ワールド・ルーラー

一夢 翔

第一話 魔王降臨

 全身が張り裂けるような痛みに、酷くさいなまれている。それだけでなく、心臓が締めつけられているように胸も苦しい。周囲に灯りは一切無く、暗くてここがどこか判断もつかない。このまま永遠にこの深淵の中に閉じ込められたままかと思われたが、決してそうはならなかった。


 突然全身の苦痛から解放されるように、すっと意識が覚醒する。


「ここは……」


 ゆっくり瞼を持ち上げると、青年は城の広間のような場所にいた。赤い絨毯が敷かれた壇上、大量の宝石がちりばめられた豪奢な黒い玉座に自分は座っていた。


「——目が覚めたかしら?」


 不意に頭上から、女の高い声が降ってくる。


 視線を正面に向けた先に、ひとりの少女が空中に停止して浮かんでいた。艶のあるピンク色の長髪と宝石のごとく輝く同色の双眸そうぼうに、膝下までかかる純白のワンピース。身長はおよそ百五十センチほどあり、全身の肌は細雪ささめゆきのように薄く白い。


 まるで幼い聖女が顕現したような美しい姿に、青年は思わず息を呑む。


「……お前は、誰だ?」


 人間では到底真似できない芸当に、ろんげに眉をひそめて少女に問いかける。


 すると彼女は小さい顎をしゃくり、腰に両手を当てながら誇らしげな顔で告げた。


「私は女神ミアーシュよ。前世の不慮の事故で死んだあなたを、来世のこの世界の新しい統治者としてここに喚び出したの」


「死んだだと……?」


 青年の口から、にわかには信じがたい声で言葉が洩れる。


「そう。とある国の精鋭特殊部隊の一員だったあなたは、任務中にテロリストの銃撃から子どもを庇って死んだの。自分の身体を見てみなさい」


 彼女にそう言われて、青年は着ている黒のタンクトップの裾をたくし上げる。


 極限まで鍛え抜かれた鋼のような肉体には、如何にも惨たらしい銃創痕がいくつも残っていた。確かにそんな記憶があったような気もするが、頭の中にもやがかかったように何も思い出せない。


 ミアーシュはくらく顔をうつむけ、少し残念そうに言った。


「つい最近、勇者と魔王が争いの果てに相討ちして死んじゃってね……。この広い宇宙の中で命をうしなったあらゆる生物たちの中から今回新しく魔王に選ばれたあなたに、世界の統治者としての使命を果たしてもらうためにここに召喚したってわけ。その身体は、前世のあなたの姿をそのまま形にしたものよ。――名前はレイジ=ラスティス」


 そう言って、彼女は左眼で可愛らしくウインクをすると、青年の目の前にコミカルな爆音とともに突然大量の白煙が発生する。 


 中から現れたのは、一枚の巨大な鏡だ。そこには少し長めの黒髪に水晶のように青い瞳、シュッとした細い鼻が通った端整な顔の自分が映っていた。身長はだいたい百八十センチ近くで、黒のタンクトップに迷彩柄のブラックカーゴパンツを身に着けていた。


「レイジ……ラスティス……」


 どこか言い慣れた口調で、青年は自分の名前をそっと呟く。


 少女の話は到底信じられないことだが、完全に全ての記憶を喪ったわけではないのもまた事実だ。自分の姿や話し方、言葉や物事などの認識していたことの一部は脳の奥に確かに残っている。


 しかし、レイジは理解できないように少女に疑問を投げかける。


「……なぜ新しい統治者が勇者じゃなくて魔王の俺なんだ? そういう民の上に立つ仕事は普通、平和と秩序を願う勇者がすることだろう? 俺がここに喚ばれたということは、勇者に選ばれた奴も当然いるんじゃないのか?」


 ミアーシュは出現させていた鏡を煙とともに消すと、どうしようもないというふうに肩をすくめる。


「話が早くて助かるわ。確かにそうなんだけど、今回選ばれた勇者はどうにも頼りにならない奴でね……。だから代わりに、勇者と同等の力を保持する魔王の勢力側に就こう、って単純に考えたわけ。本当は悪党である魔王をサポートするのは癪だけど、さすがにあの馬鹿勇者に世界の命運は任せられないわ」


 おおよその事情を把握し、レイジはあからさまに面倒臭そうな顔をする。


「残念だが、俺には支配欲というものがからっきしないみたいでな。人を護る職に就いていたせいか、誰かを無理やり屈服させるとかそんな気にはならないんだ」


 予想外の言葉を聞いたように、ミアーシュはげんそうに首を傾げる。


「あれ、おかしいわね。今まで魔王に選ばれた生物たちは皆、強い支配欲を持った奴らばかりだったんだけど……。まあ、それならそれで私も好都合だわ。別に他者を強制的に従わせる必要はないし、あなたは前世の時と同様、これからも誰かを護るためにこの新しい仕事に務めてくれればいいだけの話よ。あと拒否権は認めないから」


「…………」


 他人を強制させる必要はないと言いながら、俺には自分の仕事を押し付けるのか……とレイジは心底呆れて嘆息する。


「そういえば、さっきお前は魔法のようなものを使っていたが、俺にも同じようなことはできるのか?」


「ええ。今のあなたの身体にも大量の魔力が流れてるから、あなただけの権能——『自分が認識している物事次第で、ある程度の具現と具象の魔法』が使えるはずよ。あなたが現実に起こしたいことを脳内で明確にイメージして、それを実際に形にする。口で説明するのもなんだし、試しに何かやってみなさい」


 いきなり彼女にそう言われ、とりあえずレイジは広間の石壁に向かってすっと右掌をかざす。


 すると次の瞬間、凄まじい風圧の波動が掌から放たれると、強烈な破砕音とともに巨大な壁を木っ端微塵に軽く吹き飛ばす。壁がボロボロと瓦礫を落としながら、先ほどまで何もなかった箇所に大きなあなが出現する。


 ミアーシュはあっけらかんとした顔でしばらく口を開けていたが、すぐに我に返ったように叫んだ。


「ちょ、ちょっと!! いきなり自分の城をブッ壊す魔王がどこにいるのよ!?」


「ここにいる」


 ぶっきらぼうにそう言い、レイジは自分の掌を見つめて深く納得する。


「ふむ。魔法発動限度や力の制御、攻撃範囲などはこれから慣れていく必要があるな。——ところで俺とお前、どっちのほうが実際強いんだ?」


「は? 魔王と女神の強さなんて、そんなの比べるまでもないでしょ。私はこの世界の監視を任された天界の女神よ。魔力の保有量は誰よりもあると自負してるわ」


「なるほど。それはまずいな」


 レイジはゆるりと右腕を前に伸ばすと、パチンと指を鳴らす。


 すると、手の上の虚空が白煙を上げて小さく爆発し、中から純白の薄い生地が出てくる。


 それを指先でしっかりと掴み、青年はためつすがめつ眺める。


「白、か。女神様でもちゃんと下着は穿くんだな」


「はあ!? ちょっとそれ、今日の私の下着じゃない!! ——というか、何よこれ——っ!?」


 ミアーシュは思わずワンピースの裾をたくし上げると、穿いていた白のパンティがいつの間にか派手なピンクハートのデザインの施錠装置付きの下着と入れ替わっていた。


 レイジはにやりと意地の悪い笑みを口許に浮かべる。


「それはたった今、俺が考えた魔力制御用の貞操帯だ。お前が俺より魔力を保有している以上、やはり脅威でしかないからな。俺程度までには魔力を制限させてもらった」


「ふ、ふざけないで! こんな下品な物を女神である私に着けるなんて、身の程知らずもいいところだわ! すぐに解除して——」


 やろうと思ったのだが、途端、胸と腹の下あたりが急にぽかぽかと温かくなってくる。自分の身体とは思えないぐらい全身が堪らなくむらむらしてしまい、すぐにでもデリケートな箇所を手で弄りたいほどの激しい衝動に駆られる。


「何がどうなってるのよ、これ……!」


「無理に外そうとしたり、お前が俺に反抗的な意思を抱くことによって貞操帯が作動する仕組みになっている。一段階ごとに性欲が高まり最大十段階まで上がるため、これ以上俺の前で痴態を晒したくなかったらおとなしく従ったほうがお前の身のためだが?」


 ミアーシュは堪らず空中から床に膝をつくと、両手で身体を押さえながら荒く呼吸を繰り返す。


「はぁ……はぁ……こんな拘束具で私を束縛したつもりかしら? さっさとこれ外さないと痛い目に——ひゃっ!?」


「無論、俺の意思でも装置が作動するようになっているため、その点も充分注意するように。この際だから、上下関係ははっきりさせておかないとな」


 腕と足を組んで玉座に深くもたれながら、レイジはさして悪びれた様子もなく傲然とした態度で彼女を睥睨へいげいする。


 ミアーシュは恥辱に顔を赤く染め上げ、瞳に涙を浮かべて忌々しげに彼を睨み付ける。


「……こんな方法で強引に私を従わせるなんて、とんでもない奴ね……。支配欲がないってのも、これじゃどうやら噓だったみたいだし……。——ま、まあいいわ。また天界に戻った時に、このいやらしい装置は仲間に解除してもらえばいいだけの話だし」


 今にも爆発しそうな性欲を抑えながらどうにか立ち上がると、ミアーシュは小さい胸に手を当てて堂々と宣言した。


「これからあなたの仕事のスケジュール管理は、女神である私がきっちりとさせてもらうわ。あなたが世界の統治者としての務めを果たすまでの間、当分は監視役としてね」


「…………」


 最後まで見栄を張り続けようとするその根性は大したものだが、彼女の声が若干震えているのがわかった。


 どこまでも健気な女神様に、レイジはすっかり観念したように溜め息混じりに言う。


「それで、俺はこれから何をすればいいんだ?」


「そうね……まずはあなたに現在の勇者に会ってもらうわ。何しろあいつ、俺様が絶対魔王を討伐するぞー! って無駄に張り切ってたし、今頃一人で剣の特訓でもしてるんじゃないかしら。このままだと何をしでかすか判らないから、あなたが直接あいつの前に出向いてこの問題を平和的に解決してほしいのよね」


 まるで責任を丸投げされた気分で、レイジはこの先ますます不安になってくる。


 あーそうそう、とミアーシュは何かを思い出したようにポンと両手を叩く。


「一応なにがあるか判らないから、私が用意したとっておきの最強装備を使うといいわ」


 彼女は再びぱちりとウインクをすると、レイジの膝の上から白煙とともに黒い長剣と四角に折り畳まれた大きい布が出現する。


「なんだこれは?」


「何って、魔王用の魔剣と特製マントよ。先代の魔王もこれを使って勇者と戦ったのよ」


 その言葉を聞いた途端、レイジはこれ以上にないほど露骨に不満な顔をする。


「気に入らんな」


「え?」


「最強装備といえば、某国の精鋭特殊部隊が使用しているコンバットスーツに決まっているだろう!」


「は?」


 真顔で怒鳴り付けられて、ミアーシュは思わず唖然とした表情になる。


 レイジは顎に親指を当てながら、少し思考を巡らせる。


「あとはそうだな……銃だ。それも飛び切り高性能のな」


 初めて耳にしたその言葉に、ミアーシュは小さく首を傾げる。


「その銃とかコンバットなんとかなんてそんな未来的なもの、私は知らないわよ? 私が具現化できるのは、実際に見て聞いた一定のサイズの物だけだし」


「それもそうか。なら、これをこうしよう」


「あーっ!!」


 レイジが再び指を鳴らした瞬間、ボン! と音を上げて剣とマントが煙に包まれると、二挺のブラックハンドガンと同じくの黒色の戦闘服に新しく生まれ変わる。玉座から悠然と立ち上がり、彼は早速上着とズボンを脱いで着替え始める。


 突然の青年の大胆な行動に、ミアーシュは顔を赤らめて恥ずかしそうに視線を逸らす。


「ちょ、ちょっと……いきなり女の子の前で堂々と着替えるかしら、普通……?」


「女神様でも一応そういうことは気にするんだな」


「あ、当たり前でしょ!」


 彼女をからかっている間にレイジは素早く着替え終わると、全身を動かしてスーツの柔軟性を確認する。


「やはりこっちのほうがしっくりくるな。——どうだ、俺の特製コンバットスーツは?」


「な、なんかあまりにセンスがない戦闘服ね……」


 ミアーシュは物凄く残念そうな顔で正直な感想を洩らす。


 全身漆黒の硬質な素材に覆われた堅硬かつ柔軟なスーツになっており、中でもひときわ目を惹く無骨なフルフェイスヘルメットには、なぜか三角形の二つの耳ようなものが後ろに鋭く伸びて突出している。左右の目許だけを覆うウインドシールドからは青年の青い双眸がきらりと光り、この世界ではまず見ることがない奇妙な格好だろう。


 ミアーシュは軽く両手を叩き、仕切り直しをする。


「それじゃ準備もできたことだし、私が空間魔法で一気に勇者のもとまで連れていってあげるわ」


「阿呆。それではあっさり着いて面白味に欠けるだろう? この世界の見学ついでに、俺が直接空を飛んでいく」


「飛んでいくって……この世界に飛行魔法なんて、そんな便利なものはないわよ?」


「誰も魔法で飛ぶとは一言も言っていないだろう」


 直後、レイジの戦闘服の足裏から青い炎が噴射され、彼の身体が勢いよく宙に浮き上がる。


 ブレーキをかけて空中でぴたりと停止し、青年は腕を組みながら彼女を見下ろす。


「自身の魔力を燃料代わりに消費することで高速飛行を可能にした、《マジックブースター》だ。これでお前を追随する、さっさと案内しろ」


「……ふん、口だけは達者ね。ちゃんと付いてきなさいよ」


 ミアーシュもふわりと宙に浮き上がり、広間の壁に空いたあなから勢いよく外に飛び出す。


 それに続いて、レイジもブースターの火力をもう一段階上げると、急いで彼女の後を追ったのだった。


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