2-1 引っ越し(LU3004年164の日)

世の中には理不尽という言葉がある。

例えば、

急にぶつかってきた少女が骨が折れたと訴えどう見ても大した怪我なんかしてないのに賠償金を要求してきたりだとか、依頼をこなしたというのに依頼主が依頼料を払うのをすっぽかして夜逃げしたりだとか、仕入れたばかりの新しい道具がものの3日で使い物にならなくなったりだとか、修練だと言われて全裸で雪山の山頂に放り込まれたりだとか、街道を歩いている時にふと空から落ちてきた鳥の糞を頭に被ったりだとか……そういうものが理不尽というものだ。

何を隠そう、帝国下層区で交渉屋を営むアークライ・ケイネスという人間はそういった局面に幾度も直面してきており、もはや理不尽には慣れたと自負はしていたのだが―――今、その自信は砂上の楼閣の如く崩れさろうとしている。


「何さ、このちょっとおっぱいがあるぐらいでアーちんの気を引いちゃってさ!この不幸散布女!」


獣人の少女がアークライの目の前で大切にしていた機械工学大全が黒いローブ姿の少女に投げつけられる。


「だから、その不幸散布女っていうのやめてください!それに私そこまで大きくは無いですよ!てか、わたしがいつアークライさんの気を引きましたか!?」


 ローブの少女はそれをすんでの所を回避する。


「知らないやい!マナよりある奴は皆デカ乳さ!やーい、やーいデカ乳!!!」

「そんなめちゃくちゃな事を言わないでください!」


理不尽。

少なくとも今アークライ・ケイネスにとっての理不尽は6畳の狭い部屋に女が二人居候してきて毎日のように喧嘩しているという事だった。

いや、片方が一方的に噛み付いているだけではあるのだが……。

ここ最近、三日間寝ずに作業をし、それを終えた充実感を持って床につこうとしていたアークライからすれば、これは理不尽極まりない現状であった。

何故、安息の地である筈の我が家で安息を得ることが出来ないかとアークライは自らの運命を呪いたい衝動に駆られる。

――寝たい。

風の音を子守唄に静かに闇の深くへと落ちて行きたい。

だというのにこれだ。

黒いローブの少女ミア・クイックが住み込みを初めてからというもの、いつも同じく住み込みをしているマナと顔をあわせるたびにこうなる。

一緒に暮らすことになったのが気に入らないのかマナ側からいつもミアにちょっかいをだしこの惨状である。

アークライも最初は仕方なく仲裁に入っていたのだが次第に面倒臭くなり、一人別の集合住宅に借りてある部屋にて裏稼業に専念していた。

きっと時間が解決してくれるなどと思って裏稼業から帰ってきてみれば、状態はさらに悪化していた。

ミアはまだ一緒に暮らす上で仲良くしようとあれこれ努力をするのだが、マナはそもそも彼女がこの家にいるのが気に入らないらしく、たびたびちょっかいを出す。

原因は単純にマナがミアを謎の敵視をしているというのもあるだろうが、それ以上にこの狭い部屋で3人が暮らすというのは無理があるからだろう。

アークライはその光景を眺めながら憂鬱になりつつ


「引越しでもするかぁ……。」


と小さく呟き決意した。





そもそもとして一人暮らし用の家に三人で住み込むというのが無理な話だったのである。

一人暮らしの部屋で二人で過ごせていたのだってマナが影潜りを用いて影の中で寝ていたからであり、ミアが来てからはマナも影の中で眠らないようになった。

まあ、原因はそれとなくアークライに察せてはいるのだが、こればかりはどうしようもない。

アークライ自身にそれを解決する術は無い。

となるとアークライが我が家で安息を得るためには三人で暮らすことができる新しい宿舎が必要不可欠であるという結論にたどり着くのは自然な事だったといえる。

思い立ったら即行動。

アークライはミアとマナをつれて不動産屋へと足を踏み入れたのである。


「お客様がご要望なされているのは風呂とトイレとキッチンと寝室まできちんと完備された部屋という事でよろしいでしょうか?」


そう不動産屋の係員の男は帳簿を開いて物件を調べながらアークライに尋ねる。


「ああ、頼む。」


本当は風呂は切ってしまいたかったが、女性が二人もいると流石に風呂が無しというわけにはいくまい。

幸い、この間の事件の際に入った大きな報酬で資産には若干の余裕がある。

少しぐらい高見の場所を新たな住処にするのも悪くないとアークライは考えていた。


「こちらなどはいかがでしょうか?かなりお安い価格でご提供させて頂いております。」


そういって資料を差し出されてアークライ達は見る。

下層区第五区画にある集合住宅。

築10年の石造り、風呂に寝室が2つ、居間にキッチンとトイレが付いている。

中々に良い。

第5区画は騎士団の駐屯地がある場所だ。

その為、治安もよく今の住居で悩まされていた喧騒による騒音も起りづらい。

また市場が近い為、買い出しにも苦が無さそうだ。

ミアとマナも気に入ったようにして資料を眺めている。

アークライは資料に目を下ろしていく。

そして一番下にある項目を見て視線が止まる。


月額 30万ユピ。


アークライの普段の1月の見入りの2倍近い値段であった。


「あ、あの安いって高すぎませんか?これ?」


そう尋ねるアークライ。

アークライの知る限りではこのぐらいの部屋を借りた場合相場はせいぜい高く見積もっても6万ユピといった所だ。

条件はいいとは思ったが、石造りのボロ屋である事には変わりない。

それが30万ユピ。

これではボッタクリだ。

いくら大きな収入があったとはいえ、これではまともな生活は出来ない。


「そうですね、私どもとしても極力お安いものをご提供させていただいたつもりなのですが、これより安いものとなりますと、こちらになります。」


そう言って渡される

築25年の木造建築、写真の隅には折れた板などが写っていてあまり見栄えがよくない。

風呂にはカビのようなものが見えるし、窓は割れている。

場所は22区画。

値段は……月額25万ユピ。


「おい、ふざけてるのか?こんな値段で商売ができるとでも……。」

「いえ、ふざけてはいませんよ。今はどこを当たっても提供がこの値段は変わらないかと思います。」

「それはなんで……?」


店員は鈍い人だなと侮蔑するような目でアークライを見つめた後、説明する。


「ルスカの天災ですよ。あれで当店が抱えていた集合住宅の多くが壊滅的な打撃を受けましてね、無事だった場所は少なく、今はどこも値段がこれぐらいになっています。」


ルスカの天災と言われてアークライは、はっとする。

1月ほど前に起こった帝都に大天災。

尋常でない程の豪雨によっていくつもの家屋が倒れ、幾人もの死人をだした。

このせいで一部区画の治安は非常に悪くなっている。

そして、そういった被害はこういった所まで響いてきているのだとアークライはしった。

頭を抱える。

これでは今の住居のような場所を探すだけでも非常に難しそうだ。

ましてや引越しなど夢のまた夢だ。

とはいえ、今の住居に過ごし続ければアークライの精神が持たない。

心の平静のためにも引越しは必須なのである。

しかし、法外な値段の物件ばかり、これに対してアークライが取れる手段は何か?と自分自身に問う。

そしてすぐに、答えを得る。

交渉だ。

そもそもとして自分は交渉を生業とする人間では無かったか?

この程度の事、舌先三寸でなんとかできないで何が交渉屋か?

アークライは目の前の係員を観察する。

男。

顔立ちはあまり良いとは言えない。

痩せ型で、どこか苛立っているようにも見える。

また眼の下に隈がある。

仕事疲れしているのだろう、そしてそれに伴い欲求不満とおもわれる

ここから導き出される交渉の糸口はなんだ?

アークライはニヤリと笑う。


「ねぇ、お兄さん。」


そういってアークライは店員の肩に手を回し、小さな耳元に囁く。


「最近、溜まってるんでしょう?まけてくれたらいいお店紹介しますよ。」







――その五秒後、アークライ達は出入り禁止を申し渡されて、店から追い出された。









「アーちんサイテー。」


帰路。

獣人の耳の良さでアークライの交渉を聞いていたマナがアークライをそう非難する。


「んなこといってもな……あれでいけるとは思ったんだ。机の下に手が隠れてたせいで、薬指にあった指輪が見えてなかったのは誤算だったが……。」


そう思う。あれが誤算だった。

店員の彼は既婚者だった。

その上、対応から珍しい程の潔癖症だったのだろう……。

そういった人間にああいう交渉は逆効果だ……とアークライは自省する。


「アーちんさ、値切りとか凄く下手糞だよね。交渉屋なのに……。」

「そもそも舌先三寸でどうこうするのは俺の専門じゃないんだよ。そういうのはそれのエキスパートがいるだろ。俺は荒事専門なの……。」

「いや、しかし発想がそもそもとしてサイテーだよ。大体あれでまけてもらえると思ってるの?ウォルフちんが乗り移ってきてたみたいだよ。」

「あの馬鹿と比べるのはやめてくれよ、あそこまで俺は人間として終わってるつもりはないぞ……。」

「いやー、こんな駄目な人はお嫁さんなんか貰えないね、きっと色んな人から青い目で見られる。だからマナちゃんと一緒になるしかないね。」

「それとこれとは別の話だ。興味対象外。」

「もー。」


不満そうにマナは頬を膨らませた。


「あ、あの、アークライさん。」


ミアだった。


「なんだ?」

「あの、いいお店ってなんですか?何かおいしいものとかあったりするんですか?」


興味津々にこちらを見つめるミア。


「あのな……それはな……。」


どう説明したらいいものか悩む。

ミアの瞳は真剣そのものだ。そしてそれが何を意味するかをまるで理解していない。

マナが、それを見て面白そうな顔をして、


「男と女の人がね、ズッコンバッ――――――」


そう言いかけたをアークライは慌てて口を塞ぐことで止めた。

ミアが少し悩ましそうに……


「ズッコン?昆布の一種ですか?どんなダシが出るんですか?」

「あのな……勘弁しろ……。」


それからアークライ達はいくつか店を回ったが、どこも値段は似たようなものだった。

色々妥協しては見たものの、三人が住むとなると最低限の条件を満たすだけで20万ユピは必要になる。

まともな仕事が入ってこない昨今、とてもではないが毎月払いきれる額では無かった。


「どうする?アーちん、今の所に住み続ける?」


既に辺りは暗くなりはじめており、どこの店も締まり初めていた。


「いやだ、このままだと俺が持たん。」

「でも、どこも高くて……とてもじゃないですが住むのには.ごめんなさい、わたしのせいで……。」


そう謝るミア。

それにアークライは首を振る。


「いや、今のボロ屋からはその内出ようと思ってたからいい機会であった事は確かなんだ。謝らなくていいよ。ただ、ここまで高いとなぁ……。」


先日の件以降もミアの生活費はカレン・ローゼンのポケットマネーから支給される事になっている。

それはおよそ一人が暮らすには少々大きいぐらいの値段だ。

正直なところ、例の天災の影響でまともな仕事が入るかどうか怪しいのもあって、アークライはそれを当てにはしていた。

だからミアに謝られる筋合いはまるでないのだ。

とはいえ、今のままここに居続ける事は出来ない。

となるとどこかに口を聞いて安い住居を提供してもらうしかないわけだが…。

そこまで考えてアークライは、非常に暗い気持ちになった。

こういう時、頼れる伝手が一人いる。

それもこういった事には非常に顔の効く人間で、きっと理想的な条件の場所を紹介してもらえるだろう。

だが、しかしアークライとしては出来る限り、その人間を頼りたくは無かった。

何故ならば、その人間は色んな意味で人間として破綻している奇人だからだ。

そういった人間に貸しを作る。

アークライとしては極力そういった事はしたくは無かった。

とはいえ、今の住居に居続ける事には耐え切れない。

アークライは他の手は無いものかと何度も考える。

しかい、良い代案は思いつかなかった。


「はぁ……。」


そして、アークライはため息を吐いて諦めた。

背に腹は代えられない。

かの悪友を頼るしかない。


「マナ、俺、ウォルフのところいってくるわ……お前、ミアと一緒に先に帰ってて……。」


そういって、アークライは自宅前でミア達と別れて下層区第26区に向かった。


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