宇野宗司探偵事務所―――あなたのウソ守ります

@tanukids

第一話 僕、彼女ができました

 薄汚れた駅前ビルの一角。身長180はあろうかというジーンズ姿の若い男が、小さなメモを片手にあたりを見回して歩いている。突き当りで立ち止まった男は、左手の部屋に掲げられた表札とメモを二度づつ確認してから、呼び鈴を鳴らした。しかし、待てども待てども返事はない。古い欄間から薄く光が射しているのに気付いた男はドアに手をかけた。隣の床屋のサインポールが我が物顔でドアの前で回っているので、何とも開きにくい。


「あのー。やってますか」


 恐る恐る様子を伺うと、中は所狭しと、雑多なものが置かれている。古い倉庫を開いた時のような匂いが鼻につき、男は思わず咳込んだ。


「はいはい! いらっしゃいませ!」


 少しすると若い女が、ノートブックほどの大きな黒い手帳を片手に飛んできた。透き通った黒い瞳に、肩まで伸びた黒髪、そして黒のパンツスーツ。出来るキャリアウーマンのような出で立ちだが、残念なことに背が男の腹くらいまでしかなく、しかも童顔なので何ともアンバランスな感じである。


「どんなご用件ですか? 迷宮入りした密室殺人事件ですか? それとも身代金2億の児童誘拐事件ですか? はたまた巨悪な秘密結……」


「いや、ちょっと噂を聞いてやってきたんですけど。嘘を守ってもらえるっていう……」


 手帳を開きながら物騒なボキャブラリーを滔々と披露していた女性の瞳は、途端に分かりやすいほどその輝きを失った。


「そ、そうですか。でも嘘なんてついてもいいことありませんよ。人間正直コレ一番!」


「はあ。そうですか」


「アホなこと言ってないでお前は茶の一杯でも入れてこい」


 男が反応に困った顔をしていると、女の後ろから別の男の低い声がした。


「はいはいわかりましたよ」


 女はパタンと手帳を閉じると、不満そうな顔を浮かべながら奥へと消えていった。


「いやはや失礼しましたねえ」


 白髪交じりのぼさぼさ頭を掻きながらのそのそと現れたのは、若い男と同じくらいの背をした年齢不詳の男だった。よれよれのカッターシャツを第一ボタン全開で着こなすその姿からは、だらしなさが滲み出ている。


「まあ、きたねえとこですけどこちらへ」


 美人というにはあまりにも立派な顎をお持ちの女性が描かれた油絵や、束子のようなものにタイヤがついたもはや用途特定不可のガラクタが散乱する部屋を縫って進み、男は一人掛けのソファーへと通された。机を挟んだ同じソファーにぼさぼさ頭も座る。机の上には無造作に髭剃りが捨てられてあって、ここ数日は使われていないであろうことを男は悟った。


「で、嘘というのは」


 ぼさぼさ頭は、相変わらず頭を掻きながら聞いた。


「それが……彼女ができたと嘘をついてしまいまして」


「はあ」


 男は気の抜けた返事を返した。


「私、この歳でお恥ずかしながら彼女の一人もいないもので。見栄を張って田舎の家族に彼女ができたと自慢したら、今度連れてこいと」


「なるほど。でも君まだまだ若いだろ。20そこらと言ったところか。そんな些細な嘘、笑い飛ばしてくれると思うけどね」


「そこをなんとか。これでお願いできませんか」


 若い男はおもむろに手提げかばんから茶封筒を取り出し、わずかに残された机の上のスペースにおいた。ちょっとした文庫本ほどの厚みがあるそれは、薄汚れた部屋に似つかわしくない重みをもっている。二人の横に転がった古時計が秒針を10回ほど刻んだ後に、ぼさぼさ頭の男は封筒を手に取り、封を開けて中身を確認した。


「お名前とお年、あとご職業は?」


「え……ああ。澤田です。20歳、東都大学の2年生です。よろしくお願いします」


 沈黙を破ったぼさぼさ頭の男の言葉の意味を澤田は一間おいて理解した。


「まあ分かっていると思うが、俺はここの所長の宇野だ。よろしく頼むよ。……そうかそうか澤田君か。いい名前だねえ、うん。家族の愛が滲み出てる名前だよ。そう思うだろ、ナオ」


 気だるさを垂れ流しにしていたぼさぼさ男は一転、上機嫌に語りだした。ちょうどやってきたナオと呼ばれた女性は、男とは対照的に苦苦しい顔をしながら3組のコーヒーセットと砂糖入れをお盆から机に置いた。


「苗字に家族の愛とか関係ないと思いますけど。その点私の直って名前は……ああ正直の直って書いてナオですよ、真っ直ぐに育ってほしいというお母さんの熱い思いが籠った名前です。……ホントなんでこんなとこにいるんだろ」


「コホン。家族を安心させたいという澤田君のお気持ち、痛いほどわかった。ここはぜひ一肌脱がせてもらおう」


「ありがとうごさいます」


 澤田はソファーに座ったまま、机に頭がぶつかるくらい深々としたお辞儀をした。


「で、どうするかだけどね。嘘を守るには大きく分けて二つの方法がある。一つは周りを騙し続けること、もう一つは嘘を本当にしちまうこと。ってことでナオ、お前澤田君の彼女になれ」


「はいはいはい、わかりましたよってえええええ!」


 宇野の隣のパイプイスに座ってコーヒーを啜り、よそ見をしていたがら話を聞いていたナオは突然奇声を上げた。

 

「こいつ見た目も中身も中学生みたいだが一応ハタチこえてるから。安心してくれたまえ」


「いやいやいや嫌ですよそんなの! いやいや別に澤田さんが嫌って訳じゃないですよ。こういうのはお互いのことを知ってから……いやいやじゃなくて!」


「何もホントの彼女になれって言ってるわけじゃないんだ。お隣中国ではレンタル彼女ってビジネスがあるらしいがそれだよそれ。澤田君が帰省する間だけ、彼女としての役割を演じればいいだけの話」


「でも……」


「で、澤田君のご実家はどこに?」


 何か言いたげな直を気にも留めず、宇野は話を続ける。


「徳島の市内に」


「そりゃまた遠いとこからわざわざ。さっきから少し関西っぽい訛りを感じてたから西の人かなあとは思ってたけど」


「いやあ、エセ関西弁なんて言われるもんだからホンマ直したいと思ってるんですけど、油断すると出ちゃうんですよね」


 これまで緊張している素振りを見せていた澤田は、心なしかほっとしたような苦笑いを浮かべた。


「それで来週のお盆、阿波踊りの期間にあわせて一度帰ろうと思いまして。突然のことなんですが、大丈夫でしょうか?」


「お盆はちょっ……」


「もちろんもちろん! いつでも大丈夫だよ。じゃあ細かいことも決めてしまおうか」


 何を言っても糠に釘と知った直は二人の話が終わるまで、シュガーケースの砂糖をスプーンでかき混ぜて遊んでいた。




「高学歴、高身長、高収入カッコ恐らく親が、ときた。それで彼女がいないったあ相当性根ねじ曲がってるんかねえ」


 丁寧に挨拶して帰る澤田を見送った宇野は、ソファーにふんぞり返りながら直に話しかけた。


「ちょっとやめてくださいよ。さっきの感じだとザ・好青年でしたけど」


 直はコーヒーセットと、机の上のガラクタを片付けながら言った。さっきまで猫の額ほどのスペースしか残されていなかった机はあっという間にそれ本来の姿を取戻し、心なしか喜んでいるように見える。


「ああゆう奴に限っていろいろ抱えてたするもんだよ。ま、頑張れよ」


「他人事みたいに。じゃあせめてあのお金、私の好きなように使わせてくださいね」


「だめだ。あれは大事な使い道がある」


 宇野はガラクタの山からいくつか何かを妻見出すと、それを机の上に並べながら答えた。


「はあ……このクソ所長が」


 直は宇野の姿を一瞥して大きなため息をついた。







「こんにちは、小林さん。短い間ですけれど宜しくお願いします」


 お盆期間の前日、二人は羽田空港で落ち合った。直は、いつものパンツスーツを投げ捨て青のスカートと白のワンピース。澤田は変わらずジーパンにTシャツといった格好である。二人は今日の夜、澤田の家で一泊し、直だけ用事があるということで明日の夜にまた帰ってくることになる。


「こちらこそ宜しくお願いします」


「小林さん、そういう格好似合いますね」


 澤田にまっすぐ目を見ながらそう言われて、直は思わず顔を赤らめた。


「直、でいいですよ。一応、今だけは彼女なんだし。ホントは敬語もダメだけど、二人だけの時はまあいいとしますか」


 直はそう言って笑った。


「こんな阿保なことにつき合わせてしまって申し訳ありません。何か無理やりだったような感じがして」


「いえいえ仕事ですから。気にしなくていいですよ」


「家族への紹介とか、出来ることは私が全部しますんで。難しいとは思いますけど、ちょっとした旅行と思って気楽に楽しんでもらえるとこちらも幸いです。ま、何もないところですけどね」


 端正な顔立ちに優しい表情が浮かぶと、直は少し胸が高鳴った。この仕事、悪くないかもしれない。


 二人を乗せた飛行機は好天に恵まれ順調に進み、徳島空港に着いたのは夜7時。そこから徳島駅へのバスに乗り、駅でまた汽車に乗り換えることになる。バスから降りた二人は猛ダッシュへ改札へと向かい、構内アナウンスが響く中目当ての列車を目指す。辿りついた時には既にドアが閉まっていたが、車掌さんの好意で二人は乗せてもらうことができた。これを逃すと次の汽車は一時間後である。


 申し訳程度のビル街をすぐに抜けると、畑と住宅しかない寂しい風景が広がる。ナオはドアにもたれかかったまま、しばらく外を眺めていた。すると、直のスマートフォンにラインの通知音。


「そろそろ着いたころか」


 見ると宇野からである。彼がラインを使うことなどほとんどないので直は少し驚いた。もしかして、移動中かと思い気を遣ったのか。ヤツにそんな神経があったのか。


「今電車で移動中です」


 半信半疑で返事をすると、すぐにまた連絡が来た。


「今回のことは悪かったと思っている。性別上ナオにしか出来ない仕事だと言っても、お前の性格上辛いことには変わりない」


「そこでお前のために、今回の仕事を遂行する上で守るべきことを書き記しておく。少しでも助けになれば幸いだ」


 その内容に思わず直は、外の天気をもう一度確認した。突き抜けるような晴れ模様である。いや、ここは徳島だ。もしかしたら東京は槍でも降っているのかもしれない。直はネットニュースを確認しようとスマホの画面に視線を戻すと、ちょうど新しいラインが来ていた。


「自分から喋るな。お前から喋ると必ずボロを出す。自己紹介もなにも全部澤田君に任せろ。田舎の奴らというのはだいたい亭主の3歩後ろを歩いてしずしずとしているひと昔前の女が大好物だ。それを常に意識しろ。黙っていればどんな後ろめたい事情があっても嘘をついているとは言えない。よかったな」


 直は鼻をひくつかせながらフフっと小さく笑うと、とりあえず自分に言い聞かせた。東京は今日も無事です。それでよかったじゃないか。直は気合を入れ直し、堂々たる抗議文をしたため始めるとまたラインが来た。


「悪い、ちょっと1時間くらい連絡がとれなくなる」


 直は与えられた数少ない情報から推理し、一つの答えを導きだした。あの野郎は、報酬の金を使って夜の街に飛び出し、待ち合い時間の手持ち無沙汰にこのような連絡を寄越したのだと。ナオは今まで書いた文章をすべて消してただ一言書き記した。


「フェミニストに焼かれて死ね!」


 遅遅と進む汽車がやっと目的地に着いても、既読の表示が付くことはなかった。




「もうすぐです」


 駅から歩くこと15分。静かな住宅街を抜け、辺りに見える田んぼの割合が多くなってくると、遠くから一目ですぐ分かる大豪邸が見えて来た。門という漢字をそのまま具現化したような、堂々たる門構え。きっと中には錦鯉がうようよ泳ぐ池なんかがあったりするのだろう。想定のさらに上を行く状況に、直は生唾を飲み込んだ。しかし、澤田は当たり前のように大豪邸の前を通りすぎた。恐らく最高級の檜で作られたのであろう表札には、厳かな文字で「和田」と書かれてある。


「お疲れ様でした」


 澤田が立ち止まったのは、一般的な古い民家の前であった。澤田は迷いなくインターホンを押す。その隣の表札には確かに「澤田」と書かれていた。


「はーい。ちょっと待ってな」


 中から年老いた女性の間延びした声がする。暫くして鍵が開き、ゆっくりと引き戸が開くと、直よりもさらに小さいおばあちゃんが現れた。


「ばあちゃん。ただいま」


「おお、お帰り。お疲れやったねえ」


「こちらがこの前電話で話してた直さん」


「小林直です。今日はお世話になります」


 直はおばあちゃんに向かって小さくお辞儀をした。


「これはこれは息子がお世話になってます。いやあ東京にいって上手くやっとるんかいなあて心配しとったんじゃけど、ホンマ安心しましたわ。どうぞこれからもよろしくお願いします」


 おばあちゃんはすでに曲がっている腰をさらに深々と折ってお辞儀をした。


「ちょっとやめてやばあちゃん。恥ずかしいやろが」


「そやそや、せっかくわざわざ来て下さったんや。まあ上がって上がって。ご飯まだやろう?」







「明日阿波踊り行ってこようと思ってさ」


 小さなちゃぶ台を囲む3人。めざしを頬張りながら、澤田は言った。


「そうかいそうかい。せっかくなら薫ちゃんや正君といっしょに行ってこりゃええ。同い年やしすぐに仲良くなれるじゃろ」


「……うん、そうしようか」


 クーラーもない畳の部屋に、縁側から恵みの風が流れる。ちりんちりんと、風鈴が涼しげな音を鳴らした。


「直ちゃん直ちゃん、こっちでは「眠れる361日はこの4日間のためにある」や阿保なこと言うてなあ。何もないけど、飯と阿波踊りだけは一品や。楽しんで行ってや」


「はい! とりあえずごはんは超一品です! 特にこのきゅうりの酢の物どうやって作るんですか? ご飯何杯でもいけちゃうんですけど!」


 直は白米を口一杯に頬張りながら満面の笑みで答えた。これまで珍しく静かだったのも、目の前の御馳走で頭が一杯だったからである。


「ホンマ素直なええ娘やなあ。また明日教えちゃる。ほらまだまだ食べや」


 こうして直はご飯3杯を平らげた。





「うー美味しすぎて食べ過ぎちゃった。ちょっと夜風にあたってきていいですか」

 

「あ、じゃあ俺も行くよ。ついでに正んとこ行って明日のこと伝えに行けばええ」


 直がそう言うと澤田も続いた。本当は宇野への定期連絡のために一人になりたかっただけなのだが、そんなことは言えるはずもない。直は重たい腹を抱えながら立ち上がった。


「ほんならその間に風呂入れとくけん。早めに帰って来るんじゃよ」


 おばあちゃんがそう言うと、直は苦笑いをしながら小さく礼をした。


「何から何までホントすみません」


「ええてええて。当たり前のことじゃ」


 おばあちゃんは大きな笑みを浮かべながら、私たちを送り出してくれた。





「すみません、なりゆきでなんかみんなで阿波踊り行くことなっちゃって」


「いえ。折角お盆に徳島これたんだし、行かなきゃソンソンでしょ?」


 直が踊りの掛け声のように叫ぶと、澤田はフフッと笑った。


「そうですね。二人とも僕の昔からの親友で。いい奴らですよ」


 そう言った澤田の横顔は、なんだか誇らしげであった。




「木田さんお久しぶりです。澤田昇平です」


 5分程歩いた先の民間の玄関先、インターホンを鳴らして澤田はそう告げた。来るときに見たあの大豪邸には少し劣るものの、一般庶民には身に余るほどの広さである。錦鯉はいないものの、小さな池が右手にあった。


「おお昇平君か。ちょっと待ってくれよ。今出るから」


 インターホン越しに返事があり、中からドタドタと音がする。しばらくして、引き戸が開いた。


「ほんま久しぶりやなあ。いつ帰ってきたんや?」


 現れたのは50代程の恰幅のよい男だった。生壁色の着物を見事に着こなすその様は、某国民的漫画の父を彷彿とさせる。


「さっき帰ってきたばかりです」


「そうかそうかお疲れ様。で、失礼だがそちらの方は?」


「こちら小林直さん、大学で同期なんです」


 澤田の3歩後ろで静かに待っていた直はぺこりと小さくお辞儀をした。


「こりゃまた名前に恥じず素直そうな子で。昇平君もすみにおけないね」


 木田はニヤニヤとした笑みを浮かべた。


「それで正に会いに来てくれたんだと思うが、生憎ちょっと出ててね。何か要件があれば伝えておくよ」


「じゃあすみません。明日、せっかくだから阿波踊りに行こうと思いまして。空いてたら夕方5時に徳駅集合でということでお願いできますか」


「よし、わかった」


 木田が返事をすると、澤田は少し考える素振りを見せた。


「すみません、それともう一つ。和田さんも出来れば誘うように伝えておいて貰えますか」


「ん? 自分で誘いに行けばええじゃないか。久しぶりなんだろう」


「いや、まあそうなんですけど……」


 澤田が反応に困ったような顔をしていると、木田ははたと何かに気付いた様子で言った。


「ああ、そういうことか。相変わらず君は優しいな。うちのはそんなこと気にゃあせんと思うが、まあ私から正に伝えておくよ」


「ありがとうございます。では宜しくお願いします。」





「最後のどういう意味だったんですか?」


 帰り道、直は澤田に尋ねた。


「全然大したことないんですけど……」


 澤田は声を細めて言った。


「正と薫、ああ和田のことです、今付き合ってるんですよ。二人の家はここらへんじゃ名の通った名家で繋がりが強くてね。薫の家、見たでしょ?」


 澤田は小さく笑ってから続けた。


「だからいくら幼馴染といっても、正よりも先に僕が誘いにいくのはちょっとなと思いまして」


 照れ隠しするように鼻の頭を描きながら澤田は答えた。その優しそうな表情を見て、ナオは自分の中で「澤田性格最悪説」が音を立てて崩れていくのを感じていた。



 その後、二人は風呂に入り、床に就いた。澤田は昔の自分の部屋で、直は客間で寝ることになったため、直は宇野への定期連絡をラインで済ませ、手帳に今日の出来事を書き込むと、すぐに眠りについた。翌朝、目を覚ましたのはもう昼といった方が良い時間だった。まるで自分の実家のように寛いでしまった直は、せめてものお返しにと、食べたきゅうりの収穫を手伝って汗を流すと、おばあちゃんは喜んで酢の物の作り方を教えてくれた。去り際、せめてもう一泊すればとせがむおばあちゃんに何度もお辞儀をしてから、二人は澤田家を後にした。






 二人が徳島駅に着いたのは15時30分。集合時間まではまだ時間がある。昨日とは打って変わってごったがえす改札を抜けて、直は澤田に周辺を紹介してもらった。老舗の大判焼き屋のショーウィンドーに張り付いて、全自動大判焼きメカが活躍する様子を見つめる直の姿に、澤田は思わず吹き出した。とても充実した駅前とは言えなくとも、二人は充実した時間を過ごした。そして時計を見れば、もう16時50分。急いで改札へと向かう。


「あ、おったおった。遅せえよ」


 良く通る男の大きな声がした。見れば壁を背にして、一組の男女が立っていた。男は金髪にじゃらじゃらとしたアクセサリーをいくつもつけ鋭い目つきをしている。女は対照的に、紫色の落ち着いた浴衣を身にまとい、物静かそうな雰囲気で、黒のショートヘヤにたれ目が印象的である。


「久しぶりじゃなあ、昇平。いやあお前、東京で彼女作ったって聞いてびっくりしたわ。何しにわざわざ遠いとこまで行っとんねん。まあ俺がとやかくゆうことじゃないけどな」


 男は澤田の肩に手を回すとケラケラ笑った。


「ちょっとやめろよ。こちら、大学で同期の小林直」


 澤田はまんざらでもなさそうに男の手を払いのけながら、直のことを紹介した。


「ああ自己紹介遅れたな。俺、木田正。まあタダシて言ってくれたらええわ。よろしくな。でもホンマに大学生? 正直俺らと夜の街歩いてたら補導されんか心配やわ」


 ケラケラと笑う正を見て直はカチンと来た。何を言われようがそこを弄られるのは許せない。「公序良俗に反するアンタの恰好の方が、補導されないか心配だわ。あ、ごめん公序良俗って難しすぎて分かんないか。阿保そうだもんね、見るからに」という言葉が喉あたりまで出かかったあたりで直は我を取戻し、滲んだ冷や汗を拭いながら笑っていた。


「ちょっとやめな正。ごめんな、口が悪いだけで根は悪い奴じゃないんや。大目に見てやって」


 女は正を窘めると、直の方に向かって小さくお辞儀をした。


「私、和田薫て言います。同級生やから直ちゃん、でええかな? よろしくね」





 こうして合流した4人は駅前の商店街を抜けて、街を練り歩いた。昨日の閑散とした風景とは一変、所狭しとあちらこちらに出店が立ち並び、人ごみですぐに逸れてしまいそうになる。どこにいてもお囃子の鐘が聞こえなくなることはなく、あちこちで様々な連が自由に踊り狂っている。初めて阿波踊りに来た直は、その熱気と異様さに圧倒されていた。


「すごいやろ、阿波踊り。何があろうと徳島県人はお盆には帰ってこにゃならん。忙しくて帰ってこれんなど抜かした日にゃあ村八部じゃあ。あ、村八分ってわかる?」


 混雑していて二人並んでしか歩けないのだが、さっきからなぜか正が直に絡んでくる。この組み合わせは一番ありえないだろうと思い振り返ると、案の定薫は少し渋い顔をしていた。ただ直は、心なしか横を歩く澤田の表情も晴れないように見えるのが気になった。


「でもいつもはなんもないからな。今時、スターバックスが出来たことが県民の一大ニュースになるレベルやで。ほんま、ありえへんわ」


 そんな直の内面も知らず、正はペラペラと喋り続ける。


「直は東京なんやろ。ええなあ。俺もな早くこんな田舎飛び出して、東京行こうと思ってんや。ミュージシャンになりたいんよ、俺。まあ、見た目で薄々わかってたかもしれんけど」


「へえ。すごいですね」


 直は考え事をしながら適当に返事をした。


「あ、冗談やと思ってるやろ。俺本気やで。最近連れと新曲の練習三昧で大学に泊まりこんどるから、しばらく家にも帰ってへん。今回のは自信作やからな」


 正の言葉を聞いて、直は一瞬立ち止まった。すぐにまた歩きだすと、後ろの二人ろ引き離すように歩速を上げる。正は焦った様子でついてきた。


「ちょっと突然なんやなんや。逸れてしまうやろ」


「正君だけに聞きたいことがあって」


「ええで、なんでも聞いてや。その代わり、ラインのID教えてくれたらな」


「それは別」


 直は笑顔でバッサリと切り捨てた。


「つれんやっちゃな。ちょっと聞きたいことがあるだけなのに。で、なんや?」


「今日の待ち合わせ時間、いつ聞いたの?」


「ん? なんでそんなことが聞きたいんや? まあええけど。ちょい待ち」


 正はスマートフォンを取り出して、ラインの記録を調べ出した。


「ええっと、ちょうど1週間前やなあ。彼女と徳島帰るから4人で阿波踊り行こうて。来たときはホンマびっくりしたわ」


「誰から?」


「昇平にきまっとるやろが」


「それ本当?」


「ああ、俺こう見えて嘘は大っ嫌いなんや」


 正が胸を張ってそういうと、直はキラキラと目を輝かせながら答えた。


「私も! 二人合わせて正直コンビだね!」


「は? 何いうとんや? 変なやっちゃな」


 突然快活になった直に、正はかえって不気味さを感じていた。





 暫く歩いた4人は藍場浜公園まで戻ってきていた。時間はもう6時を回り、辺りはどっぷりと暮れている。直は澤田の袖を軽く引いた。


「ちょっといい?」


「ん? なに?」


「ここでは……」


 直が目を泳がせて小さく呟くと、澤田はあとの二人に告げた。


「悪い、ちょっとしばらく自由行動にしてもらえるか。またラインで連絡するから。」



「このあたりでいいですか? 何となくここ、雰囲気いいでしょ?」


 二人は中央舞台の裏手にやってきた。階段を10段ほど降りると、新町川沿いに幅3メートルほどの歩道が続く。澤田は一定間隔で置かれた3人掛けのベンチに腰かけると直もそれに倣った。落差があるため、舞台や屋台の光は新町川の水面に反射するだけで、直接は届かない。隣に座っていてもお互いの顔がはっきりとは判別ない程の闇の中、遠くからお囃子の音が他人事のように聞こえて来る。この世とあの世の境のような、幻想的な空間が拡がっていた。


「昇平君さっき元気なさそうでしたけど、どうしたんですか」


「えっ?」


「それで、私と二人きりになってからまた元気になった気がする」


 澤田は何も答えない。


「何か言うことありませんか。私、その言葉を待ってるんですけど」


 直は澤田の瞳をまっすぐに見据えて尋ねた。


「それは僕が直さんを……ホントに好きになってしまったということですか」


 澤田は水面を眺めながら低い声でそう答えた。暫く二人の間に沈黙が流れる。


「……はあ。やっぱしダメだ。私はね、あの性根ひん曲がったクソ所長と違って嘘が大っ嫌いなんです。虫酸が走るんです。だから正直に言わせて貰いますけど……」


 直はすくっと立ち上がると、澤田の前に仁王立ちして怒鳴った。


「この根性なしが! それでも男かよアンタ!!」







 唖然として言葉を失う澤田をよそに、直は続けた。


「昇平君、私に嘘ついてますよね。これは推測にすぎない。でも私、間違いないと思います。今あなたを見てるとだんだん胸糞悪くなってきたから」


「……ちょっと待ってくださいよ。横暴すぎませんか」


 澤田はようやく我に帰り、当たり前の反論をぶつけた。


「じゃあ聞きます。あのお金、どうやって手に入れたんですか?」


「それは俺が必死に働いて……」


「本末転倒なんですよ。あなたの家、失礼ですけど裕福じゃない。貴重な時間をこんな茶番に費やすのと、勉学に使うの、どっちが孝行ですかね。それが分からんほどバカじゃないのは知っています」


 直は反論をする猶予も許さず、怒濤のごとく捲し立てた。


「じゃあ誰かに貰ったとしか考えられない。そんな余裕がある誰かに。……正君のお父さん」


「論理飛躍しすぎですよ。証拠がない」


「じゃあアプローチを変えましょう。昨日じゃなくて、もっと前から正君のお父さんと連絡を取っていますね」


 澤田はたちまち苦い表情となった。それに気づいたのか、あわてて下を向く。


「昨日、お父さん言っていましたよね。私が名前に恥じずに素直そうな子だって。ナオって名前の書き方、口で言って分かった人これまで居ないんですよ。女の子なら大体奈良の奈に一緒の緒で奈緒とかでしょ」


 澤田の返事はない。


「なんでそれを知ることができたか。前もってお父さんに伝えていたからですよ。彼女役としてやってくる子の名前は小林直だと。正直の直と書いて直だと」


「……そんなことして何になるというんですか」


 澤田はそのままの姿勢で呟いた。


「あなたと薫ちゃんの仲を切り裂くため」


 直は澤田を見下ろしながら、小さく言った。


「正君と薫ちゃんの家、昔から繋がりが深い名家と言ってましたよね。恐らく縁談か何かがあるんじゃないですか? でも中々話は纏まらない。薫ちゃんの気持ちはあなたにあったから」


「お父さんとしては、ふらふらしてる正くんに早く身を固めて欲しい。そこであなたを金で唆したんだ。薫ちゃんには正君という相手がもう決まっている。裏工作をして踏ん切りを着けさせてほしい、と」


「そうして私たちは雇われた。おばあちゃんではなく、薫ちゃんを騙すために」


「昨日わざわざ私を連れて正君を誘いに行きましたよね。でも、1週間前からラインで、彼は既に誘われていた。私を雇っていることを、約束を破っていないことを証明するため、昨日お父さんに会いに行かなければならなかったんじゃないですか?」


 直はふうっと一息ついて、一度呼吸を整えた。


「最初に言いましたけどこれは推測です。私はあなたが自分で嘘を付くことやめるように説得するしかできない。でも……」


 直は一度言い淀む。しゃがんで澤田の頭と同じ高さに目線を合わせると、優しく問いかけた。


「昇平君、優しい人なんでしょ?木田さんは勘違いしてるかもしれないけど、依頼を受けたのも、金のためなんかじゃない。私たちに渡した封筒、封が閉じられたままだったもの。あれで全部なんでしょ?」


 直はそのまま続けた。


「薫ちゃん、さっきから元気がないですよね。最初は正君が私にちょっかい出すから不機嫌なだけかと思ってたけどそうじゃない。私がいるからですよ。あの子優しいから、そんな素振り見せないんだと思うけど」


 直は寂しそうな表情を浮かべた。


「薫ちゃん、今でも待ってるんじゃないですか。昇平君の言葉を。ちゃんと徳島弁で伝えてくれる言葉を……」


「わかりました。もう結構です。小林さん、ありがとうございました」


 黙って下を向いていた澤田は直を遮るように、冷たい言葉を放った。


「二人には直は帰ったと伝えておきます。ただ嘘をばらすというなら、契約違反だ。お金は全て返してもらいます。あれは僕のお金じゃないんでね」


「それでいいんですか! そんな卑怯なこと、許せないでしょ!」


 直の言葉が闇に響く。


「……帰ってくるたびに感じます。この県は古い。何もないくせに地縁、家柄がものをいう世界だ。反吐が出ますよ、正直」


 澤田は俯いたまま呟いた。


「でもね、僕はあいつらが大好きなんです。俺が薫と結ばれることはだれも望んじゃいない。蕀の道だ。だったらあいつらはあいつらで幸せになってくれればいい。俺は東京でアンタみたいなええ人見つけて幸せになればいい。それでいい。ええんじゃ。何も悪いことないじゃろが!」


 澤田は初めて激しく吠えた。はあはあと、肩で息をしてから俯くと、また何も喋らなくなった。


「……そうですか。残念です」


 直は水辺の方に歩み寄ると、電話を掛けた。


「もしもし。定期報告です。やっぱり黒幕は木田正の父でした。私、どうしても我慢できないんで澤田さんを問い詰めちゃいました」


 直はその場にしゃがみ込むと、手で水面を撫でた。静かに波紋が広がっていく。


「職務放棄だってことは自覚しています。すいません。これからの指示をお願い、します」


 小さな滴が落ちる。二つの波紋がぶつかりあって、消えていった。





「え? どゆこと?」


 場にそぐわない気の抜けた宇野の声が返ってくる。


「だから……正君のおやじが昇平君と薫ちゃんの仲を裂くために、私たちを雇わせたんですって。さっき連絡したでしょ!」


「ってことだそうですよ、おばあちゃん。あ、お代わり頂けますか? ほんとすみませんねえ」


「は?」


 自分も初めて聞いたような声が、直の口から押し出される。


「ええてええて。ここはお遍路の国。旅人におもてなしするんは当然のことじゃ。じゃけんど今用事が出来てもうてな。ちょっと留守番しといてくれるかい?」


「いやいやいやいや! アンタ今何処に居るんですか!?」


 直は立ち上がり、大声で叫んだ。


「あ? なんだって? 何言ってるか電波悪くてよく聞こえないけどとりあえずあれだ。空気読め」


 一瞬逡巡したナオは、鋭い目つきでこちらを見ている澤田さんと目が合ってようやく意味を理解した。未だ戸惑いは隠せないながらも彼近づき、聞こえるようにスピーカのモードを切り替える。


「コホン、ああそうですかおばあちゃん。よろしければその鬼退治、一宿一飯の御恩に報いるため私もお供させて頂けませんか」


「そうかいそうかい。ならお言葉に甘えてついてきてもらおうかいな」


 おばあちゃんの声を聞き取った澤田は、直から携帯電話を奪い取って怒鳴りつけた。


「おい! ばあちゃんに何しとるんじゃ!」


「あ? やっぱりよくきこえねえな。……だから嫌いなんだよ田舎は。ああ、おばあちゃん待ってください。えっ? あの上にある箱をとって欲しい? 任せてください。身長だけはあるんですよ」


 澤田の言葉も暖簾に腕押し。直のスマートフォンは、一方通行の無線機と化した。






「こんばんわ。澤田ですけんど」


 おばあちゃんは曲がった腰を精一杯伸ばしてインターホンに話しかけた。


「あ、ああ澤田さん。こんな遅くにいかがしましたか」


「ちょっと残りもんがございましてな。宜しけりゃお裾わけにと」


「はあ、わざわざどうも。今開けますんで」


 木田の声には困惑の色が滲み出ていた。


「それにしても澤田さんがいらっしゃるとは珍しいですな。先日は昇平君とお話ししましたが、いやあ立派な青年に成長してうらやましい限りです。その点うちのは……」


 おばあちゃんはうんうんとうなずき、戸口に立ったまま答えた。


「いえいえ、正君は優しいとてもいい子ですよ。で、実はちょっと聞いた話があるんじゃけんど、若けえもんの恋路を年寄りが邪魔するたあどのような了見ですかな?」


「な、なんのことですか」


「どもー。初めまして。小林直の保護者の宇野と申します。うちのはホント、名前に負けずにバカ正直なヤツでしてねえ。いやあすみませんすみません、反省してまーす」


 おばあちゃんの3歩後ろ、木田から丁度見えないところで佇んでいた宇野は、ひょっこりと顔を覗かせた。そのまま、流れる事務作業のように頭を下げる。


「あんたまさか。契約違反だろう! 金は……」


 木田の声を遮るように、バンっと鈍い音が響く。見れば床に文庫本ほどの厚みを持った封筒が一つ。おばあちゃんは上品に笑ってこう続けた。


「うちの昇平はホンマ孝行者でしてな。一生懸命勉強して国立大学に通っとります。学費が安くて金が余って余ってしゃあないから……持ってきやがれこんボケがあ! ……じゃ、夜分遅くにお邪魔しました」


 引き戸が丁寧に閉められるまで、木田はただただ呆然としていた。




「いやあ、おばあちゃんが勇ましすぎて私なにもできませんでしたよ。これじゃあとても恩を返せたとは言えない。何か他にできることないですか」


 恐らく帰り道だろう、トランシーバーは未だ切れることなく機能していた。


「そうさねえ。じゃあ一つ相談に乗ってくれんかね」


 おばあちゃんの困ったような声が響く。


「実は息子に彼女ができたって話を聞いたんやが、昔から仲がええもんじゃけん、その彼女ってえのは和田さんの所の娘さんと勘違いしてたんさ。あまりに嬉しかったもんやから、息子がついに嫁さんもろうたって自慢して周ってもうたんやが、これじゃああたし、嘘つきになってしまうねえ。なんとかならんかい?」


「それは大変ですね。おばあちゃん、嘘を守るには二通りの方法があってね。一つは周りを騙し続けること、もう一つは……」


 宇野の言葉を遮るように、澤田のスマートフォンにラインの着信音がした。澤田ははっとしてこれを確認すると、突然走り出した。


「あいつは両国橋の上におる。行け。行かなしばく」


 彼の右手に握りしめられてながら、その光は夜の闇を強く照らしていた。










「やっぱりお前が好きじゃ、付きおうてくれ。阿呆……ホンマ待たせて。……うん、これで決まりやな、間違いない。ああ、あんたのことはシロやてちゃんと薫に伝えておいたから安心してええで」


 直の頭上でケラケラと下品な笑いがしたかと思うと、タンっと軽快な着地音響く。姿を現したのは正だった。


「ここんベンチな、座っとったら気づかんけど上から丸見えなんじゃ。お前は途中から気付いとったみたいやけど。俺も高校ん時ここで告白してんの部活の奴らに聞かれてしばらくからかわれとったもんや。ってなに喋らせとんねん」


「いや、心底どうでもいいんだけど。盗み見なんて最悪ですね。補導されて下さい」


「お前、やっぱり猫かぶっとったんじゃな。でもさっきの良かったぜ。惚れてしまいそうじゃ」


 正はそう言って笑った。




「そうか、そんなことが……」


 東京でのことからすべてを直から聞いた正は、そう呟いた。懐からスマホを取り出すと、慣れた様子で電話をかける。呼び出し音二回ほどですぐ繋がった。


「ばあちゃん、俺です。木田んとこの正です。話は聞きました」


「そうかい……」


「あいつら、やっとくっつきましたよ。ホンマ待たせやがってて感じですわ」


 そう言って正が笑うと、しばし沈黙が続いた。


「……結局、一番口出ししてしまったのは私だった。すまなかったね」


「何いっとるんですか。俺はね今回の件で踏ん切りがつきました。一度あのクソ親父をぶん殴ってから俺は東京に行く。薫みたいな芋くせえ田舎娘なんて足元にも及ばん別嬪さん見つけて、後悔させてやりますよ」


「そうかい。ありがとね。あんたなら大丈夫や。いつでも帰ってくるんだよ。飯作って待っとるけんな」


「……はい。じゃあまた。お元気で」


 そう言って電話は切れた。正はゆっくりと空を見上げる。雲一つない夜空には満点の星が輝いていた。




「俺らはな、あの人のおかげで繋がっているんじゃ。本来やったら、口も聞かん間柄だったじゃろ」


 正はそのまま一人ごとのように話し始めた。


「昇平んとこ、おやじさんとおふくろさんいないじゃろ? 昇平が物心つく前に首吊って死んだんじゃ。借金で首回らんようになってな」


 風が吹いて背後の木々が音を立てる。新町川の水面は小さく揺れていた。


「二人は東京で知り合って、徳島に帰ってきた。そんで小さな卸業者を始めた。二人とも真面目で勤勉だったから暫くは上手く回ってたらしい。でもな、この地域にはもともと一つの業者が仕切っとたんじゃ。それが薫のおやじさんがやっとる会社や。危機感を感じた薫のおやじさんは、政治家の俺のおやじを介してプレッシャーを掛けた。ここら辺の奴らは、昇平んところから何も買わんようになった。そりゃやっていけんわな」


 直は返す言葉もなく、ただただ静かに聞いていた。


「そのことを俺が知ったんは、14の時やった。たまたま、おやじと薫のおやじが話してたんを聞いてな。そのころからばあちゃんに良くしてもらっていた俺は堪らず聞きんいったさ。なんで黙っとったんじゃて。どうしてそんなに優しいできるんかって。そしたらっ!」


 知らぬ間に語気が強まっていたことに気付いた正は、一度呼吸を整えてからこう続けた。


「そしたらあの人は言ったんさ。確かにアンタのおやじは憎い。殺してやりたいほど。でもそれはアンタには関係ない。アンタは優しい昇平の唯一無二の親友じゃ。どうかこれからも仲良くしてやってください、て深々と頭下げられたんや。……あの人にはかなわんで、ホンマ」


「じゃあ、昇平君とは薫ちゃんは……」


「ああ、二人ともそのこと知らんままや。俺はお前と同じで嘘付きが大っ嫌いや。でも、このことだけはホンマのこと言いたくない。あかんのやろか。許されんのやろか」


直は暫く黙っていたが、小さく口を開いた。


「……口に出さなきゃ嘘じゃないから」


「そうか。ありがとな。もうここに思い残すことはないわ」


 そう言って正はにっと笑った。


「東京に出るって。やっぱり嫌いなの? ここ」


「何もないけんな。若いもんが夢をかなえようにもここじゃどうしようもない。みんな嫌いじゃ」


 直が聞くと、正は新町川に目線を移しながら答えた。


「前言撤回。やっぱりアンタ、嘘付きね。嫌いだったらこんな古臭い踊りのために、熱くなれるわけないじゃない」


「そういうとこ、ホンマ嫌いじゃないで」


 こうして二人は、遠くで聞こえるお囃子の音に引き寄せられるように、夜の喧騒へと消えていった。





 阿波の国は何もないところだ。電車は走っていない。おしゃれなカフェもない。ただあるのは一つの鉄の掟だけである。


 阿呆なら踊れ。












 ―――「アンタほんと阿保ですか? 卒業後の結婚式代にって依頼料のほとんど澤田さんに返してしまうなんて」


 直は自分の分のコーヒーを入れながらそう言った。


「仕方ねえじゃねえか。おばあちゃんから受けた依頼は「息子が嫁さんもらった」という嘘を守るってことだったんだ。結婚式代は必要経費だ。それにソレ、もらえたじゃねえか。十分だよ」


 二人はソファーの近くに転がった、ガラクタ集の新参物に目をやった。あの後もちろん飛行機には間に合わず、結局二人はお盆期間中ずっと、澤田のおばあちゃんにお世話になることになったのだ。それは別れの日におばあちゃんから頂いたものだ。


「まあそうですけど……てかあんなとこ置いといて大丈夫なんですかよっと。でもせめてインターホンの修理出来るだけのお金は残しておいて欲しかったな」


「あれはそのままでいいの。わざとしてんだから」


 ソファーに腰掛けてもまだぶつくさ言っている直に対し、宇野は低い声でそう返した。


「は? なんでですか? やっぱり阿保なんですか?」


「うるせえな。なんでもだよ」


 宇野は目線を横に反らしながら、水が多すぎてもはやただの濁り湯に近いコーヒーを一気に煽った。


「じゃこっちも言わせてもらうがお前、澤田君にちょっと惚れてただろ。仕事で本気になってしまうとか阿保か」


「な、な、な、何言ってんですか」


 あたふたと挙動不審に陥る直を見て、宇野はニヤニヤとした品の悪い笑みを浮かべた。


「残念だったな。慰めてやろうか」


「違うって言ってるでしょ! 根拠は?」


「お前嘘つくとき鼻の頭を掻く癖あるんだよ。まあそれだけじゃないけど」


 直ははっとして自分の右手が今どこに置かれているかを確認し、立ち上がってその手を大きく振り払った。


「だあああもうやってらんない! いつか絶対これまでアンタがしてきた悪逆非道の数々を世に知らしめてやる! 私は正義のライター小林直だあああ」





 ここは宇野宗司探偵事務所。人呼んでウソ探。大事な嘘を抱えてしまった折には是非ご相談を。あなたのウソ守ります。

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