悪魔の焼き餃子(前編)

白菜をみじん切りにする。

ざるにクッキングペーパーを敷き、白菜を移す。塩をふって混ぜる。

ねぎを刻む。


豚のひき肉をボウルに入れ、塩をふって木べらでこねる。

最初はポロポロとまとまりがないが、混ぜているうちに粘り気が出てくる。


視界に何か黒い物体を捉えて、ふと目を上げる。

悪魔が立っていた。


「やあ。お久しぶりですね」


悪魔がにっこりと笑う。

「そうか。十年たったのか」

俺はひき肉をこねながら答える。

「そのとおりです。契約に従って、やってまいりました。お忙しいところすみません」


全身を黒く短い毛で覆われ、頭には耳なのか角なのかわからない突起が左右対称に二本。腰骨のあたりから生えている長い尻尾の先端は矢じりの形。人間が描いた想像図は案外正しい。

「こちらを念のためご確認ください」

悪魔はA4大の紙片を差し出した。



魂譲渡契約書


ヤマウチヒサシ(以下「甲」という)と、悪魔第203-245823号(以下「乙」という)とは、以下のとおり契約を締結する。


第一条

乙は、本契約締結の日から三年以内に、カワノヒロコを甲の妻たらしめる。


第二条

第一条の履行を条件として、当該履行の日から十年後に、甲は乙に魂を譲渡する。ただし、乙が譲渡の日までに死亡した場合はこの限りではない。


本契約の成立を証するため、本書二通を作成し、甲乙各一通を保管する。


XXXX年5月28日


甲:ヤマウチヒサシ

乙:悪魔第203-245823号



「わかってる」

俺は悪魔に契約書を返す。悪魔と契約を交わしたことは覚えていたが、今日がその日であることは忘れていた。そうか。十年目の結婚記念日だ。本来なら。


ひき肉は十分な粘り気が出た。

白菜は断面から水分がしみ出してしんなりし始めている。

キッチンペーパーごと水気を絞る。


当時、俺はヒロコに恋い焦がれていた。しかしヒロコには、結婚を約束した恋人がいた。ヒロコを俺のものにしたい。例え悪魔に魂を売ってでも。

ネットで「悪魔 魂 契約」と検索して、いくつかの方法を試してみた。そして現れたのが、今俺の目の前にいる悪魔、第203-245823号だ。


「餃子を作ってるんですか」

「ああ、そうだ。で、どうやるんだ、その、魂を譲るというのは」


ひき肉のボウルにねぎと白菜を加え、木べらで混ぜる。


「ご理解が早くて助かります」

悪魔は、俺がうろたえたり抵抗したりしないことに安心したようだった。

「なに、とても簡単です。この端末を頭に当てがってスイッチを入れると、魂が自動的に吸い出されます。痛みはありません。ほんの数秒で済みますよ。まあ」

悪魔は言葉を切った。

「まあ、あなたは、死ぬわけですが」

悪魔は右手に持った黒い箱型の機械をひらひらと振る。昔の折りたたみ式の携帯電話のような形状と大きさだ。


ボウルに醤油、ごま油、酒、すりおろした生姜を加える。黒胡椒を挽き入れる。混ぜる。


「前にも聞いたかもしれないが、魂ってのは何なんだ?」

「科学的な定義をお尋ねでしたら、結局のところ、魂とは電気信号の集合体です」

常に聞かれ慣れているのだろう。悪魔は間髪入れずに答える。

「人間の頭の中では、無数の脳細胞がお互いに絶えず電気信号を送り合っています。ある瞬間を捉えると、すべての電気信号はオンかオフかに分けられます。その総体が、魂と呼ばれるものです。信号の配列は人の数だけすべて異なるわけですが、あなた方人間はその違いを自我とか自己などと呼びますね。それをこの機械で」

また悪魔は右手の端末をひらひらと振る。

「スキャンして一旦電子データとして保存するわけです。後でまた別の機械を使って私の体内に取り込みます」

やはり以前も同じような答えを聞いたような気がする。


「それで、お前さんたち悪魔は、人間の魂を吸ってどうするんだ」

「人間の魂は我々悪魔にとって食事のようなものです。エネルギー源ですね。特に、無念さとか、後悔とか、恨みとか、そんな負の感情が私らの体には良いのです。悪魔ですから。人間が飢え死にするように、悪魔も魂を吸い続けないと消滅してしまうんですよ。詳しい理屈は実は私にはよくわからないのですが」


餃子の皮が入った袋を開ける。小ぶりな器に水を張る。


「理屈はわからない?そんないい加減な説明で俺は魂を吸われて死ぬのか?」

この質問も悪魔にとってはFAQのひとつなのだろう。悪魔は悪びれずに答える。

「あなただって、その餃子があなたの体の中でどうやってエネルギーに変わるのか詳しくは説明できないでしょう?同じことですよ」

ふん。そのとおりだ。


スプーンでたねをすくって皮の中央に載せ、指先に水をつけて皮の端を湿らせ、接着する。折り目をつける。バットに載せる。


「じゃあ、俺の魂一人分はお前の何日分の食事にあたるんだ?」

「人間の時間の単位でいうと一週間分くらいですかね」

「一週間分?人間一人で、たったの一週間?」

「そうですよ。だから悪魔も大変なんです。常に営業活動をして、魂を譲ってくれる人間を勧誘し続けなければなりません。合間にこうやって魂を吸いに現場に来なければならないし。困ったことに、魂を吸う前に死んじゃう人もいますしね。私らにとってはサービスを提供したのに代金を回収できない、いわば不良債権ですよ」

どうやら悪魔の世界も楽ではないようだ。

「まあ、わかった。それで、今すぐでないとまずいか?死ぬのは」

「今日の日付が変わるまでであれば契約上は問題ありませんが、何か思い残すことがあるんですか」


「餃子を食べてしまいたい。作り始めたから」



<後編へ続く>

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恋の終わりの麻婆豆腐 森いるか @unfolded

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