老いた冒険者が死に場所を探す話

南雲麗

老冒険者とドラゴン

「人生には四つの苦しみがある。アンタも聞いたことがあるだろ?」

 ドラゴンは問いかけられていた。

 四つの脚。

 蝙蝠の翼。

 火を吐く口腔。

 樽めいた身体。

 長く、太い尻尾。

 そして、ドラゴンがドラゴンたるを示す。巨躯。

 それに向かって。この老いたる男は。決して豪奢とも強固とも言えぬ装備に身を包んだ男は。問い掛けて来た。五分の一にも満たぬ丈で。弱ってこそは見えぬものの、息切れを隠せぬその体で。不遜にも。生態系の頂点に立つドラゴンに。


 ドラゴンは無視した。答える理由がない。無視して捻り潰せばいい。ドラゴンであるとは、そういうことだ。故に、右の足で踏み潰さんとする。だが。

「つれないねぇ」

 確かに狙いすました筈のその位置に、既に獲物は居なかった。一瞬戸惑い、探す。すると、今度は真上の、やや背中側から声。

「生きること。老いること。病むこと。そして死ぬこと。これが四つの苦しみだ。なあドラゴンさんよ。アンタだって感じてはいるんだろ? いくら生態系で最大最強だとしても。苦しみだけは平等だろう?」

 まずい。

 ドラゴンは直感する。この瞬時の移動は、何らかの術でしかあり得ない。そして後背に回った、この機動。その意味するところは。

(首を狩りに来るか。老いた身で。奮い立たせて。だが)

 ドラゴンの首は太い。仔竜ならいざ知らず、既に千は優に越えた己の首が。鈍らの剣一本で刈り取れるか。否。ならば、何故。

(この角度、上空。もしや、『結』か――?)

 ドラゴンは思い至る。目的とする場所を挟み、その直線上の一点に楔を打って自らと結ぶ。そして術を発動すると楔から引き寄せる力が発生するのだ。その力をもってすれば。

(可能性は非常に高くなる。しかし)

 無茶だ、とも思った。己はなにがなんでも回避しようと試みるし、実際可能だ。そして外せば最後。老冒険者の身体は大地を穿ち、その染みとなる。この老人は、それを良しとするのか。

「…………」

 決断は。行動は。一瞬だった。術が発動し、老人の身体が弾丸めいてドラゴンの首を指す。だがドラゴンの動きはそれよりも速かった。一歩踏み出し、背で受ける。分厚い皮膚が敵手の勢いを和らげ、老人の持っていた刀を阻み、奪う。

「やるねぇ」

 老体とも思えぬ身のこなしで、老冒険者が己の前に降りてくる。身軽なものだ、とドラゴンは舌を巻いた。思わず、口が開く。

「それはこちらのセリフだ」

 特段感情に変化があった訳ではない。ただ、如何ともし難い疑問が湧いていた。仕方ないので、解き放つ。

「老人よ。何故死に急ぐが如き技を放った」

「あん?」

 無手のままドラゴンを見据える老冒険者が、素っ頓狂な声を上げた。本当に予期していなかったのだろう。だから、もう一度言ってやる。

「お前は今、自分が死んでも構わないような技を放った。何故だ」

 質問の意味を分かっていない可能性も考え、少しだけ表現も変える。これなら、と思っていたのだが……。


「………………」

 老冒険者は沈黙してしまった。それどころか、一瞬ではあるが呆けた顔もした。その様子に、ドラゴンは困惑した。まさかこの敵手は。『そういう者』なのか? だが、更に奇妙な展開は続いた。目の前の男は突如として、豪快な笑いを見せたのだ。それはドラゴンの住まう山間に響き渡り、ドラゴンの顔をしかめさせた。むしろこの笑い声の方が武器になるのではないかとさえ、ドラゴンは思った。笑いは暫くの間続き、そして唐突に止んだ。


「ははは……。いや、済まない。まさかドラゴンからそのような事を聞かれるとは思わなかったのでな。そうだな。武器も最早ない。せっかくの機会だ。死ぬ前に一つ、話を聞いてくれ」

 老冒険者はあくまで己の間合いで言葉を喋る。そのせいで、ドラゴンはどうしても後手に回ってしまう。だが不思議なことに、それが苦にならなかった。

 いつの間にか鎧兜も全て脱いでいた老人が、ドッカと岩肌に座り込んでいた。それにつられてか、ドラゴンも身を屈め、聞く姿勢となってしまった。

「まあ……。なんだぁ。アレだ。ドラゴンと戦って死んだら、『よく死んだ』ことになるんじゃねぇかってな。そう思ったんだよ」

 老人は懐から何やら長い物と刻んだ葉を取り出すと、葉を長いものに詰め、火を付けた。冒険者の一部にはそういう習慣があると、ドラゴンも耳にしていた。よくよく見れば帷子の下には。老人にしては結構な筋肉を備えているではないか。

「『死ぬため』とな」

 相槌を返す。だが、先程の行動には合点がいった。それならば捨て身の攻撃を放って来てもおかしくはない。だが何故死ぬためなのか。それが理解できなかった。

「応よ。俺ぁこう見えても昔は一廉の冒険者でな? なんちゃらいう王様から勲章も貰ったこともあった。どこかのお貴族様とサシで酒を食らったこともある」


 ドラゴンは聞き入った。老人の畏まることのない振る舞いが、どこか小気味良かった。喧嘩を売られるか、あるいは崇められ、遠ざけられるか。そういう生き方しかなかったところにこの珍客である。惹かれた興味が、意図せずして加速していた。

「だがな、年を食うと全部パァだ。身体も昔ほど動かなくなるし、若い奴等は俺達が昔できなんだことを容易くやり遂げちまう。そうなるとな、何が起きると思う? 捨てられるんだよ。乗り換えられるんだ」

「そういうものなのか、人間というのは」

「そういうものだ。俺だって女を取っ替え引っ替えしたからな」

 老人は笑みさえ浮かべて己を嘲る。ドラゴンには人間の思惑というのは分からない。

 ドラゴンとは本来そういうものだ。人から離れ、静かに生きる。悪し様に言われたり、不必要に敬われ、遠ざけられるようになったのは人が近くに来てからだ。

 かつては生贄を贈られたこともあったが、それらはそっと別の下り道を教え、逃してやった。その後については知らない。それは人間のすべき努力だからだ。


「さて、乗り換えるのは簡単だ。言葉一つ。或いはそこに金をちょびっと。もしかすると心のこもっていない感謝の書面。その程度で済むだろう。だがな、乗り換えられた方はたまったもんじゃねえ。そうさな……きっちり数えちゃいないが、アレだ。豊作の祭りを十は損したな」

 老冒険者の話は続く。口ぶりは変わっていない。だがドラゴンには、それに対する『悔い』が。見て取れてしまう。

「なあドラゴンさんよ。その間俺が、何してたと思う? 分からんわな。ドラゴンだものな。飲んだくれて。女に捨てられて。また飲んだくれて。友に見離され。気付いたらよ。だぁれも居なかった」

 ぷかあ。老冒険者は、煙を雲に変えて空へ放った。当然だがそれは。仲間のいるそらへ、届くことなく消えていく。

「誰も居なくなって、ようやく目が覚めるだろ? 遅いと気付く。悔いる。でもな、そこで気付いたんだ。『ここで悔いたら、また同じだ』ってな」


 どこかを見ていた老人の瞳が、ドラゴンに向いた。老人は長いものをどこかにしまう。どこか、空気が変わったようだった。

「さっき言った四つの苦しみ。覚えてるか? 俺はあの中で二つ経験した。病も、ちょっとした熱とかはかかった。負傷して三日三晩うなされた挙げ句、回復屋に担ぎ込まれたこともある。よく五体満足でいられたものだ。だから、後は死ぬことだけだった」

 ドラゴンは不意に首肯した。首肯してしまった。誇りあるドラゴンが、である。何に頷いたのかは分からなかった。だが、何かを感じた。

「アンタがどう考えているかはともかく、だ。ドラゴンってのはべらぼうに強い。冒険者が倒すにゃ骨が折れる。倒せりゃそれだけで上位になれる」

 老人の表情は変わらない。淡々と語る。

「俺達も若い頃。いつかはドラゴンに喧嘩を売ろうと決めていた。だがな、フイになっちまった。身近な名誉に目が眩み、欲に溺れたのさ。だから、せめて死ぬなら。そう思った」

 老人の表情は最後まで変わらなかった。だが、瞳が僅かに。煌めいていた。


 ドラゴンは目を逸らし、虚空を仰いだ。既に世界は、『陽』から『陰』に移ろうとしていた。首を振り、もう一度。老冒険者を見る。

「『陰』の刻だ。引き上げろ」

「断る。俺の死に場所はここだ。丸腰の奴を帰らせたら名折れだろう?」

「違うな。我にここまで話を聞かせた時点で、お前は勝利者だ。なおも断ると言うのなら……」

 ドラゴンは老人との間合いを詰める。老人は動かなかった。それをいいことにドラゴンは牙を器用に使い、老人の帷子に引っ掛ける。そして。空へと飛び立った

「食い殺してくれるんじゃないのか!?」

「否。無理にでも送り返す。お前を殺すなど、我には出来ぬ。我が出会ってきた人間には、若い者が多くてな。お前のような心境は初めて知ったのだ。故に、帰す。だが陰界における帰路は危険に溢れておる。栄誉に思えよ」

「離せ! 落とせ! 殺せ!」

 老冒険者は、最後まで抵抗した。抵抗はしたが。ドラゴンが滑空体制に入るや否や、その速度に気を失った。その隙にドラゴンは山並を翔け、最寄りの村の近くに老冒険者を置いて立ち去った。無事発見・介抱されて目を覚ました老冒険者は、ポツリとこう言った。

「やれやれ、死ねなかったか……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

老いた冒険者が死に場所を探す話 南雲麗 @nagumo_rei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ