1-1 訪問者(LU3004年149の日)

LU3004年149の日。

日が登り、鳥が朝を知らせる鳴き声を発した頃。

“交渉屋”アークライ・ケイネスはいつも通りに依頼された借金の取り立てを終えて、金貸しに借金を渡して、帝国下層区にある小さなアパートの自室に入った。

アークライは帰路の途中でボサボサになった白髪を洗面台で濡らして整えた後、机の上に置いてある買い置きの既に固くなったパンを齧って座る。

その後、ポストの中に入っていたいくつかの封筒をカバンの中から取り出しポケットに収められた小さなナイフで封を開けた。

中には二枚の用紙が入っている。

1枚は仕事の依頼の書類、もう1枚はその契約書だ。

アークライは報酬の額を見て、少しため息を吐いた後、契約書をくしゃくしゃに丸めて玄関前にあるゴミ箱に向けて投げ入れた。


「まったく、なんで10万ユピで命張るような仕事を依頼しようなんて考えるんだろうな……。」


アークライが身を置く世界では命を対価としてベットする仕事はそれほど珍しいことではない。

しかし、それはそれ相応の報酬を貰えての話である、今回の依頼書に書かれた10万ユピではそれなりに質素な生活しても2週間もてば良い方だ。

たかだか、そんな額で命の賭けるような仕事をさせられるのは余りに馬鹿げている。

だが、このような額で仕事が回っているというのはつまるところ、このような額でも請け負ってしまう輩がいるということを示しもする。

当然、安く請け負う人間がいれば、それにあわせて相場が下がるというのは当たり前の話だ。

まったくいい迷惑だとアークライは心底あきれ果て窓を開いて外を眺める。

帝都を襲った『ルスカの大天災』から3週間もたつというのに未だに下層区の路地は水が浅瀬のように流れている。

既に富民層が住まう上層区では排水も終わり、復興もほぼ完了しつつあるとの報も出ているといのに下層区は未だに水浸しだ。

帝国の上層区優遇はいつもの事だが、今回はいつもにも増して酷かった。

一昨年、新たに即位した第24代皇帝が指針として掲げた上層下層の貧富の差の解決方法の模索はまるで成果を挙げていないのだと嫌でも理解できてしまう。

アークライは「これだから、帝家は……」等と悪友が憤っている光景を頭に浮かべつつ、今日の儲けの勘定をし始めた。

ここ最近は天災の影響もあり、本業も裏稼業も稼ぎが悪い。

あの天災から、かなり質素倹約を心がけて生活してきたつもりであったが生活は開業以来最大の危機だと行っても過言では無い。

アークライは一息吐いて、毛布がかけられたソファに座る。

―――疲れた。

アークライがそんな思案にふけっていた時、ベルが鳴った。

アークライは、その音に意外そうな顔をした後、ふぅと息を吐いて椅子から離れ、玄関の扉についた覗き穴から来客を見る。

覗き穴の向こうには一人の女が立っていた。

女は金髪碧眼、外見では10代後半といった所で白いシャツに赤いブレザーを着込んでおり、その胸には三叉に分かれた足を持つ鳥の紋章がつけられている。

それは王立騎士団所属の人間であることを示す、紋章である。

アークライは扉を開ける。


「珍しいなクレア、お前がこんな所にくるなんて……。」


クレアと呼ばれた騎士は、ふと笑い、


「ああ、久しいな。お前が騎士団を抜けて以来の再会だ。」

「何か用か?」

「用がなくて尋ねる程、私は暇じゃないよ。」

「そりゃそうだ。どうぞ、まあ、何もないけど上がってくれよ。」


そう言ってアークライは扉を開き、クレアを招き入れた。

アークライは椅子をクレアに差し出し、


「特に客にもてなす品もないけど、今、俺の所貧乏でな勘弁してくれ……。」


そういってアークライは棚からコップを取り出し買い置きしておいた水を汲み渡す。

クレアは辺りを見渡すようにして、


「質素極まる生活をしているとウォルフからは聞いていたが、本当に何もないんだな……。」


そう感想を漏らしながら水を受け取り椅子に座った。

木製のボロ椅子が軋む音が鳴る。


「裏稼業の方が金がかかるからなぁ……。節約だよ、節約、これでもまだ贅沢してる方さ……。」


ほんと、きついんだよねとため息混じりに言うアークライにクレアはふと笑う。


「一応、国家権力で警察権持ってる私にそういう話をするのはまずいんじゃないのか?」

「黙れよ、俺を検挙したらその腰にぶら下げてる2つの物も持ってかれちまうぞ……。」


そう言って、アークライはクレアの腰を指さした。

そこには2つの細剣がかけられている。


「ああ、まったく、それは困るな。」


クレアは小さく笑う。


「相変わらずお前の笑いのツボはわからねーなぁ。」

「とはいえ、お前ほどの技師はいないんだ。色々他のも試したが、これほど馴染む代物は無い。この点、私は君という友人に出会えて感謝しているよ。」

「オーダーメイドが既成品より馴染まなかったらとっくに廃業してるよ。あと、俺もあんま暇じゃないんでな……用件あるならさっさとしてくれ……これから仕事探ししないといけないんだ。」

「おや、君はいつから無職になった。」

「なってねーよ!ただ、フリーの交渉屋っていうのはそういうもんだ。仕事を自分から手に入れないといけない。お前みたいにいるだけで仕事が舞い込んでくるような職業じゃないんだよ。」

「――――――ほう、そうなのか……。」


目新しい話を聞いたと頷くクレア。

そのクレアの素振りを見て、アークライは変わらないなと内心そう思う。

どうもこの眼の前にいるクレア・ローゼンという人間からは一般的な常識というものが欠けている節がある。

昔はアークライがクレアと出会った頃は典型的な上層育ちゆえの世間知らずかと思っていたのだが、彼女はローゼンという名門貴族の出身でありながら、その血を受け継ぐ正当な貴族というわけではなかった。

というのも貴族としてローゼンに入ったのはアークライと出会った3年前であり、それ以前は帝都の外で暮らしていたらしい。

偶然出会ったかの帝国騎士団団長である『薔薇の淑女』に見込まれ養子として迎え入れられた為、彼は生来の貴族というわけではない。

それどころか、帝国の管轄外の集落の出身らしく、それゆえに当たり前とされる常識のいくつかが彼女の中からは欠落している。

それで、たまに彼女は当たり前の事を話すとそうなのかと真に驚くのだ。


「さて、『交渉屋』アークライ・ケイネス、仕事の話だ。君に依頼したい事があるのだよ。」


わざわざ交渉屋と誇張され、アークライは眉をひそめる。


「それは交渉屋としての俺に依頼って事でいいのか?」


アークライが確認するようにしてクレアに言う。


「そうだ。」

「あんまり聞きたくないな、悪い予感しかしない……。」


いくらか確信を持ってアークライはそう言った。

彼女は帝国という国家に忠誠を誓う騎士という立場にある人間だ。

そんな人間がわざわざ下層区にいるどこぞのフリーの交渉屋を依頼するというのはいくらかおかしいと言えるケースだった。

いくらクレアがアークライと旧交のある人物だとしても、もし何かを行う必要があるのならば騎士団の力を持って行った方が大抵の場合は良くいく。

財力にしたって組織力にしたって、それは一介の交渉屋と比べれば比にならないものであるし、何よりも、騎士団は帝国から与えられた警察権をも持っている。

そんな騎士がアークライのような一介の交渉屋に依頼をするとなると、それは騎士団では手におえない様な厄介事という事だ。

それは貧乏くじを引かされることと同義だ。

その為、アークライはこれからクレアの口から出る依頼というものを聞くのも億劫な気持ちになった。

そんな心中を察してか、クレアは苦笑して、


「そうは言うな……天災以来、まともな仕事1つも受け終えてないんだろう?少なくとも身入りはいいぞ……しかも半分は前払いだ。」

「本当、気持ち悪くなりそうな話だな、それ。」

「信用と信頼の証の為だよ。」

「それに額はな――――」


そういって、クレアは椅子から立ち上がりアークライの耳元に顔を寄せ囁く。

その言葉にアークライは驚き目を大きく見開いた。


「お前、それをマジで言ってるのか?」

「ああ、勿論だ、今回の依頼はカレン・ローゼンのポケットマネーから支払われる、出処も納得だろう?」

「という事はつまりは騎士団からの依頼じゃなく、あのクソババアからの依頼って事か?勘弁してくれよ、さらに憂鬱な気分になる。」

「気持ちは分かるが人の養母をあまり悪く言わないでくれ。だが、受けない話は無いだろう?」


確かに……とアークライは思う。

今、現在アークライは開業以来の金欠状態にある。

天災でまともな仕事が無いというのが一つ、もう一つがアークライが趣味的に行なっている裏稼業が原因だ。

こちらはアークライの稼いできた資金の8割を供給している稼業であり、それを行う資材の維持費だけでも相当量の費用が持っていかれている。

もし、先程クレアの口から語られた報酬を手に入れる事が出来たのなら、少なく見ても向こう1年は安泰の生活を出来ると言っても良かった。

これはアークライからしてみれば美味しいことこの上ない話でもある。

それだけに怪しくもある。

アークライが提示された報酬は、もし特別な使い方をしないならば、1年遊んで暮らせるような額だ。

それ程の額を出すということはそれほどの事をやらせるということの裏返しでもある。

何よりも今回は依頼者があのカレン・ローゼンだというのがさらに不安に拍車をかけた。

帝国騎士団団長を努め、クレアの養母にあたる彼女はアークライの武術における師でもある。

交渉屋などという稼業を人並みにこなせるのも彼女の指導の賜物ではあるのだが…アークライは彼女との思い出に少なくとも良いといえるものがない。

というのもカレン・ローゼンはある種の嫌がらせの達人であったからだ。人が嫌がる事をすること楽しみ酒の肴にする、性悪、人非人なんて言葉が似合う女性。

それがクレアの養母だった。

かつて、アークライが彼女の師事を受けていた時、何度も彼女の気まぐれで地獄を見た。それはもはや記憶の奥底に蓋をして閉じ込めておきたい程の事柄であった。

そんな彼女からの依頼。今度はどんな地獄へ行けと言われるのか…内心、アークライは肝を冷やしていた。


「一応、依頼の内容を聞かせて貰えないか?それから、考えたい。」


本当ならば断ってしまいたいとは思うものの、まともな仕事が当分の間転がってこないだろうこの現状で、このおいしい話を断るのは余りに惜しい。

そんな迷いを抱きながらアークライはそう問う。

この時点でアークライは逃げ場をなくしてしまっていたのだが、この時本人にはまだ自覚はなかった。


「了解した、それでは説明に入らせてもらう。」

「まずはこれを見て欲しい。」


そう言って、クレアは手に自分の腰に下げていた鞄から封筒を取り出し、その封を開ける。

その中から写真を取り出し、アークライに手渡した。

アークライはそれを手にとってまじまじと見つめる。

そこに写っていたのは1人の女性だった。

腰まで届くぐらいにあるのではないかと黒い髪に白い肌に黒い瞳。

全体的に均整のとれた顔つきであるが、美人というよりはまだ少し幼さを残した少女だ。

写真の少女は白いワンピースを着ており、どこか遠くを見つめている。

アークライはふと写真に違和感があるように思えた。

それが何の違和感なのかわからず頭にむずむずとしたものを感じたが、一度頭を振って話を進めようとクレアに問いかけた。


「それでこの子が、なんだ?」

「名前をミア・クイックという、アークライ、君に依頼したいのはこの子の奪取だ。」


クレアはそうアークライの瞳を見つめて言った。

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