第3章 それぞれの思惑

1 嘘吐き明智湖太郎

「という訳で、綾小路冬彦は誰かの大事なクソみたいな青春の搾りかすみたいなものなので、今更、ほじくり返すのも野暮だと思ったので帰ってきました」



 夜半の会議室で、松田は、大分明智が話したニュアンスの異なる言いっぷりで、帝大での調査を放棄した理由を述べた。

 普段温厚な山本が仁王の如き険しい顔をしていても、全く悪びれてはいない。



「松田、言い訳をするなら、もう少しマシなことを言え。本当の理由は」



 温かみを一切排除した硬質な声で山本が追及する。



「疲れたのとお腹が空いたのとで、帰りたくなったからです。あと、この眼鏡が想い出がどうこうとか女々しいことを言い出したので、ちょうど良いから便乗しました。責任は全部明智さんにあります」



 人差し指で真っ直ぐにこちらを指差し、平気で仲間を売る姿は悪魔そのものだった。


 一同の責め立てるような視線を一斉に向けられ、明智は肌がピリピリと痛んだ。



「そうなの? 明智」



 頬杖をつき、長い足を見せびらかすように組んだ櫻井に問われる。

 老朽化の激しい小学校の事務室のような会議室にいても、この男は妙な風格がある。

 佐々木の皇帝っぷりとは種類が違う、例えるなら、三国志に登場する馬車に乗った名軍師を彷彿させられるものだ。



「あそこで聞き込みをしても、意味がないと判断したからだ。当時を知る学生にも会ったが、彼も現在の綾小路冬彦については知らないようだった。松田も案内役の溝口とかいう学生も疲れているようだったし、日も暮れそうだから帰ることにしただけだ。それより、山本。あの溝口って何者なんだ? 俺は危うくあいつに……」



「話を逸らすな」



 魂胆を見抜かれ、全部言い終わる前に、山本に遮られた。

 決して声を荒げている訳ではないのに、むしろ、普段以上に落ち着いた声音だったのに、とんでもなく威圧感のある一喝だった。

 明智は不覚にも、怯んでしまい、言葉に詰まった。



「明智、貴様、何か隠しているな」



 憂国の志士の如き凛々しい双眸が真っ直ぐにこちらを見据えていた。

 ずっと目を合わせていると、誰でも「ごめんなさい、俺が綾小路冬彦です」と自白したくなるような眼力だ。

 溝口のことも、こうやって配下に引き入れたのだろうか。

 訓練施設に入る前、何をしていたのか分からないが、平凡な会社員ではなかったのであろうことは察しがついた。



「べ、別に俺は何も隠してなんかいない。強いて言えば、疲れたから帰りたくなっただけだ」



「怪しいな」



 何とか追及の手を逃れようと、しらばっくれたが、眉ひとつ動かさず、櫻井が呟いた。


 それを受けて、小泉が明智を指差し、はしゃぎ出す。



「嘘を吐いている奴は、喋れば喋るほど供述が変遷し、ボロが出る。すごい! 兄貴が言ってた通りだ!」



 何故そんなに嬉しそうなのだ。

 腹立たしい。


 興奮気味の帰国子女の色男に、正体不明の威圧感を放つ男は目を細めてから、教師のような口調で解説した。



「まだ明智が嘘を吐いていると決まった訳ではないがな。こうやって聞く度に話の内容が変遷する奴は要注意だ。嘘や隠していることがある場合が多い。同じことを手を替え品を替え尋ねることで、段々矛盾が浮き彫りになるが、敢えて突っ込まずに聞いてやれ。そして、どうにもならなくなったところで、一気に矛盾点を突く。そうすると大体よ」



「うたう?」



 聞きなれない表現に、松田が小首を傾げた。小泉もキョトンとした顔をしている。

 櫻井は黙って、口元に薄い笑みを浮かべていた。

 明智は辛うじて意味が分かったが、意識せずに綾小路冬彦捜索主任が、その言葉を発したことに違和感を抱いた。


 4人の反応に、失敗した、と言いたげに山本は顔をしかめた。



「自白するってことだ。して明智。貴様は松田の話では、綾小路は誰かの青春の想い出だから掘り返してやるなと言ったらしいが、今は、本郷周辺の聞き込みに意味がないと思ったことや松田が疲れていたから帰ることにしたと説明したな。何で違うことを答えたんだ?」



「どれも本当の理由だからだ。帰る理由が一つではなきゃいけないことはないし、全て矛盾なく成立する理由だろう」



 どうしてこんな犯罪者のように尋問されなきゃいけないのだ、と立腹しながらも、論理破綻が起こらぬよう細心の注意を払い、言葉を選んだ。

 もう面倒くさいし、法に触れることをした訳でもない。自白してしまおうかという気にならないでもないが、今後、人の弱みにつけこむのが三度の飯より好きそうな連中相手に危険すぎると思い留まった。


 明智の反論に、山本が悔しそうに歯ぎしりをし、口籠もった。


 やった、切り抜けられる、と確信した瞬間だった。


 松田が子供のように足をぶらぶらさせながら、言い放った。



「だったら僕が疲れたって言ったからで良かったんじゃないですか? 僕も明智さんに全責任をなすりつけようとしましたし、疲れたから帰りたかったという本音も話してる。何でわざわざ別の理由を言ったのですか?」



 この天使を自称する童顔の男には、果たして何色の血が流れているのだろう。少なくとも赤ではなさそうだ。



「そ、それは貴様と違って俺は仲間に責任をなすりつけようなんて下衆な考えはなくて……」



「明智さん、僕のこと影で『悪魔』とか『人としておかしい』とか『親の顔を見てみたい』とか『お坊ちゃん育ちで我儘だと言えば何でも許されると思ってるクズ野郎』とか言ってるでしょう。何でそんな嫌いな奴を庇うのですか」



 何故それを知っている。



 どれも、松田の横暴っぷりに憤った被害者で結成された陰口大会に参加した時に自分が言った悪口だった。


 奴らの誰かが裏切ったのだ。

 許せない。


 明智が被害者の会の面々を思い出し、怒りを募らせているうちに、彼の発した辛辣な松田の陰口に、山本が怒りを表明した。



「おい、そんなこと言ってたのか? いくら松田がクズでも言っていいことと悪いことがあるだろう」



「サイテーだな。やっぱ、こいつ嘘吐いてますよ、兄貴」



 小泉もうんうんと同調し、小者っぽい台詞を吐いた。



「明智、そろそろ本当のこと話したら?」



 とどめに櫻井が諭すような口調で言った。


 急速に自分の分が悪くなっていく状況に、みるみるうちに頭が真っ白になっていく感覚がした。



 頭の中で声がする。


 言ってしまえ。


 俺が綾小路冬彦ですけど、何か?と堂々と大見得を切ればいいじゃないか。


 若気の至りと笑い飛ばせばいい。


 そうだ、櫻井だって、何か失敗した時は何のてらいもなく、笑い飛ばしているではないか。


 それで彼の評価が下がったことが一度だってあっただろうか。むしろ、親しみやすい奴と更に取り巻きを増やしていなかったか。



 よし、全てぶちまけよう。


 うたってしまおう。


 さすれば楽になる。




 言えるはずがなかった。


 自分は櫻井のように、生まれた時から人の輪の中心にい続ける器ではない。


 自分の評判を聞くのは怖いし、嫌われたり、馬鹿にされるのが死ぬほど嫌だ。



 泣きたい。


 許されるなら。



 いよいよ追い詰められ、弱気になった時だった。



 会議室のドアを外側から軽くノックする音が聞こえ、しっとりと色気のある男の声が扉の向こうから届いた。



「失礼。佐々木だけど、少しお邪魔していいかな」



 救世主の降臨だった。

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