1-15 後悔と約束(LU3004年154の日)



胸が締め付けられるような思いと共に視界がぐちゃぐちゃに歪むという経験は今まで何度もした事があった。

目に映る風景は度の合っていないレンズを覗いているかのようなピントの合わない歪んだ姿をわたしに見せる。

そうなった原因を作っているのは自身ではあるのだが、その原因を消す事は出来ない。

それは苦しみだった。

それは悲しみだった。

それは恐怖だった。

胸中を駆け巡るはいつも、そういった感情だ。

そうして胸が締め付けられんばかりの感情を抱かせ、そうしてそれは眼を刺激し、風景を歪ませる。

わたしが今見ているのはその風景だった。

従属の刻印はわたしの身体の制御を乗っ取り、わたしのものである筈のその体が他の者の意志で動かされている。 

自分が思うように体を動かしたいのに、指一本すらも自由に動かす事も許されない。

それはさながら金縛りに会ってるようなもので出来る事といったら、自分の目に入る映像を見ている事だけだった。

そんな状況の中でわたしは到底信じられないものを見る。

目に映るのは自身の支配者の男とその従者達、そしてそれに立ち向かう白髪の男。

その白髪の男の存在を認識した時、わたしは即座に言うことの効かない体をなんとか動かして「逃げて」と叫ぼうとした。

けれど、刻印は絶対だ。

神経を掌握するその呪法は、彼女の意志通りに機能する事はない。

白髪の男はわたしを連れだそうと、こんな場所まで潜り込んで来た人だ。

あの白髪の男の強引な説得に折れ、一度は手を取ってしまった。

今、思えば、やはりそれは間違いだったと確信できる。

これで終わりだ。自分の元にいる獣人の子供も、そしてあの白髪の男も既に詰んでいる。

根本的に数の差であったし、何よりも今、わたしはその手元に彼の仲間であるマナという名の獣人の娘を抱いている。

つまりは人質だ。

彼は情に熱い人間に見えた。

仲間を見捨てたりするような人間では無い。

だから、既に詰んでいた。

彼にはそれを打倒する手段など無い。

未来はその時点で決まってしまっている。

彼の、そしてこの獣人の娘も殺されるだろう。

最悪、わたしがこの手で彼女を殺す事になるかもしれない。





――――――嫌だ。







―――――――――そんなの、嫌だ!







――――――――――――――――そんなの絶対に嫌だ!







わたしの心が悲鳴をあげる。

しかし、その声は誰にも届かない。

駄目だとわかっていながらも、何度も体を動かそうと試みるのだけど、やはりそれは無駄で、わたしの体はうんともすんとも言ってくれはしなかった。

そして、わたしはもはや何度目かわからない結論にたどり着く。

結局、わたしはこういうものなのだと……。

自分の不幸に他人を巻き込み不幸にする最悪の魔女。

そうならないかもしれないと行動した途端にこれだ、まったく酷く滑稽な笑い話だ。

わたしの初めてを奪ったあの白髪の男は死に、手元にいる獣人の娘も死ぬ。

そしてわたしは何事もなかったかのように利用される日々を続ける。

これはそういう結末。

そういう運命。

そういう筋書き。


だというのに――いったいこれは何なのだろう?


あの白髪の男はこの絶望的な状況を口とその身1つで切り抜けた。

口車1つでわたしを無力化し、1人で20近くはいるんじゃないかと思う数の敵を倒し無力化し、なおかつリカルドを追い詰めた。

ありえない。

そんな事はありえない。

そんな事はありえる筈が無い。

最初は夢なんじゃないかと疑った。

見ているのはわたしの心が現実逃避の果てに創りだした虚像なのではないか?

本当はあの白髪の男は見るも無残な姿で殺されているのでは無いか?

そう思った。

けれど、白髪の男はリカルドの首根っこを掴んでこちらに連れてきて言う。


「さあ、誓約を果たせ。彼女の刻印を解除しろ。」


それは先程から、幾度か聞いた事がある声。

ついに幻聴まで聞こえるようになったのだろうか?

そう疑う。

そんな事を考えているわたしの目を見て、


「いやぁ、なんか思ったより酷い目に合わせたみたいですまなかった。マナも助けてくれたみたいでな、ありがとう。友人として礼を言っておくよ。」


そう言って笑う。

その笑顔があまりに優しくて、心が暖かくなる。

幻じゃないよね、本当だよね、わたしが今見てるのは現実だよね?


「アークライ……さん……。」


それを確かめるようにして、わたしはその人の名前を呼んだ。

白髪の男はそれに普段と変わらずに笑って応えた。










交渉成立から10分程の時間が過ぎた頃。

アークライ・ケイネスはリカルド・ミラーバスの首筋に刃を当て、リカルドが従属の刻印を解呪するのを眺めていた。

リカルドの詠唱と共に、ミアの額に刻まれた刻印が徐々に光を失い、額から消えていく。

その後、リカルドは一息を吐いて、


「これで命は助けてくれるんだよな……?」


そうアークライに体を震わせながら聞いた。

これで、リカルドは自分の持つ最大の切り札すら、無くしたしまった事になる。

つまり、今、この場でアークライに交渉を反故にされれば、命は確実にない。

アークライは注意深そうに、ミアを見つめた後、


「お前、手を見せてみろ……。」

「―――ど、どっちの手だ?」


そう聞く、リカルドにアークライは刃を少し強く当てる。


「両方だ、お前に刻印が残ってないか確認する。」

「わ、わかったすぐ見せるから……脅さないでくれ……。」


そういってリカルドはアークライに両手の手のひらを見せる。

それをアークライは注意深く見た後、


「―――確かに刻印は消えてるな。」

「だ、だったら……この刃を外してくれ、さっきから生きた心地がしない。」

「あー悪い、悪い。」


悪びれた様子もなく、そう言った後、アークライはリカルドに蹴りを入れた。

リカルドは飛び転げまわった後、声にならない悲鳴をあげる。


「く、くそ、何をする!!!」

「約束だ、殺さないでやる。だが、今、あんたに逃げられると面倒だ。もう少し付き合って貰う。」

「そ、それ話が――――」

「違わない、俺はこいつら2人が完全に逃げれる事をこちらの条件とした、お前はそれを飲んだ。あんたが逃げてまた増援呼ばれたりすると敵わんからな……拘束はさせて貰う……。」

「ぐ……。」

「そう不満そうな顔をするな、殺さないでやるだけでも仏心なんだから……。」


そういって、アークライは腰から縄を取り出し、両手両足を縛った。

その後、光景を眺めていたミアの前に立つ。

その後、ミアが腕に付けていた腕輪を確認して、


「ミア、お前、治癒魔法とか使えるか?」

「あ、はい。」

「すまないが、マナを治療してやってくれ。」

「――――わかりました。」


ミアは詠唱し、マナの傷口に手を当てる。

マナの手のひらから薄い青色の光が発せられ、マナの傷口はみるみる塞がっていく。

アークライはそれを見て、少し考えるようにした後、


「ミア、君は何時からそういった魔法を使えるようになった?」

「いつですか、昔からこのぐらいの魔法ならば使えましたよ、さっきの召喚みたいなのはわたしがいた施設で教わりましたけど……。」

「君は魔法を使うのに苦労したという経験は無いのかい?」

「んー、そんな辛かった事は無いですね。ただ、わたしを引き取ってくれたおじ様とおば様からは火の魔法は絶対に使わないようにと釘を刺されはしました。というか魔法自体あんまり使っちゃ駄目って言われてきたんですけどね……。」

「そうか……。」

「それがどうかしたんですか?」


不思議そうな顔で尋ねるミア。


「いや、ちょっと気になっただけだ……ありがとう。」


アークライはそう言って礼を言ってマナを見る。

マナの四肢にあった刺し傷は既に全てふさがっていた。

凄いものだとアークライは思う。

普通、治癒魔法というのはこんな傷を瞬時に直してしまえるものではない。


「マナ、動けるか?」

「う、まだ、手足にちょっと痺れが残ってるけど大丈夫かな……。」

「本当なら安静にして寝かしてやりたい所だが、ここはまだ危険区域だ。抜け出すことを優先しようと思うが歩けるか?」

「はは、たぶん……大丈夫……。」


そういって立ち上がろうとするマナ。

しかし、立ったところで、マナはバランスを崩したようにして倒れてしまった。


「あ、はは。」


自分に苦笑いするマナ。


「ちょっと無理臭いな。影潜りの使用制限も超えているし…仕方ない、おぶってやる。」


そう言って、アークライは背に背負っていた機甲剣ニャルラを手に持ち、組み替える。

槍の形をしていたニャルラは、瞬く間に双剣へと姿を変えた。


「うわ、凄い。」


驚きながら興味津々な目でミアが言う。


「なんてことは無い、ただの大道芸だよ。」


そう言って、アークライは双剣を腰に付ける。

そうした後、アークライはマナにおぶった。

ミアはそうやっておぶられているのに心地良さそうにしながら、


「アーちん疲れたからマナ寝るね……ここまで来たらもう大丈夫でしょ?」

「ああ、寝ちまえ。ご苦労だったな。」


そう労いの言葉をかけられた後、マナは眠った。

治癒されたとはいえ先ほどまで重傷を負っていたのだ体力の消費も激しかっただろう。

アークライはマナを落とさないようにしっかり抱えた後、拘束され寝転んでいるリカルドを一瞥する。


「んじゃ、お前はここに置いてくわ……。」

「く、くそ、お前の顔は覚えたからな……僕にこんな辱めを与えた事を絶対に後悔させてやる!」


そういって、叫ぶリカルドを見て、アークライは


「直に帝国騎士団がここに乗り込んでくる。」

「――――なっ。」

「当然だろ、既に結界は壊されていて、ここには検挙できる物の山だ。いくらあんたが六家の人間でも言い逃れする事は無理だろうさ……。あんた得意気に、俺達を招き入れて狩るだとか言っていたが、その時点で失策だったんだよ。脳足りん。」


恥辱に無言で震えるリカルド。


「だから、あんたは終わりだ。」


そう宣告して、アークライはリカルドに背を向けた。

そしてもう二度と振り返らなかった。


「ミア、行こう、森の外の合流地点であんたを待ってる人がいる。その人にあんたを引き渡せば俺の仕事は終わりだ。」

「それはどんな人ですか?」

「んー、堅物の女だよ。頭はいいんだが、色々小うるさい奴だ。まあ、変わり者だがあんたを悪くする事はないと思うよ。」


そういうアークライの発言を受けてミアは少し身を固くする。

アークライはそれを見た後、ミアが何を考えているのかを察した。


「俺の言うことが信じられないかい?」


ミアは怯えながらも、否定の意を表すように頭を振った。


「そんな事は無いです、アークライさんは信用出来る人だと思いました。少しの間だけど、アークライさんが本当にわたしを助けようとしてくれたのはわかったから…だからアークライさんの言うことは信じよう。そう思うんです。でも――――やっぱり裏切られるかもしれない、罠かもしれないと思うと怖いんです。わたしもう裏切られたくない。」


これまで拉致られ金で売り買いされ、白い部屋では実験と言われる様々な非人道的な行為をされてきた少女だ。

これから彼女は見も知りもしない騎士団という組織に保護される事になる。その為、このような思考に陥るのは仕方ないだろうとアークライは思った。

だから、アークライの言葉や騎士団を信じられないというのは正常な反応だと言えた。

そもそも、騎士団は彼女の保護を目的としてアークライに今回の奪取を依頼したわけだが、いくら騎士団がかのカレン・ローゼン直轄の機関だとしてもその上にいるのは帝国である。

もし、何か一大事があれば、彼女の力を必要とする何者かに狙われ利用される可能性も0ではない。

だから、アークライは騎士団にいれば絶対に安全だと言う事は出来ない。

それならば、どうすれば、彼女の不安を取り除く事が出来るか……アークライは考えた末に口を開く。


「じゃあ、1つ約束をしよう。俺は君が危機に陥った時、必ず助けにいくっていうのはどうだ?」


言って、アークライはどこの誰様だと自分に苦笑した。

お前の何処にそんな力があるのか?

何より、何故、今会ったばかりの少女にここまでしてやらないといけないのか…とも思う。

でも、思ってしまったのだ。

この少女を助けてやりたいと―――

アークライの胸中に一人の女の顔が思い出される。

それはかつてアークライが助ける事が出来なかった少女の影だ。

だからこそ、だろうか?

彼女スピカとミアは似ている。

同じ過ちを二度と犯さない為にも……今度こそは彼女ミアを助けてやりたい。


「―――これから、わたし騎士団に保護されるのにどうやってアークライさんが危機に陥ったわたしの情報を知ることが出来るんですか?」


まあ、そう返すよなとアークライは苦笑する。


「まー、それはコネとか色々使って……。」


我ながら苦しいなとアークライは思う。


「全てが終わってからじゃ遅いんですよ?」

「きっと、そうなる前に助けに行くよ。こう見えても俺は色んな所に顔が聞くし、情報通な知り合いも多い。それが始まる前に情報ぐらい掴んでおくさ……。」


クレアにも聞き耳を立てて置く必要がある。

出来ればもう騎士団と面と向かって付き合うなんて事はしたくは無かったのだが、まあ、この際仕方ない。


「なんでそこまでして……わたしを……。」


 ミアからしてみればおかしな話なのだろう、まだ今日会ったばかりの人間にこれほどの事を言われるのはある意味では気持ちの悪さも感じられるのかもしれない。


「一方的な感傷だよ。それに唇もらった相手が不幸になるのは個人的には嫌だしね。」


そう冗談っぽく言うアークライにミアは顔をカーっと真っ赤にして、


「あ、あれはアークライさんが勝手にしたんじゃないですか!!」


うむ、我ながらあれは酷かった。


「そ、だからその値段としてだよ、前払いでいいの貰ったんで、その三倍の価値ぐらいの仕事はしてみせるさ……。」


そう言うアークライにミアは呆れたようにため息を吐いて


「わかりました、それが可能だとか不可能だとか、そんな事は気にしない事にします。わたしあなたを信じてみます。きっと、こんな下手くそな口上で口説き落とされるわたしは凄い大バカものだと思いますけども――」


そう言ってミアは笑う。

それを見てアークライは思う。

今度はしないと……二年前のような事は繰り返させないと……。


「んじゃ、まあ、行こうか……。」


アークライはマナをぐっと力を入れて抱えて歩み出す。

その後、森から出たアークライ達は、合流地点でクレア・ローゼンと合流する。

アークライはミア・クイックを引き渡し、今回の仕事はこれで終了となった。

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