3 佐々木の思い

「僕は別に、綾小路冬彦だと思われようと構わないから気にするなよ。あの場で皆を納得させ、貴様を追及するのをやめさせるのに一番手っ取り早い方法を取っただけだ」



 深夜の図書室。

 何故、自分が綾小路冬彦だなんて嘘の告白をしたのかと詰め寄った明智に、佐々木は慈悲深く微笑んで答えた。



「気にするなって……。あんな頭の悪い小説の作者だと知れたら、貴様の評判は確実に落ちるぞ」



「評判? 同期からのってことかな。あはは、そういや貴様は意外と気にしいなところがあったな。学生時代に青臭い小説もどきを書いていたなんて過去、大した傷にはならないよ。よくある恥ずかしい青春の想い出だよ」



 それは貴様だからだ、多少の失敗談程度では揺るがぬカリスマ性を持っている貴様だからこそ、鷹揚に構えられるのだという反駁を明智はすんでで飲み込んだ。

 超人の中の超人の親友は、特別な人間だと評されるのを嫌う。高等学校時代、自分は『普通の良い人』を目指している、とこぼしていたことがあった。



「俺は……。俺は佐々木みたいに強くないから、綾小路センセーと囃し立てられるのは嫌だ。だが、だからと言って貴様に恥を被って欲しいなんて思っていなかった。しょうもない見栄を張ったせいで、友人に恥ずかしい過去を押し付けてしまった自分が情けなくて辛い」



 佐々木の献身はありがたいが重かった。重過ぎた。罪悪感と自己嫌悪がとめどなく溢れ、明智の胸の中は深い後悔が渦巻いていた。



「だから気に病む必要はないと言っているのだけど……。僕も大学に行ったり、九十九さんはじめ、懐かしい人達と会えて楽しかったし。卒業から2月経っていないのに、不思議だな。すごく懐かしいのだよ」



「……」



 学生時代を無邪気に懐かしんでいるようにしか見えない楽しげな表情に確信する。

 この男は本当に気にしていないのだ。珍妙な小説の作者だと知られようと、実は痛々しい願望を持っていたと噂されようとどうでもいい。

 加えて、良い人だと思われたいとも思っていない。

 ただ、親友の頼みごとに対し、誠実に臨機応変に対処しただけなのだ。



 やはり佐々木は特別だ。



「ありがとう、佐々木。けど、これからは今回みたいに俺のために汚名を被るようなことはしないでくれ。いくら貴様が気にしていなくても、こちらが心苦しい」



 手前勝手な理屈だが、こうでも言わないと親友は行き過ぎた献身をやめてくれそうもない。


 ところが、明智の言葉に佐々木は流麗な眉を寄せ、首を傾げた。



「明智、貴様は優しすぎるよ。心苦しくなんて思う必要ないのに。僕は友人として当然のことをしただけだよ。本当にそれだけなんだ。もうこれ以上、謝らないでくれ。僕まで苦しくなってしまう」



 彼が本心から困惑しているのが見て取れ、明智は黙り込んだ。

『友人として当然のこと』の基準が一般の感覚とはズレている気がしたが、ほとほと困り顔の親友に指摘するべきでないと判断し、飲み込んだ。


 代わりに、誠心誠意を込め、頭を下げた。



「ありがとう」



 堅苦しいんだよ、明智は、とぼやき、佐々木はすれ違いざまに軽く明智の肩を叩き、立ち去って行った。

 明るい曲調の流行歌を口笛で吹きながら。



 口笛と足音が遠ざかり、聞こえなくなったのを待ち、深く嘆息した。


 聖人君子過ぎるのも考えものだ。優しく献身的なのは美徳だが、あのレヴェルまでいってしまうと、自己犠牲をされる側にとっては重たいし、悪意を持った者に利用されかねない。


 残念なことに、この訓練施設に集う天才たちは、自分が一番可愛い勝手者が多い。

 尊ぶべき親友の善意に、何の罪悪感も抱かず、つけいろうとする奴もいるかもしれない。

 小狡い奴等の策略を聡明な彼は当然見抜くだろうが、苦笑いをして、何も気づかぬふりをし、利用される道を選んでしまいかねない。


 考えたくはないが、今後もし、そんな由々しき事態が発生したら、今度は自分が彼を親友として助けるべき時だ。


 とても敵うような相手ではないけど、いつか必ず、ほんの少しでも恩返しをしよう。


 そう明智は決意した。

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