第2章 捜査と証拠隠滅
1 森田印刷
翌日夕方、山本の提案通り、櫻井を筆頭とした『綾小路冬彦先生を地の果てまで追いかけ、サインを貰う委員会』(松田命名)は、手始めに同人誌の奥付に記載されている森田印刷という印刷所に問い合わせをする方針で、本格的に捜査着手をした。
奥付には連絡先として、電話番号も併記してあったので、小泉が立候補し、意気揚々と寮の玄関先に設置された電話で架電しに行った。
が、数分後に彼はふてくされて、仲間が待つ会議室に帰ってきた。
聞く前から、あまり芳しい結果は得られなかったであろうと予想できるような表情に、明智は密かに安堵する。
「電話掛けたら、何故か蕎麦屋が出てさ。森田印刷は去年、経営不振で倒産したって。『うちの店は最近電話を引いたばかりなんだけど、前にこの番号を使っていたのが森田印刷だったみたいで、今でも間違い電話がかかってくるから迷惑だ』って愚痴られた」
彼の報告に、出鼻を挫かれた面々は嘆息した。
明智は、自分と綾小路冬彦を関連づける手掛かりの一つが消えたことは喜ばしいものの、森田印刷が、倒産したという知らせには複雑な気分にならずにはいられなかった。
直接、印刷の依頼に行ったことはないものの、貧乏学生の小遣いでも何とかまとまった部数の同人誌を発行できる良心的な価格で、学生たちに親しまれた印刷所と共に、自分の青春も終わってしまった気がして寂しかった。
「明日、帝大の文学サークルの連中に聞き込みに行こう。発行日から逆算して、本郷青年探偵団の面子は卒業しているだろうが、留年してる奴や後輩ならまだ残っているかもしれない」
あてが一つ外れたくらいで、諦めるはずもなく、櫻井が新たな作線を示した。
「じゃあ、明智が案内してよ! 通い慣れた母校でしょ」
突然、小泉に背中から抱きつかれ、明智は驚愕し、身を固まらせた。
友人と呼ぶには、さほど親しくない者から、ここまで馴れ馴れしく体に触れられるのが、初めての経験だったのだ。
「あ、え? いや、土地勘はあるが……その……数多ある文学サークルの連中がどこで活動をしているかなんて知らないぞ」
「別にその辺にいる学生片っ端から捕まえて聞けば、文学サークルの溜まり場の一つや二つ、すぐ見つけられますよ」
「む、無茶言うな! そんなことを大学構内で、しかも集団でしていたら、怪しまれるぞ」
櫻井の指摘する通り、本郷青年探偵団は構成員の卒業により解散しているが、彼らを知る人物は少なからず大学に残っている。
その者たちの口止め工作に走り回っているであろう佐々木と鉢合わせるのは避けたい。
何とかこの流れを止められやしないかと、思わず山本に視線を送ると、彼は薄く微笑み、俺に任せろという風に力強く頷いた。
「大学に乗り込むのもいいが、印刷所から当たる線だが、もう少し深追いできるぞ」
静かだがよく通る声に、遊び半分で騒いでいた3人も押し黙った。
年長者だというだけでは説明できない威厳は流石のものだった。
「会社がなくなっちゃったのに、どう調べるんだよ、ブラザー」
小泉の妙な英語混じりの台詞も鷹揚に受け止め、山本は淡々と捜査手法を説明した。
「まず、会社はなくなっても、閉鎖された森田印刷の登記は残っているはずだから、そいつを登記所から取り寄せる。で、登記には代表者の氏名などが出ている。そこから代表者の戸籍や寄留簿(現在の住民票や戸籍の附票にあたるもの)を取り寄せれば、代表者の居場所を見つけられる。もし登録通りの場所に住んでいないなら、そうだな……。電話の契約状況等を関係各所に照会してみたり、健康保険の利用状況も調べる価値はあるな。もしかかりつけの病院などがあれば通院日を狙って張り込みをしたり、できることは結構あるぞ」
大学で学生相手に聞き込みをすると意気込んでいる櫻井たちが、他愛なく思えてくるようなやり口に、明智はおろか、他の3人も戦慄した。
どこで身につけたのか、聞いてはいけない類の知識だと皆、本能的に悟った。
「そこまでして印刷所の元経営者を見つけても、覚えてないって言われたらパーだよ。無駄足になっちゃ…」
松田がめんどくさーい、と我儘な子供のように頬を膨らませたが、何かのスイッチの入ってしまった山本は止まらなかった。
彼はいつの間にやら、櫻井から捜査主任の座を奪っていた。
「捜査に無駄足はつきものだよ。人も時間も大量に投入して追ってた事件がポシャることなんてザラだ。それでも気を取直して立ち上がるしかないんだ。……と、少し語りすぎたか。まあいい、印刷所の方は俺がやるから、貴様らは帝大の学生の線で行ってくれ。ただ、闇雲に動くと警戒される。ちょうどいい助っ人が帝大内にいるから、そいつを紹介するよ」
圧倒的な貫禄に押され、頷く年下の同期生たちを頼れる兄貴は微笑ましげに眺め、明智に向かって、こっそり片目を瞑った。
ほら、これでいいだろ? と言いたげに。
全くもって良くない。状況はさらに悪化している。
頼る相手を見誤った後悔に、明智湖太郎はひたすら苛まれた。
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