弓野佑美奈は甘い物が食べたい

告井 凪

喫茶店『星空』


 わたし、弓野ゆみの佑美奈ゆみなは甘い物が食べたくなった。


 学校の帰り道。喫茶店が目に留まり、甘い物食べたいスイッチが入ってしまったのだ。

 喫茶店の名前は『星空』。パンケーキの美味しい、お気に入りのお店だ。


「ミカちゃん。今日はここに寄ろう」


 一緒に歩いていた友だちのミカちゃんに声をかけると、彼女もお店の看板を見上げた。


「ゆみゆみ~。こないだも来なかったっけ?」

「それは三日も前の話だよ。本当なら毎日でも通いたいのを我慢してるんだよ」

「行かない日は違うところでなにかしら甘い物食べてるよね~?」

「当たり前だよ! なんのために我慢してると思ってるの? 他のお店の甘い物も食べたいからだよ」

「ゆみゆみは平常運転だな~。さすがにもう驚かないよ~」


 わたしは甘い物が好きだ。ケーキでもドーナツでもチョコレートでもキャンディーでもマシュマロでもクレープでもたい焼きでも今川焼きでもあんみつでもなんでも好きだ。

 すべての甘い物はわたしのもの。目の前にあれば、食べずにはいられない。


「甘い物が待ってる。ミカちゃん、わたしはひとりでも行くよ」

「大丈夫、あたしも付き合うよ~」

「ミカちゃん……ありがとう!」


 こうしてわたしたちは、喫茶店「星空」の扉を開いたのだった。



                  *



 喫茶店「星空」は、白塗りの壁に黒い木目調の腰壁、落ち着いた雰囲気の内装だ。

 テーブル席に案内されてミカちゃんと向かい合って座ると、さっそくメニューを手に取る。


「あれ~ゆみゆみ。スフレパンケーキ頼むんじゃないの~?」

「うん、頼むよ」


 ミカちゃんが言いたいことはわかっている。頼む物が決まっているのなら、メニューを見る必要はない。

 でもわたしは入口で見てしまった。ショーケースの中の、あの――。


「あ、注文いいですか?」


 テーブルに水を置いてくれた店員さんを呼び止める。


「ミカちゃん、スフレパンケーキと紅茶?」

「うん~。ダブルでね~。ゆみゆみも?」

「もちろん。……すみません、スフレパンケーキダブルと紅茶、二つずつ」

「はい。ご注文は以上ですか?」

「……あと、このブルーベリーレアチーズケーキをお願いします」

「かしこまりました」


 ――ショーケースの中の、ブルーベリーレアチーズケーキ。

 見た瞬間どうしても食べたくなってしまったのだ。

 このお店に来たらスフレパンケーキを食べるのは決定事項。ならば、両方頼むしかない。


「食べるねぇ~、ゆみゆみ」

「うん。お小遣い出たばっかりだしね。いまのわたしは無敵だよ」

「お金のこともそうだけど、よくそんなに食べられるよね~。お昼も普通に食べてたのに」

「わたしにとって、ある意味これがメインディッシュなんだよ」

「よくわからないけど、ゆみゆみの甘い物好きが伝わってくるよ~」

「そうかな? へへ……よかった」

「褒めたわけじゃないんだけどね~。ま、いっか」


 ミカちゃんとそんな話をしていると、紅茶とチーズケーキが運ばれてくる。


「ハッ。そうだよ、パンケーキは焼き上がりまで時間がかかるから、チーズケーキが先にくるのは当たり前だよね」


 実はパンケーキの後にブルーベリーレアチーズケーキを食べるつもりだったのだ。注文の時に出して貰う順番を指定しなかったわたしのミス。


「どうしたの~? ゆみゆみ」

「う、ううん。なんでもないよ」


 甘い甘いシロップでパンケーキを食べて、酸味の効いたブルーベリーでさっぱりする。わたしのプランが崩れてしまった。どうしようかな……。

 ケーキを前に悩んでいると、ちょうど店員さんが通りかかる。


「あ、すみません。チョコレートケーキ追加でお願いします」

「はい、かしこまりました」


 店員さんを笑顔で見送る。

 これでよし。甘い甘いシロップの代わりに、とっても甘いチョコレートケーキ。ブルーベリーレアチーズケーキと交互に食べるのにぴったりだと思う。わたしのプランもこれで立て直せる。


 ほっとしたのも束の間、ミカちゃんがわたしのことをジト目で見ていた。


「ゆみゆみ~……?」

「あっ、ちがうの。これはね、わたしのプランのためでね。大丈夫、余裕で食べられるからっ」

「あはは、冗談だよ~。ゆみゆみが突然追加注文するのも、いつものことだから~」

「うっ……そうだっけ?」


 確かに追加注文したことはあるけど、そんないつもじゃない……たまにレベルのはず。

 そもそも甘い物を前にして、わたしにブレーキという文字は無くなる。

 いくつも甘い物があったら、いくつも注文してしまうのも仕方がない。


 というわけで、目の前のテーブルにはブルーベリーレアチーズケーキとチョコレートケーキがある。素晴らしい、素晴らしい光景だよ。


「では。いただきますっ」


 わたしはまず、チョコレートケーキにフォークを入れる。スポンジとチョコムースの二層のケーキに、さらにチョコレートコーティングをしたチョコづくしのケーキ。何度か食べたことがあるけど、表面のチョコレートがビターなおかげで甘すぎない、でも甘い! を見事に体現している素晴らしいケーキなのだ。

 ぱりっと割れるチョコレート、スポンジとムースにゆっくり沈んでいくフォークで掬い、口に運ぶ。


「やっぱり美味しいっ。スフレパンケーキも美味しいけど、チョコレートケーキもやっぱり美味しいなぁ」


 もう一口。チョコレートの甘みがじんわりと広がっていく。三種の甘みのコラボレーション。一口で三度味わえるこの幸せをゆっくりと噛みしめてから飲み込んでいく。


 さあ次はブルーベリーレアチーズケーキ。普通のレアチーズケーキにブルーベリーがたくさん乗っかった贅沢な一品。ブルーベリーソースもたっぷりかかっていて、食べる前から香りで楽しむことができる。


「んん~、ほどよい酸味が最高~。レアチーズの部分もおいしいっ。頼んでよかったぁ」


 店に入ってからずっとこの味を想像していたから、ようやく味わえる喜びはハンパない。甘くて美味しい物を食べられるわたしはどれだけ幸せなのだろう。嬉しくて嬉しくてしょうがない。


「もう一度チョコレートケーキを……うん! ブルーベリーの酸味によってチョコレートケーキの甘さがますます引き立つ! 美味しい、美味しいよう」

「ほんと、幸せそうに食べるよね~ゆみゆみ」

「だって幸せなんだもん。あ、ミカちゃん一口食べてみる?」

「いいの~? 実はちょっとだけ期待してたんだ~」


 ミカちゃんにも是非この幸せを味わって欲しい。わたしは惜しむことなくお皿を差し出した。


「……私、チョコレートケーキで」

「俺はブルーベリーレアチーズケーキで」

「かしこまりました」


 左側ふたつ隣の席に座ったカップルが、ケーキを注文しているのが聞こえた。

 なんか嬉しいな、美味しいから色んな人に食べて欲しいよ。


「あのひとたち、ゆみゆみが食べてるの見て注文したんだろうな~」

「うん? わたしがなに?」

「なんでもないよ~。あ、ほんとうだ。交互に食べると美味しいね~」

「でしょでしょ? 最高の組み合わせだよ」


 わたしは残りのケーキをゆっくりゆっくり味わって食べる。この幸せがいつまでも続きますように。甘さに祈りと感謝を。


「はぁ~……美味しかった。ごちそうさまでした」

「ゆみゆみ~。まだパンケーキが来るんだよ?」

「もちろんわかってるよ。でもね、ひとまずケーキに対してごちそうさまをしたかったんだよ」

「ふ~ん。ゆみゆみのこだわりだね」


 そんなつもりはないけど、本当に美味しいケーキだったから。言いたくなったのだ。


「おまたせしました」


 そうこうしていると、焼きたてほやほやのスフレパンケーキが運ばれてきた。

 待ってました。テーブルに置かれたパンケーキを見て……。


「あ……す、すみませんっ!」


 食器を持って立ち去ろうとする店員さんを呼び止める。


「トッピングの生クリームを注文し忘れたんですが、今からでも付けられますか?」

「はい。構いませんよ。おひとつですか?」

「あぁ~。じゃああたしのもお願いします~」

「かしこまりました」


 本日二度目のミスをしてしまった。どうも入口でケーキを見てからそればっかり考えていたらしい。いけないいけない。


「そういえば、いつも生クリームも頼んでたよね~」

「うん。やっぱりこれがないとね」


 生クリームはすぐに持ってきてくれた。店員さんにお礼を言って、わたしはようやくパンケーキと向き合う。

 スフレパンケーキは生地がふんわり厚くて5~6センチもある。ダブルで頼んだからそれが二枚重なっていて、なかなかのボリューム。メイプルシロップがたっぷりかかっているのが嬉しい。乗っかっているバターを広げて、ナイフとフォークで四等分。トッピングのクリームをナイフで掬って乗っければ、あとは口に運んで食べるだけ。


「ミカちゃん」

「うん~? なに?」

「いただきますっ」


 ゆっくりとパンケーキを口に運んでいく。もうすぐ、あと少しで、ふんわりあまーいパンケーキが味わえると思うと、もうすでに幸せな気分だった。


 ぱくっ。


 ふわっ、しゅわっ。とろーり。口の中に広がる幸せの三つの食感が口に広がる。香ばしい表面とふわふわの生地が口の中で柔らかく沈み、たっぷり染みこんだメイプルシロップがしゅわっと溢れ出す。そこへ生クリームがとろーり溶けていく。


「おしいしい、やばい、どうしよう、おいしいよ。おいしい、おいしい」

「おぉ、ゆみゆみの語彙力がどっかいっちゃった。おいしいしか言わなくなったよ」

「え~失礼だなぁ。でもね、美味しいって言葉は、一番最高の賛辞だと思うんだよ。言葉で飾る必要なんてない。美味しいという一言に、すべてがあるんだよ」

「う~ん、わかるようなわからないような」

「もう、とにかく『星空』のスフレパンケーキは絶品だってことだよ」

「さっきのケーキとどっちが美味しい?」

「ミカちゃんっ。難しいこと言わないで。スフレパンケーキと、ブルーベリーレアチーズケーキ、そしてチョコレートケーキ。ぜんぶにそれぞれの美味しさがあるんだよ。どっちがなんて、比べることはできないんだよ」

「あ~。それはそうなのかもね~」

「わかってくれた? さあミカちゃん食べて食べて」


 ミカちゃんはじーっとこっちばかり見ていて、まだパンケーキに手を付けていない。どうしたんだろう。


「ゆみゆみが美味しそうに食べるの見るの、好きなんだよね~」

「えっ。もうヘンなこと言わないでよー」

「ヘンじゃないよ~。でもそろそろ食べないとね」


 ようやくミカちゃんはパンケーキを食べ始める。食べてるところを見るのが好きだなんて、おかしなことを言うなぁ。

 わたしはもう一切れ口に運ぶ。


「ふわ~……美味しい。甘くて美味しいね、ミカちゃん」

「そうだね~。ゆみゆみ、ほんといい顔してるよ」


 ミカちゃんも満足そうに食べている。やっぱりわたしの顔を見ながらだけど。


 ゆっくりゆっくり食べたのに、いつかは終わりが来てしまう。

 二枚を四等分。八切れ食べたら無くなってしまう。

 ……さすがにおかわりは……したいけど、やめておく。

 わたしは最後の一切れに、残った生クリームをすべて乗せて、ぱくり。

 忘れない。口に広がるこの甘さを、幸せを、わたしは絶対に忘れない。


「……ごちそうさまでした」

「ごちそうさま~。美味しかったね~」

「うん、それはもうっ。やっぱり星空に来てこのパンケーキを食べないなんてあり得ないよ。最高だった……」


 甘い物ってやっぱり素晴らしいな……。


「なぁ……スフレパンケーキ頼むか? このあとディナーだけど」

「食べる。食べよう」


 左隣のカップルが追加の相談をしている。うんうん、ディナーよりパンケーキだよ。


 しかしわたしは、それよりも。右隣に座った、スーツ姿のお姉さんが気になった。

 彼女が注文したのは、ブルーベリーレアチーズケーキでもチョコレートケーキでもスフレパンケーキでもない。それは……フォンダンショコラ!

 もちろんわたしはこのお店のデザートを制覇している。フォンダンショコラの美味しさはよくわかっている。あぁ、ほら……中からとろーりチョコレートが……!


「ゆみゆみ~? どうしたの?」

「う……あ……あぁ……。店員さん!」

「はい。ご注文ですか?」

「フォンダンショコラ、アイス添えお願いしますっ」

「かしこまりました」


 店員さんが厨房へ向かうのを見送って、わたしは満足げな顔になる。


「頼んだ……頼んじゃったよ、ミカちゃん」

「ほんとよく食べるよね~。店員さんちょっと笑ってたよ~」

「どうしても食べたくなっちゃって。我慢はよくないからね。さっきも言ったけど、甘い物を我慢する時は甘い物のためにだよ」

「あはは~。ゆみゆみは本当に面白いなぁ」


 最後に注文したフォンダンショコラは、甘さの中に甘さを閉じこめたような最高の一品。とろーりチョコレートを冷たいアイスと一緒に食べる贅沢に感動し、心の中で隣のお姉さんに感謝をする。おかげで今日の締めくくりに素晴らしいものが食べられました。


「……ありがとうございます」

「うん? なになに、急にどうしたの?」

「な、なんでもないっ」


 つい、口に出してしまった。



                  *



「ゆみゆみ今日も食べたね~」

「うん……さすがに食べ過ぎだったかもね」


 お腹いっぱいだ。帰ったら晩ご飯もあるのに。

 でもわたしは後悔していない。甘い物をたくさん食べて後悔したことなど一度も無い。


「あ、ゆみゆみ見て見て~。ケーキ売り切れてるよ~」

「ほんとだ! ブルーベリーレアチーズケーキとチョコレートケーキが売り切れてるっ」


 ショーケースの中の、ふたつのケーキが無くなっている。この夕方の時間で売り切れているのを初めて見た。


「そうだよね、美味しいもん。売り切れも仕方ないよ。よかった、その前に食べられて。ギリギリだったのかな」

「たぶんゆみゆみのせいでオーダーが殺到したんじゃないかな~」

「うん? どういうこと?」

「そのまんまだよ~。さ、出よう出よう」

「う、うん……?」


 よくわからなかったけど、すでに会計は済ませてある。いつまでも入口にいたら迷惑だ。ミカちゃんに従って外に出ようとする。

 そこへ、厨房から調理スタッフの人が何人か出てきて、頭を下げてお礼を言われた。わたしは驚いたけど、笑顔で応える。


「美味しいケーキをありがとうございました!」


 ぺこりとお辞儀をして、わたしは外に出る。

 ドアを閉める際にチラッと振り返ると……あれ? 泣いてる?


「ゆみゆみ~、どうしたの?」

「う、ううん? たぶんなんでもないよ」


 外は夕暮れ。真っ赤な夕陽が気持ちいい。

 わたしは空に向かって大きく伸びをした。

 甘い物をたくさん食べられて、今日も幸せな日だったなぁ。


「ん~、明日はなにを食べようかなー」

「もう明日の甘い物のこと考えてるんだ。さすがゆみゆみ~」

「それほどでもないよー」

「褒めたわけじゃないよ~?」


 ミカちゃんと顔を見合わせて、笑い合う。


 街には甘い物がたくさんある。

 ケーキもドーナツもチョコレートもキャンディーもマシュマロもクレープもたい焼きも今川焼きもあんみつだってある。

 すべての甘い物はわたしのもの。

 わたしはこれからも、大好きな甘い物を食べ続けるだろう。

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弓野佑美奈は甘い物が食べたい 告井 凪 @nagi_schier

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