3 協力者

 真っ先に口止めし、仲間に引き入れるべき男は、寮の図書室でドイツ刑法の解説書を読んでいた。


 マネキン人形のように整った顔は、パーツひとつひとつの形も配置も、神が最も美しく見える最適解を計算して作り上げたかの如き美貌を誇っていた。

 柔らかな髪は整髪料で丹念に整えられ、特に前髪は、完璧な角度で彼の白く滑らかな額に垂れ下がり、品の良い色気を演出する小道具となっていた。



「佐々木、少し良いか?」



 声をかけると、図書室の棚と棚の間で立ち読みをしていた佐々木はついと面を上げた。



「ああ、明智か。いいよ。どうした?」



 先刻の櫻井同様、全方向から見ても美しいであろう仕草に、耳触りの良い声音だったが、嫌な印象はしない。

 きっと彼の優しく公明正大、かつ難関の選抜試験を突破した訓練生の中でもひときわ目立つ程の卓越した能力を持ちながら、決して上から目線にはならない、できた人間性故なのだろう。


 佐々木は、一高時代からの親友であり、このスパイ養成機関の同期生でもある。

 つい1月ちょっと前までは、お互いを本名で呼んでいたので、まだスパイネームで呼び合うには若干の照れがあるが、明智は声を潜め、頭半分程下にある親友の耳元で囁いた。



「佐々木、貴様は『本郷青年探偵団短編集』を覚えているか?」



 質問に、佐々木は記憶の糸を苦労して手繰り寄せている様子もなく、すらすらと答えた。



「ああ、勿論。貴様が一回、『吸血鬼探偵の事件簿』を投稿した同人誌だろう? 文学部の探偵小説好きの奴らが有志で作っていたのだっけ。懐かしい。それがどうかしたのか?」



 予想通り、高等学校からの同窓生はかなり詳細な記憶を保っていた。



「多分近いうちに、櫻井、山本、松田、小泉のうちの誰かが、『本郷青年探偵団短編集』や『吸血鬼探偵の事件簿』について、貴様が東京帝大出身ということで、色々聞きに来ると思われるが、絶対に奴らに情報を渡さないでくれ。今度、たい焼き奢るから」



「あの小説が貴様に取って恥ずかしい過去であろうことは分かるのだが、どうしてその4人があれを知っているんだ?」



 ちゃんと最初から分かるように説明して、と促された。



『吸血鬼探偵の事件簿』を書き上げた当時、明智は出来上がったばかりの原稿を真っ先に無二の親友に読ませた。

 その時は優しげな笑顔で「独特な小説だね」と褒めてくれたのに、内心では『恥ずかしい作品』と捉えていたようだった。何であの時止めてくれなかったのだ、と思うのは筋違いだが、腑に落ちない。


 明智が憮然とした面持ちをしているの察した佐々木は、理路整然と弁解をした。



「あの頃の明智は、人生の迷子になっていて、いつもため息ばかり吐いていたじゃないか。小説を書いて生き生きとして楽しそうになったから、例え書いた作品がつまらなくても、指摘したくなかったのだよ。そのまま立ち直ってくれればいいと思ってたし、貴様に僕以外の友人ができるのは喜ばしいことだったからね。だから拗ねんなよ」



「拗ねてない」



「はいはい。で、話を戻すよ。櫻井たちは何で部数も少ない、零細同人誌やそれに載っている駄作について調べているの?」



 今度ははっきりと駄作と言いやがった。

 が、事実、自分でも時間を置いて振り返れば、痛々しい駄作以外の何物でもない小説だったので、反駁はんばくできない。

 それに、いつあの4人に二人でこっそり談合をしていると嗅ぎつけられるか分かったものではない。


 明智はかくかくしかじかとことの経緯を説明した。

 佐々木は腕組みをし、適度に相槌を打ちつつ、話を聞いてくれた。



「なるほどね。それは困ったことになったね。同情するよ」



 一通りの説明を聞き終えると、彼はしみじみとこぼした。



「ああ、未だかつてない窮地だと認識している」



「大袈裟な。ところで、貴様はさっき、奴らが僕が帝大出身だから聴取に来るかもしれないと言ったけど、貴様自身は何か聞かれなかったのか? あいつらに帝大出だと知られているのは貴様だって同じだろうに」



「勿論聞かれたが、勉強しかしていなかったので、知らないと答えたらそれっきりだった」



「妙なところで、生真面過ぎる印象が役立ったね……」



「ああ、松田には『明智さん、佐々木さん以外に友達いなさそうですものね』と失敬なことを言われはしたが」



「失礼だけど否定はできないね」



「……」



 ぐうの音も出ないことが、悔しかった。労わるような、慈愛に溢れた声で慰められた。



「ここではもっと友達できると良いな」



「ああ、うん……」



 みるみるうちに落ち込んだ気持ちになり、このまま投げ出してしまいたくなってしまいかけたが、佐々木にはもう一つ頼まなければならないことがある。

 気を取り直して切り出した。



「あと、もう一つ頼みたいことがあるのだが」



「何?」



「一緒に同人誌を作った本郷青年探偵団の連中の居所を櫻井たちより先に見つけて、口止めしてほしい。俺は下手に動けないから」



 10代からの付き合いの親友は、呆れ顔ではあったが面倒な頼みを了承してくれた。



「いいよ、その代わり、貴様は奴らと行動して最大限に足止めをしてくれよな。4人がかりじゃさすがに僕も分が悪い」



「済まない、恩に着る」



 いいって、友達だろ、と手のひらを胸の前で振ってから、ふと佐々木は何か思いついたかのようにハッとした表情をした。



「どうした?」



 尋ねると、ほんのわずかな粗すらない完全無欠の笑顔で彼は言い放った。



「たい焼きじゃあ、安過ぎる。牛鍋で頼むよ」



「分かった。節約しておくよ」



 少々財布が痛むが、佐々木をこちらの陣営に引き入れられるのなら、決して高くはない投資だった。

 かくして、明智は、自身の過去の秘密を守るため、小遣いを犠牲に、強力な助っ人を得ることに成功した。

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