2 救世主佐々木

 今夜も佐々木は見目麗しい。

 艶やかな黒髪は全方位から見ても完璧な角度で整えられていたし、吹き出物一つない白磁のような肌は電灯の光を受け、仄かに青白く発光しているかの如く滑らかだ。


 端正な顔立ちの中でも、くっきりとした二重瞼の瞳は一際芸術的に美しく、蠱惑的だ。

 彼に流し目で一瞥されれば、老若男女問わず、その美貌と品のある色気に嘆息するだろう。



「探したよ。みんな。実は綾小路冬彦についてみんなに報告しようと思って」



 ピリピリとした空気を無視し、佐々木は優雅にテーブルに軽く腰掛けるようにして寄りかかった。



「へえ、佐々木がやる気になるなんて意外だ。こういうお遊びには興味がないと思っていたよ」



 櫻井が口調こそ柔らかいが、挑発するような上からの物言いをした。

 失敗をしようが揺るがないカリスマ性を誇る彼だが、そもそも失敗をしない佐々木に対しては、腹に一物抱えているのかもしれない。



「佐々木さんも調べてたのですか? 聞かせてください」



 松田が明らかに媚びた口ぶりで促した。向かうところ敵なし、世界の頂点に君臨しているような我儘王子も佐々木と所長の言うことだけは素直に聞く習性があった。

 得体の知れないスパイマスターで、雇用主かつ師匠の所長はともかく、佐々木に服従する理由が明智にはわからなかった。



「綾小路冬彦の正体は僕だよ」



『今日の夕飯はライスカレーだよ』と言うのと同じくらい軽い言いっぷりだった。

 あまりに軽すぎたせいで、誰も瞬時には反応できなかった。


 だが、一番驚いたのは誰でもない、本物の綾小路冬彦である明智だ。


 当然それを見越した佐々木は、虚偽の自白をした後、一瞬こちらに目配せを寄越した。




「佐々木。貴様前に聞いた時は何も知らないと言っていたはずだよな」



 射るような目つきの山本にも怖気付かず、訓練施設の貴公子は弁説滑らかに釈明した。



「あの時は、みんなが『稀に見る駄作』とか『便所の紙くらいにしか使えない』とか酷評してたから、さすがに恥ずかしくて言えなかったんだ。稚拙な作品であった自覚はあったしね。色々手間をかけさせちゃって悪かった。サイン欲しいならするけど、どう?」



 照れながらも、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせる演技は完璧だった。いかにも恥ずかしさをふざけて誤魔化している青年を見事に演じ、それっぽい言い分の説得力を増強させていた。

 そして、これだけで、誰にも追及しないよう無言の圧力を全員に掛けることが可能なのが佐々木という男であった。



「……よく考えると、吸血鬼探偵、発想は良かったと思います。うん。出版社に持ち込んだらひょっとするかもしれません。サインはいいです。佐々木様のお手を煩わす訳にはいきませんので」



 手加減一切なしの悪魔ぶりを発揮したばかりの松田は、今度は鮮やかすぎる手のひら返しを披露した。

 蝙蝠だとか卑怯だとか、腰巾着とか、既存の日本語ではしっくりくる言葉が見当たらないレヴェルだ。

 佐々木に弱味でも握られているのだろうか。



「ありがとう。でも、正直若気の至りだったし、そっとしておいて欲しいんだ」



 控えめなお願いだったが、真実を手当たり次第に漁る猟犬と化した山本をも正気に戻らせた。



「まあ、誰だって若い頃の失態はあるよな。しかし水臭いな、最初から正直に言ってくれれば、俺たちもこんな人の過去を暴くような下世話な真似はしなかったのに。すまなかった、佐々木」



「いいよ。最初に嘘を吐いた僕が悪いのだから」



 嘘つき呼ばわりし、警官の職務質問並みにいやらしい尋問にかけた自分には謝ってこないのが明智は癪だったが、よく考えるまでもなく、自分の場合、本当に嘘つきなので、謝られる筋合いはなかった。


 そんなことより、自ら罪をかぶってまで、親友の名誉を守ろうとする佐々木の友情の深さが染み入り、同時に己の自分勝手さと見栄っ張り具合に恥じ入った。


 彼の心遣いはありがたかったが、それに甘えたままではいたくなかった。


 無駄に高いプライドにしがみついた惨めな男のままではいたくない。


 告白しよう。


 本当のことを。



「あの……」



「待てよ。じゃあ明智の供述が変遷していたのは、佐々木を庇うためだったの? 美しいfriend shipだね。wonderful!」



 明智が懸命に絞り出した声は、小泉の無駄にでかい歓声にかき消された。



「うん。明智に何とかばれないようにしてくれって頼んでいたから。ごめんね、明智。大変だったでしょう」



 優しげな微笑みから発せられた見えない力に圧倒され、無意識に明智の口から出た言葉は気持ちとは正反対だった。



「気にするな。貴様のためなら、嘘つきと呼ばれようと、犯罪者扱いされようとどうってことない」



 ハイエナのようにずるく下衆な松田のことを批判できないくらい、俺も最低だと自己嫌悪に苛まれながらも、明智は引きつった笑いで頬を歪めた。

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