2-5 あなたのチェシャ猫(LU3004年164の日)
帝国上層区のスプレーンドレッド家の居間にて交渉屋アークライはうんざりとしていた。
「酷いです!」
耳につんざく程の声で叫び声をあげたのはミアだ。
アテナ地方のウルク皮のソファーから立ち上がり腕を怒りに震えさせている。
ミアの目の前には栗色の髪とそばかすが特徴的な若い女性。シルクのドレスに身を包み、ハンカチを片手に涙を拭っている・
その隣にその父親と思わしき初老の男、そしてきっちりと前髪を揃え、高潔な風貌が感じられた。
栗色の髪の女性はその目からこぼれ落ちた涙を拭いながらミアに答える。
「はい、次はいつ来るのかと……毎日、毎日怖くて……。」
ざっくばらんと話を説明するとこうだ。
スプレードレッド伯爵家。由緒正しき帝国13貴族の1つにして、商人から伯爵位まで成り上がった家である。
そのせいかその家の装飾はアークライが過去にみた貴族の家よりも豪華な装飾が多く、強い顕示欲を感じさせる。
そんな一家のご令嬢、ソフィア・スプレードレッド嬢の家に最近、不審な侵入者の気配があるのだという。
最初は朝に目が覚めたらしめた筈の窓が開いていたり、鍵をかけたクローゼットが開けられていたなどということだったらしい。
ここまでなら彼女の勘違いの可能性もあるのだが一週間ほど前、彼女の机の上に手紙が置かれていたのだという。
―――――――
愛しのソフィア。
ああ、美しい、君は何よりも美しい。
今日の君はアイロンの花の香水を身につけていたんだね、あれはさわやかでかつ甘い香りが君の汗と科学反応を起こしてしてボクの心をいやしてくれるよ。
ああ、ソフィア、ソフィア。
この言葉を手紙に書くだけでボクの心は満たされるんだ。
君はいつもボクに振り向いてくれないけれど、この手紙にはボクに唇をいたるところに付けておいた。
きっと君は喜んでくれるんだろうな。
式は何時にしようか……。
ボクは君という花を抱きしめる準備は出来ているんだ。
だからボクに早く抱きしめられに来ておくれ。
君のチェシャネコ
―――――――
という……なんとも口にしがたいセンスの恋文が置かれていたのだという。
これを見て怯えるソフィアにミアが同調。
そして、ミアが拳を握るようにして奮起している。
「あー、なんていうか……あーミア、ちょっと落ち着こうな。」
そう少し困り顔で止めようとするアークライ。
だが、ミアは構わず言葉を続ける。
「こういうのこそ女の敵ですよ、敵、ほんと気持ち悪い!きっと、夜に部屋に入った時にソフィアさんの綺麗な髪を手に持って鼻で香りを吸ったり舐めたりしてるに違いないです。」
「そ、そんなことまで!!」
力強く怒りを語るミアの言葉にソフィアの顔が青ざめていく。
ソフィアが想像している以上の過激行為が露わにされていくのだ。
まあ、ミアの妄想が幾分が入っていることは否めないが……。
「外道ですよ、外道!そんな奴放っておけません!やりましょう!アークライさん悪漢退治です!」
「あー、うん、そうだねー。」
どう反応していいか困りアークライは片言でそう頷く。
(まあ、確かに給金は良さそうだけどな……)
商人上がりのスプレーンドレッド伯爵家は金を多く使う事で顕示欲を示している。
その為、アークライ達が住むことが出来る理想の家屋など用意することはいくらでも出来るのだろう。
父親であるスプレーンドレッド伯爵は恐怖に肩を奮わせる娘をなだめるように肩に手をあてる。
「ウォルフさんからあなたのことを聞かせて頂きました……なんでも荒事に特化した交渉事を得意にされているんだとか……。」
「ええ、まあ……。」
スプレーンドレッド伯爵はアークライの手を握って乞うように言う。
「お願いします。どうか、私の娘を助けてください。」
伯爵家を後にしたアークライとミアは上層区から帰る為に転送の魔方陣へと向かっていた。
ミアはまだ興奮さめやらぬようで「ほんと許せません。力が無い女の子ばかり狙うとか最低!」と言う。
アークライは内心で金の力で自分を雇ったのもその女の子の力じゃないかと突っ込んでいたが、それを口に出すと話がこじれそうだったので口に出さずにいた。
「それでお前やる気なのはいいが、ストーカーをどうやって見つける気だ。」
「張り込みですよ。彼女の枕元に侵入してくるんだからソフィアさんにお願いして部屋に隠れさせてもらってストーカーを待ち伏せするのがいいと思います。」
「なるほど、それでその件のストーカーを実際遭遇した場合、お前どーすんの?」
目を細くしてアークライは言う。
ミアは少し困ったように頭に手を当てた。
「んー、アークライさんがやっつける?」
その言葉にアークライはため息を吐いた。
「あのな、ここは仮にも上層区でスプレーンドレッド伯爵家は十二貴族に名を連ねる名家の方なの。そんな名家の住まう屋敷に結界の1つや2つあると思わないか?」
「それは、まあ、言われてみればそうですね。」
「つまりはこのストーカーくんは、最低でも滅茶苦茶金をかけているであろう伯爵家の結界を誰にも気づかれずに突破する技量と才覚がある魔法使いというわけだ。おーけー?」
十二貴族レベルになるとその結界は非常に強固なものであり、魔痕を読み取り登録された者以外が進入した場合、自動的に迎撃と警報を鳴らす。
基本的に上層区の家屋に進入出来るということ自体、相手は相当な結界破りの能力の持ち主であることは予想が付いた。
「はい。」
ミアはアークライがなにを言わんとしているのか理解して項垂れる。
「お前はそんな化け物じみた変態と不眠不休で待ち構えてやれって言ってるの!無茶だろ!」
「じゃあ、わたしと交代制ならどうですか?それならアークライさんも休めるし……。」
「それでお前が遭遇した場合するの?お前、杖もないから魔法も使えないだろ……。」
ミア・クイックは杖を持っていない。過去ミアを救出する戦いの中でミアは魔法を使っているが、それは同居人であるマナの指輪型の杖を借りてのものだ。
その為、ミア自身は杖を持っていない。
「仕方ない、お前の杖を用意してやるか……。」
そうアークライはぼやくように言った。
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