一章「アークライ」

プロローグ 逃亡者(LU3004年127の日)

自分が他人より劣っていることは理解していた。

他人に出来る事が、自分には出来ない。

それは才能の有無や努力が足りない等といったものではなく、根本的に出来ない。

自分が根本的に劣っているという事を誰よりも理解していた。

だからといって、彼は諦めることは出来なかった。自分の存在を、自分の意義を証明しようと戦った。


自分が他人より異質であると理解していた。

他人に出来ない事が、自分には出来る。

それは才能があったとか、努力したといったものではなく根本的に異質である。

自分は他の人と同じにはなれないのだと誰よりも理解していた。

だから、彼女は諦めた。自分はそういうものだと定義し、その中で彼女のやれる限りをやろうとした。



――これは彼と彼女の物語。



LU3004年127の日『ルスカの天災』。




その日は帝都全土に豪雨が降っていた。

それは後の歴史に記されるほどの大豪雨であり、帝都にあった排水口からは既に水が溢れ、路上は浅瀬と見違えるほどに浸水している。

とても人が外に出ることなど出来ない状況、そんな中を一人を少女が走っている。 

少女は肩まで届く程の黒髪を後ろに束ねており、ローブのような衣服を纏っている。

容姿端麗、子供から大人の女性へと変わろうとする丁度境目のような容姿をしており、幼さと大人の2つの要素が共存しているような顔立ちをしていた。

そんな少女が息も絶え絶えになりながらも必死に走り続けている。

豪雨の中、水滴がまぶたを叩き、目を開くことすらままならない。

衣服は雨を吸い重石となり、その冷たさと共に体力を奪い続ける。

そのような環境を走るというのはもはや無謀というよりは自殺行為に等しく、正気の沙汰では無かった。

だが、それでも少女は走らなければならない。

少女を追うようにして黒い人影が3つ駆ける。

それら全てが全身に黒装束を纏い、片手には小刀を携え、豪雨を苦にもせず、疾風のように走った。

少女は後ろを見ずに、その気配を察知して、口に水が入らぬよう手を当て、右の薬指の指輪を掴みながら唱える。


-我が涙を持って形成せ-


その瞬間彼女の衣服に吸われていた水が半径10cmほどの球体の形を成し始める。

それは人が持ちうる最大の神秘『魔法』の発現であった。

水属性第二層『増』による水の形状変化魔法。

それを同じ詠唱で自らの正面に5つ作り上げる。

それを終えたあと、少女は立ち止まり後ろを振り向いて、おぼろげな視界の中で黒い影を捉え、それに向けて指を指す。


「飛んでっ!!」


その号令と共に水の球体は砲弾となって、少女が指を指した黒装束達に向けて飛ぶ。

水弾は黒装束達の内の一人を捉え射ぬく。

しかし、残りの二人はそれを紙一重で回避し、再び少女を追った。

少女もそれを確認して、すぐさま振り返り走った。

追跡者を全て倒すつもりで放った切り札第三層『放』の投擲魔法をものの見事に回避された事実に少女は歯噛みした。

もう同じ手は通じないだろう、少女の胸にそんな確信が走る。

虚をつける唯一の好機、彼らは少女が第三層の魔法を扱えるなどということは知らなかった筈である。

だから、この一瞬まで溜め込み引きつけたというのに、なんという黒装束達の技量か……。

一瞬で危険を感知し、立ち位置の悪かった一人を除き、他二人は完全に回避してみせたのだ。

少女は己が彼らに捕まるという未来を近い未来として感じた。

だが、捕まる訳にはいかない。

自分を施設から命賭けで逃してくれた人がいる。

おそらくあの人達は今、制裁を受けているだろう。

だからこそ、私は捕まる訳にはいかない。

あの人達の行為を無駄なものにしないために、無為にしないために……。

そう思い、少女は再び右手薬指の指輪を掴む。



-我が涙を持って形成せ-



水塊の生成。

攻撃用の魔法などほとんど習得してこなかった少女は、この魔法しか迎撃に適した魔法を知らない。

だが、既に黒装束達には少女のこの魔法の存在は認知されている。

奇襲ですら紙一重で回避する者たちなのだ、認知されてしまっている魔法など正直に投げつけても、おそらく彼らはすぐさま回避してしまうだろう。

だから、いかなる方法を用いれば黒装束たちにこの水弾を当てることが出来るだろうかと考える。

豪雨の中が体力と気力を奪い、もはや猶予の時間もない。

少女は焦燥していた。

そんな少女の意も知らず黒装束達は豪雨をものともせず追いつく。


「―――――御免。」


黒装束質は男とも女とも区別もつかぬ中性的な声でそう言って、一人が跳び、もう一人は少女に向けて直進する。

これは即ち、例え一人が少女の水弾にやられたとしても、一人は確実に少女に辿りつけるという目論見の上での行動である。

既に疲労が限界まで来ている少女にそれを避ける程の体力も無かった。

少女はすぐ様振り向き、創り上げた水弾を直進してきた黒装束に向けて放つ。

創り上げた水弾は5つ、少女が一度に操れる限界の個数だ。

上下左右そして直進の5方向から消して回避出来ぬように放たれたそれは直進してきた黒装束の回避を許さず、その身に二発着弾する。

それを受けうずくまる黒装束。しかし、空中から飛来する最後の一人は未だ健在だった。

既にばれている手の内、中途半端な個数で放てば二人ともに回避されてしまう。

だからこその一人を確実に倒すために5つの水弾で逃げ道を封じた。

しかし、それはもう一人は撃退できないことを意味している。

もし、二人を倒すために水弾を分けていたとしたら、それは二人に回避され、ありとあらゆる方法を使っても逃げ切れない詰みの状況に持ち込まれただろう。

だから少女は少しでも可能性のある方に賭けた。

二人を同時に相手にして生き残るのは不可能。

だが、一人ならば直接対決してもなんとかなるかも知れない。

そう考えたのだ。


だが、それは――――――余りにも無理な話だった。


空から迫り来る黒装束は再び新しく水弾を生成する程の刹那もなく、またがるようにして少女を押し倒す。

少女は倒れ、全身を既に浅瀬と化した路上に打った。

激痛に耐えながらも少女は指輪を掴み唱える。


――我が涙は……


そこからの黒装束の対処は手馴れたものだった。

黒装束はすぐさま少女の髪の毛を掴み、路上の水面に顔を沈める。


「か、ぐ、が……」


水面に顔を沈められ詠唱を中断させられ、そのまま沈め続けられる。

少女はそれに抵抗するが、単純な腕力では少女は黒装束にまるで適わない。


(い、息が……。)


呼吸が出来ず意識が遠のく。

黒装束はこうする事で詠唱を封じ、このまま溺死させる気なのだ。


「然り、制裁を、異端に罰を、災厄を滅せよ。」


黒装束は誓いを告げるようにしてそう謳う。

マスクの下からは血走った赤い瞳が覗いていた。


(い、嫌だ……私、まだ死にたく……ない……。)


呼吸すら出来ず朦朧とする意識の中でただ、少女はただ生を願う。

しかし、既に万策は尽き果て、この状況を打開する手段もない。

失いかける意識の中で少女の脳裏に走馬灯が走る。


育ててくれた養父母の記憶。


生まれ育った家の記憶。


たった一人の友人の記憶。


殺された養父母の記憶。


施設の記憶。


魔法の修練の記憶。




■■の記憶。





■■の記憶。■■の記憶。



■■の記憶。■■の記憶。■■の記憶。

■■の記憶。■■の記憶。■■の記憶。■■の記憶。

■■の記憶。■■の記憶。■■の記憶。■■の記憶。■■の記憶。



見たことない映像が脳裏を駆け巡る。



もがれて

砕かれて

割かれて

愛されて

食べられて

刺されて

舐められて

突かれて

恋しくて

熱くて

忌々しくて



信じていたのに、信じていたのに、誰も私を信じてくれなくて、だから私は■■になるしかなくて、そんなの嫌なのに、嫌で嫌でたまらないのに……。

私には■■しか残されていない。






(なに、これ……私、こんなの知らない。)


それは名前の無い記憶だった。

少女の知りえない記憶、少女が理解出来ない記憶。

ただ、ただ、怖く恐ろしい記憶、それは今、自分に降りかかろうとしている死すら忘れさせる程、恐ろしく感じるもので……。


(ち、違う、違う、違う!!こんなの、こんなの私知らない、こんなの私の記憶じゃない!!)


少女はそれを自身のモノであることを頑なに否定する。

しかし、記憶の1つが少女の好意をあざ笑うかのように告げた。



『――何を遊んでいる?』



少女を抑えていた黒装束の両腕が爆ぜた。

黒装束は最初、何が起こったのかわからず、自身の無くなった両腕を動かそうと何度か試行する。

しかし、既に無くなったその両腕は、その意に反応することもなく、次第に激痛となって黒装束を襲い、その痛みに絶叫した。

少女は立ち上がる。

そして氷のような瞳で黒装束を見つめた後、手のひらを黒装束に向けて呪を唱える。

それは少女がこれまで一度も行った事にない詠唱だった。

知らない、知るはずもない魔法の詠唱。

少女はそれを慣れた口調で唱える。



-我は■■■■の権利を持つ純粋なる王-



4属性のテンプレート、そのどれにも該当しないその詠唱は終える。

それと共に少女の背中に実体を持たぬ腕が発現する。

その腕には六つの指に槍のように鋭い鋭利な形をした指先、腕には様々な文様が刻み込まれており、見るだけで気を滅入らせるような禍々しさを感じさせる。

これこそが彼女が今、呼び出し生成した魔法の具現。

少女はその魔法に命令を与える。




「―――――――――奪いつくせ。」




その言葉と同時に死神の鎌を思わせるような鋭利さを持って第三の腕は黒装束を薙ぎ払った。

実体を持たぬ第三の腕は黒装束の体をすり抜ける。

すると黒装束の体はみるみる干からび、砂と化し、雨に撃たれその身を砕かれ流されていった。

第三の腕は消え、少女の髪は銀から黒へと変わる。

少女は自分が何をしたのかわからず、ただ呆然と砂となって流れていく敵を見つめた後、意識を失った。





The third world Lost Utopia


Vanity Taker Capter 1「Arklai」

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