先の部分をミスリルでコーティングを施されている。
その上に羽の装飾がなされており杖が道具としてだけではなく芸術品としての意匠もあった。
「名付けるならカドゥケウスってとこか……細かい調整は実際使ってみてもらってからやるとしてとりあえず持ってみてくれ……。」
そういってアークライはミアに杖を渡した。
「ほんとに軽い。」
長さに対して手に持った重さはほとんど無い。
ミスリルがミアの持つ魔力に感応して動作しているのだとアークライは説明する。
「アークライさんはこんな技術どこで身につけたんですか?」
「独学だよ、独学。」
少し照れたようにアークライは言う。
「憧れて、どうにかして接点が欲しくて、それでしがみついた結果こんな形でしか繋がりを作る事が出来なかったそれだけのことさ……。」
その時、そう少し寂しそうに語るアークライの意図がわからずミアは首をかしげるだけだった。
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