七話 迷走中
暗がりの中を道を迷わないように帰ると、なんとか案内所にたどり着いた。ここでは時間を確かめるすべがあまりないから、今どのくらいの時間なのか把握できていない。腹時計でも無理そうだ。
二階は電気がついていて、うっすらと誰かの影が見えた。あまり大きくはないからきっと迷だ。本人の前で言ったら怒られるのだろうか。
「ただいま帰りましたよー」
私の声を優しく包むお帰りなさいの声はない。でも、私自身を温かく包んでくれるご飯があった。
「いい匂い・・・」
「さっさと手を洗ってこい。もう夕食の時間だ」
「はーい」
迷は至っていつも通り。いつもと言ってもまだ長くいるわけじゃないからいつもの迷でさえも理解できていない。
そんなあやふやな存在の私に迷はご飯を作ってくれて、家に住まわせてくれて。仕事ではあるけど、今の私には彼女以外に頼るすべがない。きっとここでの私の保護者的存在は迷で、それは私以外の迷い者もそうなのだと思う。
「今日は葵さんに会ってきたよ」
手を洗って食卓につき、同じく自分の席に座った迷に、今日の話をする。なんだか学校が楽しくてしょうがない小学生のような気分だ。
「葵・・・あぁ、あの運のいい餓鬼か」
「餓鬼って・・・」
葵さんに比べれば迷の方が餓鬼の部類に入るんじゃないのだろうか。そう言えば知らない。彼女がどうしてこの容姿で、こんなにも大人びているのか。
「運がいいだろ。ここにくる時に自分の生活用品一式持ってたんだからな」
さっき話した中では出てこなかった話だ。それは確かに運がいい。私はてっきりあの場所に住まわせてもらっていることに関してなのかと思っていた。
「どうして?」
「旅行中だったらしい。だから・・・キャリーだかなんだかを持ってたとかで」
「ああ、キャリーケース」
「それだ」
この世界ではキャリーケースという言葉がないのだろうか。物知りである迷が知らないということはその可能性が高い。
まあ確かにこの謎めいた雰囲気の場所にキャリーケースは似合わない。
街中をそれを持った人が動いている姿を想像してクスリと笑った。
その瞬間迷と目があって、確実におかしいやつだと思われた、気がする。
馬鹿にされた気がしたので迷に関して文句を言わせてもらおうじゃないか。
「私今日サテンさんに大まかな地図を書いてもらってやっとたどり着いたんだからね!適当すぎるよ迷はー」
文句を言われているのに、当の本人は我関せず顔だ。自分で迷ってしまうと言っていたくせにどうして慣れていない迷い者を適当に放り出すのか。
それが迷のスタイルなのかもしれないと思うと合点がいった。見るより慣れろ・・・恐ろしい考え方だ。
迷は食べ終えるとさっさと片付けに行った。
すでに理解したこととしては、迷はとにかくご飯を食べるスピードが速い。私より身長は小さいし、モデルみたいに細いのに。とにかく速い。
私としては細々と、ゆっくりと、ちまちまと食べる迷を見たかったな、っていう・・・まあそれはいいとして。
まだ半分ほど残っている自分の分のご飯を見つめる。のろますぎるぞ自分。
自分が遅いんじゃない。迷が早過ぎるんだ、となんとか開き直って食べ終えた後、まだ後片付けをしていた迷に食器をお願いして、迷の習慣らしい食後のお茶の用意を手伝うことにした。
ここにおいて私のできることはとても限られているから、少しでも長くここに置いてもらうためには、役に立つ必要がある。
迷は「必要ない」と言った。自分だけでできてしまうからか、私がすぐにいなくなる予定だからか、どちらとも取れる素っ気ない言い方だったけど、これはきっと私の心の持ちようで、少しでも自分の居場所がほしいと思っているから、迷の言葉は無視して手伝っている。
確かに迷の言うことには一理ある。
見た目は私より幼いと言っても、今まで一人で暮らしていた。他の人が手伝ったりしに来ないということは必要ないからだってことがわかる。
今までずっと一人だったのだろうか。
今彼女が実際何歳なのかはわからないし、きっと私が聞かない限り自分からは言わない。私が聞いても答えてくれない可能性だって十分にある。
何か確信があるわけじゃない。でも私は出会えてよかったと思うから。それだけで彼女への疑問など吹き飛んでしまうのだ。
「行ってきまーす」
基本私の言葉に返事をしない迷には慣れたので、笑顔で案内所をでる。
今日はいるらしい迷い者に会いに行こうと思う。まあ相変わらず場所は教えてもらえていないのでこれからサテンさんやその他の人たちに聞きに行くことにした。
きっとまた言われるだろう。
「まったく迷ちゃんは・・・」的な感じで。
迷は全く懲りないし、昨日言った私の苦言も右から左に流したように気にしていなかった。忘れたのか聞いてなかったのかはわからないけど、気にしてないのは確か。私が把握してる中で、今日迷が口にしたのは「早く食え」の一言だけだった。
・・・なんとなく、前より距離が離れている気がする。
仲良く慣れている気がしていたのは私だけだったのかな、と思うと急に虚しくなったけど、無視も迷なりの愛情表現だと思って前向きになる。
ネガティブにいいことはない。前向きが一番だ。
サテンさんの香料屋に着いたところで、ふいにスカートの裾を引っ張られた。
振り向くと誰もおらず、気のせいと思って体制を戻そうとした時に、眼下に揺れるものを見つけた。
「・・・アコ!」
小さすぎて気づかなかった・・・急いで視線を合わせるためにしゃがみこんだ。
「どうしたの?またお母さんとはぐれちゃった?」
あの時の不安そうな顔が脳裏をよぎったけれど、私の考えとは裏腹に、アコは笑顔だった。その様子を見て、私はほっと息をついた。今回は違うみたいだ。
「アコのおうち、すぐそこなの。今は遊んでたんだよ」
「そっかー」
ニコニコと話すアコを見てとても愛おしく思えた。なんて可愛いのだろう。一回会っただけだから忘れられても仕方がないと思っていたから、とても救われた気分だ。
「あんまりおうちから離れないようにね?」
「うん!」
可愛らしく指切りげんまんをしようとして小指を出すと、小さな指がそっと絡まった。
ふと、ここに指切りげんまんが伝わっていなかった場合を考えて、一人で小指を幼女に出している恥ずかしい人にならなくてよかったと安堵した。
「そうだ!お姉ちゃん、アコのおうちに遊びにきてくれる?」
お姉ちゃん、そう呼ばれたことがくすぐったくて胸を躍らせる。アコはそう言ってくれるけど、果たして家の人はどう思うだろうかと考えると不安になった。
ここでは異質の存在な私を連れていったらおかしな目で見られるんじゃないか。今になって自分が違う世界に来ている実感が湧いた。そういうことだ。今まで不安にならなかったのがむしろおかしかったんだ。
「アコ!」
眉を寄せて俯いていると、少し離れたところから焦った女の人の声が聞こえた。
まずい・・・そう思った瞬間、思いがけない言葉がかかった。
「お姉さんを困らせちゃダメでしょ、アコ」
驚いて顔を上げると、前に見たアコの母であるその人は、眉を下げて微笑んでいた。自分の心臓がはち切れんばかりに波打っていたことに気づいた時には、アコが私の手を握っていた。
「だってお姉ちゃんと遊びたかったんだもん・・・」
しゅんとして唇を前に突き出すアコのその仕草を見て、アコのお母さんはため息をついた。そのため息はとても優しく、呆れたりするものではなく、母の愛情がこもったもので、なぜだか嬉しくなった。
そうか。あの日あんなに儚く壊れそうだった少女はこんなに幸せだったのだ。
「全く・・・」
でもやっぱりお母さんは困っている。私が身動きを取れないことに気づいて気を使ってくれているのだと思う。優しい人だ。
私はもし良かったら、と続けた。
「伺っても大丈夫ですか?」
「うちは全然構いません!でも、何か用事があったんじゃ・・・」
「いえ。いつでもできることなので・・・それより今はこっちの方が大事かなって」
そう応えると、アコのお母さんは笑顔になった。
「ぜひ来てください。あの時のお礼も兼ねて、歓迎します」
ああ、そう来たか。少しためらって歩み出す。
今更行かないと言ったら、機嫌を直してくれた隣を歩く少女を悲しませてしまう。その顔を見るのは胸が痛む。
ちょうどよかったのかもしれない。ここの人に迷い者について手がかりをもらおうと思っていたから、何か収穫があるかもしれない。
私は手を握られたまま、アコのお母さんの進む方に従う。
気付くと繋いだ手が大きく振られていて、鼻歌を刻む彼女を見て幸せな気持ちになった。
迷い者案内所 立花 零 @017ringo
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